「玲児の蔵書」に長崎 富貴楼の呉昌碩書画のことを書いた。 BLOGに「近況」を移していったほうががよいかもしれない。
1867年まで、フレンチェ近郊のモンテェリベート教区聖堂にあった。モレニMoreni(1792)の案内書によると、ドメニコ=ギルランダイヨの作品とされていた。ウフィッティ美術館に展示されたとき、リッパルトLiphartがヴェロッキオの工房にいたときのレオナルドの作品であるとした。それは、レオナルドの数点の関連するデッサンをもとにしている。
その後、更に多くの意見がでて、リドルフォ=ギルランダイヨ、ヴェロッキオ、ロレンツォ=クレディ、古い伝承に戻ったドメニコ=ギルランダイヨという意見もでた。
過去の、カルビCaivi(1934)、ハイデンライヒHeydenreich(1954)らの異論を経て、最近(1960)、サンパオレシSanpaolesi(1954)がradiography(赤外線写真・X線写真か?)を実施した結果、もっとも合理的な解釈は、
ヴェロッキオのアトリエにいたドメニコ=ギルランダイヨが1470-75ごろテンペラで描いた絵の上に、若きレオナルドが油彩で大幅に塗りなおした
ということである。
特に、聖母、草花、背景の山岳などが補筆されている。これによって、クワトロティエントの遠近法によるデッサンの上に15世紀の明晰な構成が導入されたことになっている。
デーヴァダッタの法則というのがあるようである。F.クープランもそれを逃れることはできなかった。E.M.Cioranが明快に書いているので引用する。(De L'incovenient d'etre Ne Chapitre VIIe)
Nos proches, ente tous, mettent le plus volontiers nos merites en doute. La regle est universielle: le Boddha
lui-meme n'y echappa pas : c'est un de ses cousins qui s'acharna le plus contre lui, et ensuite seulment Mara, le diable.
Charles Augustus Milberton by Conan Doyle(恐喝王ミルバートン)をOxford Sherlock Holmes版1993で読む。
親族との行き違いが多く、ストレスと風邪でダウン寸前である。なんとか医者と薬でもたせている。また、ちょっとしばらく禁酒。
長崎駅前の中華料理屋でもけっこう良いところを見つけた。Sクラスではないが、Aクラス+
最近、頭が痛いことが多い。。
焼き締め器のコーヒーポットの口を壊した。しょうがないので、砥石で磨いて陶器をすり減らしなんとか口を使えるようにした。
Adam&Eveが同じものを売っているとは思えないし、出費が直に多くなるからなあ。
ニコンのフィルムスキャンが欲しいけれど、なんとか我慢している。
よけいなものは処分しているが、空間を空けるのみで、たいした現金にはならない。当然のことではあるが、、
中国陶磁 美を鑑るこころ 泉屋博古館東京分館 (11/3-12/10)
東京六本木一丁目です。
泉屋博古館東京分館site
http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html
中国陶磁、特に青磁については、世界有数の古美術商である
繭山龍泉堂
http://www.mayuyama.jp/index.html の協力によって、優れた展覧会になっているようです。殷の白陶から、、日本にはほとんどない乾隆琺瑯彩「パリスの審判」まで、個人蔵のものも多く、できればいってみたい展覧です。
鍋島 展
有田 九州陶磁文化館
熱海のMOA,大阪市立東洋陶磁美術館、福島県立美術館へ巡回する。
通常の企画展ルームだけでなく、更に3室使った大々的な展示である。MOA、出光など他の館からも借りている。極初期の、一般的な「鍋島」イメージとかけ離れたものから、天明時代まで、多様な「鍋島」を みることができる。一般的な形のものでも絵柄にはあまりみないものが多く、珍しいものを集めるという方針の展覧のように感じた。日本人のおそるべきデザイン感覚を再評価したくなる。一方、清朝官窯のような「切れる」ような感じはあまりない。
逆に、典型的な鍋島のイメージのものが多数あるという感じが乏しくて、今までの鍋島イメージがいいのかという疑問も沸いた。また、展示数が多いためか、揃いものを並べていることが少ないのは、ちょっと残念。また、衰退期のイメージが量的質的双方で良くわからない恨みがあった。
カタログも詳細なものであるが、絵柄における清朝官窯との貸借関係は、直接的なものではないだろうが、指摘できるようなので、言及がほしかった。2800円は旅先で買うには少し高い。2006/10/12
また、有田の今右衛門古陶磁美術館でも鍋島の企画展をやっていて(2006/9/21-12/10)、同時に観賞できる。
フィガロの結婚
バーデン市立歌劇場 出張公演 アルカス佐世保大ホール
歌手の声量がやや小さく、もともと小さな劇場でやりなれている団体のように思った。2Fや3Fで聞くのはかなりきつそうだ。一方、これも小さな劇場のせいかもしれないが、演技は非常に巧い。一般に欧米のオペラ歌手は歌だけでなく、日本の歌手よりずっと演技が巧いが、団員すべてが、欧米の平均レベルより上のように思った。2幕で伯爵夫人がベッドに眠ったままで歌いだしたのには驚いた。
大道具・衣装などの演出は、奇をてらったところがなく、ウィーン ロココ調であり、安心して観ることができる。
オーケストラは、ちょっと昔のバロックオーケストラのような解釈であり、チェンバロが活躍する上品な演奏である。
日本の他の都市にも巡回するようだが、けちらずに良い席をとることをおすすめしたい。また、オペラグラスもあったほうがよい。
2006/10/11 18:30-21:30
精神的にかなり疲れているが、佐世保と有田へいって、「フィガロの結婚」と「鍋島展」をみて少しは回復する予定。
高校生のころの切手収集が出てきたので、処分できるかどうかみていたら、あまりにもマニアックな収集だったので驚いた。
秋から春にかけて日本で公開される「イカロスの墜落のある風景」
1556〜58年頃
ピーター=ブリューゲル
73.5×112cm
には、様々な議論があることは、1970年代以前から議論されている。
まず、この作品がブリューゲルと全く関係のない作品であるという意見はまずないと思う。
疑惑は次のようなものだろう。
最近,
某博物館に挨拶にいって、漏れ聞いたのだが、朝日主催
「書の至宝」展
に貸し出して上海博物館にも展示した1000年ほど前の書を、
現在、修理に出しているそうである。一部、古筆の巻子で痛めたというニュースもあったが、
それ以外でも、上海側で、そうとう乱暴なとりあつかいをした可能性を感じた。
朝日新聞グループは、どう責任をとるのだろうか??、まあ、とらんだろうな「絶対に訂正記事をださない」ということが多い新聞だし。
最近「芝巌」銘の腕枕を買ったが意外に良かった。年期では四十五歳ぐらい。
Wikipediaの「静物画」項目を全面的に書き直した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E7%89%A9%E7%94%BB 「青磁」項目も書き直したが、Wikipediaは結構検索にひっかかるので、あまりひどいのはどうかっと思う。
ルーブル:古代ギリシャ美術・神々の遺産http://www.ntv.co.jp/louvre/ には、少々問題あり。
まず、彫像の殆どが「ローマンコピー」であり、古代ギリシャの作品ではない。肌合いが綺麗すぎて、18,19世紀に修理やクリーニングで、かなりいじっているような感じがする。エルギンマーブルなどのオリジナルを鑑賞したことのある人間には騙されたように感じるだろう。浮き彫りの一部、工芸品や絵つきの陶磁器はオリジナルのようである。
ポスターになっている「アルルのヴェヌス」もローマ時代の模刻だし、第一、そのすぐわきに展示されている「カウフマンの首」は同じ原作を模写したもののようにみえる。比較すればわかるが「カウフマン」のほうがずっとできがよい。プラクシテレスの原作をいくらか想起させることができる。
もっとも、「垢掻き箆をもつ競技者の墓碑」は紀元前4世紀のオリジナルのようで、なかなか良い。また、前述の「カウフマンの首」は一度みてみたかったものなので、これもありがたかった。他に金細工や白地レキトス、ディオニソス仮面などすぐれたものが散見するが、ローマンコピーの氾濫でぶちこわしである。
このレンタル品なら「欧州におけるギリシャローマ美術の受容の歴史」というスタンスで展示すれば、もう少しわかりよかったのではないかと思う。古代の生々しさを感じるのなら、渋谷の「ポンペイの輝き」のほうが良いと感じた。
昭和前期じゃないのだから、バイト学生でも大英博物館やアクロポリスにいくことは出来る時代である。担当者はギリシャのオリジナルを当然知悉しているはずだが、どういうスタンスで企画したのかと不思議に思った。
エスコリアルの無原罪のおやどり:プラド美術館で感じたムリーリョは大きいほど良いということを再確認した。同時展示の2点より大きなこの作品がもっとも良かった。上部の天使は殆ど淡彩素描であり、全体に淡泊素朴な感じがとても良い。昔実見した、少し小さなエルミタージュの同主題の画は技術は優れているが少し余裕がないように思う。
コターンの静物画は人参だけが良くあまりたいしたことがない。メンデスのパンを描いた絵のほうがずっと良い。
ベラスケスの「ディエゴ デ アサド」は精密画でないのに物体の質感をわずかな筆で表現する驚嘆すべき作品。傷みがかなりひどい。
テニエII,[村祭り]
スナイデルス[台所]は保存の良い佳作
ゴヤは画家にふんした伯爵夫人像が最も素晴らしい。
台東区立書道博物館の敦煌トルファン写本展がよい。
休眠状態、よんどろない事情で、しばらく休眠状態だが、ブログの「蔵書」のほうで、すこし発信はする予定。
METの贋作疑惑のある「渓山図」が今年の夏、台北にくるかもしれない。
「書の至宝」展,長い列ができていて、待ち時間も長いようだ。映画などと違い、複製できない唯一のものの鑑賞に多くの人が参加すれば、待ちができるのはやむを得ない。海外でも、フェルメール展、ウフィッチ美術館などでは、長い列ができている。しかし日本の展覧で全く不愉快・不合理な点は、会場内が鑑賞に不適当なほど混雑し、肝心の作品鑑賞がうまくできないことが多いことである。しかも、会場内で係員が「立ち止まらないでください」などと言うのは、全くひどい。歩くために会場に入ったのではない。
中国、西欧など、海外の美術館では長時間並ぶことがあっても、会場内に入れば、まあ普通に鑑賞できるのが普通である。会場内に入る人数をもっと制限すれば済むことだ。入るときの待ち時間が10分伸びてもちゃんと鑑賞できるほうが良いに決まっている。会場に入れるだけ入れて、あとは知らないという主催者・管理者の非道な方針が習慣になっているのは、なさけない。これは、江戸期以来の縁日の「見せ物」のやりかたと同じだ。入り口で木戸銭をとったら、後はできるだけ早く出てもらうというやり口である。
2006/1/11から開催される「書の至宝」展,後期にいったが、上海からレンタルされているものに、あまり良いものがないのが残念。これなら、日本にあるものだけで編集したほうが良かったと思う。もともと上海は書は弱く、絵画に強かったのだから、郎官石記、張玄墓誌のような拓本をもっと借りたほうが良かった。
法華玄賛(上海)は、明らかに台東区書道博物館本が優れているので、あえて借りてくる意味があったとはおもえない。
妹至帖は指定されてないので、下手すると中国から買いたいという希望がでる可能性が高いだろう。主催者:朝日新聞はつまらないトラブルを避けるべきだと思うが、あえて煽っているのだろうか?
真草千字文は、あいかわらず素晴らしかった。
多景楼詩は、既に何度か公開された評判の悪いものなのだから、あえて借りる意味は無かっただろう。
清の書でもひどいのがあったのは、意外だった。
チェックアウトして、天理参考館にいく、あまり便がない桜井線であが、10時38分のに2分まち程度でまにあった。天理駅からはタクシー。 ここは、三脚、フラッシュなしなら撮影可能のようだ。途中カメラが不調になったのとフィルムをもってきたなかったのであまり撮影できなかった。 参考館の1Fは、非常に優秀な民族博物館である。アイヌ、朝鮮、台湾、バリ、グアテマラなどは、展示もどのように生活の中で使用されているかをわからせることを念頭におき、マネキンやビデオを駆使して、分かりやすいものになっていた。台湾の人形劇のビデオ、バリの奥地の村のビデオは特に関心した。バリの奥地の人たちが「地主」で、農作業は「人をやとってやっている」というところにはびっくりした。 女性は家事や織が大変のようだが、男はなにしてるんだろう、闘鶏、音楽、儀礼三昧なのかな。 台湾の船やチベットの羊皮船の実物がおいてあった。
3Fの考古資料は、収集時期が古いせいか、よいところもよくない所もあるようだ。 3Fの考古資料については、こちら
石上神宮にいく、摂社の草薙の剣をまつった社もまいったが、どうも敏感な人間は霊地にはあまり近づかないほうがいいようだ。
2006/01/05に、
九州国立博物館で、「文明の十字路」という大陸からのレンタル展をみる。メtロポリタンへの巡回したもの。
導入部の無意味に長いエスカレーター・エレベーターは、MOAをおもわせる。あまり良い内部設計とはいえない。
美の十字架::
ブロンズの器物を皆「銅」と表示しているのはいただけない。純銅、赤銅の器物はまずないのだから、青銅のほうがより妥当である。
虞弘墓の浮き彫りはまったくオリエントの王侯のものであって、あまり中国的なところがない。駱駝や象の上からのライオン狩り、王冠や装飾、ペガサスとライオンの戦い、などなど。台座の動物頭部丸彫りもすばらしい。MIHOのものは遜色がありすぎ。
銀器ガラス器などで、安易にササン朝ペルシャにしているものが多いが、必ずしもササンではなく、中央アジアの国家産のものが多いのではなかろうか?
中国出土のローマン、ササンガラスは、イランのギラーン出土のもののような銀化がなく、保存がよかったのが印象的だった。
常設:::
九州国立博物館へ移管
2006/1/11から開催される「書の至宝」展は東京国立博物館と上海博物館で開催される。日本にある宋以前の中国書跡の4/5ぐらいが、一時的に上海に移動することになる。また、日本の12世紀以前の名跡の1/3ぐらいが上海に移動する。これはある意味で、文化財の人質のようなものである。
で、上海から今回貸し出したもののなかで、真に優れている
宋以前の書跡は2点ぐらいであろう。
日本の負担10、上海の負担1、ぐらいという極めて不公平な交換展である。
昨年来、多難なことが多く、ろくに書いてないので、昨年のメモを、ちょっと追加
**[神戸,兵庫県立美術館]
レンブラント 青年期の肖像、思ったより良かった。
ヤン ヤンスゾーン ファンデベルデ、背の高いビアグラスのある静物。
良質。
ライス 大理石の卓上の花のある静物,
開ききっていないバラの花の膨らみの描写は優れているが、まがくねった不自然な茎の花束はうるさい感じがする。
ミニョン 「傾いた花束」:やりすぎ。ちょっと平面的な感じ、つくりものめいた感じがする。
ダウの「漁師の妻」(紬車をもつ、アーチ窓からのりだす小品)、
メツーの「ニシンを売る女」は婆さんに、若い女がニシンをうっているのだが、いまいちのものを感じる。
ヤン ステーンの「ライデンのパン屋の肖像」は破格。
同「身繕いする女」小品:はステーンとは思えないような精密なもの。
テルボルヒの「軍服を着たフラーフ」にもサテン描写の妙技、錦の肌合いがいかんなく伺われる。テルボルヒの「農夫の服装をした娘」もなかなか微妙な愛らしさ素朴さがあってよい。
カッペレの「冬景色」は名品。
マースの「祈る老夫人」(大きい)は、指、鍵、パン、猫の顔など一部だけにカメラの焦点はあたったような感じ。
ホーホの「こどものシラミをとる婦人」は痛みがひどいのか、右奥の窓と庭に面した間の光線・影だけがすばらしい。
**[藤田美術館](大阪):
庭の紅葉がとても綺麗で得した気になった。
高野切 第3の掛幅があった。少し汚れがあるようだ。高野切としては珍しい。折り皺もある。ただ、墨自体ははっきりしていて、剥落はないようだ。
深窓秘抄は、
なかなか良い。見直した。京都での大規模な「かな」展以来だろう。第一紙はとくに虫喰いが多く、第2紙以降を評価しないと不公平なように思った。印刷図版には第一紙の冒頭が多い。筋切はそれほどでもないページがでていた。
定武蘭亭 はひどいものだった。九歌図巻は良い。
阿字義は人物画はすばらしい。
継色紙、寸松庵色紙も並んでいた。
光琳乾山のさび絵角皿があった。なんと10種組だそうだ。1個でも自慢になる珍品であるのに。東博に1個貸しだしていた。
紫式部日記絵巻は、色が濁っていて面白味に乏しい。
**[京都歴史博物館]::
シルクロード展示,
MIHOミュージアムのものが、入り口ちかくにあって、びっくりした。2つのリュトン断片はよさそうな感じだ。
大きな乗馬塑像など移動がむずかしそうなものが展示されていてありがたい。ライオンのいる骨製の「剣の鞘」の彫刻は見事。
なんといっても、露出展示されていた、ペンジケント出土の大きな壁画三面が感動的だった。高さ1.3mぐらい。微妙に凸凹した壁面である。ソグドの風俗文化を図像でイメージすることができるのは、とてもありがたい。昔、ロシアの学者が編纂著述した本で、片鱗だけは知っていたが、実物をみられるとはおもわなかった。1985年、ソ連時代に壁画展示を東京でやったことがあったが、いまいち記憶に残っていない。ペンジケントであったが、もっと保存状態の悪い絵画だった。同心円に○がある模様が頻繁にでてくるし、胡座ではなく、もうすこし緩い組み方の座り方をしている。また、筒袖の洋服を着ている。戦闘図の左にいるハープ弾きの女性はは、頭に緑青の円光があるので、神ではなかろうか?
右手はプレクトラムを使っている。
横の戦闘場面は、戦争というより決闘ではないか??
侍者を小さく描いている。
中国でもなく、ギリシャローマ西洋でもない、ちょっと変わった絵画伝統である。線描が多いが、赤い線で、墨ではない。
ピラネージ版画展 を再度みたが、ハッチングの多様性、廃墟となった煉瓦の質感の表出には感心した。チボリの滝のまわりの民家は特に良い。芝居じみた小さな人物たちは、モンスデジデリオの絵画にも登場するので、18世紀というより17世紀後半の感じがする。
西洋美術館の「キアスクロー版画展」をみて、「ハイライトをつけたデッサンの模倣」というのはよくわかった。パルミジャニーノがずいぶん下絵画家として関与しているところから、逆にパルミジャミーノの異様な光に照らされた油彩画は、こういう版画の影響があるのではないか?と思った。
しかし、ここまで技術があって、なぜ錦絵のような華やかな多色木版画にならなかったのだろうか?全く不思議だ。
同時開催のピラネージ版画展は西洋美術館のコレクションだが、これは文句なく感心した。ピラネージの版画は図版でみるととげとげしく、大仰で、つまらないものにみえるが、現物は細部への愛情が感じられ、特に、普通の風景版画(チボリの滝)は特にいい。ハッチングがありきたりでなく、実に多様な技法で質感を表し、微細な人物にも手抜きがない。
東大のイメージ集は写真がひどい。いったいどんな機器を使っているのか、センスを疑う。
東京の新装なったイタリア文化会館(九段南)で「エトルリア展」
12/11(日)までだが、推薦しておく。
フィレンチェとシエナの考古博物館からのレンタル。
フィレンチェでみた展示よりずっとみやすく良いものが並んでいた。特に金、銀のフィビラ(装飾的なピン)はすごい。また、ギリシャから輸入した優秀な陶器とご当地で模倣しただるい陶器が比較できるのも面白い。
京都文化博物館で「偉大なるシルクロードの遺産展
12/4(日)までだが、推薦しておく。
ソグドの都ペンジケント出土の代表作とされる壁画(8世紀)
が3点展示されている。1985年にソ連からレンタルして展示
された壁画より遙かに鮮明で、内容も良い。
しかも露出展示(レプリカかしらん??、まあいいや)
希な機会だと思う。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html
アンコールワット展、横浜そごう
プノンペン博物館(旧アルベール サロー)の石像と青銅像の巡回展覧。以前、都美術館でやった展覧ほど網羅的でないのはカンボジアもまあ、それほど財政的に苦しくないということだろうか? 青銅の大きなシバ像、完形のラクシュミー像がみられなかったのは残念。ただ、新しい発掘分なのか見慣れない像もあった。カンボジアでは、移籍にいっても彫像はみられないことが多い。泥棒が多いので、はずして倉庫や博物館に移すことが多いからである。状態の良いもの、代表的なもの、価値が高いものは、プノンペンへ、そうでないものは、現地の保存所へいっているようである。ただ、プノンペンは治安が不安だし、博物館の他にみるところもないので、なかなか行く気が起きず、結局、こんな巡回展は結構貴重である。
七世紀ぐらいのサルナート様式を模したような仏像、有名な王妃肖像でもある般若パラミータ菩薩、現地には壊れた像台座しかないバンテアンスライの守護神像四体はうれしいものだった。ボアスリエ「クメールの彫像」にある像も何体かあった。ややグラマーな女神や、古くから有名なヴァームジカは見事な作品だが、ヴァームジカは二種の砂岩の層にまたがっているようで、その層の割れ目のため左目が損壊しているようだ。アンコールを訪ねたときもそう思ったが、赤い砂岩と青い砂岩で風化すると灰黄色になる石の両方があった。変わっていたのが、青銅像
で、あまりみたことがないものが多かった。アンコール回廊から発見された大きな像は、青銅の錆の感じが中国のものに似ていた。難点かの小さなブロンズには年代に疑問を感じた。
ヒンズー教の神紙の像をみていて、そういや、インドの衣装じゃなくて、皆サンポットを来てるな、日本で羽織袴の仏像などは事実上ないし、中国でも中国服を:着た仏像出現にはかなりの時間がかかったことを考えるとクメール化は意外に早かったのだろうかと考えたくなった。
ダヴィンチ・コードという本、人に勧められて読んでみた。近くの図書館で借りたかったが11ヶ月先まで予約いっぱいなので、しょうがないから購入した。
悪い本ではないが、テンプル騎士団とか、グノーシス主義とかを囓ったことのある人には勧められない。翻訳のせいもあるのかもしれないが、誤りが続出してイライラし、読むのが苦痛になるだろう。レオナルド=ダヴィンチの絵画を愛好する人も同様にお勧めできない。三賢王の礼拝(Uffiti)を多色の絵画だと思っているしぃ〜。「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」という一文は、冗談としてはきつすぎる。
なお、1982年のバチカンの財政危機というのは、アンブロシアーナ銀行がバチカン銀行配下のパナマの幽霊会社に、約13憶ドルという巨額な投資を行って倒産した経済事件の関係だろう。頭取のカルビ氏がテムズ川で首つり死体で発見され、シカゴの司教に逮捕状がでたりした大事件だった。教皇が変わって、イタリア警察がまた再捜査しているそうだ。
徳島の書学書道史学会で発表「清代を中心とする刻字と印人」をし、
大阪で教授の家にいき、正倉院展をみてきました。現在、風邪療養中です。
園田湖城旧蔵古印は、久保惣美術館にはいっている。大西氏旧蔵印は加藤氏という人のところにはいっている。
喪乱帖は麻紙ではなく、楮と雁ピの混合紙であったこと。
依水園では、拓本がでてました。やはり真草千字文が印象がよく、集王聖教序も入墨はともかくよいようにみえます。
徳島・鳴門の大塚国際美術館にいって、レプリカの古代絵画をみた。
陶板の質感にむく絵画と向かない絵画があるようだ。
一時間で環境展示を中心に駆け足でみたので、あまり公平ではないかもしれないが、中世フランス、ロマネスクのサンマルタン壁画、ビザンチン テッサロニキの壁画、エトルリアの「鳥占い師の墓」の壁画は、いずれも大変すばらしい。
今回是非みたかったポンペイ郊外のCasa Misteriの壁画の環境再現展示も色合いにやや疑問の点があるも、みたことのない部分の再現も含めて大変面白い。モザイクもラベンナ サンヴィターレのユリアヌスとイサドラの大画面はかなりよかったが、なかにはそれほどでもないものもあった。モザイクはその性質からいってもっと迫真の再現ができると思う。
油彩画は、フェルメールやファンアイクをみる限り、あまりむかない。金彩+テンペラであるスクヴェローニ礼拝堂はかなりよい再現だと思う。フレスコは相性がいいはずだが、ミケランジェロはいまいちだった。
一般に線があまくなるので、細密描写を得意とする絵画にはむかず、巨大でおおまかな作品のほうがよい。エル グレコは確かに面白かった。
ウルビーノの「書斎」の復元はなかなか面白かったが、偽物の棚のトロンプルイユに感心したが、ほかのトロンプルイユは子供だましにみえた。
目録をみると小さな作品も多数陶板化されているようだが、人よせのため、教科書的な作品を採用する以外は避けて、大きな作品の環境展示やバラバラになった作品、失われた作品の再現に挑戦して欲しい。
話題性を求めるなら、高松塚古墳壁画、キトラ古墳壁画の再現などが面白し、成果もあがると思う。カルロクリヴェリのモンテフィオーレ祭壇画のように世界中にバラバラになったものの再集結、、ブリューゲルの四季の絵で囲まれた部屋の再現、も面白いだろう。
雨のち曇、葉山に シュバンクマイヤー展+映画祭にいく。
DVDでの上映なので、細部がいまいちのところがあったが、長年みていなかった映画をみることができて、考えるところがあった。「エドワルト氏」の暴力的な人形劇は、昔、最後の場面にショッ を受けたものだが、今回は、ずいぶんあっさいとすぐ:終わった気がした。人間を生け垣代わりに郊外の自宅の周りにたたせるという「庭園」は、昔みたときは、ゆっくりした展開が退屈だったが、今みると人間への支配の恐怖がそくそくと漂ってきてなかなかの佳品だと思う。年をとることで時間経過に関する感覚が速まっているのだろうか?作者が制作した年齢を越えたということもあるかもしれない。
会場には、多くの作品があったが、映画制作者のコンテや人形見本というものではなく、ほとんどが独立した作品として制作されたもので、非常に見応えがあった。夫人のエヴァさんの作品も多いがこちらはむしろ常識的な現代美術である。一方、旦那のほうの作品は20年代をおもわすもの、奇妙なコラージュ、などより不気味で個性が強い。
なお、会場でもビデオやプロジェクタで「博物誌」「対話」「ファウスト」などを流しているので、必ずしも映画上映スケジュール以外でも、結構楽しめる。
書道博物館の展覧もかなりよいようです。 ひさいぶりにレイアウトが変わってました。
京大人文研の一部だが、
下記は、とてもすばらしい。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/toho/html/top.htmlまた、法隆寺国宝館の染織も、
東京国立博物館の東洋館の、中国絵画は、かなり良いものを並べている。梁楷が5点も並んでいたのには驚いた。
また、法隆寺国宝館の染織も、そうとう良いもの揃い。特別展より、こちらのほうが良い。
三井記念美術館にいったら、大変な混雑だった。そのくせ、
拓本類は「後期」の展示で、みることができない。ふんだりけったり。ただ、おもったより良い展示環境である。
前期:10月8日(土)〜11月13日(日)・後期:11月17日(木)〜12月256日(日)
CONTAX 167MTが、フィルム巻き上げがおかしくなったあげく、 一時 動かなくなってリセットスイッチでようやく回復。 予備のボディに変えて使ってみる。
永青文庫理事長:細川護貞さんが3日に心不全で逝去93歳。本日、青山で告別式とのこと。
大分県臼杵市に 中国陶磁美術館 http://www.fundokin.co.jp/china/china.html が最近開館したそうです。繭山龍泉堂もお手伝いしているかなり上質なコレクションだとのこと。
ノートパソコンの液晶ガラスが、いきなり大きく割れてしまって、どうしようもなくなったので ソフマップで、さっそく安い中国組み立てのIBMを買ってきて、ようやく復旧した。 タイピングはもとのOMNIBOOKより、こちらが良いようだ。内部のハードウェアは富士通と松下 など日本製のようである。 あと3年はもってほしい。
ホテルのパンとコーヒーだけの朝食(三百円)
朝、淀屋橋まで京阪(タダ)でいって、そこから東洋陶磁美術館へいく。
なんと、フラッシュ三脚なしなら撮影okになっていた。
朝鮮陶磁器が高水準であるが、この情熱を中国陶磁器にも注いで欲しかった。半島にもそうこれだけのコレクションはないだろう。白磁の企画展をやっていた。錠前つき箱型の水滴が良かった。白磁の角杯もあった。これは口縁は露胎である。なかなか良い。志賀直哉ー上司海雲由来の白磁の大瓶が1996年に粉々になったものを修理したという。よく目をこらさないとわからないぐらい修理が良い。
中国では、カ窯の管耳瓶があまりみないもので面白い。口縁の破損部分をみると、確かに黒灰色の土である。黒っぽい貫入が一面にはいっている。白い貫入はみあたらぬ。
鴻池の飛び青磁は、一段と良くみえる。
日本陶磁をみておもったのは、平安鎌倉の陶器は意外とかっちりした造形が多い。室町以降の歪んだ造形は必ずしも日本の造形の特色とはいえないのではないかと思った。
大阪市立美術館:
中国の石仏展:
山口謙 コレクションは、カタログの図版が小さいので小品の集まりのようにみえるが、実物をみると、何倍も大きなものが多く、とても見応えがある。
ミラノ展は、カナレットと18世紀の[物乞い]、Visconti タローカード、ぐらい。。
YAHOOブログが、あまりに重すぎますので、 玲児の蔵書 というブログへ移ることにしました。 玲児の蔵書 は、しばらく残しておきます。
玲児の蔵書 というブログをつくることにした。蔵書関係などは随時こちらのほうへ アップするつもり。
ENGLISHのほうで、 Restaurateurs ou faussaires des primitifs flamands (2005/8/23) を書きました。
大三島 神宮 の宝物館にいく。
斉明天皇奉納という 禽獣葡萄紋鏡 は非常な精作であるが、これは、普通の銅鏡だろうか? 外側は内側へ10度ほど傾いていて、円錐の上部を切ったような形になっている。縁の高さは高く1,8cmで相当重いようだ。縁と側面が同色の黒っぽい状態になっていて、内側に1mmほど黒い部分がある。これは、2枚の板をあわせた銀貼鏡のような作品ではないかと思う。銀貼でないかもしれないが、白銅?を2枚あわせたもののようにみえる。実際、白鶴美術館には中国出土の銀貼の葡萄鏡がある。
模様の第一印象はずいぶん薄い盛り上がりの少ない鋳造だということだ。いわゆる隋鏡によくあるタイプである。ただ、中心の獣だけは大きく彫塑的である。他は薄肉堀のような模様のつけかたである。実際鋳造後に追加で鑿による加工をしているようにみえる。ただ、唐代金銀器に多い魚々木紋はない。
盛唐タイプの海獣葡萄鏡ならもっと彫塑的で盛り上がるような鋳造がなされているのが普通である。前述の白鶴の銀貼鏡も隋と推断されていた。ただ、この場合は、中心のちゅうは円ちゅうで、銀貼がそこだけ抜けていて、地の青銅がでている。
また、内側の同心円のうち
1つが異常にはっきりしていて、内外を明確に区切る境界になっている。この円は線の幅が0.5mmぐらい高さが1,5mmぐらいもあって、しかも模様がかかっていない。
海獣葡萄鏡の優品という人もいるが、ちょっとカテゴリーが違うのではなかろうか? 隋鏡とするのが妥当かと思う。
根津美術館
台北故宮博物院の石院長 ご講演。
意外に小柄で痩せ型の方で少々おどろいた。写真でみるように微笑を絶やさないひとあたりのいい方だが、いったんおこると怖そうだ。大組織の長としての腕前はあるのだろうし、底の知れない感じがした。
沈周について、花鳥雑画がむしろ応酬贈答画として普通に使用されていたという指摘は、あたりまえながら、あえて指摘されるとがてんのいくところが多い。
展示絵画では、小川家?の周臣の繪はオーソドックスなもので良かった。樹木は唐寅の作品をおもわせ師弟関係を明らかにしている。趙幹の画を模写したことになっていて画題も趙幹の繪からそのままとっているのだが、台北の趙幹と共通するところは水面をこまかい波で埋めたことぐらいであろう。
人物も精緻だが、台北本のあくの強さがない。
原画が軸物であったかどうかは疑問である。むしろ上部と近景が分離しているようにみえるところから、二枚の画冊を組み合わせたものかもしれない。
出光の辺楚善「夏日集禽図」は意外にも質が良い。日本にあるこの手の装飾的なおおきな明の花鳥図にはろくなものがないのだが、これは精緻な描写だとおもう。竹にこぶしのような花が咲くわけがないと思ってよくみると左端から枝が延びて複雑にからまっているところもにくい。
橋本家の文徴明はあいかわらず良い。阿部コレクションの沈周と徐青藤は、大阪でみるよりよほど良く見えた。大阪市立美術館は展示改良の余地があるだろう。
Giovanna Garzoniの問題を分析するために、芸大美術館の植物画展をみる(最終日)。ここの入館料はいつも割高だと思う。
giovannna Garzoniは、皿に盛った無花果などを、羊皮紙にテンペラでリアルに描いた女流画家で、メジチ家の人々に高く評価されていた。ピッティに23点ほどまとまったコレクションがあり、米国
ミラノなどにも収集されている。
写本挿し絵の伝統を濃厚にひいた「台所画家」である。Garzoniは、また植物画の写本を書いていて、ワシントン郊外のダンバートンオークスに保存されている。
植物画(botanical arts)と静物画(Still Life, nature mort)とどう違うのか?が最大の疑問であった。まだ釈然とはしないのだが、
植物画は、みておいしそうではない、とはいえるようだ。正確さの陰に色気が無視されている。
静物画のような、豪華さ、光沢、おいしそうな感じがある作品もないわけではない。オランダの画家によるチューリップ、英領インドの画家によるマンゴスチンなどは、十分静物画として鑑賞できた。しかしRoyal Horticultual Societyが考える植物画の本流は、そういうものではないようである。
正確であればあるほど、おいしさ、色気もでそうなものであるが、そうではない。二次元の紙の上へ描写するとき、何を重点におくか、が画家のコンセプトだろう。花弁の数、雄しべの形など植物学的要素を正確に現し、品種の決定を助けるというのが本質である植物画と、品種などは二次的で、花の美しさ水々しさ、果実の光沢を誇示する静物画は迫真度といっても少しスタンスが違うように思った。以前から感じていた疑問であるが「実物の花のほうをみることができるのになぜ静物画を人間はもとめるのだろう?」という問題である。昔と違って花の咲く時期をコントロールしたり遠隔地から空輸したりすることが自由にでき、年中豪華なブーケを、費用を惜しまなければ設置できるような現代である。静物画の本来の存在価値があるのか?と考えてしまう。私は、こう考えている。静物画は、人間のモノに関する見方・解釈をみせるものだと思う。花束をみても、どれだけの人が花の微細な美しさを鑑賞しているだろうか?ひどいときは造花でもきがつかないことも多い。静物画は無花果の表面はそういえばこうだった、アイリスは、このように美しいという認識を具体化するものではないだろうか。これは自然に名前をつけて人間との関係を規定するアダムの行為に近いものだと思う。
十七世紀ではVANITUSの教訓を垂れるという実用的側面もあったようだが、現代では、もはやそのような教訓としての意味は歴史的遺物でしかないだろう。
展覧会の解説でちょっときになっているところは、
植物画は「出版されることを前提にしたもの」という思いこみがあるように思う。古い本草書、プリニウスなどをみてもわかるように、図版の多い本は近年まで出版が容易ではなく、写本によって流布していた。出版された本からさらに写本をとることも頻繁に行われ、むしろ、高級な印刷本より安く流通していたのである。
2005/7/13根津美術館雪舟と明代絵画を鑑賞。京都小川家?のコレクション、旧橋本末吉氏のコレクションがめだった。 石鋭 探花図巻(設色 青緑)が 細密画、人物、家屋の画法としては清明上河、仇英などに近い正統、青緑の奇岩山岳は銭選の青緑に近いものであるが、シュン法は弱々しいというかあまりちゃんとしてないのが奇妙。 陳徳 山水図(絹本墨画淡彩 軸)も傷んでいるが良い。 探花図巻は週末までなので、要チェック
ブリュッセルで、
アンソールからボッシュへ
という大きな展覧会が開催されています。
これは、ゲント美術館の改修とも関係しているかもしれませんが、
ブリュッセル、ブリュージュ、アントワープ3つの美術館の倉庫から、
普段展示されないものが大量に出陳されるようです。
台北故宮博物院のサイトの中に
「汝窯伝奇」
という豪華なサイトができました。一部ダウンロードができない
部分もあるようですが、それを除いてもすごいサイトです。
書道博物館の「墓誌」展では、世界に2,3本しかないようなものも
展示されてました。総じて良い展覧
だと思います。
帽子を買うつもりが、中止しました。
西洋美術館のドレスデン展にいった。
フェルメールの前はややせまくて、今後客が増えたらつらいように思った。
ダウの「祈る修道士」は優れた作品だと思う。
フリードリッヒはじめとするドイツロマン派の作品が多く、面白いと思った。
特にルンゲの大きなエッチング「Vier Zeit」は、ちょっと不安になるくらい錬金術的アレゴリー
の世界でアンドレーエの「Chemische HochZeit」を思わせる。良い図版。絵葉書がないのが残念。
Philipp Otto Rungeのサイトで素描、その他をみることが
できる。
宜興茶壺など中国陶磁がマイセンと並んで
展示されていたが、年代と窯判定にはかなり疑問を感じた。ブリュッセルの宜興展でみた
ドレスデンツインガー宮殿所蔵のもののほうが良かったように思う。
週末に買った「荘子因」という古書をちらちら読んでいるが、これが康煕年間の出版なのか?
という点には少々疑問に思う。
後刷りか?まさか日本での複印ということはないと思うが?。
北千住のタイレストラン「ライカノ」はなかなか良い。
http://www.thai-square.com/restaurant/shoukai/shokai_011.htm
第5回 書と硯 大南キチ展, 東京交通会館 (有楽町). 2005. 6.20〜, 2005.
6.26, の手伝いをする。
6/17 松岡美術館 中国青花展にいく。中国青花(染め付け)の歴史を概観する充実した展覧。
もう一度いきたくなった。メイヤーの八角瓶も展示されている。
また、天球瓶、宣徳のボウル、については清朝の写しも並んでいて興味深いものがあった。
6/20 出張所の窓口で、「国民年金」の手続きをした(4/30)ら、いつのまにか「国民健康保険」の手続き
になっていたことが、請求書でわかった。なんという不条理だろう。
さっそく、区役所と電話で交渉したあげく、撤回と年金手続きをしに
区役所までいくことになった。これはまだあと尾をひかないといいのだが、、
6/19 伊藤滋さんの自宅へ挨拶にいった。ついでに色々質問する。
停雲館法帖の極古い拓と装幀の本をみせられた。驚くべきものだった。
雅楽と舞楽のコンサートにいった。上野、文化会館小ホール。
昨日、書いた van Eyk[聖フランシスコ」のフィラデルフィア所蔵とトリノ所蔵 だが、この2点、図版でみるとそっくりにみえるが、実は大きさが徹底的に違う。 フィラデルフィアJhonson G. Jhonson Collection所蔵 http://www.wga.hu/html/e/eyck_van/jan/01page/05franci.html のものは、なんとたった12.7x14.6cm トリノGalleria Sabauda所蔵は、29.5x33.7cm面積にして4倍以上の差がある。 また、この絵はもとリスボンにあったらしい。 この2つが同じ木であるということは本当なのだろうか?? (ref. G. Faggin, Tout L'ouvre peint des freres van Eyck,Paris, 1969)
西洋美術研究 No.11 特集「オリジナリティと複製」を立ち読みしたが、
樹輪年代法については、
van Eyk[聖フランシスコ」のフィラデルフィア所蔵とトリノ所蔵が同じ木であるという点
は目新しい指摘だった。
他の初期フランドル絵画については、それほど詳しい記述がなく、少々落胆した。
「正しい失業者」として、役所とつきあっています。
やはり、脳内画像DBがあふれたような状態で、新しい西洋美術は観る気がせず、
ベルリン展の再訪、横浜ルーブル展、象徴派展もパスしている。
東博の高島コレクション展は、地味だけどチェック。
根津美術館の雪舟と明絵画は面白いかもしれない。
書道博物館の名品展は日曜までなので一応いくつもり。
ラファエロの本が意外なほどないのには驚いた。
昨日、書いた van Eyk[聖フランシスコ」のフィラデルフィア所蔵とトリノ所蔵 だが、この2点、図版でみるとそっくりにみえるが、実は大きさが徹底的に違う。 フィラデルフィアJhonson G. Jhonson Collection所蔵 http://www.wga.hu/html/e/eyck_van/jan/01page/05franci.html のものは、なんとたった12.7x14.6cm トリノGalleria Sabauda所蔵は、29.5x33.7cm面積にして4倍以上の差がある。 また、この絵はもとリスボンにあったらしい。 この2つが同じ木であるということは本当なのだろうか?? (ref. G. Faggin, Tout L'ouvre peint des freres van Eyck,Paris, 1969)
西洋美術研究 No.11 特集「オリジナリティと複製」を立ち読みしたが、
樹輪年代法については、
van Eyk[聖フランシスコ」のフィラデルフィア所蔵とトリノ所蔵が同じ木であるという点
は目新しい指摘だった。
他の初期フランドル絵画については、それほど詳しい記述がなく、少々落胆した。
「正しい失業者」として、役所とつきあっています。
やはり、脳内画像DBがあふれたような状態で、新しい西洋美術は観る気がせず、
ベルリン展の再訪、横浜ルーブル展、象徴派展もパスしている。
東博の高島コレクション展は、地味だけどチェック。
根津美術館の雪舟と明絵画は面白いかもしれない。
書道博物館の名品展は日曜までなので一応いくつもり。
ラファエロの本が意外なほどないのには驚いた。
今回の旅行では、刺激が多かったが、全く予想しなかったという意味で衝撃が大きかったのが、
ラファエロ, アテネの学堂の実物大のカルトーネ,紙、チョーク? 板パネル貼り付け、 2.7m x8m(横長) , Pinacoteca Ambrosiana, Milano.
である。
素描家としてのラファエロを全くみなおした。
イタリアルネサンス1ではなかろうか?
これはバチカンのフレスコよりはるかに凄いし、迫力がある。
どうもあまり図録もないようで、出版社の不明にも呆れる。
ミラノで出版されている大型図録はあるが230Eと高価なのでちょっとひけてしまう。
デッサン集などに部分掲載がないか?と思っている。
今回の旅行で観た作品 ランキング
26日までマドリード・イタリア旅行なので更新しません。
東京では、ベルリン博物館展、ラトゥール展、江戸東京のシルクロード展(古代裂が多い)
が面白かったと思います。
現在、旅行の計画と予約をやっているのだが、
ホントの所言うと、良いツアー
があったら丸投げしたいぐらいだ。
ツアーより安くやるのはスケールメリットから不可能だし、
Milanoの最後の晩餐は入場チケットが買い占められているらしく、
予約できない。まあ、そう執着していないからいいのだが、
しかし、豪華ツアーの内容をみると唖然とすることもあるので、まあ
慰めることにするか??今回はHugo van der Goes(Uffici), Hieronymus Bosch(PRADO), Hans Memling(Tyssen Special Exh,),
Carlo Crivelli(AScoli Piceno), Pontremo, Bottechelli, Rafaello(Pitti),Jan Bruegel(Ambrosiana), Luca della Robbia(Paisello),
,Simone Martini, Caravaggio(Ambrosiana)
にフォーカスしている。
良寛墨宝展みてきました。 http://nigensha.co.jp/data/ad_sb/20050405/ 同時に二玄社の故宮博物院中国書画の複製をたっぷりみてきてお徳用でした。 できの良い物悪い者が確かにありますね。
円満退職ということになり、4/28にはお別れ会。
しばらく、暇になるので、手をつけたまま放置している山積したテーマ・資料を整理するつもり。
絵葉書・スライドの山、正倉院目録のWWW化、文賦の問題、、
Latourの年譜のように展覧会カタログで新版がでて、不要になったものもある。
Hans Memlingの肖像画展が、Madrid, Brugge, 米国を巡回する。
ウィーン アルベルティーナのデューラー素描展がプラドで開催。
カルロ クリヴェリのサイトをみつけた。http://www.museionline.it/percorsi/marche/crivelli/
この上位のミュゼオオンラインhttp://www.museionline.it/ita/cerca/default.htm
はイタリアの美術館の検索装置である。
出光美術館 http://www.idemitsu.co.jp/museum/
新発見の長谷川等伯展では、
香雪美術館 http://www.h3.dion.ne.jp/~kousetu/の 柳橋屏風がすばらしくよかった。いわゆる桃山屏風のなかでも出色のもの。
同時に、三点類品が並べてあったのは全くありがたかった。出光には悪いが巧拙が一目でわかった。こういう風に数点類品を並べ留試みを他の博物館にも期待したい。
これが未だに重文指定されていないのは委員会の怠慢だろう。私立博物館の経営危機がいわれるなかでは、こういうものは指定しておく意味が大きい。もっとどうでもいい流出しそうもない歴史文書などの指定はやめてほしい。
ベルリン美術館島 展では、 エジプト新王朝の花崗岩の巨大な羊が良かった。 トトメスの工房からでたネフェルティティの珪岩の首はリアル。 ペルガモンからは、それほどのものはきていない。ヒルデスハイムの銀皿がすごいと思った。 ロレンツオ ロットの聖セバスチャンは挑発的。身体に木の影が映っている。ただし、左手が手抜き、補筆か? ラファエロは可愛らしいという感じである。保存は良く、薄い塗りのようだ。レゾネでは一応認めてるが、一流とはいいかねる。Casper David Friedrich の「海辺で待つ人々」を久しぶりに観られてよかった。技術レベルというより、テーマの構想力には脱帽したい。映画のコンテのような感じもある。
最近 故宮電子報にのってた 「北宋書画展」イメージフラッシュは実に美しくよくできています。 http://tech2.npm.gov.tw/sung/ 一度みてみてください。
4/17から閑になることになりましたが、、
西洋美術館の地味すぎるラトゥール展のサイト
・神秘・超自然:ヨセフの夢。
・肉体:のみとり女
というサブタイトルをつけたくなる。この2点のレベルは群を抜いていて、肌寒くなるくらい不気味である。
真の傑作の資格だろう。
ヨセフの夢」の解剖学を無視したような手、ユダヤ風の衣装、老衰したような老人の顔、殆ど恐怖を感じる白さの「天使」の顔。異様にリアルなハサミ。
のみとり女の、しとやかで優雅な顔の下に怖ろしいくらいどっしりした肉体を描くこの力量は半端でない。その肉体も量感のみを強調
したせいで解剖学的には変であるが強い印象を感じる。マイヨールの直系の先祖のようだ。
ラトゥールは、どちらかというと、描きたい部分だけ徹底して描くが他は手を抜く人のようにみえる。
部分的には素晴らしい写実なんだが。それ以外を放置したような作品が多い。例えば「のみとり女」は肉体と粗末な下着
はもの凄いが、椅子はぞんざいだ。
人権擁護法案という危ない法案が国会いりしそうなんだそうだ。
写真家の六田さんの個展が繭山であるので、いった。雲崗石仏の写真で石の質感がすばらしい。
http://www.impleo.co.jp/gallery/2005/20050222_muda.htm
東京国立博物館で、シチリア海峡で引き揚げられたギリシャの青銅像サチュロスを鑑賞。ブラクシテレスかスコパスかという
ヘレニズム時代のものだと直感した。あと、解説書を読むといろいろ議論があるようだ。、しかしimpresiveな傑作といえるだろうか?
錆が意外にギリシャより中国のものに近い
、鉛が多い?のは意外、ただし、顔面はギリシャの銅のようだ。これも引き揚げ後の処理に起因するのかもしれないが、報告を読むと
似たようなことが書いてある。
5月からオフになる。ご希望があればおつきあいします。でもイタリアにもいきたいな。
神保町の龍水楼で三不粘を食べることができた。魯迅のエッセイにもあるものなので良い経験だった。割とおいしい。
東寺の真言7祖像のカラー写真とモノクロ拡大をのせた図録が東寺/便利堂で発行されていたようだ。七祖がカラーで並んでいるのは
珍しいし、空海の書も墨美よりはいいようだ。しかし破損というか残骸というか実にひどい繪の状態なのに空海の書はわりと
よく残っている。ひょっとしたら渡航中にかなり問題のある保存状態だったのかもしれない。
マレーシアのジョホール近辺のジャングルの中にスリヴィジャア王国の
失われた都市がみつかるかもしれないようです。ジョホールというのはシンガポールの対岸です。現在は、まだ空から
見当をつけている段階のようですが、文化庁にあたる役所が大いに乗り気で
探検隊をだして発掘するようなので、近々、なにかわかるかもしれません。
スリヴィジャア王国は名前だけは、中国資料や碑文などで知られているのですが、
肝心の大規模遺跡がまったく見つからず、謎の王国となっていたものです。
7世紀、唐の義浄法師も、インドの行き帰りに、スリヴィジャアに滞在して仏教を学び、また、よほど気に入ったのか、その後も広東とスリヴィジャアを何度も往復して仏教経典の翻訳研究お行ったようです。
ただ、
URLで見る限りは、そう大規模な建築はないようにみえるのですが、ジャングルに
うもれているのでしょうか??? 跡だけ、というのでは少々悲しいのですが?
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2005/2/3/nation/10070103&sec=nation
何介鈞「馬王堆漢墓」を入手しました。1982年に 何介鈞・張い明「馬王堆漢墓」が出たのですが、翻訳がでるというので待っていたら、とんでもなくひどい本でした。文書が日本語でないような悪文、おまけに、ある事項がそうであるのか、そうでないのか、1段落の中で矛盾しているというすごい本でした(「馬王堆漢墓のすべて」)がっかりして原書を探そうとしたら、ない。古書でもずいぶん探したのですが無かった。
馬王堆漢墓の1号墓については詳細な報告があるのですが、2,3も含めた全体を解説したまともな本はあまりないのが現実です。前書の再版補訂ではないのですが、コンセプトは同じで、20年間の研究をとりいれた良書です。あえてカラー図版が少ないのは好感がもてます。この本は香港・マカオの富豪Hotungの資金援助で出版されています。何介鈞て1940年生まれ、ずいぶん若いときに大きな仕事をしてるんだね。
京都の藤井有鄰館のHPがようやくできたようです。
http://www.yurinkan-museum.com/index.html
「蛍光灯下の法隆寺壁画」を入手した契機に、法隆寺壁画イメージを追加した。
台東区 書道博物館で直接比較したところ、てもとにある
淳化閣帖第八、不全本は本当に、 潘刻本 の精択本のようだ。
旧 繭山靖彦さんから手紙、インドネシアの研究者にフリーネスの件で接触してくださるそうだ。
午前5時半に出て、上野に急いだ。
正倉院展へいった。
聖語蔵アジャータシャトル王女経の跋尾に北擬風の書があった。これは、北擬の書をそのまま模写したものであろう。本文にもところどころそれらしい文字がある。
麻布山水図を1点みた、そう厚くも粗くもないがやはり麻だ。いわゆる「波」型の多用から推察すると、平安時代後期のものか?
明らかに庭園の描写だと思われる箇所があり、山水ならびにっX図に近い描写もある。
大きな欠損箇所が多数あり、補修しているが補筆していない。
琵琶かんばち面、騎象人物山水は、思ったよりは良い絵で、おもったより大きい。極薄い皮か紙に描いてある。筆線はそれほど調達していない。隈とりを強くしているところはないが、上部はいくらかすりきれがあるかもしれず、下部に汚損がありそうだ。上部の太陽と雲はアスターナ絹画の描写とよく似ており、同時代のものと考えられる。浸食された泥山の描写では、皺というべきなのだろうか?
鑑真書状の紙は一緒に装丁されている書類とと違い、めだって白かった。サインだけ本人がいれたものではない。
錦織り献物テーブルマットの問題、中央の錦は日本製だろうが、周囲の錦は色彩感覚が変すぎる。これはしらぎ半島製ではないだろうか?
椅子については、オリジナル部分はほとんどないのではないだろうか?
京都国立博物館
大谷探検隊がキジルで収集したという断片には驚いた。「人」字の右はらいが極端に豊満だ。張遷碑よりもすごい。「是」字は台東区書道博物館の「老女人経」と近いので、時代も近いと思う。
眞草千字文、上野本十七帖をみた。
瀟湘臥遊図巻を久しぶりにみていて、この画の上部にある修理と補筆がいつ
行われたのだろうか?と思った。
おそらく水害だろうと思うが、上部に大きな破損箇所が何カ所もあり、それを
同じ繪の他の箇所を切り取って補っている。おまけに矛盾をさけるため、
不合理な遠景を、やたらと補っている。そのため、遠景とくに遠山の部分はほとんど
オリジナルではない。
ただ、この補筆、そう下手ではないし、墨の調子もオリジナルと同じである。
法隆寺金堂壁画ギャラリーを造った。イメージはもう少し増やす予定である。
インターネットにある法隆寺壁画の中では、現時点では、最も精緻なイメージだと思う。
英語版もリンクがきれていたので、つくりなおした。
生活環境が悪化しているが、あまり堕落しないようにしていきたい。
サントリー美術館の湖南省出土の木簡竹簡ハク書の展覧に2回いった。
秦隷の発見は確かに最近のビッグイベントではあるが、
呉以降の発掘品をみると、西域でヘディンやスタインが発掘した資料で推測
していた書道史はかなり中央の流行を反映したものであり、かなり本質に迫って
いたことがわかった。ニヤや楼蘭の出土品は、あくまでも辺境の下級官吏の書であり、
王羲之の書とどれだけ差があるのか疑問であったが、今回のい発掘で少なくとも
地方差はあまりないことがわかたt。
前漢の料理書は、断片であるが、極めて興味深い。
もう一つ疑問に思ったのは上海楚書の信頼性である。
秋の 東京国立博物館 特集陳列 中国書画精華 は、「中国国宝展」に対抗したものでしょうが、 新収の山水画 重文 雪景山水図 伝梁楷筆 がでています。これは何十年もほとんど公開されていなかったものです。
マカオの新しい美術館で
北京故宮と上海博物館からローンした八大山人と石とうの大規模な展示をやっています。大陸の書画は質の点で必ずしもいいとは限らないのですが、量はすごい。120点です。
http://www.artmuseum.gov.mo/show.asp?prg_id=2004090301&language=1
***全作品 展示リスト***
薬師寺 吉祥天 図を 東京国立博物館で 久しぶりに拝観しました。
パンフがフルカラーで拡大写真まであって、200円というバカ安です。
このあと、台北と高雄で公開するというニュースを聞きました。
上野松坂屋:よみがえる中国歴代王朝展(ー8/24)
外に良かったようです。
すでに静岡で公開しているので、みた人もいるでしょう。
都美術館の四川文明展よりよかったと思います。ただ、カタログがかなり鬱。
東京都
松坂屋上野店8/11〜8/24
金沢市
石川県立美術館8/28〜9/20
宇都宮市
FKDインターパーク店9/29〜10/18
長野市
長野市博物館10/23〜11/23
栄光のオランダ・フランドル絵画展Wien Kunsthistoriche Museum
神戸市立博物館にて8/10 15:15-16:00
見納めになるかもしれないので、ちょっと無理して新神戸で途中下車していった。今新神戸ー三宮間は地下鉄があり、かなり便利になっている。新神戸駅の観光案内所で博物館までの地図をもらった。券は地下街サンチカのチケット屋で変えた。博物館のサイトでは、駅から6分と書いてあったように記憶していてが、とうてい無理で、10分以上は確実にかかる。古い建築を再利用したもので、悪くないが、ちょっと利用しにくいかもしれない。
混みかたは、夏休み中なのを考えると、ほどほどでそう悲惨なことにはならなかった。TV放映もあってこれだから、意外と良い鑑賞環境であろう。少なくとも上野の平日よりもいい。
テルボルヒの「リンゴをむく女性と子供」という小品は更に高く評価したくなった。絞り染めの布、皮の鞄、白ゆう難陶の鉢、リンゴの皮、数種の布の質感がはっきりとえがきわけられている。人物の表情が少し煙りがかかったような感じなのが不満だが、ダウやヘームなどの静物画のような感じをうける絵だと思った。
「絵画芸術」は、右からの照明が強すぎ、画面が光ってしまいかなりみにくかった。ただ、逆に斜光線撮影をみているよなものなので、発見があった。
シャンデリアは絵の具が盛り上がっており、後で追されたものではないか?と疑いたくなる。地図をかける壁の釘とその影、釘跡ははっきり認められる。
女性の韓国のチョゴリのような形だが、横縞のスカートは他の絵でもでてくる。
画家の服、画家が座る椅子、重いカーテンなど、ところどころに質感を強調したところがある。
女性がもつ本には表題がなく、どうして本のタイトルがわかったのか不思議だと思う。
数10分みていてもあきない絵なので相当な名作に違いない。
ホテルフジタNARAにはいる。クレオールのディナーは前ほど良くなくやや失望した。 灯火祭があるとのことなので、ためしに奈良公園にいってみる。てじから神社の前の階段の灯火は配置が良くとても印象的、猿沢の池の周りはどうということはない。浅茅が原の灯火は数も多くとても良かった。
11日朝。
奈良、大三輪大社のオオナムチの神に詣る。朝5時40分にフジタを外出して、近鉄奈良から、桜井までいき、タクシーで二の鳥居までいった。二の鳥居から社殿までは、かなり霊地という感じであるが、社殿は新しくすっきりしている。7時ごろにはついた。
厚い信仰のおばさんが参拝していた。考えてみたら一応平日の朝早く参拝する物好きな観光客なんてそういないだろう。せっ社に、崇神天皇を祭る天皇社やいかにも由緒ありげな社があるのがすばらしい。小さな岩くらを囲ったところもあった。
そのあと山辺の路をたどって平等寺をたづねたら、新しいお堂が薬師寺か法隆寺のような復古的建築で驚いた。金屋の石仏も拝観したが、古風な感じでよかった。
つばいち を経て通ったがこのあたりは流水が多い。水路というほどではないが、古代では船舶が大きな輸送機械だったのだから、水路は無視できないだろう。NHKの聖徳太子にでてた市は少し原始的だし狭すぎるように思う。
奈良国立博物館で「黄金の新羅」展をみる慶州の発掘品である。天満塚の「耳飾り」は腰の帯のあたりにつけてあったらしい。これは小倉コレクションの豪華なものとそっくりである。瑞鳳塚のガラス(透明白カップ、紫透明碗)はローマではなく少し下る時期のように思った。同時開催の日本出土品でゴールドサンドイッチガラスのビーズがあったのは驚いた。
2004/7/25
西洋美術館 聖盃 展
1430年の精巧なすかし彫り尽くしの杯をみた。
エマイユ・ニエロの標準的な例が数点あった。
宗教改革で、これら中世聖杯はすべて失われたわけではないようである。
聖杯入れがついている聖杯もあったが、その皮?木製のケースの粗末さと中身の聖杯の豪華さの対照に印象つけられた。
解説が丁寧だった。
もともと各部品を鍛造して接続した器物であるから、部分的に後世のものが混じっている例は展示ラベル表示以上に多いのではないかと思った。
そのあと常設をみたが、
ラトール「聖トマス」は思ったよりよかったと思う。良く似たアルビの十二使徒の1つよりは良いと思う。
クレーヴ、テニエ、ホイエン、ヘリット=ダウ、セーヘルス、ナティエ、ロラン、ライスダール、ドルチなど、17、8世紀絵画ではそう悪くはない。夜郎自大になることはないが、あえて軽視するのも非合理的である。
根津美術館の金石の寄贈は、東洋陶磁美術館に中国陶磁器を寄贈した奈良平群在住のコレクターのようである。金石には繭山から買ったものもあるらしい。
事情があり、参院投票を役所ですませた。しかし、今回「外国人参政権」などという気が狂ったようなことをすすめている民主党を支持する人が多いとは信じられない。
私はかって自民党にはいれたことが無かったが今回だけはいれることにした。
サントリーの唐三彩展はずいぶん混んでいて冷房がきかないぐらいだった。
根津美術館に金石の寄贈があったようで小展覧をやっている。
平泉に1泊旅行し、12世紀庭園をみた。旅行記 をアップした。 志羅山旅館の料理は新鮮だった。
Dirk de Vos Flemish Promotives が届いた。 Van Eyk からGerald Davidまで、初期フランドル派の作品を20点、素晴らしいカラー図版でとりあげて解説している。もとブリュージュのグロニンヘン美術館にいた碩学の著書である。退職なさったということをこれで知った。最近大きな研究書の出版が多いと思ったらなるほどと思ったものだ。やはり重職にあると大きな著作をまとめることは難しいのだろう。 ボーヌの最後の審判 祭壇画を入れなかった理由の一つに状態の悪さをいっているが、これはもっともだ。古い写真では右端と左端の画面はほとんど繪がみえないのだから。。
東京国立博物館の「定静堂コレクション 書画展」では、和泉の久保惣美術館へ林宗毅さんが寄贈したぶんから借りてきたものがかなり出ていて新鮮だった。
文化庁購入品の展示が、平成館であった(-6/27)。なかで注目は、16世紀ごろの御伽草子の絵巻物である。美術的にはつまらないが、当時の台所・調理場、のありさまを伝える数少ないイメージ資料である。
Paris Grand Palais で6月28日まで開催の中国書画展の 出品リスト を紹介する。台北故宮博物院のBBSサイトに紹介があった。 正直いって、東京開催なら是非いきたい書画も多いが、本当に「精華」なのだろうか? 「六君子図」なんて最悪だし、、
アフガニスタン、カブールで、テリャ=テペ発掘のバクトリアの黄金がようやく金庫室から取り出されたようだ。1978年にロシア隊が西暦1世紀ごろのバクトリアの墓から取り出したもので、約2万点といわれる黄金工芸品である。この2万という数字は誇張じゃないよ。。1989年に大統領府にある異常に堅固で手が込んだドイツ製の金庫室に秘匿保存された。この金庫室、鍵をもっている人がいなくなったとか聞いたのだが、無理に破ったのだろうか? アメリカのNational Geographic とフランスが、最初の公開展示会を争っているというニュースが聞こえてきた。展覧会収入が新生アフガニスタンの一助になるように願っている。
[真珠の首飾りの少女]をまた観る14:45-16:50 CINESWITCH GINNZA
まあまあの入り。
今回はどちらかというと、ヒロインやヒーローより、通行人や服装、周囲の丁度により気を配って楽しんだ。冒頭のデルフトは通行人にいたるまで17世紀的で感動した。地下室の寝床にランタンをもっていくところはラツールかカラバッジョのような感じがする。アトリエの描写は、まさにフェルメールの絵が立体で動いているような感じがある。窓ガラスの表面に凹凸があるので、かすんで見えるところがいかにも古い感じがする。ロケはどうもベルギーを使ったらしいクレジットがあった。ゲントかブリュージュを思わせる建物や教会があったのでちょっとオランダ風ではないなという気がしたものだ。新教徒オランダらしいのは教会の鐘が全然聞こえてこないことである。カトリック圏ではうるさいくらいしょっちゅう鳴るものだ。グリートの両親やぺーテルが教会で会っているところをみると教会が交際場所になるのは至って自然に思う。終わりのクレジットが早すぎて、あの太った女中頭がだれかわからなかったのは残念である、
さすがに、2度目となると、そう興奮しないので、落ち着いた気持ちで帰宅している。
amazon.co.jpの書評を10点ほど追加したが、意外とチェックはないものだ。
「蔵書」は適宜更新する。反響もないがたくさん見せびらかすのも品がないので、
数点にしておく。
東京国立博物館の「文化庁 新規購入 展示」で、16−7世紀ごろの台所描写のある
御伽草子絵巻があった。料理史の上では貴重だろう。
パリのBiblioteque Nationaleではペリオの敦煌写経・文書の展示、グランパレでは、大陸のコレクションでの山水画(明清中心)が開催されているそうだ。ペリオコレクションには心ひかれるものがある。
サントリー美術館の「唐三彩展」は意外といいい。すごい珍しい傑作があるというより、地味だが、まともな本物を満遍なく見せるというスタンスで、好感がもてた。陶片の展示もある。1,2あやしい気がしたものもあったが、全体には影響がない。褐ゆうの小さな馬(ラバ)が太っていてよかった。初期の単色ユウの明器があってこれもなかなかいい。人物も最近、一部の美術館や市場でみるいやらしいものとは違い、素朴でおうような感じに満ちていて好感がもてた。ポスターやちらしはえぐい感じであるが、実際の展示は正反対である。
真珠の首飾りの少女
なめるように観る映画だと思った。
映画を観るのは五年ぶりくらいだろうか? 休日は美術館にいくことが多くなったせいもあるし、わざわざ見に行くに値する映画が眼にふれてこなかったせいもある。BBSで「野菜の描写がいかにもオランダ」「丁寧に時代考証しているらしい」という情報を聞いていたので、神田のユーラン社で前売券を買った。無理にでもいくためである。日本で二度、そしてハーグのマウリッツハイスで観たこの絵画の印象が深かったせいもある。1968年のBianconniのカタログによると、眼に補筆があるという話だが、おそらくフェルメール展が何度も催された時期の前に、修理を行ったそうだから、1996年以降に観る作品にはよけいな補筆はないと考えられる。
感動したというより、17世紀オランダに浸ることができた。いい映画だった。雰囲気を長くかみしめるため、昼食はあえて銀座ベリーニにした。ここで立ちぐいうどんやハンバーガーでは台無しである。キャストが殆どイメージ通りなのが驚いた。モーリッツハイスで感じた「少しきつい女性」という感じもそのまま ヨハンソンは演技している。義母マリア=ティンス役は特にはまっていた。あの服装はハルスの「養老院の女理事たち」(http://www.franshalsmuseum.nl/)を参考にしたのだろう。女中頭役もよかった。パンフにキャストをちゃんと書いてもらいたいものだ。
どこか既視感があるとおもったら、美術担当のファン オズ
がグリューンナウェイの作品をてがけた人なので1980年代後半
の豪華な欧州映画を思わせるとこがあるからだと気がついた。
ちょっと気になったのは、「雲」がオランダ風でなかったこと。これは、「デルフトの眺望」を意識し過ぎだろう。「ピーター」より「ペーター」「ペーテル」のほうが訳語としてはよかったかなと思ったことだ。ヒロインの名がオランダ風なのだから。
2004/5/10 > 文徴明は1日に1本千字文を書いたそうだが、
は誤った伝聞だったようだ。
民国24年、書林紀事(馬宗霍)第2巻にはのっていて、なんと、1日「十本で終わった」。実は十本書いていた。白髪三千丈流の誇張でなければ、よほど早く快速で書いていたようだ。手本を熟視していたとは思えない。
芸術新潮400号記念の、日本の宝100選のアンケートをみると、どうも個性がなくつまらない。皆、有名ブランドをとりあえず選んでおいているようにみえる。よほど急いだアンケートで、しかも謝礼が安かったのだろう。
amazonの書評
に10篇ぐらい追加した。
今年 鯉のぼりがないのは何か忌みごとがありそうだ。
千字文を臨写していてふと思った。文徴明は1日に1本千字文を書いたそうだが、可能なことだろうか?
十分よく手本をみて臨写するのなら一字1分ぐらいかかるだろう、真草千字文なら2000字だから2000分である。これは33時間以上だ。つまりこのスピードで真草を丁寧に臨写するのは無理であることがわかった。真草の一方だけ、しかもかなり早く一字10秒で写したとしたらどうだろう。10000秒だから、4時間程度で臨写可能である。しかし、一日の日課でぶっつづけに4時間臨写するというのはかなりの負担であるように思う。もし、背臨で快速にとばして写すとすると手本を観ないわけだから書を学んでいるとはいえない。書を熱心に学んだ例えとはいえないのではなかろうか?
書道博物館のえい鶴銘を書譜の特集号と比べてみた。水拓本と題されているが、水拓本とはいえないように思った。また、水から揚げた直後の拓本でもない。しかし、あまりいじって補墨した部分はないようで日本にある拓では良いものだと思った。端方旧蔵、翁方綱題、孫星えん、元元、楊守敬、張之洞、など多数題抜がまわりにはりつけられている。華陽真逸の石は墨色が違い、同時に拓した
ものではないようだ。
根津美術館の「南宋絵画展」馬和之「詩経図」の[登高]をじっとみていると、江南というより、黄土地帯になれた画家のような気がしてくいる。右下の樹木をみると、趙令じょうの樹もオリジナルはこういう風ではなかったかと思う。
京橋で一番小さな古美術店、西川で練り上げ手の唐の枕をみる。戦前輸入されたもので、戦前の奥田さんの本にも載っているというとこが珍しい。私は龍泉集芳記載の1点をもっていたし、経済的にショートなので遠慮したが、筋はいいものだと思う。
根津の公開討論? 人気が高く30分前にいってもすでに列が長く、入れなかった。
根津美術館の「南宋絵画展」カタログが売り切れてしまった。増刷中とのことで、送料無料で送ってくれるそうだ。ギンギンに混んでいるわけでもないのに売り切れというのは、予想よりも売れ行きが良かったということなのだろう。
私は、馬和之「詩経図」のカラー図版が多く載っていたので購入済みだった。
冒頭の菅原壽雄さんの思い出話は面白い。菅原さんが台中で故宮の北宋畫をみたとき、天井の釘にかけて「バサバサッとすごい音をたてて床近くまで落下させる」という拡げ方をしたという話には、私もびっくりした。菅原さんが書かれるように、日本の中国畫研究も「お道具」の呪縛を離れてほしいものである。次の三篇の解説のうち、「偃谿広聞をめぐる作画」という禅林の減筆体を主として論じた文章はなんとかわかるが、他の二篇は非常にわかりにくい。せっかく書くのだから、もう少し文章を整理して欲しい。
解説の中で「紹勲」瓢箪形印が史彌遠の所蔵印であると仮定しているが最近なにか確実な証拠がみつかったのだろうか???是非知りたいと思う。
東京国立博物館の「紅白芙蓉」、根津の「ウズラ」は徽宗皇帝「桃鳩」より人気があった。しょっちゅう展示されているという印象が
あるので東京国立博物館にしばしばいける人には希少価値は少ない。しかし、日本にある南宋院体畫としてはとびきりのものだと
観客は感じたのだろう。とにかく美しい。私としては「遊狗図」を極近くで観れたのがよかった。大阪市立の景賢旧蔵画冊は、程度の低い作品ばかりかと誤解していたが、No.17,No.18は結構よかった。
「桃鳩」は思ったよりも良い絵であったし、徽宗皇帝の書も図版で予想していたようなひどいものではなかった。殿様藝ということを考えると北宋画院の超一流を期待するのが無理ではある。「御書」の印の色が他でみる宋宮廷印と少し違う気もする。様式的には明後期以降に置くのは難しいだろう。ちょっと時代をどこに置いたものか苦慮する感じがある。ただ、感動する絵とは言い難い。
大和文華館の雪中帰牧 対幅 は思っていたよりもよかった。
東京国立博物館での恒例「新国宝重文指定展」で 藤木古墳出土の大型で精妙な金銅金具があった。これは眼福 (ー5/5まで)
東京都立美術館の「フェルメール、栄光のオランダ フランドル」は
国立西洋美術館の常設をあとに観ると面白い。結構重ねっている画家が多いので、比較対照できる。アドリアーン ファン ユトレヒトの狩猟の獲物は、ほぼ同様な主題
の画が西洋美術館にもあるが、ウィーンのほうができがいい。ヘリット=ダウの作品は西洋美術館の「しゃぼん玉を吹く少年」のほうが大きさできともいいのではなかろうか? フィリイプ ド シャンパーニュの作品は主題が違いすぎて比較できない。ヤン=ポトという名前どこかで聞いたことがあると思ったら西洋美術館にわりといい風景画があった。ヤン=ブリューゲルの風景画は西洋美術館のもそう悪くない。ヤコブ=ライスダールの作品は小品ながら西洋美術館のほうがいいと思う。オスターデの作品も同様。テニエルスはちょっとジャンルが違うがウィーンのほうが本格的な感じがする。
西洋美術館の新収品にえらいものをみつけた。ジョルジュ デュ ラトゥールの「聖トマス」だ。これは総カタログで調べたらアルビにあるのセットの流れか?
ルーブルの「聖トマス」よりは保存はよさそうだ。鉄の槍の鉄の感じがいかにもいい。ただ、周囲の布を数センチ拡大したような感じがある。もし保存の悪い真作か悪くてもエチエンヌの作品なら大手柄である。
先日、20代の若い方2人を交えて雑談していたとき、某氏が、「(骨董の)よい物は、まとめて出るものだから、出たときに買わないとダメだ。あとで買おうと思っても無理。」と力説していた。それ自体は間違いではないが、あまり経験のない人に影響して、「大金でゴミの山を買う」はめにさせることもあるでしょう。人を観て法を説く配慮がほしいもの。 また、コレクトすることに集中して、楽しむ・鑑賞することが疎かになり、なんのための収集かわからなくなる危険も色々な人の話の間に感じた。
拓本で「南宋」拓というのは、殆ど存在しないのではないだろうか? 有名な碑はほとんど北方であり、金の領土にある。多くの碑がある西安がまずそうであるし、山東省の曲阜もまた金の領土である。従って「金拓」と謂うべきだろう。「九成宮」や「集王聖教序」のいわゆる「宋拓」はたいてい「金拓」であろう。勿論、南宋で刻した「群玉堂帖」などは「南宋拓」がある。
この「金拓」はいつごろ制作されたのだろう。
南宋初めの宋金戦争時代、末期の金とモンゴルとの戦争時代では、まず制作されなかっただろうから、金の世宗から章宗の時代、特に文雅を愛し徽宗皇帝に倣った字を書いた章宗皇帝の時代に多量に制作されたのではないか?と考えたくなる。
東京国立博物館、三井文庫、書道博物館が共催「中国の拓本の名品展」を観てきました。前2館は、前期後期の展示替えが
ありますから、全部みたというわけではありません。
三井文庫 では、天下第一本(顧文彬 本)の九成宮醴泉銘に眼がとまりました。かなり修理やいじりが多いのが難点ですが、いじられていない字には、非常に古いものを感じます。曹全碑は碑陽は、少し墨かぶりがあるとはいえ、立派なものです。碑陰は、おそらく、同時制作でない別の拓本を利用したもののようです。墨色が違うようです。漢代の碑の旧拓がありましたが、「宋拓」という判定は無理だと思います。おそらく題箋についているものを信じているのでしょうが、無茶でしょう。また、宋拓「孤本」がいくつか並べてありました。珍しいことは確かですが、鑑賞として面白い字なのか疑いたくなります。道因法師碑は装幀がすばらしく所謂「明庫装」でした。
ここは、九成宮醴泉銘の古い拓を7冊、集王聖教序を13冊ももっているのですから、同じ碑の拓を多数並べて比較する展示があってもいいと思いました。
東京国立博物館では、群玉堂帖第八米フツ帖がなんどもみていますが豪華です。世界に二冊しかないものです。独孤長老本蘭亭の断片は、やはり優れたものだと思います。呉栄光蔵蘭亭は研究材料としては興味深いものでした。乙瑛碑の拓本は軸になっていて、これほど古い拓がちゃんと全景で残っていることは珍しいと思いました。天發はどうも感心しないようです。
台東区立書道博物館の展示は、一番, 面白いものでした。まあ、コレクターの個性を感じるというのでしょうか? 泰山刻石百六十五字本は、世界唯一といってよく、漢字文化圏の至宝といってもいいのではにかと思います。重要文化財に指定されないのが不思議です。西嶽崋山廟碑-長垣本は、やや墨が重いのが難です。実のところもっと別の頁のほうが字の保存がよくみどころが多いのですがね。つい先頭に近い頁を使ってしまうようです。張遷碑は、たぶん世界でも指折りのものです。雁塔聖教序も意外にいい感じのものでした。温彦博碑 では、三井より良いように思います。淳化閣帖-夾雪本第8は、たぶん上海で騒いでる淳化閣帖より質がいいと思いました。 ちょっと長くなったので、別途書くことにします。
大阪 心斎橋の萬野美術館が閉鎖、財団も解散。主要な美術品は、京都相国寺派の美術館、 承天閣美術館へ寄付とのことです。
台湾では、陳総統が再選され、めでたしめでたし、と言いたいところだが、暗殺未遂はあるは、選挙後に、再調査要求とデモが続いて、台北の一部が、危なくなるは、、
生みの苦しみ?かもしれないが巧く収めてほしい。
三井文庫が、東京のど真ん中、三井本館7Fへ移って、三井美術館になる予定があるそうだ。
私も財政危機、、アルバイトしないといかんのかなあ??
3/20の台湾の総統選挙は東アジアの21世紀前半を決めるほどの重要事だと思う。
日本人の勝手だとは、おもうが、「中華人民共和国に吸収される選択」は台湾の人
にしてほしくないとおもっている。
taiwan 高速鉄道のボスの殷女史と、私は同じ誕生日だったのは、ノケゾリだった。
北京 故宮博物院のサイトhttp://www.dpm.org.cn/china/default.aspをみていて、網上展の部分に 両晋隋唐法書 特別展があった。神龍蘭亭(八柱第三本)がでてたんで、これは北京へいかねば、と思った。しかし、よくよくみると、去年や2年前の展示もあり、果ては、同じ作品が2つの展覧会に重複している。ようするにこれは「現在開催されている展覧」ではないということがわかった。なんでこんなミスリードをするのだろう。
ただ、該当サイトの一部で清朝宮廷乾隆御覧の十七帖があった。
http://www.dpm.org.cn/china/E/e21/wenwu/4.htm
十七帖の良本は少ないので注目したい。
碑本だが、末尾が失われ錯簡もある。
ただ、これの児女帖・漢時帖の痛みが上海本と類似することに注目した。
字の感じでは同石とはおもえないが、なにか関係がありそうだ。
神龍蘭亭(八柱第三本) を臨写していて、ふと気がついた。なぜ破損・虫食いの字や痕がないのだろう。 喪乱帖、萬歳通天進帖 をはじめとする良質な唐代模写本は、必ず破損箇所も細線で模写してある。 神龍本に弱々しい字があるのは、不思議だったが、ひょっとすると破損箇所を補筆した底本 をもとにした模写であるためかもしれない。古風で特殊な技法を使った字と細く弱い字が混合している 理由はそこにあるのではなかろうか? 陳鑑本・張金界奴本との関係も単純ではないように思っている。
東京国立博物館、三井文庫、書道博物館が共催で、同時に「中国の拓本の名品展」を開催するそうだ。この3館を回れば、ほぼ東京にある名品の半分以上はカバーできるはず。 日本にある宋元の拓本の2/3ぐらいはみれるかもしれない。 国外の書道愛好家(台湾や中国など)にも推薦してもいい企画だと思う。3館共通券ぐらいあってもいいと思うが、ケチなことにないようで、半券があれば、他の館が割り引きになるという特典はあるそうだ。 4/3−5/30。
書道博物館で、「来館者リクエスト展」をやっているようだ。〜2/15。
佐倉まで、フランス・ハルス展をみにいった2/11。
http://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/hals/top.html
「聖エリザベツ病院男性理事」
がもっともよい。左端の男の帽子から左上に三角形の欠損があるようだ。それ以外はおおむね良好、白いリネンレースの堅く薄い感じがよくでている。垂れ目で先の尖った顎髭の実に典型的なオランダ顔なので、少しおかしくなった。左端の男の左手のレースに鉄のベランダ柵のような影がおちている。光はすべて左からだ。手の描写はそれほどではない。
ヘーダの大きな静物画では銀器
など光沢のあるものは迫真なのだが、パンやレモンの皮など光沢のないものの質感がいまいちである。
アントワープのマイヤーファンデアベルヒの
「牡蠣のある食卓」(1637)は牡蠣が光沢のあるものだからよかったのかもしれない。手前の白いテーブルクロスに Haeda F 16xx というサインがある。Fはfecitだろう。
ダイクのチーズは迫真なのだが、なにか全体の配色まとまりが悪い。
チーズパンお菓子をならべたアントワープの
Floris Gerritsz van Shooten(ca.1590-1655?)の作品
「オランダの食卓」のほうがよかった。
ハルスの女性理事は、非常に保存が悪く、顔と一部しか残っていないようにみえる。まるで「じゃがいもを食べる人」のような一九世紀の絵画になってしまっている。
もうひとつの「聖エリザベツ病院の女性理事」は肖像画に静物画のような超絶技巧を導入したもので、感心はするが感動というのはどうかなあ、と思う。
オスターデの 屠殺された豚のある農家は、日本人には戦慄的な小品。
美術史家として有名なカレルファンマンデルの絵があったが、どうてことないものだった。
三井文庫の「敦煌写経」展で「紺紙金泥経」をみた。敦煌出土では、他でみたことがない。
大丈夫なのだろうか?
大英図書館の論文集は、故・藤枝晃先生に捧げられている。
Elliotの「道徳経」も、やっぱり SUSPECTされていた。
Suzan Whitfield ed., Dunhuang Manuscript Forgeries, 2002, London
三井文庫の「敦煌写経」展は、ある意味で歴史的な展示かもしれない。
http://www.mitsui-bunko.or.jp/2004_shin.htm
近年、故・藤枝晃先生によって、世界の敦煌写経コレクションにはかなり偽物が含まれているということが明らかになった。その成果を、数人の研究者が科学研究費を使って、三井家のコレクション111点に適用したものである。34点が真本とされて、ここに展示されている。そのうち約7割
が偽作ということになる。
また偽作とされた1点も参考に展示されているのは興味深い。
このコレクションは1926年ごろまとめて購入されたもののようであるが、50年間以上公開されていなかった。
敦煌出土ということになると、北宋以前ということが確証されるので、
証拠としてしばしば使用される.
だが、偽作の混入という問題があるとすると,
資料批判をまずしなければならないということになる。
近年、大陸で敦煌写本の膨大な図録が出版されているが、敦煌から北京に没収したときのものを除くと、
かなり問題があるものが多いのではなかろうか?
大英図書館でも「敦煌写本偽作」という国際論文集が
2002年に刊行されている。
AMAZONにかなり書評を追加した。最近発見された古代メソポタミアの料理書に関する本「最古の料理」はかなりおもしろかった。
エルミタージュのガイドブックを読んでいたら、スキタイ室のところで「黄金など貴金属製の遺物は全て電気鋳造法によるレプリカを展示しています。本物は特別倉庫に保管しています。」という記述があってこけた。
1976年ごろのソビエト連邦健在のころの出版だが、それでも治安がいいとはいえなかったらしい。
小倉コレクション寄贈 目録を500円で買ってみてみたが、小倉さんは朝鮮一の電気会社をやっていた人らしい。
引き揚げ時には朝鮮においていた美術品は皆於いていかざるを得なかったが、東京の自宅にあったものがなんとか残ったようだ。空襲被害を避けられたのは疎開させたからだろうか?
ジュディ オングの「中国絵画は面白い」を再読。やはり現在では最高水準の中国絵画入門書だと感じた。 東京国立博物館で楽浪出土の硯断片と摩墨石をみる。小倉コレクションの1。昔は展示されたことはないはず。 名古屋ボストン美術館でデューラー展覧会をやっていて版画を網羅しているそうだ。 ウィーン アルベルティーナでもデューラー展だそうで、ちょっと流行かもしれない。
年賀状があまりこない。日本の美風だとおもうのだが。。。
年賀状に混じって、三井文庫からの案内葉書があった。
「シルクロードの至宝 敦煌写経」である。1月17日〜2月22日まで。
隋唐の写経が中心のようで、書道博物館のようなアスターナの古い写経はないようであるが、かって一度も公開されたことのないコレクションであるから、期待と不安がある。
正倉院棚別目録、日本語版を準備中。拙速をむねとしたいが、エントリーだけでも700点以上、なかなかONにならない。
東京国立博物館、東洋館は清時代の書が展示されている。「徐氏四世同堂記」は、購入時の新収品展でみて感心しなかったものだが、今回みてもかなり見劣りがする。展示されていた印譜は原印から押したものではなく、凸版押しによるものではないだろうか?
東京国立博物館で那智出土の、立体曼荼羅をみる。このうちの2尊の拓本をもっていたので
特に関心があった。なんといっても愉快なのは三摩耶形の鋳造で、どうみてもジャンケンにみえる手(手印のシンボル)や、楽器だけのものなど、だれがみても面白いものだと思う。一部模造があるのは他で所蔵しているものがあるからだろうか?(ー1/4まで)。
那智の仏像を観てから、東洋館の隋の鍍金勢至菩薩を拝すると、その厳しさに粛然となる。
竹彫刻、家具、瓢箪工芸などの収集家、研究家である北京の王世襄さんがコレクションを処分した。オークショナーは北京の嘉徳、11/26に実施された。嘉徳国際拍賣公司のサイトで、現在、落札価格も公開している。
竹刻、古琴、瓢箪工芸品などの過去最高価格がついたのではなかろうか?
<帰去来辞>筆筒、朱小松の 万歴3年の作品とはいえ、なんと100万元、朱三松?の竹彫羅漢丸彫りは更に高く200万元。2点とも古くから図録などにのっていたものだが、それでも破格だ。
瓢箪の蓋付き容器が60万元。たいしたことのない臂擱でも9万9千元の値がついていたので、お手盛り価格なのかどうか判断に迷う。
大陸に唐時代の古琴があるとはとても信じられないがとにかく「唐の琴」が800万元以上。
全てが、いわゆるMinorArtsでこれだけ値を上げるのは、中国だからだろうか?有名な鑑識家・収集家のものだから安心だという意味もあるだろう。
同時に売られた多数の鍍金仏や明清銅器は全くわからないし魅力も感じなかったので、コメントしない。価格も数万元というところだったようだ。
意外に家具は少なかった。
12世紀という日本の鍍金仏は憤飯もので、さすがに鑑識は無理なのだろう。
驚きなのは、「全て売れている」ということだ。普通オークションではまずない。
横浜そごう上海博物館展では弘仁の黄海松石軸はよかったと思う。弘仁の作品としては群を抜いた大きさだが、墨の施しが合理的で量感があるし、植物の配置も現実的で良い。大作につきものの構成力不足がみえないところはさすがだと思う。「黄海」は黄山の雲海のことである。画集の図版では良さが全く解らなかった。
徐青藤の水墨の軸「牡丹蕉石図」は昔から有名なもので、もう三回ぐらいみているが、どうも傑作という感じがしない。米沢さんは実物を見ずに褒めていたが、実物をみたあとどう思っただろうか? 書はいいのだが、画が少しおざなりのように思う。これと比較すると、東京国立博物館の雑画巻は、徐青藤の最高クラスではあるまいか?南京の激しい作品はまだみていないので「南京を除いて」といわなければいけないけれども、東博のは、もともと戦前上海で大コレクターが「高すぎて買えない」といったというものである。呂紀は日本のものよりはいいが台北のあしもとにも及ばない。
陶磁器は、去年、上海でみたときも 低調な感じだったが、この展示でもイマイチの感じが否定できない。四川省出土という変わった俑が2体あった。龍泉窯のjは色が悪い、ただし青磁は光線によって甚だしく色が違って見えるので、言いがかりかもしれない。琺瑯彩はあまりに惨めなものなのでかわいそうになった。台北のものを一度でもみた人なら正視に耐えないだろう。
高知、大阪にも巡回するようなので、推薦できる展覧会だと思う。
横浜そごう
上海博物館展の開催(-12/14)を西川美術店の主人から聞いていってみた。チラシの青銅器はちょっとあやしかったが、絵画などで拾いものがあればというスタンスである。
意外に良いものが多い展覧で、無駄足にならなかった。千葉の天津とはえらい違いだ。
去年、晋唐宋元国宝展をみにいったとき、平常展にかざってあった唐寅の軸があったのには驚いた。前で女性が丁寧なメモをとっていた。絵画では陳洪綬の作品が目新しくよかったと思う。
董其昌の 棲霧寺詩意も立派である。弘仁の黄山軸は初見だが、あんなに大きいものだとは思わなかった。それでもけっこう筋が通っている。李在 は 木の葉を描くのに青い顔料を混ぜた墨を使っているようだ。
福泉山出土の古玉は上海博物館のチームが発掘しただけあって実によい。
青銅器もチラシポスターにでてるものを含め、2,3おかしいものがあったが、だいたい
において良い。小克鼎・史頌鼎まであった。
商の蓋つきの瓶のような壷は、もとトルコ石が偽作的に象嵌されてあったのだが、除去したものだと思う。金銅仏も
図録になっているような有名品がきていた。神亀のものは特に興味深い。
鏡もなかなか良く、上海博物館蔵鏡の表紙になっていた四虎鏡もあった。
陶磁器は、去年、上海でみたときも 低調な感じだったが、この展示でもイマイチの感じが否定できない。
大阪などにも巡回するようなので、推薦できる展覧会だと思う。
Boston 美術館の陳容「九龍図」になんくせをつけた
蘇庚春の文は文物1978年にのっているそうだが、それより後の
「藝苑綴英第14期1981/10月」のP1に広東省博物館蔵の、俎に龍をひろげたようなできの悪い作品(絹本201.5x101.5cm)のカラー図版、41pに蘇庚春の、
広東の駄作が「存世真跡巨幅傑作」、ボストンの九龍図を「おそらく元人模本」だといっている記述がある。
ボストンのものの次にランクされるのはカンサスのネルソン美術館にある短い図巻であろう。
広東のものは論外。
広東省博物館を特集したこの雑誌、むしろ
呉偉の「洗兵」図巻のほうが、いいと思う。6mに及ぶ墨絵の長巻(30.8x600.5cm,紙本)。
明代中期、1496年制作のもので、「封神演義」の神々が、雲気のなかに描かれているようなものだ。図版にあるだけでも15人?。カラス天狗みたいなのは「あの人」か?
いうまでもなく「封神演義」成立の百年以上前だから、
神々のイメージの発展段階をみるという意味で、非常に興味深い。
この1496年という時点のわりには「封神演義」に描写してあるのと
とあまり変わらないような図像なので、ひょっとして後世の贋作、「封神演義」以降の作品かと疑いたくなるくらいだが、図版で見る限りは、そうおかしなものではない。
書道博物館 http://www.taitocity.net/taito/shodou/news.html で「楷書の歴史」特集(ー12/21)。 有名な西域写経「持世 第一」などもでていた。また、日本では真本が数点しかない 「董美人墓誌」の拓本も展示されている。他にも重文の写経などいいものが多い。 推薦!!。。ここに何点もある、敦煌・アスターナ発見の写経の末尾の題記のところだけ 都合良く残っている断片は、あまりに話がうますぎて偽作ではないかと疑ったこともある。 しかし、 相当信用がおけるパリのペリオ収集の分にも題記だけの断片が多数あるようだ。 ペリオ収集のみから選んだ敦煌書法叢刊に Pelliot Chinois2585, 2884,2644,2881 という同類のものがある。 これはなにかの事情があって、題記が切られる、分離されることがあったのではないか? と推察せざるをえない。
Boston 美術館の陳容「九龍図」は、中国の龍の絵のなかで群を抜いている。
昔、横浜で観た。なにしろ10mもあるので、
前期に三龍みて、後期に三龍みた。結局、六龍しかみてないので、残り三龍は見ずじまいである。
龍のファンの方がスキャンして公開しているサイトがあったので紹介する。
質の良いイメージで、労作に感謝する。
http://syaoron.zive.net/kinomuku/dragon/ninedragons.html
大陸の学者が、これを元の模写だといい、大陸のひどくできの悪い
作品を真跡だといっている記述があるようだ。ボストンの図録にも
注釈に書いてある。大陸のもとの雑誌記事「藝苑綴英」も読んで、あまりのいいがかりと
絵画に関するセンスの無さに唖然とした。
宮内庁の 正倉院
のサイト、まあまあよくできているのだが、
コレクション検索をみると、なんと北倉の分しかデータがはいっていない。
そのかわり、北倉に限っては、かなり多く入っている。
棚別目録によれば、
光明皇后が献納した、献物帳に記載されている宝物はたぶん全て「北倉」とナンバリング
されているので、献物帳記載の由緒正しいものを優先させるというのは、無茶ではない。
しかし、なんとなく年度予算で「北倉」分だけやって、中倉、
南倉が放置されているだけのような感じもする。
京都国立博物館で、図録を大幅値引きして販売するらしい。
こんなことをいうのもなんだが、京博の図録は少々高価
すぎると思っていた。
先週のことだが、千葉市立美術館に「天津芸術博物館展」をみにいった。
残念ながら、おめあての項聖謨の図巻も生彩がなく、画家の後記も冴えない。上海の
高逸図巻と比べて劣るものでがっかりした。この展示、どうもあまりいいものがない。
清代末期の張兆祥の花卉画でも、私がもっているもののほうが(コンデションは悪いが)
出来がいいのはどうかと思う。
とにかく、東京から千葉までいくのは半日仕事なので、展示がつまらないとがっかりする。
11/1 奈良で坂本コレクションをみて胸が悪くなったが、奈良では、正倉院展もあり、
常設の仏教美術もよく、他の良いものでカバーできるが、千葉は他がないのでどうしようもない。常設で、歌麿の浮世絵絵本をみるぐらいがせいぜいだ。ここの浮世絵はレベルが高いのだから、1ダースぐらいは常設してもらいたいものだ。
ここの図書室はわりとよく、「中国古代書画目」がそろっているのはびっくりした。
三連休中に関西に行き、奈良で鹿にスラックスを噛んで引っ張られた。
鹿せんべいをがらにもなく与えるものではないか?
それでも「奈良の鹿」はなんとなく「和み」の感じがする。
今回はホテルフジタを使ったが、
料理旅館「江戸三」を一度使いたいような気がした。
正倉院展 めあてでいった。棚別目録の電子化を企み、英語版はほぼ現実化したので、
実物を見に行ったのである。多くの人がつめかけるので俗のような気もするが、
やはり8世紀の世界の息吹がある。今回は「絵紙」の飛白による絵画がめあてであったが、
「桑木木画碁局」のスタイルにはまいってしまった。また、文書で裏を再利用していないものは、ほとんど孫過庭「書譜」と同様な全凸の空罫があり、8世紀には馬鹿馬鹿しいほどあたりまえの習慣であったことがわかった。孫過庭「書譜」の空罫について論じる人で正倉院文書に言及した人は西川寧さんだけのようだ。
去年 寄贈された坂本コレクションの中国青銅器200点余は期待していたが、残念ながらかなり玉石混交、あえて白木を内にはった特別な展示室にいれるべきであったか疑問に思った。
大阪市立東洋陶磁美術館に今年新規に平群に住む収集家から寄贈された寄贈品展をみた。
なかなかいいコレクションで、
南宋 脩内司 風の青磁碗、
よう正官窯のトルコ石青とレモン黄の小碗、
唐の豪華な加彩灰陶馬、
が、特に印象的だった。
漢?という緑褐陶磁の机はずいぶん珍しいと思う、
ここの所蔵品cdromがあったが、win3.1win95対応というのにはコケた。古いから安いそうだが、これでは売れないだろう。早急のヴァージョナップを期待したい。
白鶴美術館でも青銅器・金銀器の展示をやっていて、これは文句のない素晴らしい展示である。
藤井有りん館は新しいカタログを出している。これは装丁が前と似たり寄ったりなので、
たいして違わないように勘違いされるが、
100点以上増補し、カラー写真がほとんどという豪華本である。
古印のカラー写真は特に貴重なので、昔のカタログを持っている人でも
入手の意味があるだろう。大塚巧藝社の製作で印刷写真ともいい。
遊々台北という旅行ガイドのサイトに 故宮博物院の紹介があった。これが、杜正勝院長を初め担当者が顔を出して、所蔵品の紹介をしている。公演でも聞いているようでとても面白い、下手なTV番組より質が高いので、是非観てみてください。
千葉市美術館で「天津芸術博物館」展開催中、紅山文化の玉、硯、絵画には、ちょっとおもしろいものがあるようだ。無惨な「白菜とキリギリス」にはうんざりしたが。。(-11/24(SUN))
台北 故宮博物院の成化陶磁展のカタログがでたので、友人にAIRで急送してもらった。 幸いハンディなペーパーバックだったので収納には助かる。 これと、出光でやった景徳鎮出土の陶片展「皇帝の磁器」図録、PDFの図録などと比較すると、なかなか面白い。
大英博物館展 の出口近く、レンブラントのXギルダー版受難 などがあるあたりにボスの下絵による「象の攻囲」があった。リストにも1550頃と書いてあるように、ボスと仕事仲間であったAlert Hameel(-1507)による初版ではない。ロッテルダムのボス特別展で、ウィーン アルベルティーナ所蔵のHameelの版画を「象の攻囲」を含めて観たが、いずれも実に豪華荘厳なもので、墨は銀ですったかのよう、紙もやや厚く頑丈で、聖堂に飾るのにふさわしいものだった。
この大英博物館のものは、ブリューゲルの版画に似た紙墨であり、一瞬、ヒエロニムス=コックの刷りかと思ったぐらいだ。たぶんアントワープで刷った、後刷りか再版なのではないだろうか?
大英博物館展をみたが、ひどく混んでいたので全てをみる気になれなかった。まあざっとみた。冒頭で「ポートランド壷」という名をみかけて、スワと列に我慢して並んだところローマ時代の高名なカメオガラスではなくウェジウッド模作の「ポートランド」だったのでがっかりした。そういう乱暴なみかたなので見落としは多いはずだが、記憶に とまったものでは、
書道博物館で「楷書の歴史」特集(10/28--)。
有名な西域写経「持世 第一」などもでるようだ。
今は、蔡襄の詩巻が唯一のみものである。よくよくみると、かなり補筆、修理があるようだ。
一見、下手にみえる字は修理らしい??
伊原 弘 編集「清明上河図を読む」のなかの中野美代子「境界の風景」には、「しにか」掲載時と同じく修理と剥落の件について
誤った見解が述べてあった。北京の修理担当がかわいそうだ。この修理はそうとう立派なものだと思う。この本、
中国絵画史を親しんだ人が1人ぐらい書いているのだろうか?絵画を対象とする場合は、伝統的で面倒
かもしれないが専門知識のある人の意見を聞いたほうがいいようにおもうのだが。
出光美術館のあの1対の瓶も出光の収集のなかでの貴重品だと勘違いしていたらしいが、美術館のほうで考え直されたとのこと。なによりである。出光の先日の展示では、故宮の展示をみたあと、おもいかえしても、成化のパレスボウルはなかなかよかった。サザビーの成化の高足盃は、少々疑問がある。
成化はやはり、日本にも10点前後、チキンカップは、某氏秘蔵のものが1点のみ(東京国立博物館「中国の陶磁」展覧のものは偽作)
ということを、あるエキスパートから聞いた。チキンカップは康煕の写しでも2千万以上するらしい。
日本最初の成化は、青花の丈の低い壷で、戦後の混乱時期に名古屋の
小さな骨董屋のガラス棚の上にあったのを、偶然発見して、半信半疑で、東京にもちこんだのが最初だという。ただ、東京国立博物館の「天」字款 豆彩は少し古いかもしれない。
倉田 実 制作の本阿弥切 益田本はあまりいい印刷とはいえないのが残念。
なぜか、担たん麺が食べたくなり、あちこちをさがす。
ロンノル政権時のカンボジアに駐在した新聞記者の本を読んだ。のんびりとした感じは、私が一昨年、シェムリアップで実感したとおりだ。こののんびりした人々が、ポルポトのもとで大虐殺に走ったのはなぜだろうか。
天候が急変するので、ふとん干しには苦労する。ふとん乾燥機、オーブントースター、を買って近代化した。一方がMade in Chinaしかないのはしょうがない。シンクの水切りは東急ハンズで日本製を買う。うろうろ探し回らないで最初から渋谷にいけばよかった。
竹製の香炉(径8cm)を買う。珍玩というべきもので実用品ではない。
中国製だとは思うが、日本製である可能性もある。
小林頼子「フェルメールの世界」を読む。NHKブックスとしては破格の学術的な本。お徳用。
台北 故宮博物院の成化陶磁展はすごすぎる。奥のケースなど、なかにはいっている陶磁器は100億円を軽く超える価値がある。横のケースには、大阪中ノ島の某研究員が「デヴィッドに1個のみ知られる」と書いた皿が3個もある。あまりのことに、何かだまされているような感じすらした。
書画の研究員と歓談していたとき、「藤井有りん館の絵画は鈴木先生のカタログにのっているものだけではないの?」と聞かれた、あの中国絵画総合図録(東京大学出版会)は写真が小さく悪いので買う気になれず、あまりみていないのだが、全部収録しているわけではないことは以前記憶していたので「Choise」です。といっておいた。あとでどうも気になって、今日 図書館で確かめたら、驚いたことに4点しか収録されていない。あの膨大なコレクションから4点だけとは、どうゆうわけだ。そのくせたいしたことのない個人コレクションがどっさりのっている。この総合図録、海外でも結構使われているようだが、日本所蔵の分に限っては大きな欠陥がありそうだ。
大英博物館、アッシリアのニムロド浮彫の写真を3枚買う。セピア色になっているので、戦前のものだろう。 W.A. MANSELL Co の刻印が押してある。奈良の飛鳥園や京都の便利堂のような写真屋さんが大英博物館御用達である/あったのだろうか?
Rape of Europeの和訳がでているようだ。これは、第二次大戦中の美術の略奪・破壊を記録した本だ。英語でやたら厚いのと、著者が博物館・美術畑ではないような感じで、作品への愛情が感じられず、放り出した本だった。4月に来日するフェルメール「アトリエ」の記述も他の」記事と少し違いやや荒っぽい感じがした。
中国での骨董ブームで日本に買い付けに来ている業者も多いらしい。大陸の店で骨董を買うなど、ほとんど意味がないだろう。
上野 西洋美術館のサイトhttp://www.nmwa.go.jp/index-j.html はいくらなんでも貧弱すぎるのではないだろうか? 版画素描室の企画展示案内すらない。コレクションの一覧も
解説も短く、イメージもついていない。
そのうち改善されるとは思う。
レンブラントとレンブラント派 2003・9・14
上野 西洋美術館
京都で開催された展覧はカッセルが中心となっていたようだが、こちらは、ベルリンからのレンタルが多いようだ。アムステルダムからもあり、版画はほとんどアムステルダムから。
聖書・神話・伝説画を主とする。これは、レンブラントの作品に対してはともあれ、むしろ風俗画に佳作が多いマースやダウには不利だったのではなかろうか。実はダウの作品を密かに期待して訪れたのだ。レンブラントの作品でも、ここで避けた肖像画のほうが味をだしているように思う。
ヘリット=ダウ の「兵器庫の兵士」(ブダペスト)、ニコラース マースの「ゆりかごのそばの若い女」(アムステルダム ライクス)が印象的だった。
ダウの「隠修士」(ワシントン ナショナルギャラリー)は右下部分の精緻さと他の部分の平凡さの差が奇妙である。左上部が未完成であったか、あるいはひどく破損して修理したのではなかろうか?
「兵士」は、人物画としてはどうということはないが、周りの鎧の鋼の光、皮の鞍の質感、、太鼓の質感などが見事。
マースの作品はほほえましく愛らしい。前にカーテンが描いてあり、カッセルの聖母子の研究で注目された「前にカーテンのある絵画」の一例でもある。
レンブラントの作品では、CDのジャケットに使われた絵で覚えているものがあった。アントン・ウルリッヒの「マグダラのマリアに現れた復活したキリスト」(Shutz, Cantione Sacre)、「エレミア」( Durante, Jheremia 哀歌) だ。
レンブラント「聖ペテロの否認」は、サラチーニの同題作(ブダペスト)のほうが優れているように思った。いずれにせよレンブラント画を私は愛好しているとはいえないから、あまり評価する資格はないのだろう。工房作「ダニエルの幻視」の天使の顔はいい。版画の中でほとんど真っ黒で絵がみにくいものがあるが、よくこんなものが当時商品になったと思う。
カロ版画展(同 素描版画室):
63点
,他にカロ肖像1
カロの版画は愛好者が私の友人にもいる。
なかなか好ましいもので、レンブラント展より好感をもった。
1987年にまとめてカロ版画のコレクションを購入したもので、確か数百点あり、ほとんど全集にちかい収集らしい。これはもっと内外に誇ってもいいと思う。
13日の月と火星が並んでいるのを眺めると奇妙な感じになる。ルナティックにならないようにそうそうに引き上げた。
13日の月と火星が並んでいるのを眺めると奇妙な感じになる。ルナティックにならないようにそうそうに引き上げた。
和室の文机をいろいろさがしたが、ようやく琉球の工芸家アランフェス工房に制作してもらい、今使っている。とても使いでがよく、嬉しい。いままでボール箱を和室では机代わりにしていた悲惨さであったからなおさらなのかもしれないが、、
9・6にちらと台東区書道博物館にいったら、蔡襄の詩巻が偶然にも展示されていた。蔡襄の詩巻の3つのヴァージョンについて、イメージと文章を整理していたところだったので、偶然の幸運に驚いた。これは、とにかく1文をつくらないわけにはいかない。この詩巻は、ここにある宋元の真蹟のなかでは唯一 重要なものである。他はあまり感心しない。
最近 ファン・アイクの専門書がでたようだが、東京堂書店でたち読みした。
アルノルフィニ夫妻?肖像(London National Gallery)について去年アントワープのシンポジウムで発表された発見はとりいいれられていなかった。それで買うのをちょっと留保している。
アントワープでの報告によると、なんと、夫妻の結婚祝いをブルゴーニュ公が贈ったのは、この画の年号の10年もあとだったのである。すると、正式な結婚自体相当後だったということになる。ひょっとしたらヤンの死後かもしれない。従来いろいろ議論された結婚のシンボルは後で描き加えられたものである可能性さえでてきた。パノフスキーのイコノロジー研究、ヤンの役割にかんする想像などすべてが怪しくなってくる。
近刊の福田哲之「文字の発見が世界をゆるがす」なかなかいい概説書だと思う。極最近の2万点の秦の公文書の発掘まで眼を配っている。上海博物館竹簡の真贋の問題について、4pをあてているのは興味深い。確かに2300年前の竹材料を大量に得るのは非常に困難だ。C14テストにとおる墨と木材を得るのはそれほど難しくないが、竹は難しい。それにテキストが寫しや偽作でない独立したものなら、一応信用してもいいかもしれない。
宇野雪村「法帖」の部分コピーがでてきたので修理製本した。
夏に長崎の孔子廟博物館にいった。時間つぶしであったが、けっこうおもしろかった。
1Fの北京故宮からのレンタルでは筆、竹を彫刻した青銅器型の容器が面白い
2Fでは唐の瑠璃釉の小碗、沙村出土の銀容器が眼にとまった。
東京国立博物館に清明上河図の1つが展示されていた。林原美術館本のほうができがいいようだ。もっともこれも結構楽しいところがある。
上野、台東区立書道博物館の「王献之」特集では、「玉板十三行」の精拓が面白かった。この原石は清時代後期に賈似道旧宅あとから出土したもので、現在中国にあって、最近拓をとったものもでまわっているが、傷んだせいかいたって鈍い。この拓は、出土初拓だろう。極めて鋭い。昔、法書会で複製されたことがあり、てもとにもっていたが、本物をみるのはこれが初めて。
開通褒斜道刻石の拓本の大きな複製を売っている。たった1500円で、しかもかなり印刷がいい。漢の隷書に興味のある人には嬉しい買い物だろう。ただ、とても大判なので運ぶのに困る。
amazon.co.jpの書評に「ツタンカーメン発掘記(下)」、「李白と杜甫」を追加した。
東京国立博物館では、本館2Fの「北斎 富嶽三十六景」が人気だった.特別展より人手が多い。
上野の西洋美術館でカルロ=クリヴェリの「司教の肖像」(テンペラ・板絵)がようやく再展示されていた。これは、全面的な修復があるということで状態はよくないようだが、日本唯一のクリヴェリだろう。ベレンソン以来著禄されているもので、いちおう名のあるものである。1962年購入、旧松方コレクション。
アレクサンドロス展 東京国立博物館
アクロポリスのコレー大理石像
とエルミタージュのソグド風 有翼二瘤駱駝模様の銀製部分金鍍金水差し
が特に印象的だった。エルミタージュから数点のイラン銀器がきていたことにはびっくりした。
ルーブルの 銀製牡牛リュトンは精作。
ギリシャ出土の確実なテラコッタ彫像が数体あるのはありがたい。いわゆるタナグラ人形の偽物の多さは破滅的なので出土証明なしのものはまずみる気がしない。エロスとアフロディテ群紳像は極めて派手で複雑なので出土証明がなかったら疑いたくなるくらいである。
本館1Fで、五部浄の腕がでていた。隣に橘寺出土の塑像断片もあり興味深い。
東洋館の
朝鮮のうちわ展示は面白い。
ポーランドのヨハネ=パウロ2世美術館蔵の絵画の巡回展「聖母子と子供たち」
目黒について地図をみると目黒区美術館の近くにポーランド大使館がある。なるほどと思ってしまった。目黒区民センターの一角にあり、混んだプールの歓声を横にたどりついた。
これは法王のコレクションではなく、化学者というから、実業家のコレクションを私立美術館にしたものらしい。欧州のもと個人コレクションというから、昔みたブリューゲルの低級な流派作ばかりのコレクションを思い出して悪い予感がしていたが、そうメチャではない。基本は19世紀のサロン風の絵画が多く、可愛らしい子供の絵が多い、ちょっとみていると恥かしいヌードもある。
オールドマスターズのところでは、Jean-Baptist Marie-Pierre(-1789)という人の「若い羊飼い」が気に入った。色使いが少女漫画っぽく油彩なのだが独創的である。ロココ最末期の人でフランス革命の年に没しているのは痛ましい。
デューラーの「聖アンナと聖母子」についてはMETにあるのが良いヴァージョンだとされているが、これもそう悪いわけではない。もともとMETのものも模写とされたこともあり、本物が現存しているのかどうかも怪しい。METのほうは、聖母の薄いベールがあり、イエスの頭の格好と巻き毛が少し違う。この絵は周囲に1.5cmぐらいの板材を足して全体を大きくしているのはちょっと気になった。
アンドレア サルトのスクールの聖カタリナもいる聖母子もけっこう立派。
最近上海博物館へ450万ドル(約5億円)で売られた淳化閣帖だが、
所蔵印には、かなり問題があるようだ。
安岐の印でも、一つはまともそうだが、2種はどうしようもない偽にみえる。
孫承澤の庚子しょう夏記 に記録されている跋は、紹聖の年記があるはず。
この跋と重なっているとはいえ、違うもののようだ。とすると
孫承澤の所蔵品だったかどうかも怪しい。
さらに、乾隆後期の臨川李氏の印さえ怪しい。
近年、かなり蔵書印を増やした形跡がある。
米国の古美術商Robert Hartfield EllsWorth氏所蔵の淳化秘閣法帖(淳化閣帖)4冊が
450万ドル(約5億円)で上海博物館へ売られたようだ。
拓本の値段としては、記録破りである。
新華 上海7月26日電(記者 馮源)にも、おかしなところがあり、上海25日共同 をもとにしたNIKKEI.NET他の日本のネットニュースになると更にメチャメチャでいかに、この手のものに関する知識が普及していないかわかる。
新華で「上海博物館副館長汪慶正介紹,現存的王字法帖也只有20余帖」と聞き違えているのが問題で、20余点しかないのは、拓本ではなく、精密に模写した複製である。日本にも正倉院伝来らしい素晴らしい複製が3点ある。拓本なら数百種もある。
上海25日共同 の
「王羲之(推定307―365年)の自筆の拓本170点を収録した宋代の「淳化秘閣法帖(淳化閣帖)」の原本4巻」はまったくばかばかしい。
[自筆の拓本170点]といっても実際には4分の1以上が800年前から偽作とされている。また、第4巻には王羲之の書は1点もはいっていないので「3冊」というのが妥当だろう。
淳化閣帖自身は重刻(つまり再版)のものが無数にあり、私の部屋にも2冊ある。
じゃ、なぜ5億というとほうもない価格がついたかというと、宮廷で、淳化3年(992年)に最初に制作された原刻(つまり初版)で、世界で唯一のものだとみなされたからである。
しかし、それが本当かどうかはかなり怪しい。個人的には、
台東区立書道博物館の淳化閣帖「夾雪本」第8巻のほうが優れているように思う。
一応この4冊は17世紀までは確実に遡れるようだが、800年前でも既に原刻を買うことはむずかしかったらしいので、それだけではなんともいえない。
価格も高すぎるようだし、「出師頌」以上の騒ぎにならないだろうか?
火星の大接近に伴って、探査機を送る複数のプロジェクトが実施されている。どれも地球に戻るものでないことは、私にとっては幸いなように思われる。火星に、仮に目にみえるような生物があるとしたら、その数億倍の細菌やウイルスのような形態の生命があるはずである。これは地球の場合との類推である。
地球環境に持ち込まれた「火星微生物」がどのような動きをするか想像もできない。「すぐ絶滅する」か「異常に繁殖する」かのどちらかではないかと空想している。
宇宙船の消毒が微生物にとっては完全でありえないことは、明かである。
14世紀のペストを遥かに超える致命的なものになりかねない。例えば、地球の有機物をことごとく加水分解するまでとまらない生物とか、、
「出師頌」について、大陸でのいろんな取材をした記事は、検索エンジンで
「出師頌」といれれば出てくる。一覧して、あまりに無知蒙昧な「権威者」や学者の解説・誹ぼうが多いので、北京故宮の責任者がかわいそうになった。
なかでも「北京故宮の「薦季直表」が中国最古の墨跡」という記事にはあきれた。これは確か中華民国時代に壮陶閣から盗まれ土に埋められ失われたはず。「平復帖」のまちがいだろう。
徽宗皇帝の印がまったくないのに「宣和書譜」をもちだすのもお笑いだ。
米友仁の「隋賢」という鑑定を鵜呑みにして「隋」というのも、芸がなさすぎる。
城左門訳「夜のガスパール」だが、ひょっとしたら、底本が違うのかもしれない。1905年の最初の挿し絵付き本は、作者の序(導入部)がなく、詩もかなりないものがある。
Louis Bertrand "Gaspard de la Nuit"とその翻訳は、長年の愛読書だが、擬古的文体の散文詩なので、翻訳はかなり難しいようだ。平凡社・世界名詩集15(昭和四十四年)収録の伊吹武彦訳を最も親しんでいる。ただ、補遺の部分(13篇)が「絞首台」を除いて全部省略されている。岩波文庫の全訳はどうも文体がきにいらない。最近、昭和二十三年十一月操書房発行の城左門訳を買ったが、これはかなり省略した詩が多い自由訳である。長大な作者序文すら省略されていて、好きな詩のみを選んで翻訳したもので、古風な文体はいいとしてもちょっと看板とは違う。まあ、緑子の餓死が頻発したころの出版だからやむを得ないのか。
1842年初版という希本、1905年の最初の挿し絵付き本(FONTANEZの絵はちょっと陰気)、1920年のアルシュ紙印刷の作者自画イラスト付き本、なども集めたが、かなり読みにくいので、冒頭の導入ストーリーや「夜とあやかし(ONDINEなど)」を読むぐらいである。
ひっこしたので、ようやく鄭道昭の大きな拓本をひろげ臨書できるようになった。 九仙題字、安期子題字などは肌にあう。
「出師表」について、大陸でのいろんな取材をした記事(繁体字 中文)
まあ、「晋墨」という書いた前の紙が南宋高宗という宣伝はさすがにみんな嘘だとわかったようだ。
呉其貞の 書画記第4巻 1656年に太興季因是のところで観たという記録がある。
「唐人の書だ」といっているのはさすがで、現代の大陸の鑑定家より優れている。
東京国立博物館 本館2F 開催の「新たな国民のたから 文化庁購入文化財展」は
お薦め。
いままで見たことがなかった 玉澗 瀟湘八景 の1点「洞庭秋月」
11巻もある奈良時代の写経
ほとんど観る機会のなかった「巻子本古今集第13」これは平安期の巻子本のなかで、チラシ書きがみれるほとんど唯一の例である。
佐竹本三十六歌仙の 元真 これは関西の私立美術館の所蔵だったはずだが、美術館が維持できなくなったのだろうか?
北京 嘉徳の7月13日のオークションで、
「伝)隋人書;出師表」が二千二百万元(約三憶円)で北京故宮博物院へ買われた。かなり強引に先買い権を行使したという噂もある。
「伝)隋人書;出師表」についての詳細
贋作説などもあるようでかまびすしいが、大陸の新聞サイトの論説はまったく程度が低い。
私は8世紀の臨写本だと思っているし、原本自体が西晋の索靖の真跡である保証もあまりないと思っている。
台北故宮博物院の成化展は7/25--10/15のようだ。
出版ダイジェスト2003年7月15日号一面に大阪で催された中国の宋元の書道を中心とする展覧会「海をわたった中国の書」(4/8-6/1)のレビューがでていた。私にはそういいとも思えない作品がほめちぎってあるのでいささか驚いた。実物を何度も観た人の間でも意見が一致するとは限らないものだと思った。
YAMASHINAの「海をわたった中国の書」展評を一応発表しておく。私の知人には「ガラクタばかり」といった人もいたが、私はそうはおもわない。
旧エリオットコレクション(プリンストン大学所蔵)の中では、王羲之の唐模本「行穣帖」だけが大阪まで観にいく価値がある作品だったと思っている。旧クロフォードコレクションの黄山谷の廉パ蘭相如伝は、初老のご夫婦が隣に展示された同じ黄山谷の李白憶旧遊詩(京都藤井有鄰館)と比べておかしいといっていた。なるほど畿内には眼のある人が多いと感心したものだ。編集部の意向もあるだろうが、比較的よいものだけを詳細に紹介したほうがよかったのではなかろうか。
ミステリー「半身」の表紙にカルロ=クリヴェリの絵が使われていたので、このヴェニスの画家のことを思いだした。Amsterdam RijksMuseumのマグダレーナだったが、Montefiole祭壇画のマグダレーナのほうが傑作だと思う。この画は Anna Bovero編集のクリヴェリのカタログレゾネの表紙になっていて、その凄絶な美しさには驚嘆せざるをえない。ところが、あのWEB ARTのサイトにすら画像がない。 西洋絵画の好みの作品を少しづつ紹介してみようか、とも思う。
瀟湘図は南宋時代に流行し、瀟湘八景という画題も、日本に伝わって屏風などにも多く制作された。日本の画家が瀟湘をみたことがなく手本と想像によって描いたのは当然としても、中国の画家でも瀟水と湘水を観た人が何人いるのだろうか?というのも 湘水は長沙を通って洞庭湖に流れ込むから、長沙までいけば湘水はみることができる。しかし、瀟水との合流点は長沙から300km以上遡る零陵である。洞庭湖と零陵ではほとんど湖南省の端と端であり、もう少し遡れば廣西壮族自治区に入ってしまうほどの辺境である。この近くには ゴ溪という、元詰選顔真卿書の「大唐中興頌」碑があるような名勝もあるのだから、だれもこないような田舎というわけではないのだろうし、昔の交通は船が主流だったから川沿いというのは意外に交通の便がいいのかもしれない。それでもちょっと奥地過ぎるような気がする。瀟湘八景の解説書を読むと、瀟水と湘水の合流点を洞庭湖のすぐ近くだと勘違いしているような印象を受ける。残っている瀟湘八景図も山奥ではなく、洞庭湖のまわりのような景色が多い。 湘水はともかく、瀟水は画家はみていないのではなかろうか?
正倉院棚別目録(英語版)にイメージを追加し、増補して少し華やかにした。宮内庁は総目録をWWWで公開する気はないらしいし、イメージもいまいちなので存在理由はあるだろう。
だいたい、個々のカテゴリでの細かい研究はでかい本で出版されているが、
総目録はない。
むやみにたくさんあるので総目録作成が難しい染織品と文書を総目録へいれるのは無理としても、それらを除く目録さえ、現在容易には入手できない。おまけにナンバリングがその時々で違うようで特定の宝物をはっきりと示すことが難しい。世界の宝とか日本の誇りとかいっておきながら、一応の総目録さえ公開できないとはなさけない。
Marc-Antoine Charpentierのモテットのパンフを読んでいたとき、
この傑作が17世紀後半、ギーズ館の若い女性たちや出入りしていた尼さんたちの演奏のために作曲され、演奏されていて、その名前が記録されているらしい、いわく、Boisseau嬢, Elisabeth Thron嬢, Genevieve brion, Marie Guillebault de Grandmaison、また、マザーCamille, マザーSaint Cecile,マザーDhenaut,,,
これらのいにしえの女性たちはことごとく消え去って墓さえ残っているかどうか怪しいのだが、名曲にかかわって今も少しは生きているといわざるをえません。芸術の価値はこのような時間の征服にあるのではないかと思う。同時にモーツアルトの魔笛 第一幕、第7デュエットを聞いてみた。イラク戦争を経た今、このパミーナとパパゲーノのデュエットはECのテーマ曲としていちだんとふさわしいものに感じられた。
Memling, Flammarion 版 1973,Paris Jacque Foucartの序文はかなり錯綜していてメムリンク研究のめんどうさを反映しているようだ。ようするに近代的な芸術家のカテゴリにはあてはまらない人なのだ。浅薄な批評家は「無名の職人」「反体制の芸術家」以外のカテゴリをもたないのだろう。中世的な芸術家=マイスターが優れた作品を残しているときそれを賞賛する感覚と近代イデオロギーにとらわれた理性がどうしても衝突することになる。しかし、ここでFoucartはいい文章を書いている。熟読したい。最近では、Dirk de Vos が優れた Memling研究書を出版している
が、他の意見も聞いてみたくなるのだ。Fagginの総目録も労作。ただ、図版印刷はフランス版でさえかなり見劣りがする。
知人の訃報を聞いた。文物の行方も含めて迷いに沈む。
さくらんぼはミネラルヲーターと
合うと思った。
書評更新
突然 ミラノ風カツレツが食べたくなる。
電気コーヒー挽き を更新。カリタのセラミックミルは、新宿ヤマモトコーヒー店が安かった。
書評をまとめて書く。 宮崎法子「花鳥・山水画を読み解く」、孫子の金谷さん訳と浅野さん訳、二玄社の原色法帖選から2、などいずれもアマゾンに投稿する。 宮崎さんのは細かいのを書いて古原先生に送る。
台北の黄山谷「松風閣詩巻」の多色コロタイプ複製を買った。大塚工芸社か便利堂だろう。紙にある瓜などの装飾模様がかなりはっきりと再現されていたからだ。この模様は台北で現物をみても、よほど斜めからみないと見えない。カメラの力はおそるべきものがある。松風閣詩巻の装飾料紙参照。
招待券を頂いたので「鎌倉 禅の源流」展にいった。南宋時代の漆器の基準作をみれたのはよかった。古い イ駄天像があったのは意外。
文物 によると、2000年にも 河南省青涼寺汝窯跡の発掘をしたようだ。
しかし、本当にここが汝官窯のあとなのだろうか?
他の窯跡、定窯、耀州窯、南宋官窯など、みな伝世品に匹敵するか勝るくらい美しい陶片が多数でている。だからこそ納得するのだが、中国からレンタルした展覧で観た陶片は、にぶいものでとても納得できなかった。
渋谷区立松涛美術館の上海博物館からのレンタル展、なんと3回もいってしまった。
物凄い名品があるわけでもないのだが、全体にいい趣味でひかれるものがある。
私は項聖謨 の高逸図巻がが一番よいように思った。
実践女子大の宮崎法子さんが、角川選書で中国絵画の本を最近出版したが、そう
わるくはないようだ。
戦前北京 にあった延光室という写真屋・出版社は、故宮博物院や民間にある
古い書画の名品の写真やモノクロ複製を売っていて、当時の日本の研究者や好事家にも有名だった。
延光室出版「前赤壁賦」(民国15年再版)の末に広告があって、当時売っていた商品が並んでいる。
リストの中に、ラストエンペラーが紫金城から持ちだした書画、更に長春までもっていったことが明白な書画と、当時、故宮にあった書画の両方があるのは、非常に興味深い。
つまり持ち出された書画と、故宮にある書画が北京地安門近辺の
同じ写真室で撮影されているのである。
少なくとも、当時の関係者は、「持ちだし」を秘匿する気はなかったようだし、
当時の故宮博物院のスタッフも当然知っていたはずだが、無視している。
写真の顧客もそうだろう。
勿論、「持ちだし」前に撮影した可能性もあるが、それもまた不思議な感じがする。だれがどのような意図で許可したのだろう。
北京 嘉徳の7月13日のオークション(昆ロン飯店)に面白いものがでるようだ。
満州国崩壊来行方不明になっていた、「伝)隋人書;出師表」である。乾隆コレクションのひとつで三希堂法帖にもとられている。戦前の写真図版はモノクロだから、カラーの精密な写真がでるのは喜ばしい。
SARSのせいで、北京にいく人は少ないだろうが、こういうものは従来の例では中華人民共和国国内の博物館が買う場合が多いので、そのうち観る機会もあるだろう。
この書についての
詳細
勿論、精密なレプリカという可能性もある。フリーアの「秀野軒図巻」のように絵はもとより印・題記までそっくりつくられると、小さなカラー図版では区別できない。二点比較するならまだしも、一点しかない場合は無理である。乾隆コレクションの現物だと仮定すると、大きな発見だと思う。嘉徳 始まって以来の快挙ではなかろうか?
最近、書道で有名な拓本について、ちょっと考える機会があった。
「九成宮醴泉銘」についてどの拓本がいいかという記述を、ちらちら読んだ。
三井文庫には、「九成宮醴泉銘」の旧拓が7点もあるが、
実物を観た範囲では、李鴻エイ旧蔵本が一番いいように思う。
七点のなかでは有名な端方旧蔵本は、昔観たときがっかりした。
東京国立博物館、台東区書道博物館にも一冊づつあるが、双方ともどうも感心しない。
「争座位帖」については、石の破損がそれほどひどくないので、
清朝時代後期に丁寧にとったもののほうが、古い時代に採った粗悪な拓本よりもいいように思う。字が少々欠けていても残っている字の線が活きているからだ。
渋谷区立松涛美術館で6月3日から開催される、上海博物館からのレンタル展は
大変面白い。首都圏の人は一度いって損はないだろう。
ダーティペア文庫本といっしょに孫子の新注本 岩波文庫本を買う。
竹簡による校訂がどうとりいれられているか楽しみ。
NHK取材班の「アフガニスタン さまよえる国宝」
を読んだ。なかなか面白い。テリャテペの黄金はどうやら無事だったらしいのは朗報である。
カブール・バーミアン・ハッダの大破壊をみると
従来、非難されがちな文物の流出・売買も結構功績があるように思う。
著者たちは、「現地保存」のたてまえから、古美術商のイメージ
を、かなり苦しくつけているようだが、ギメに残されたものをみると
「フランスにあったから残った」という面は
無視できないだろう。
ペグラムからでた漢の漆器などは、ペグラム出土という確証がない以上、
さして珍重するほどのものではない。ペグラムの一つの部屋から漢・ローマ・インドの遺物が
出たところに大きな意味があるのだから、カーブルの分が散逸したのは惜しいことだった。
ギメの分がかろうじて残っているわけである。ただ、カンボジアの例では、
プノンペンとギメのクメール彫刻の比較をすると
プノンペンのほうにいいものを残し、本国には、やや劣るものを運んでいる。するといいほうが
破壊散逸したとみるべきだろう。
その点フランス隊は意外に公正なのだが、カーブルの場合は裏目にでてしまった。
日韓条約の際、朝鮮の陶磁器・金属器などを韓国に数百点引き渡している。東京国立博物館から
引き渡された分のリストはてもとにあるが、これらの文物は、
別に、盗難とか略奪によって日本にきたと個別に立証されたものではない。単なる数合わせである。
このときの韓国側からの要求リストには、法隆寺の「百済観音」までのっていたそうだから、いかに
いいかげんなものであるかがわかる。
民族主義の発揚に利用されるケースが多いので、実際に文物の保護・研究・公開にやくだっているのか疑問である。
矢代幸雄の「水墨画」岩波新書 が安く売っていたので読んでみたが、どうも感心しない。
具体的な絵が文章でとりあげられ、分析されているものは
わずかしかない。図版はむしろ多いのだが、奇妙なことに本文に記述のない図版さえ散見する。
そして、あまりに概念的な一般論が多い。
戦前 雑誌「美術史」で、宮中図巻 の研究に詳細な記述をした矢代氏とは思えないと
おもったら、どうも70歳ごろの文章を79歳のときに出版したもののようだ。
勿論、唐三彩のゆうのにじみ、朝鮮の雨漏手茶碗(これってちょっと不潔ではないか)、
染織、とくに絞り染め、などと水墨画を比較しているところは独創的である。
ただ、「水墨画」というタイトルの岩波新書は、普通入門書概説書とみなされるだろうから、
もう少し作品紹介・歴史的概観があってもいいのではないか?
また、「水墨画」の技法は中国で発展したものだが、日本のように絵画のジャンルとして
独立はせず、絵画技法のone of themでありつづけたように思う。中国画の主流は元以降は
「墨画淡彩」であってむしろドライな筆が多かった。例外は勿論あるが、、「水墨画」はむしろ
日本画のカテゴリーで中国にはあまりないと考えたほうがいいように思う。
故宮文物のバックナンバーを読んでいたら、 1992年に東京で
鑑賞して、「画宣紙、佳」とメモしてた虚谷の雑画冊が、コピーとして挙げられていた。
天津博物館の所蔵で、当時はそう悪くないと思ってみたのだろう。勿論著者の意見が100%正しい
と信じ込むのは早計だが、画の鑑識は難しいものだと思った。
渋谷区立松涛美術館で6月3日から開催される、上海博物館からのレンタル展は
結構いいようだ。
なんといっても入場料が300円という破格な安さである。
先日、康煕賞玩 の文字が底にはいっている瓢箪製の鉢を買った。
内側は黒漆一色、外は竜で囲まれた5つの寿字と ラーメン模様が浮きでている。
これは、四角な竹をつくるのと似た方法で製作される。文字や模様を内側に彫刻した型を
成長途中の瓢箪にはめる。型の内側で成長させることで、瓢箪の表面に型に彫った模様や
文字が鋳造?されるのである。
この技術は12世紀以前に遡る。それは13世紀初期に記録されている旧法隆寺東院の宝物
「八臣瓢壷」(現在 宮内庁 皇居尚蔵館蔵)があることで証明されている。
以前、京都 国立博物館で知恩院 所蔵の仇英(16世紀前半)の絵画「金谷園図」「桃李園図」対幅をみる機会があった。どうも普段から博物館の倉庫にあづけられているような感じである。
この作品は、思っていたよりもずっといいもので、日本にある仇英の絵としては最上のほうだろう。大陸にも、このレベルのものはあまりないだろうと思った。台北にはもっとすごいのがあるが。。粗悪な印刷の小さな図版や、部分図版をみていては、なかなかこんな大きな絵画(各203x119cm)のよさはわからないものである。
なお、画題は、推測でつけたものである。「金谷園図」は昔は「沈香亭図」ともいわれていた。
それにしても知恩院に、どのようにして入ったのだろう。信者の寄進だったのだろうか?あまりお寺むきの絵ではないようにもみえるのだが、、
東京国立博物館で、蔡襄の「詩巻」のコピーが展示されていたので撮影にいった。なにしろ極小さなモノクロ図版しか公開されていないのだから、やむをえぬ。ところが突然カメラの電子部分が不調になってあきらめた。それでも、数日後に快復したカメラをもってまたいってみた。 ところで、この書のオリジナルと思われるものは台東区書道博物館にある。ほんの1km程度離れて2点があるのは不思議な感じもする。跋の米フツの書は、どちらが真かわからない。跋をきりとっていれかえることはよく行われたからである。あるいは、どちらもコピーかもしれない。
ようやく宮内庁の
正倉院
サイトがまともになった。
全件を網羅したものではないが、ちゃんとカラー写真つきで宝物を検索できる。
カラー写真の質がいまいちの気もするが、とにかく大変な進歩である。
今上の長寿を祈る気にさえなった。
私としては、英文総目録を先につくっておいてよかった。
無駄骨を折らずにすみそうだ。
東京国立博物館の西本願寺展に、三十六人集を先日みに行った。
貫之、元真、赤人集などを除いて、それほど書はうまくないという偏見があったが、再度みるとやはりなかなかなもので、各人特色があるのはさすがだと思う。
田中親美翁の複製も展示されていて対照することができ興味深かった。装飾では負けていないようにみえるのだが、書がみんな田中翁の字にみえるのが不思議だった。
CDを整理していたら、ジョスカン・デ・プレ(-1521)のCDが17枚でてきた。よくまあ集めたものだ。他ではPierre de la Rue(-1518) が7枚というのもまあ珍しい。
台北故宮博物院で7/25-10/15まで、 明の成化年間の陶磁器 特別展がある。この時代の洗練された 優美な陶磁器は非常に珍しいもので、 大阪市立東洋陶磁美術館にさえ青花が3点のみ、出光に皿と碗、東京国立博物館には 「天」字マーク(一応成化)のある色絵壷が1点というありさまだ。LondonのDavid Foundationにはかなりあるが、台北の数量は桁違いである。 近年窯跡の発掘で色々なことがわかったが、破片やできそこないではなく、製品そのもの:伝世品で完全なものの半分以上は、ここ台北故宮博物院にあると思う。 対照のために前後の時代の陶磁器、後の時代の倣製を含めて200点ということだ。1点、数千万から数億するというようなものが100点以上並ぶらしい。とにかく他では絶対開催できない展覧会 である。 この展覧会、急いで準備されたもののせいか意外に宣伝されていない。 暑いのはいやだが、行く価値はあるだろう。もっとも「好評につき一年延長」となっては困ってしまうのだが。。
故宮文物のバックナンバーを読んでいたら、 1992年に東京で
鑑賞して、「画宣紙、佳」とメモしてた虚谷の雑画冊が、コピーとして挙げられていた。
天津博物館の所蔵で、当時はそう悪くないと思ってみたのだろう。勿論著者の意見が100%正しい
と信じ込むのは早計だが、画の鑑識は難しいものだと思った。
渋谷区立松涛美術館で6月3日から開催される、上海博物館からのレンタル展は
結構いいようだ。
なんといっても入場料が300円という破格な安さである。
先日、康煕賞玩 の文字が底にはいっている瓢箪製の鉢を買った。
内側は黒漆一色、外は竜で囲まれた5つの寿字と ラーメン模様が浮きでている。
これは、四角な竹をつくるのと似た方法で製作される。文字や模様を内側に彫刻した型を
成長途中の瓢箪にはめる。型の内側で成長させることで、瓢箪の表面に型に彫った模様や
文字が鋳造?されるのである。
この技術は12世紀以前に遡る。それは13世紀初期に記録されている旧法隆寺東院の宝物
「八臣瓢壷」(現在 宮内庁 皇居尚蔵館蔵)があることで証明されている。
以前、京都 国立博物館で知恩院 所蔵の仇英(16世紀前半)の絵画「金谷園図」「桃李園図」対幅をみる機会があった。どうも普段から博物館の倉庫にあづけられているような感じである。
この作品は、思っていたよりもずっといいもので、日本にある仇英の絵としては最上のほうだろう。大陸にも、このレベルのものはあまりないだろうと思った。台北にはもっとすごいのがあるが。。粗悪な印刷の小さな図版や、部分図版をみていては、なかなかこんな大きな絵画(各203x119cm)のよさはわからないものである。
なお、画題は、推測でつけたものである。「金谷園図」は昔は「沈香亭図」ともいわれていた。
それにしても知恩院に、どのようにして入ったのだろう。信者の寄進だったのだろうか?あまりお寺むきの絵ではないようにもみえるのだが、、
東京国立博物館で、蔡襄の「詩巻」のコピーが展示されていたので撮影にいった。なにしろ極小さなモノクロ図版しか公開されていないのだから、やむをえぬ。ところが突然カメラの電子部分が不調になってあきらめた。それでも、数日後に快復したカメラをもってまたいってみた。 ところで、この書のオリジナルと思われるものは台東区書道博物館にある。ほんの1km程度離れて2点があるのは不思議な感じもする。跋の米フツの書は、どちらが真かわからない。跋をきりとっていれかえることはよく行われたからである。あるいは、どちらもコピーかもしれない。
ようやく宮内庁の
正倉院
サイトがまともになった。
全件を網羅したものではないが、ちゃんとカラー写真つきで宝物を検索できる。
カラー写真の質がいまいちの気もするが、とにかく大変な進歩である。
今上の長寿を祈る気にさえなった。
私としては、英文総目録を先につくっておいてよかった。
無駄骨を折らずにすみそうだ。
東京国立博物館の西本願寺展に、三十六人集を先日みに行った。
貫之、元真、赤人集などを除いて、それほど書はうまくないという偏見があったが、再度みるとやはりなかなかなもので、各人特色があるのはさすがだと思う。
田中親美翁の複製も展示されていて対照することができ興味深かった。装飾では負けていないようにみえるのだが、書がみんな田中翁の字にみえるのが不思議だった。
CDを整理していたら、ジョスカン・デ・プレ(-1521)のCDが17枚でてきた。よくまあ集めたものだ。他ではPierre de la Rue(-1518) が7枚というのもまあ珍しい。
台北故宮博物院で7/25-10/15まで、 明の成化年間の陶磁器 特別展がある。この時代の洗練された 優美な陶磁器は非常に珍しいもので、 大阪市立東洋陶磁美術館にさえ青花が3点のみ、出光に皿と碗、東京国立博物館には 「天」字マーク(一応成化)のある色絵壷が1点というありさまだ。LondonのDavid Foundationにはかなりあるが、台北の数量は桁違いである。 近年窯跡の発掘で色々なことがわかったが、破片やできそこないではなく、製品そのもの:伝世品で完全なものの半分以上は、ここ台北故宮博物院にあると思う。 対照のために前後の時代の陶磁器、後の時代の倣製を含めて200点ということだ。1点、数千万から数億するというようなものが100点以上並ぶらしい。とにかく他では絶対開催できない展覧会 である。 この展覧会、急いで準備されたもののせいか意外に宣伝されていない。 暑いのはいやだが、行く価値はあるだろう。もっとも「好評につき一年延長」となっては困ってしまうのだが。。
静嘉堂文庫美術館で「印材」の展覧があり、西太后が李鴻章に与えたという印材 が展示されていた。
大阪市立美術館
中国の宋元の書道を中心とする展覧会「海をわたった中国の書」(4/8-6/1)を観た。
軸となるUSAのエリオットコレクション(プリンストン大学所蔵)の質が、それほどではなく、王羲之 の唐模本「行穣帖」はさすがにいいが、それ以外は、併設の日本の各美術館から借りた名品群
のほうが良いようにみえた。
エリオットの黄山谷の「与張大同」は悪趣味なもので、日本で売れなかったのは
無理もない。クロフォードの米フツ「呉行舟中詩巻」、
は、えらく軽い感じのもので、少々めんくらった。
同じくクロフォードの黄山谷の廉パ蘭相如伝は感心しない。
正倉院 棚別目録(英語版)を試作し、アップしました。
もう少し改善する予定です。詳細をいれたり、サイズをいれたり、
図版をいれたり、、でも総目録としては、WWWで、現在唯一のものでしょう。
原本自体すでになかなか見ることができないものになっています。しかし豪華な刀子なんかみるとちょっと欲しくなるなあ。。
日付まちがいました。
正>大阪市立美術館。。展覧会を開催(4/8-6/1)
誤>大阪市立美術館。。展覧会を開催(4/5-6/1)
大阪市立美術館
で中国の宋元の書道を中心とする展覧会を開催(4/5-6/1)
これは USAのエリオットコレクション(プリンストン大学所蔵)を展覧することを軸としたもので、メトロポリタンのクロフォードコレクション、日本国内所蔵の名品も借りてきて展示している。
エリオットのは、古いところでは西域出土の写経・王羲之 の唐模本から清時代末まで60余点である。事前にカラー写真で観る限りかなり玉石混交だ。No.3の拓本は明らかに重刻本であり、展示しないほうがよかっただろう。王羲之 の唐模本「行穣帖」は跋も含めてみてみたいものだ。また米フツの3帖、黄山谷の長巻がほんとにいいものかどうかを実見したい。
クロフォードの米フツ「呉行舟中詩巻」、
は、そうとう良いようで一度みてみたいものだ。
黄山谷の廉パ蘭相如伝もそう悪くなさそうだ。
4/17までであるが、藤井有りん館からの4点の宋時代の作品が展示される。
03/02の記述
東武の廃駅「動物園前」
は
京成の廃駅「動物園前」
の誤り。 でした。掲示板で匿名氏から指摘してもらいました。
新居の近くに「焼肉の無い」韓国料理屋
韓一
があったのには、いささか驚いた。
上野の東京国立博物館にくっついて、東武の廃駅「動物園前」がある。 ここを、レストランにして、東京国立博物館からの客を呼ぶようにしたらどうだろう。 東京国立博物館の新しいレストランはなんと「法隆寺国宝館」の一角にある。 正倉院に並ぶと言われ、正倉院より古い文物を中心とする「法隆寺献納宝物」のこの収蔵・展示施設は、改築前には、保存のために「木曜だけ開館」「木曜でも雨の日は閉館」という浮き世離れした厳格な運営をしていたはずだ。改築後は、レストランがあって、通路の場所によっては料理の香りが漂うとは、いったい以前の[保存のための]運営はなんだったのか?と困惑してしまう。レストランでも、さすがに火は使はないで、電子レンジなどだけで不自由な運営をやっているようだ。ここはホテル=オークラの運営のようであるが、シェフも不本意であろう。それより東武と提携して、「動物園前」ならぬ「博物館前」レストランにすれば、ここはもともと東京国立博物館敷地ではないのだから、大火力のバーナだろうが、フランベだろうが焼肉だろうがやりほうだい。ずっといいのではなかろうか? 貴重な法隆寺献納宝物も、より安全になる。このままでは下手をすると奈良の法隆寺から返還要求がきてもおかしくない。「危険だから」というもっともな理由である。正倉院の場合は、建物に近寄ることさえ容易ではない。 事実、明治以後、法隆寺は二回返還要求をしたことがある。 法隆寺にはかなりいい博物館施設が、最近できているから、東京国立博物館も返答に困るだろう。「法隆寺壁画焼失」の二の舞はやりたくないものである。
東京国立博物館と台東区立書道博物館で、同時に(-3/30)蘭亭序 の特集展示が開催中。
3/2にみてきた。
台東区立書道博物館では、主だった拓本が網羅的に展示されていて勉強になった。しかし古来から有名なものでも観て素晴らしいというものは意外に少ないという現実を再確認した。余清清斎帖はなかなかいいと思った。また、蘭亭十三跋旧拓はなかなか美しい。イン清館帖の模写はよくまあここまで虫喰いの線を丁寧に写し取ったものだと思った。
東京国立博物館では、独孤長老本蘭亭序の破片はやはり素晴らしい。ほぼ同じものといわれている台北故宮博物院の完本を一度みてみたいものだ。
呉譲之の扇面臨写も初めてみたかもしれない。
呉栄光旧蔵の長い巻物になっているものでは、本体よりまわりのものが面白い。呉栄光の丁寧なコメントや、後ろの臨写を献呈された人は伊墨卿の友人だったらしいこと、本体の拓本の後半の米元章の跋(拓本)は信用できるか??などいろいろ考えさせられる。
絵画では呉昌碩の「黒葡萄」はさすがに本邦一だと思った。
Asian Arts Lee Form
で伊藤若沖の 拓版画の大きな対レンがでていた。
質問者・所蔵者はChinese? Japanese?かわからないというようなレベルの人であるが、そう悪くはなかったようだ。
引っ越しで、梱包の助けをする人を雇ったが、とても助かった。
引っ越し時に、奥からみつかるものがあるかと思ったが意外とないものである。
本当に関心のあるものは手前にひきよせているからだろう。
友人と医者の助力によって、悪性の風邪がようやく下火になった。
正倉院棚別目録(立体物については、ほぼ総目録)はやはり、現在、公刊されている本
では唯一の総目録らしい。
個々のテーマ(陶器、漆器、染色など)ではもっと細かい本があり、
名品集には超大型の本もあるが、総目録とはいえないだろう。
悪性の風邪 と 引越しの算段で、ろくに
書き物もしていない。
正倉院棚別目録(立体物については、ほぼ総目録)の英語版をたくらんでいる。それにしても宮内庁も文化庁もやる気
がないなあ。
泉屋博古館 東京分館(六本木1丁目)にいく
絵画展示 はまずまずのもので
前期の八大山人「安晩帖」のようなず抜けたものはないが、楽しく鑑賞できる。
お薦め.
「中国絵画」図録(2500円)は、色合わせがよく、現物の感じをよく現している。さすがに便利堂の印刷だ。
また、題や跋のめんどうな釈文が詳細にのっている。これは、メトロポリタンの張氏の
労作である。
ただ、解説には少々疑問がある。
徐渭「花卉雑画図巻」の解説で「無腸」が蟹のことであることを読みまちがえているからである。筆者は上海蟹を食べたことがないのだろう。
また、どうみても感心しない画に詳細な注釈をつけるのも感心しない。
上海の
晋唐宋元書画国宝展 を期間延長するという噂があったようだが、どうやら
中止となり、1/6 23時59分でクローズしたようだ。
上野の北方面の綾瀬などに賃貸をさがそうか???と思う。
日経新聞のコラムに、加山又造氏の「中国 宋画十選」というのがあるらしい。 それなら、私なら何を選ぶか、考えてみた。
読売新聞1/4夕刊トップに”1000館結ぶネット美術館」「収蔵品共通
検索」「画像で7、8割公開」」
という見出しがあり、おもわず買ってしまった(50yens)。これは、従来不評で登録が少なかった
文化庁
の「文化財データベース」のアップグレードをねらっているもののようだ。「現在最大で約5割程度に留まっている公開画像も、平均7、8割程度まで増やす」と書いている
記事筆者は、ほんとうにできるのかどうか疑問をもっていないのが恐い。「最大5割」も公開しているところがあるとは信じ難い。
私に言わせれば、現在、WEB公開されている収蔵品は、各美術館の収蔵品の0.5%以下であろう。厳選主義であまり多くもっていないところでも300点以上はあるし、東京国立博物館は3万点はこえるはずだ。正倉院の目録でも1万点近いはず。
旧御物・正倉院宝物・国宝・重要文化財
・国立博物館
収蔵品の良いイメージ付きのデータベースをつくるのが、国家の義務というものだろう。これは一種の帳簿である。これらについては、モノクロかもしれないが写真も全部撮ってあるはずである。
宮内庁のサイトには御物の目録がないし、文化庁の文化財データベースも文字だけの簡単なものである。
国立美術館については、
西洋美術館は、比較的点数が少ないので、総目録をデータベース化することは可能かもしれない。しかし、東京・京都・奈良の国立博物館の収蔵品は10万点を越えるだろうから、まず全部あげるのは無理であり、各館に任せるのが妥当だろう。
次に、公立・民間の各博物館・美術館には、
収蔵品公開サイトの範例と基準を提示して、その基準に合致したコレクション公開サイトを制作した美術館・博物館は、補助金を出す。同時にそのURLを文化庁サイトにリンクする。
また、文化庁の検索エンジンをカスタマイズして、上記リンクしたサイトを専ら検索するようにすれば、国家によるデータベースの更新もいらない。
同紙の5面をみたら、「展覧会へいこう」という編集委員のかたのコラムがあった。 「美術担当23年」の方だそうだ。 そのテーマの田野村竹田の屏風(白鶴美術館)は、明白に、中国17世紀の画家蕭雲従の画風の模倣である。その筆者のいうような独創はあまりない。当時、蕭雲従下絵の版画「太平山水図冊」が日本で複刻されて流行したので、竹田もとりいれたのだろう。 ただ、よく考えたら長老の編集委員はそんなことは承知で言っているのかもしれない。たぶんあまり客がなかった展覧会に、「こんなおもしろいものがあるのだからきてね!」といっているのだろう。現代のように一般の中国絵画史の知識が貧弱な状況で、蕭雲従がどうのといっても無視されるだけだから、あえて言及せず、 ちょっとウソになるが「破壊と創造」などとアジテートしたのだと考えられる。
正倉院棚別目録(1951)の簡約英語版を制作しようかと考えている。 正倉院の名品集はいやというほどあるが、総目録的なものは現在容易には入手できないからである。
北京のオークション「中貿」(2002/12/9)で戴本孝「象外意中」図巻がでた(1000万日本円以上の落札価格)。西上実さんが昔、戴本孝研究論文に言及していたが、実物はみていないことを明記してあった。私も、今回のオークション出品作については、実物はおろかクローズアップ図版さえ観ず、小さなJPEG図版しかみてないから、真跡かどうか?はわからないし、戦前出版されたもの(南画大成第15、と「戴鷹あ画」神州国光社)と同じものかどうかさえわからない。
同時に高価で落札されたものを観ても、JPEG図版で見る限り感心しないものが多く、[戦前からの伝世品の再出現]と安易に喜べない。
ただ、第二次大戦前のコロタイプ影印でしられていて戦後行方不明になっているものが、まだ出現する可能性はありそうだ。という感じをもった。
勿論、戦前の時点ですでに「偽物」を出版している場合が多数ある。無知でだす場合と、出版で箔をつけて高価に売ろうという策の場合があったようだ。そうはいっても、影印だけをみて「実体はどうなんだろう、かなりよさそうだが」と思っているケースも多い。
中国のオークションもまったく馬鹿にしたものではないかもしれない。
New York Cloistersに一部が移されているSt. Michel de Cuxa 修道院の現況をみるため、 Rosillion Roman, 3rd Edition, ZodiaC, Yonne, France を 買った。なんとCloistersと同じ塔がちゃんとあるではないか?それに礼拝堂の建物も一応残っている。 J. Rorimer, The Cloisters,3rd ed. New York, 1938を読むと、廃虚に2、3石材がころがっていて、塔が民家の間にかろうじて残っているような印象をうけるのだが、まったく違う。 これではフランス人が怒るのも無理はない。もっともRorimerの書には、ちゃんと一方の残った塔をモデルにしてCloistersの塔を新しくつくったと書いてあるからフェアではあるし、記述に嘘はない。だが、読んでいるとなんとなく、本体は崩壊しさってサラ地に近くなり廃虚に石材が散乱しているだけの状況の中で、散逸した石材彫刻を収集してNYに移建したような印象をもたせられる。ちょっとずるい。
風邪と多忙のためじたばたしているうちに年賀状を準備し忘れていた。
HP OMNIBOOKを買いたかったので、最後の売れ残りを買うことにした。
Orientation 12月号に、知人の日下さんのことがのっていたが、
人違いの誤報だったようだ。
HPも大きくもっている西銀座のある骨董屋の前を偶然通ったら、その
ウィンドウに陳列されている中国古美術の質の悪さに唖然とした。
古美術はやはり実見しなければいけない。PCや旅行
のようにWWWで買えるものではない。
上海博物館
晋唐宋元書画国宝展の感想の暫定版
を改訂増補。
上海博物館
旅行記の暫定版
を制作
旅行者へのコメント
上海博物館 晋唐宋元書画国宝展の感想の暫定版 を掲載。
上海博物館に 晋唐宋元書画国宝展をみにいく。詳しい批評は後ほど。
週末には上海なのに、ひどい風邪にかかってしまった。法事にがらもなくいったのが悪かったのか?
游墨春秋
を買ったのが届いた。
コメントがのりました。
amazonのギフト券があったので、 游墨春秋 を買ったのが届いた。 コメントを投稿する予定。 amazonには20以上コメントを寄せているのだが、 あまり、チェックはされていないようだ。 「ナグ ハマディ写本」や「新約聖書」にもコメントしたのだが。。
Paris Musee Clunyの
一角獣のタペストリー
は、1950年代以降にかなり大規模な修理をしているのではないだろうか?
最近入手した,
たぶん古い画集によると、そうとう傷んで、織りがゆるんでいて、到底
現在の写真図版のような精巧な細部を窺うことができない。
女性の顔がある程度明快なのは「触覚」のタペストリーぐらいである。
併称されるNewYork MET分館クロイスターズにある「ユニコーン狩」タペストリーも修理が多く、Rorimerによればオリジナルの部分は「そこここにある」という状態のようである。
L. Bertrandの散文詩集「夜のガスパール」は、ラベルのピアノ曲で有名だが、詩集には スカルボは、2点ある。「夜のガスパール」の正編と、作者の遺作を集めた付録部分 に1点づつある。内容からして、ラベルの曲は付録のほうがもとである。古くから正編のほうと誤解されているようなので、コメントしておく。
[四つの署名The singn of the four ]を読了。よくわからないとこは読みとばしながら。普通日本の本を読むときはそうなのだから、和書と同じように読んでいるということだろう。
ときどき、すごくなまった英語を意識的に使っているところがあるし、結構残酷シーンもある。ところどころに笑いをさそうユーモアがある。よく考えたら[四つの署名]は、子供用の挿し絵本でしか読んでいなかったような気がする。
[Dancing Men]はもう読了したので、「6つのナポレオン」でも読む。
国会図書館の
近代データベース
に宮内庁蔵版の,「 東瀛珠光 」(正倉院宝物の図録)がのっているときいてさっそく閲覧してみたが、そのイメージの粗悪さに失望した。これではつくる意味があまりないのではなかろうか? 他の文字中心の文献は別として図版が多い本はこのような収録方針ではつくるだけ税金の無駄である。
神田でFlamarion版のWateauと Rembrandtのカタログレゾネを買った。レンブラントは扱う作品が多すぎてちょっと、この薄い本には不適当な感じだ。WAteauは作品が少ないのでまずまずちょうどいい。このシリーズでは現存の真作数が50以下ぐらいの画家なら一冊におさめるのにちょうどよさそうだ。G. de La Tour, Jheronymus Bosch,Leonardo などはちょうどいい。ただ、このシリーズの各画家のカタログレゾネはいづれも相当な力作らしく、最近の文献でも評価されている。
東京国立博物館のインドパキスタンの彫刻展をみると、ガンダーラよりマトラーが面白い。
故:植村和堂さん寄贈の古筆展が平成館であり驚いたことに現存3、4枚しかない下絵拾遺抄切の1枚が展示されていた。また、本館では高野切第20の1巻きの半分ほどが展示されている。この国宝展示用ケースは短く長巻展示に不便であるのは残念だ。
従来の展示ではちゃんと全巻ひろげたのに。。。
古原宏伸さんの 「画史」評柱2に対するコメント、を送る
大陸ででた「中国書道全集 米フツ」を参考にしているためか、書作の所蔵先におかしなところがあった。
風邪のため、低調。
最近、奈良国立博物館に寄贈された不言堂;坂本五郎氏の青銅器コレクション(約380点)について、その質に興味はある。
京都のレンブラント展、果たしていくべきか?
東京芸大美術館の ウィーン美術史美術館Wien KunstHistoriche Museum の展覧会でみたアルチンボルド「冬」とほとんど同じ絵がルーブルにある。 TASCHENのポスターブック ARCINBOLDO, 1992の解説を読んでいたら、所蔵が ルーブルになっていた。ただ、油彩+カンバスである。 これに収録された6作品のなかで4点がルーブル、2点はスウェーデンのBalstaにある Skoklosters Slottという私が知らないところにある。文字通りの「スウェーデンの城 」だろうか。「司書」はスウェーデンにあるのだが、右側のカーテンのカーテンレール が絵の上方にあるのはずーっと見落としていた。これは、レンブラントなども使ってい る「絵前面にあるカーテン」という図像の例である。
住友 泉屋博古館 の分館が六本木にできた。今青銅器24点と中国絵画57点(前期と後期に分けて展示)を公開中、前期は八大山人「安晩帖」、石涛「黄山図巻」 が観れるので前期がお徳用。青銅器では乳虎ユウも出展。
アンコール遺跡保存所の写真集をアップする。 Conservation D'Angkor
シャーロック=ホームズ全集の揃いをOxford University Press版(1993)で買う。 どうやら、英語版を楽しく読める程度に英語レベルが達したようだ。 この全集、本文の1/5ぐらいの注釈・解説がついていて、シャーロッキアンの精華をあらわしているのだろう。N.メイヤー作「シャーロックホームズ氏の素敵な冒険」(田中融二 訳)という映画にもなったシャーロッキアン作品を日本語訳で読んで面白かったので、正典をよみなおしてみようと思った。「四つの署名」「シャーロックホームズの冒険」だけ買うつもりだったが、残念ながらセットでしか売らないということだったので、セット買いした。1冊600円ぐらいの安値だ。中性紙・クロス装のオクターボで結構好ましい小型本だ。
古原宏伸さんの 「画史」評柱に対するコメント、新規図版 を送る。絵画史の専門家なので、「画史」に混じっている書道史的部分 についてはやや弱いところがあった。
10/13に 千葉市立美術館:鈴木春信展を再訪したので 鈴木春信展の感想 を書く。
東美アートフェア:赤井南明堂のブースで買った頭塔の拓本(軸)と、古い現物の写真を
比較すると結構面白い。拓本の長所欠点がよくわかる。この石仏自体は現在はちょっとみることができない位置(南側中央)にある。化仏を光背に六尊従えているので釈迦如来かと思う。お顔がうまくとれていないが、お手の印相・蓮弁が魅力的でなんども鑑賞している。
この石仏の場合でも、拓本のほうがよくわかる部分と、写真のほうがよくわかる部分がある。この石仏の花崗岩のように表面が粗で細かい凹凸が多いものの場合は写真のほうがいい場合がある。他の例をあげると後漢の衡方碑など写真ではそう傷んでいないようにみえるのに、拓本ではボロボロである。逆に画象石や平滑な表面の微細な刻線などは写真でみるのは難しいが拓本ならはっきりみることのできることが多い。原寸大という拓本の強みも大きい。
S.フレミング、美術品の真贋ーその科学的鑑定、共立出版、1980
を買う。土器陶磁器の年代を測定するTLテスト(熱発光法)の開発者の著書だったので買ってみたのだが、広範な記述と学識に感心した。この本を読むと美術品の年代測定技術は1980年以降に新たに開発されたものはあまりないような気がする。翻訳の文章は悪くはないが、美術史の用語の訳にはかなり不適当なところがある。
勿論、精密化は行われていて、C14datingでは加速器質量分析の開発により、従来の10分の1以下、数ミリグラムの資料でもできるようになってきた。
某会報に筑波大学教授のT氏が「悪意を伴う偽物には厳然たる態度を示すべきだが、こんな世の中だからこそ、書画骨董の真贋についてはもう少し大らかな気性をもって接してもいいのではないかと近ごろ思っている。」「もしも贋作に資料性や意味があるならば、それを非難することは避けるべきだろう」と書いたのはあまりにも甘い。
「偽物も買ってくれる客がいないと」というような三流商人をよろこばせるものである。。模写・複製には大きな意味があるし、原作が滅んだり痛んだりした場合は特に貴重である。また、近世以前の芸術制作は模倣と継承を軸にしているのは当たり前である。清朝官窯による宋磁の模倣作は立派なものだし、高価でもある。レオナルドの「巌窟の聖母」のように、作者自身がレプリカを作る場合も多い。同時代の流派作を有名画家の作品と間違えたり偽サインをいれたりしている場合は、然るべき画家に再アトリビュートするべきだし作品自体は価値が高いことが多い。
しかし、模写と[でっちあげの贋作]は区別しなければならない。17世紀につくられた宋時代の書の原作のない贋作(模写ではないでっちあげ)は、17世紀の文化的風潮をみることには役にたつし、優れた書であれば17世紀の書としての価値はあるだろう。また、その当時の宋時代の書に対する見方を知る一助にはなる。が、「宋時代の書」そのものの研究には害にしかならない。20世紀作のグリューネワルトや北斉仏像については論外である。
一方、京都国立博物館の赤尾栄慶さんが、敦煌写経のなかの偽物の問題を京都国立博物館のものを含めてコメントしていたのは、好感をもった。
古原宏伸 名誉教授 「画史」評柱に対する細かいコメントを書く。
新宿のGeorgeVで軽く食事していたら、BGMが、聴き覚えがあるのになにかわからない。しばらく聴いていてバッハのマタイ受難曲であることがわかる。結構なさけなく、帰宅後、アルノンクール盤をひっぱりだして聴いてみる。
ロンドンのJonathan Tucker氏から、スウェーデン出土の仏像について
講演に使いたいから、イメージをくれといってきたので、送る。
古原宏伸 名誉教授 から、「画史」評柱 の中国語訳(訳者は台湾の人らしい)プレプリをいただく。
妙なことに、前いただいた 分冊の日本語版より読みやすい。
少々、誤りがあるが、優れた仕事だと思う。
京王線で、また粗暴な年寄りとトラブル、無茶に押すなっていうに。
自分が粗暴なくせに、人に譲り合いを説教するとは、なかなか凄い。
東京芸大美術館のウィーン美術史美術館Wien KunstHistoriche Museum
の展覧会にいく。意外と混んでいなかった。
Rogier van der Weyden の St. カタリナは、同じ美術館にある聖母子と一対をなすもので、非常に小さい絵であるが、帝室コレクションの一つ、deVosは初期作品としている。アルトドルファーの[カタリナの殉教]は背後の森が面白い、
Jan Bruegelの花はやはりたいしたことことがない。彼の名声は流派の創始者ということによるものだろう。
アルチンボルドの2点は日本では初公開ではなかろうか?
「冬」より「水」のほうが優れている。特に眼の描写が生々しい。
ただ、静物画家としての技量はオランダの画家には及ばないように感じた。
ヘームの静物畫はクリーニングしたほうがいいと思った。銀皿の質感がよい。
P.P.Rubensのメヅーサは生々しくグロテスクで、あまり正視できない。RubensというよりVan Kesselのような趣味である。Rubensの周囲で制作されたものだろう。
ストコッフの「ニシン?」は芸大にある有名な高橋由吉の作品を思わせるが、鱗の質感はともかく、やや平面的でいま一つだった
そのあと東京国立博物館東洋館へいく。
瀟湘臥遊図巻を鑑賞するも、体力が尽きていてできない。体力がなくてもOKな李白ギン行図などの梁楷作をみる。やはり上海では体力を万全にして望まねばまずい。
偶然、普及課の鄭さんが、中国人を案内してやってきたので、軽く挨拶。書道史学会の懇親会以来である。
東美アートフェア、奈良東大寺前の老舗:赤井南明堂のブースで頭塔の拓本(軸)を買う。少し割引してくれた。この店は、よく前を通るのだが、ちょっとはいりにくくて入ったことがない。なかなか人あたりのいい御主人である。今度はTELして入ってみよう。
旅行社へいき、申込と支払をする。上海 静安賓館にはさらに安い価格でとまれそうだが、部屋が悪いとしょうがないし、変更するのもめんどうなので、このままJHCで予約することにする。
天王寺の
大阪市立美術館
で磁州窯の特別展があっているようだ。
出土陶片も多い、学問的な展示らしい。
東美アートフェア10/4(fri)-6(Sun),は案内葉書をもらっていた。
わりとよさそう。旅行社へもついでにいくつもり。
休暇がとれそうなので、上海博物館に12月初めにいくことにする。
東京国立博物館の「シルクロード展」にまたいく。
カラシャールのジンクダから発掘され、新彊ウイグル自治区博物館にある、No.26の金細工のバックルと、戦前に楽浪9号墓で発掘され、ソウルにある豪華な金バックル(後漢)とは、いやになるほど良く似ている。同時に同じ工房で制作されたものとしか思えない。大陸の端と端でみつかるというのも不思議である。
同じものが2点、しかも遠隔地でみつかるということは、このような高い技術水準の工芸品すら、1品生産ではなく、プレタポルテであったのではないかと思う。
アスターナ出土の絵画は、技術的水準はともかく、仏画以外ほとんどない唐時代のオリジナル絵画の希少な例だと思う。
アスターナの舞楽図屏風(座屏)は、舞女の部分だけがカタログになっているのは撮影の問題なのだろうか?
右に、白衣に華麗な大華錦の帯を垂らした阮咸(?)奏者の左半身が残っている、顔はみえないが、これがカタログにのっていないのは残念だ。
これは、思ったより小さな絵画で、人が多くなると鑑賞が難しくなる。
やや大きいアスターナの美人図屏風(座屏)は、唐時代の世俗画として興味深い。画絹はかなり細かい絹で、唐の絹は紙のようにみえるという宋時代の鑑定家のいいかたももっともである。人物の上方にあるオレンジ色の横線と霊芝雲のようなものが何を意味するのかどうも良くわからない。また、帯の位置がずいぶん下のほうなのが面白いと思う。
別の屏風、舞楽図の舞女はずいぶん上の方、ほとんど胸の位置に帯をしめているようだし、
大抵の唐時代の三彩俑女性も上よりである。しかし、ここで描いてある女性は皆、かなり下で締めていて、胴長短足状態である。
唐時代の絵画技法として、
「衣服の立体感を出す隈どり」がしばしば謂われるが、この絵では、ひとつの絵のなかでも、隈どりがある衣服と無い衣服があり、一律ではなく、適宜使い分けているようだ。
線は鉄線描に近く、
「呉道子の蘭葉描」 といわれているような、抑揚のある筆の線はあまりみあたらない。
紗・羅のような薄物の表現がみえて、薬師寺「吉祥天」や遼寧「賛華仕女図巻」
の原型をおもわせるものがある。
童子の図は、正倉院の「人勝」を連想して興味深かった。また、チンといわれる系統の犬は、この時代まで遡る証拠にもなる。
大きく損壊しているところは、緑色を使用しているところが多く、なにか損壊する化学的理由があるのだろう。
正倉院御物を明治前半に修理したとき、実際に木工として携わった木内翁の思い出話をタイプして、掲載した。
記録としては珍しいものだと思う。
親戚と国立博物館にいったとき、唐の陶磁器の高台の特徴を説明しようとしたら、無視した。ギャラリーをでたあと謝罪され「知識を前提としないで鑑賞したいから」と説明されたが、これもひとつの立場であろう。ただ、展示のラベルや解説は読んでいるようだから、奇妙なことだ。単なる権威主義かもしれない。
もっとも、ラベルを読むのに1分、実物をみるのに1秒という鑑賞よりはましかもしれない。
京都国立博物館でMIHOの曜変天目?をみたが、それほど面白くはなかった。
嵯峨 天竜寺の曹源池は立原正秋さんが「日本の庭」で、ほめていたが、確かに美しい庭だ。
年輪年代法Dendrochronologyとボスの絵画に関するエッセイを書く。
鈴木春信展を千葉市美術館でみる。会期初めで閉館(18:00)まぎわとはいえ、わりとすいていた。
山口県立浦上記念美術館
にも巡回する。
シカゴのクラレンス=バッキンガム コレクションの偉容をみるという感じである。1/3はバッキンガムからではなかろうか? 座敷八景を初め、シカゴ蔵の刷りの良いものがいやというほど展示されている。
METの「六玉川」は素晴らしく、日本蔵のセットが見劣りしてかわいそうだった
上野のWinthrop Collection記念講演会は、三人のフォッグのスタッフと同時通訳によるものだった.講演用の英語だったせいか東部英語のせいか、かなりよく聞き取れ、同時通訳イヤホンはOFFにしてしまった。
最後の質問のところで、「中国古代美術」の展示・カタログについて聞いたが、
クノー館長の話では、全部をみるにはWEBでアポイントメントをとってくれ・
また、香港などへの巡回展を計画しているので、そのおりに良いカタログができるだろう。とのことだった。
展示では、モローが特に豪華、アングルのアダリスクは写真のほうが官能的である。これなら、お堅い東部の部屋に飾っても違和感はないだろう。
バーンジョーンズはやはりスタディのほうがいいように思う。「創造の7日」はボッテチェリを下敷きに考えるべきだろう。それにしてもなんという水彩技法か
平和島で鉄画軒の水盤と何子貞聯の竹刻を買う。
成田山書道美術館でやってる伊藤 滋さんが収集した拓本の展覧会の、カタログ的な本が
アマゾンで売っていた。
游墨春秋
..意外。
今年の夏、アントワープで開催された会議の記録を読んだ。
ロンドン=ナショナルギャラリーのJan VanEyk(?-1441)作
アルノルフィニ夫妻像(1434)
について、最近、発見があったようだ。Jacques Paviot and Lorne Campbellによれば、ブルゴーニュ公フィリップは1447年に2人の結婚祝いを贈っている。いったいこれはどういうことだろう。13年もあとではないか? 絵の上にはっきりしたサインのある1434年の時点では結婚はされていなかったのか?
また、下書きの調査によると、Erwin Panofskyが結婚のシンボルとして重視した「犬・燭台・サンダル」は下書きになく、変更されたものらしい。しかも変更は画家自身による可能性が大きい。しかし、画家は1441年7月には死んでいるのだ。ひょっとしたら結婚の絵ではなかったのかもしれない。
この絵画の来歴ははっきりしていて、VanEykの作品としては2番目ぐらいによくわかっている。1490年以前からの来歴をたどれる。
「快雪珍蔵」はひょっとしたら、比田井天来と親交のあった若杉快雪の印かもしれない。
平和島骨董市(9/13-15)は東美アートフェア10/4-6(Sun)よりずっとザッパクであるが、もしザッパクさを失うとraison D'etre自体亡くすだろう。
千葉でやってる鈴木春信展は意外とよさそうだ。
10月から大阪市立美術館(天王寺)で「磁州窯」の特別展、館長はもとインディアナポリスでアメリカ最大の「磁州窯」の特別展を主催したこともある蓑豊さんだからかなり期待できそうだ。
成田で読んだ伊藤さんの拓本解説によれば、「快雪珍蔵」は日下部鳴鶴の印だそうだ。そうだとすると、貧架の争座位も鳴鶴旧蔵ということになる。
東美アートフェアが東京美術倶楽部(03-3432-0191)で10/4-6(Sun),10-16:00(10/6は-17:00),東美特別展よりはきらく。
秋に京都国立博物館で「大レンブラント展」があるそうだ。これは、ドイツFrankfurt Staetel MUSEUMにも巡回するものだそうなので、かなりのものと、考えられる。レンブラントリサーチプロジェクトに関する講演もあるそうだ。
ただ、ハーグでの経験から、どうもレンブラントには親しめない。
伊藤 滋さんが収集した拓本の展覧会が
成田山書道美術館(0476-24-0774)で
中国の碑の拓本が中心。甲骨文〜清時代まで約140点。
最旧拓 開通褒斜道(後漢 )、
論経書詩(北魏)
のような大型の拓本も展示されていた。
雑誌、「墨」にのっけたものをだすというスタンスらしい。
ここは、東京から遠いのに、4時で閉館するので、かなりいくのはつらい。
注目は、
最旧拓 全套 開通褒斜道(後漢 )、
烏金拓本雁塔、
豊刻、神竜蘭亭、
賈刻本宣示表
頌字未損全套 鄭羲下碑
希本:董美人墓誌
ただ、なんで、こんなものあるのかなあ、とおもうような、 興味のもてないものもある。 伝来が面白いとか、拓本として珍しいとか色々な要素があるのだろう。
東京国立博物館 シルクロード展、文字とおり絹のものが多い。
アスターナの絹美人画がまとめて見れるのは希な機会だ。
正倉院にもある絹の沓は、図録にのった写真に比べて、かなり退色しているようにみえた。
楽浪で発掘され、ソウルにある豪華な金バックル(後漢)とほとんど同じものが展示されていた。
東方書店の宣伝誌「東方」が届く。「中国山水画百選」第135 になっている。
百で止めて欲しかった。
東京国立博物館の中国書跡展示では、高島氏寄贈の清人(伊墨卿、呉譲之、何子貞、趙之謙)の横額が、あって、
いづれも見応えがある。これは二次三次の寄贈分らしく、昔のカタログにはのっていない。良いものをみた。ただし、二金蝶堂印譜は西冷印社の凸版もので感心しない。
西川寧展で「金農 文語」「包世臣 肖像」の模写には、驚嘆した。
Winthropコレクションの西洋画の部分が上野国立西洋美術館で展覧される(9/14-12/8)。
ラファエル前派、アングル、モローなどを中心とするもので、印象派など事実上ない趣味の良いものだ。
できれば、米国で最も優れた中国美術コレクションのほうを、展覧してほしかった。
9月号のORIENTATIONSによると、スコットランドのエジンバラでも 北京故宮博物院展(-9/15)をやっていて、こちらは清朝美術に限ったもののようだ。
ホノルルでは9月に高野山の美術を展覧、その記事のなかの「枕本尊」の写真は実によかった。
Letter欄に私の投書が掲載された。1カ所だけ、エディタの誤りがあるが、、
台北の鴻喜美術館で、古美術商コレクションの展覧がある(10/4-11/3)。いかにも台湾らしいが、変な方向にいかないようにしてほしい。
日本橋高島屋 北京故宮博物院展(-9/2)
は、意外と良かった。300円の安券でいったので、閉店まぎわの30分でさらっとみた。よくないものや、レプリカらしいものもあるが、まあ楽しめる。
瓢箪製の瓶、雍正帝の肖像などが印象的だった。磁器もすごそうな大器があるが、どこまで本物か?また琺瑯彩が1点もなかったのは、まあやむをえないか?
これは、山形、前橋、松本にはすでに巡回した展覧らしい。
アマゾンの、ハドリアヌス帝の回想、黒の過程、ナグ・ハマディ文書、新約聖書の書評は全て掲載された。よろしかったらどうぞ。
永青文庫で黄庭堅の「伏波神祠詩巻」を鑑賞、乾隆帝以前の印がひどく薄れているので、下賜の前後に、洗ったのでないかと感じる。修理入墨はあるようだが、コピーではないと思う。
(伝)張希黄の臂擱はやはり信じられない。
竹林人物図筆筒がでないのは残念だ。
慮同煮茶筆筒は意外に古いかもしれない。
学会が、清朝の書人と竹人の関係がないとだめだというので調べていたら、少しずつみつかった。前かって置いた「骨董瑣記(簡体字本)」が意外と役にたち、「墨林今話」にも未見記事があった。
風邪?、朝からおかしいとおもったら38度強の熱。 ひたすら眠ることにする。
都立中央図書館で中田勇次郎「米フツ」をみて、台北故宮の「翰牘9帖」を調べる。
確かに、「宋代大展」でみて、あまりいい印象をうけなかったものと同じもののようだ。(1〜5帖までみた)同時展示の他の米フツの書跡と比べてかなり見劣りがした。
17世紀以後の著禄をみると、順序の変更が激しいようで、
コピーとすりかえられている可能性もある。
塘さんの「米フツ、宋代のマルチタレント」では「翰牘9帖」を傑作として称揚している。写真図版では確かにそうみえるのだが、、古くから宮廷リストにのっていながら、「故宮法書」にも影印されず、あまり有名でなかったのは、実物をみたときの印象の悪さからだろうか?それとも単に、倉庫の下に隠れていただけなのか?
繭山から、長沙窯の小さな壷を買う。あわせだろうと思うが、 蓋が釉下彩色のトルコワーズ色なのは、珍。 胴部のかたちもいいがやや釉の傷みが多い。
部屋の燻蒸をした疲労か、軽い風邪状態になった。アップルジュースを飲んで早寝
図書館で借りてきた「流転 清朝秘宝」(2002/5 NHK出版)は、「義和団事件の際の列強の略奪」「山中商会の活躍」「住友の青銅器コレクションの先駆性」という点では面白い。 ただ相当、データの誤りがめだつ。 これでは他の記述の正当性も疑われる。 また、骨董界の特殊用語(鑑賞、本歌など)を注なしで使っているのはどうかと思う。 50才ぐらいの人なのに、かなり大仰な文体で、80ぐらいの老人の本か、40年前の本かと思った。 初め著者は老ジャーナリストかなと思ったら、実は東北学院教授。大学教授は楽な商売だと思う。
前夜、夜中に虫に咬まれて眼を醒ましたので、迷っていた部屋の燻蒸をする。下着、衣類、などを避難/ポリ袋に入れ、機器に被いをし、本も和本や貴重本は袋にいれたので、とんでもなく時間がかかった。結果的には本を汚すことはなかったのには驚いた。和本も安全である。本については放置していたほうが良かった。本の多い部屋でもアースレッドは安全に使えるようだ。むしろ殺虫に良い。ただ、衣類については、いくらか残るような感じがする。寝具も含めて避難させたほうがいい。燻蒸中の部屋は、隙間から少し漏れる薬物だけで、軽い中毒になりそうなくらいものすごい煙がでるので、使用説明書どおり、2時間はがまんして入るべきではない。浦島太郎みたいな感じである。
永青文庫にいったら、「勝手ながら午後休」でがっかりした。
前、書道博物館で清人の書画をみて、水準の低いのにがっかりした。
もっとも、トウ石如の隷書聯は意外にいいかもしれない。戦前で収集してこうなのだ。つくづく、書画収集の困難を感じる。
また、文人画粋編「黄公望、倪さん、王蒙」を読むと、精選されているはずの図版に変なのがめだつ。このシリーズは、日本出版の中国画の画集としては良いほうだが、やや新資料を前にだそうとする傾向があって、場合によってはまずいことになっている。
北京故宮博物院の渓山雨意図巻は、図版がまちがっていて、剰山図がはいっている。
文人画粋編では、八大山人、董其昌、呉昌碩の3巻がなかなかいいと思った。
アマゾンに、ハドリアヌス帝の回想、黒の過程、 ナグ・ハマディ文書、新約聖書の書評を投稿する。 最近、あまり掲載されないので、やる意味があるか不安ではある。
トウ石如の隷書拓本を修理する。
リンク集を改善する。
古原さんと藤井さんに上海展のリストを贈る。
竹刻工芸の発表用スライドを、本の図版や写真から再撮影する方法でつくってみた。素人写真でも、ある程度までは可能のようだ。CONTAX + KODAK DYNA+ Closeup-Lens
7/28 に、東京国立博物館の浮世絵室で、7/25に書いたことを再確認した。 ここの浮世絵室は、近年の東京国立博物館の改装がもっとも成功した部分だと思う。やや暗くしかも、反射の少ないガラスを使った画廊のような展示なので、一瞬ガラスが入っていないのかと勘違いするくらいである。
某コラムで,以前次のような文をみた。
「明治時代の日本を撮った写真集をみたら、
皆、魂に満ちたりりしい顔をしていた。
このような顔は最近ではみることができない。今は、ほうけた顔やにやけた顔ばかりだ。」で、明治人の魂をあこがれているのだが、
見当違いだろう。
当時の写真は今のスナップではない。露出時間が長いから、にやけた顔
を数秒も持続することなどできない。いやでも緊張した顔になる。
また、写真をとることは、費用がかかる儀式的行為であったので、撮られるほうも
撮る方も失敗をできるだけ避け、慎重になり、緊張することになる。
今のように24枚1本さっと撮っていいのから選ぶなんてことはできない。
また、写真をとられると命が縮むという迷信もあって、肝試しに若い豪傑
が撮られにいくということもあったらしい。
このような状況で撮られた写真に緊張した雰囲気がでるのはあたりまえ
である。にやけていてはブレてしまう。
コラムの筆者がみたのはカメラの前で緊張した顔にすぎない。
それに勝手に自分の思い入れをいれて現在の人間(
たぶん筆者よりいい顔をしているのだろう)をこきおろしているだけだ。
RADIOが壊れた、というより電池を替えてもひどい音質なので、新しくする。MADE IN JAPANを購入するのに苦労した。
北斎の富嶽三十六景、原寸大の額絵セット(原本東京国立博物館、読売新聞の販促品?)は、てもとのものは少し黄色くなったところもあるが、かなりいい複製である。
昔、慶応大学の高橋誠一郎コレクションの展示を三越美術館でみたとき、
広重や北斎は、複製でも十分だと思った。
春信や歌麿の作品の中には絵の具・材質自体豪華で技法・質感を観賞する要素が強いものがあるが、
広重の東海道五十三次や北斎の富嶽三十六景は、それほど上等高級な素材を使っているように思えない。下絵の優秀さ、発想の妙は、複製でも十分うかがわれる。つまり、複製をみたときと本物をみたときであまり印象が変わらないのだ。
浮世絵の複製の場合、木版画で、江戸時代と類似の技法で複製したものも多いが、
広重の東海道五十三次や北斎の富嶽三十六景は、写真による複製のほうが現物に近い印象を受ける。古色が新刷にはないからだろうか。
久保惣記念美術館 久保惣記念美術館(別サイト) は、7/31日まで中国の工芸(古代の青銅器、など)がある。お近くのかたはどうぞ。 8月は林宗毅さんの「中国の近代絵画」
上野、
東京藝術大学大学美術館
、アフガニスタン展。追記。
地階と3Fの2会場に分かれているが、まず地階へ案内される。実は3Fのほうが展示数が3倍ぐらい多いので、時間の配分をまちがえてしまった。ギメ、ベルリンアジア美術館の協力を得たかなりよい展覧である。
確かに
Tissot カーブル美術館本(Kaboul la passe confisque,2002, Paris)にでてた
浮き彫り や、ローマンガラスのディアトレッタ壷が、流出品として展示されていた。この流出は、救出といったほうがよいのだから、「盗品」あつかいするのはどうかと思う。
地階の「ゼウスの足」、地階、3Fにあるローマンガラス、膨大なハッダの塑像が印象に残った。なぜか、アフガニスタンではないキジルの大きな壁画や敦煌画まであった、これらも珍しいものであり、もうけものだった。
10月初めから、ウィーン美術史美術館(Kunsthistoriche)からのレンタル展をここでやるようで、デューラーが目玉らしい。
上野、 東京藝術大学大学美術館、アフガニスタン展。門衛に美術館の外側の写真を制止される。構内中写真禁止とは軍事基地みたいである。芸大の写真部門は苦労するだろう。急いでいたので、素直にしたがい、館内で抗議したらなにかの間違いだったようだ。門衛への注意を依頼した。
明末清初に江南で活躍した骨董商呉其貞(1606−1678以後)の「書画記」を読んでいて、発見があった。第5巻に、唐僧法蔵禅師「東海新羅帖」(即天武后のころ、692-694ごろ)が記録されている。これは
現在まで伝世されている「法蔵尺牘」そのものだろう。天理参考館所蔵。丙午(1666年)4月5日蘇城朱我安の僑居でみている。蘇州の別荘でみたということだろう。最近、新世紀万有文庫で、刊行された簡体字校点本によれば、第909條である。
西川寧先生の「賢首大師の尺牘」(書品62号、1955)によれば、元時代末以後、嘉慶道光に再発見されるまでの行方が不明ということだが、ようやくここに1666年での所在がはっきりした。
台北の故宮博物院は九月ぐらいから来年八月まで、東半分を改修するようで、かなり閉鎖する部屋がでてくるようだ。広大な博物院を好むむきは暑さにまけず早めにいったほうがいいかもしれない。(故宮便り2002/7-9 参照)
箱根・仙石原にポーラ化粧品の美術館が2002/9にできるという。印象派をはじめとする
多様なコレクションであるが、中国陶磁のかなりいいものが、一室になっているという。雑誌「陶説」に龍泉堂の川島さんが解説をしていた。
東京の今日の気候はアンコールワットの3月より暑い。
アンコールワットと同じ格好をしてみたが、かなりきつかったから確かである。
おそらく湿度のせいだろう。
オランダ ベルギー旅行記のリンクを改良した。
上海博物館で、北京故宮博物院・遼寧省博物館が協力して、空前の書画の名品展が(12/1〜1/6)で行われる。これは、台北故宮博物院60周年記念の偉容に匹敵するほどのものである。さっそく旅行を考える。
緑玉[王欠]を日下さんから購入。
永青文庫
(http://www.city.bunkyo.tokyo.jp/cgi-bin/kview.cgi?ID=42)
中国書跡と文房四宝展
本でみなれたものもあるが、紙の端に上品な図柄が印刷された詩箋がいい。
伝)米元章の「易義」はあまり感心しなかった。後期の黄庭堅「伏波神祠」のほうがいいだろう。
amazon.com で、
ボイマンスのボス展
カタログがメチャメチャに3人からけなされていた。
私もどうもこのカタログだけは失敗だったと思っていて、友人から頼まれていたのに一部しか買わなかった。同時にでた論文集のほうはよかったと思う。
空海:座右銘の古い影印(1934)を買う。
パワーがいまいちのせいか、
マンガ雑誌とJ. Rorimer, The Cloisters,3rd ed. New York, 1938を読んでいる。
フランス革命時の中世以来の僧院への大破壊は想像以上のものがあるようだ。
正倉院の全「棚別目録」(1951, 1955(改訂版),絶版)については、電子化を考えたことは何度もあるが、本来これは、正倉院事務所・宮内庁の仕事だと思う。いつのまにか進んでいて、HPが突然できたり、CDROMができたりすると馬鹿みたいだから、後回しにしている。
バスタオルを、日本製タオルでアップグレードすることにした。
本を整理していて、行方不明だった、ウフィッチ美術館の図録を発見、Luciano Berti, Les Offices, BECOCCI EDITORE, SCALA,Firenze 1971 (フランス語版)つくづくみているといろいろな発見がある。有名無名を問わず、モノクロ小写真で全部(697点)収録という本は、とてもありがたい。倉庫のものやデッサン、工芸品は除かれているが、A4,144pにおさまっているのだ。この種の博物館全目録は画家のカタログレゾネと同様に貴重である。正倉院の全「棚別目録」(既刊、絶版)もHP公開してほしい。
岡村師古斎が昭和15年に刊行した楊淮表記の全套拓本印刷、1枚(1000yen)
を買う。コロタイプ・洋紙?。
岡村さんのコレクションは大阪市立美術館に寄贈されている。
このような印刷本は、日本では珍しい。近くは立川の伊藤滋さんが、北魏の雲峰山石刻拓本で3点発行した。私も大切に購得、保存している。ところが、伊藤さんは先輩から「つまらないことをする」と誹ぼうされたそうだ。その先輩が、大先輩の岡村氏の出版をどうおもうのだろう。
フレマールの画家(15世紀前半)の名前の由来は、
Jacque Lassaigne, Flemish Painting, The century of Van Eyk, SKIRA, New York, 1957によると、リエージュ近郊のシャトー=フレマール由来だそうだ。従来いわれてきたような「フレマールの修道院」由来ではない。従って某氏が「そんな修道院は存在しなかった!」と書いたのは的はずれになってしまった。
オランダ ベルギー旅行記に多数、WEB ARTへのリンクをつけた。これで、かなり楽しんでもらえるものになると思う。
アサリがいけなかったか、体調を崩し家にこもっていたら、
Louis Bertrand, Gaspard de la Nuit, 1842,Angers 初版本、
Kaboul la passe confisque,2002, Paris、
Tres Riche Heures du Jaen duc du Berryの複製,
の3つの荷物が別々の便で到着。
Louis Bertrand, Gaspard de la Nuit, 1842,Angers 初版本到着。
以前パリの書店ではコンデションがいい本だったが、25000Fr(邦貨40万以上)もしていたので、手がでなかった。今回は、コンデションはともかく、遥かに安価だったので、即ゲット(bibliofind.com)。1920年代に、入手困難とされていた版である。
Tissot カーブル美術館本(Kaboul la passe confisque,2002, Paris)は、全貌を紹介するというより、
写真家Dominique Darboisの業績を紹介するという意味あいがあるので、
有名なものでも、のっていない場合もある。ただ、写真はさすがにいい。
なにしろ現在では、全てタリバンに粉々に破壊されたか、(善意の?)盗賊に盗まれたものばかりである。
1、3世紀のインドの象牙彫刻はちょっと刺激的である。
(寒山堂から)
Tres Riche Heures du Jaen duc du Berryの複製, Draeger, 4th ed. Chantilly, 1981,
clothbound.
15世紀初期の最も豪華な細密画写本。一時ずいぶんいろんな複製がつくられ、3000円以下のペーパーバックさえみかけた。ただ、印刷精度に問題を感じるものが多い。まよっているうちに市場からなくなってしまった。原寸大のものとしては、所蔵するChantillyにあるCONDE博物館が刊行したこれがまあ良いのだろう。原本をみたことがないのはつらいところだ。Dreagerは、 Marie de Bregogne Hoursのほうがいい印刷をしている。こちらは、ちょっと網版が粗い。
1969初版だが、これは1981年の4版。ただ、本当に満足できる複製は見たことがないので、4版だからいかんというわけでもないのかもしれない。(bibliofind.com)
まじめにスパゲッティ・ボンゴレをつくってみる。確かにおいしかったが、アサリ380+supagethiFEDELLINI80+italian paselli120+Wine800 であるから、ワインを飲む分こみとしても1500yensぐらいかかっている、もし良心的につくっている店なら、外食したほうが安い。
現代教養文庫の出版社、社会思想社の倒産を知る。
現代教養文庫
佐和隆研「仏教美術入門」は、
仏像の名前の意味や常識を知るには、とても便利な本で、内容豊富なわりにハンディでしかも、よい写真が多い。簡単に推薦できなくなるのは残念だ。
雑誌「遊楽」6月号「古硯特集」を原先生からいただく。
ザッゼンハウスの手動コーヒーひき を導入。
太田切和漢朗詠集2巻のレプリカ(折れキズ あり) 購入
風邪、部屋にこもる。
三井ガス化学のRPシステムという無酸素殺虫システムを導入したいのだが 小売りしてくれるとこがないのかなあ。東急ハンズにはなかった。
最近、本の買い物が多い。溢れないように注意すべきだ。
Tres Riche Heures du Jaen duc du Berryの複製
カーブル博物館の失われたコレクションの集成、F.Tissot
どちらもフランス語だ。いいのかなあ、まあ読むくらいならなんとか。。
蘇軾の最近発見された刻の拓本を注文すべきか??
自分自身賞玩する自信のないものは避けたほうが無難だろう。。
東京国立博物館「韓国の名宝展」、高麗青磁の香炉は、台脚の兎がかわいく、花弁の筋がみごとだった。ただ、台座に大きな割れがはいっているのはなぜだろうか?
韓国の書画が(好みにあわない/下手)なのには、いささかがっかりした。
講談社学術文庫の「聊斎志異を読む」を立ち読みしても版本に関する考察がまったくでていない。原典批判は、近世の小説では行われていないのだろうか?
トウ石如「ゴウ陶孫詩評」の零本拓本を買う。
龍口酒家、GeorgeVで会食
大古美術展にいく。特に買うものなし。繭山の高麗青磁香合がよかったが、既に売れていた。
ハンス=メムリングについて、1998年に書いた英語の
文
Revaluation of Hans Memling
を、書き直していたら、
メムリングとデューラーの関係を示唆する奇妙な証拠を思いだした。
Ewersが1972年に、リューベックの聖アンナ教会のメムリングの大作「受難図」(1491)の中に、若きデューラーとその老先生 ミカエル=ヲルゲミュートの肖像を見いだした。
この絵は複雑煩雑で、人物が多いのだが、中央画面左下、
改心した盗賊の十字架の下に3人の男がいて、その2人がどうみてもデューラーとヲルゲミュートにみえる。2人が別々の作品にでるなら、他人のそら似ということもあるだろうが、同時にくっついて表れているので偶然ではないだろう。
あるデューラーファンの人は、1490年ごろのデューラーがどこにいたのかはよくわかっていないのだそうで、興味深いと以前言っていた。
ただ、学会で完全に認められているわけではないらしいが、面白い。
ホイアン海底引き揚げの ベトナム青花小香合4個を別の箱にいれた。 なかなか繊細でいいものだと思う。ただ、1個だけは蓋と身がくっついてしまって、少々薬品に漬けてもはずれない。まあ、敢えて無理にはずす必要もないだろう。
日下尚雅堂で、古玉の[王欠]を多数みた。東京美術倶楽部での大古美術展[6/15-16]でセールする予定だという。
Jacque Lassaigne, Flemish Painting, The century of Van Eyk, SKIRA, New York, 1957 のゲントの祭壇画の図版のうち、3枚は驚いたことに額からはずした状態で撮影したものである。1950-1951のクリーニングの後の撮影だろう。
最近は、安易な本ながら、Jacque Lassaigne, Flemish Painting, The century of Van Eyk, SKIRA, New York, 1957 を読んでいる。妙なことだが、小学館世界美術大全集「北方ルネサンス」より楽しく読める。少し古い見解は
岡部紘三 フランドルの祭壇画
G.T.Faggin,Tout Oeuvre peint des VAN EYK, Flammarion, Paris, 1969
で補う。ゲント祭壇画クリーニングにたちあった地元の著者らしい本である。学研のお払いもののせいか、貼り付け図版が1枚抜けている。これはあとでカラーコピーで補填できるだろう。図版にない絵をどんどん話にいれて論じているから、自己完結的な本ではない。ポルテナリ祭壇画の大きな折込図版があったのは嬉しい。
昭和26年に出た、日本絵画の写真集を買う。これは写真焼き付けだけで構成されている国立博物館編集の豪華版であるが、写真が著しく傷んで劣化している。台紙にも問題がありそうで、台紙を廃棄せざるを得なかった。 飛鳥園などの昭和10年代の仏像写真でも劣化していないものは多いのだから、焼き付け時の技術、湿気などの環境によって、写真の寿命は大きく変わるもののようだ。玉虫厨子、東京国立博物館の普賢菩薩は、なんとかみれる状態。法隆寺壁画は損傷あるも、写真・影印だけが残されたものなのだから、大切に保存する。
図書館で借りた小学館世界美術大全集15「マニエリスム」(1996)
を読んでいたら、変な記述にぶつかった
「16世紀のスペイン美術」p217-240の中で、
p222 「同王妃(ハンガリー王妃マリー)はその後もファン・エイクの《ファン・デル・パーレの聖母》(ブリュージュ市立グルーニング美術館)やウェイデンの《十字架降下》(国立プラド美術館)を加え」となっている。
《十字架降下》は確かにマリー王妃に収集されたが、《ファン・デル・パーレの聖母》については誤りである。
p222「フェリペ・デ・ゲバラはボス(1450頃〜1516頃)の最初の収集家となり、《快楽の園》祭壇衝立(国立プラド美術館)もこのカール5世の側近の手もとに置かれていた。」
「快楽の園」はゲバラの手にあったことはない。「干し草の車」の間違いではないか?
著者の大高保二郎氏はスペイン美術には詳しいようだが、フランドル絵画にはあまり知識がないようだ。もっと信頼できる書物を参照してほしい。
せっかくのスペイン美術の解説の信頼性が損なわれる。
2点の名画の伝世経路は
別項
に記述する。
なお、意外とパルミジャミーノより、ポントルモが良いという印象を受けた。昔、京都で、Santa Feliceのポントルモ「受胎告知」を観て感動したのは本当に良いチャンスだった。
この全集は、色合わせがいいという評判であるが、ブリューゲル「悪女フリート」(図132)は、色が暗すぎるように思う。同じブリューゲルでも図137,図141はいい色なので,
少々ばらつきがあるようだ。ポントルモ「受胎告知」の色はいいようだ。
北京 嘉徳The Guardian Aution
URL=http://www.guaweb.com/
4/23に行われた春のオークション「古籍善本」をHPで閲覧してみた。
聊斎志異がないかと思ったがなかった。
意外なことに、本というより、写本、手紙、書蹟、に属するものが多い。むろん版本も多いが1/2以上ではない。拓本も少なく10点ぐらいである。版本をチェックしていたら、萬暦末の呉彬下絵の仏画版画がついている版経 に「元」とついていたのにはがっくりした。ここの版本の時代設定はまったく信用できないようだ。価格的にも日本のほうが安いように感じたが、多様性・量では、なかなか無視できない。
帰葉山房石印「続玉台新詠」のもとになった筆耕者の写本か?と思われるようなものもあった。
羅継租先生関係の文物、羅振玉関係のものがめだったが、大連の羅翁になにかあって放出されたのだろうか?
東京国立博物館新収の青銅鼎(春秋)3個が本物か?考える。大阪市立に出展された1点はいいようにもみえるのだが、1点と2点では底部分の范の合わせかたが違う。
輸入中国野菜、冷凍野菜に日本では禁止されている残留農薬があるというニュースがあった。調べてみると、香港では「毒菜」とされ、香港政庁が、対処法をHPにアップしている事態であることがわかった。急性中毒事件すらあるようだ。もちろん、中国野菜皆が皆そうだというわけではなく、ばらつきが大きいらしいが、とんでもないことだ。特に冬が危ないらしい。
日本での公表が遅れ過ぎではなかろうか?
ダスキンの事件も中国製品の添加物を見過ごしたケースである。
中国産食品=危険、というイメージは避けたいが、、
「大和魂」というと、あまりいいイメージはない。右翼の人々がスピーカーで連呼する言葉というぐらいである。
瓜茄 1号(昭和10年)によると、平安時代には「やまとたましひ」は「世才」「知恵」であり、「なよなよした、優美で、気が利いていて」というイメージで、武勇忠孝とはまったく関係の無いものであった。
これもまた、歴史のある時点で意味が変わってしまったのだろう。
2002/4/7
台湾大学の東アジア絵画会議(Oct. 4-7)のサイト
http://www.taiwan2002conference.sinica.edu.tw/をみつける。
1日静養。湯治かわりに近くの銭湯へいき、超音波風呂にはいる。
アンコールワット鑑賞を計画中