玉虫厨子は漆絵か油絵か?
2002/5/17
玉虫厨子の絵画が油絵なのかそれとも漆画なのかについては、明治以来、論争があった。
法隆寺昭和資財帳調査概報2を最近買った。
この調査報告では、紫外線による蛍光現象の観察により、「朱と面をなす黒は漆、黄と青緑は油,線描の黒い線は不明」という結論をだしている。
無論背景の黒は漆だから、漆絵と油絵の併用ということになる。部分的ではあるが、世界最古の油絵かもしれない。
(ref. 河田貞)
ところが、同じ紫外線ランプでの調査でも、昭和五十年まで、正倉院の漆工品と同時に行った調査では「漆絵であることが確認された」(ref.岡田譲)
更に「日本の国宝002」では、「現在では油絵説がほぼ定着している」。
いったいこれは、どういうことか?
まあ、「日本の国宝」は、朝日新聞だし、ちょっと安易な感じもある。しかし、河田、岡田両氏の本で、同じ紫外線
調査をして違う結論がでるというのも、妙なことである。
「河田」報告は、油性の反応を描線から検出すれば油絵だとしているようだが、
漆を伸ばすのに乾性油を使ったりはしないのだろうか?
また、写真や実物をみると、朱・黄・青緑以外の中間色もあるように思う。これはどうなっているのだろう??
非破壊検査をしなければならないために決定打を欠くのかもしれないが、ずいぶん奇妙な感じがする。
絵画の様式としては、「飛鳥時代より古い感じがする」といった先人の意見は同意したくなるものだ。
正直いって実物はかなり薄れているところも多く、部分的には四天王のところなど、写真やレプリカをみて、「ああ、こういう絵だったのか」と気がついたありさまだから、実物を観察した結果で議論する資格は、私にはないようだ。今でこそ、法隆寺の大宝蔵は、かなり明るくなり観やすくなったが、昔はとても暗く、厨子の細部などまったくみえなかった。
ちなみに屋根の上に一個残っていた金銅の鴟尾は大正時代に失われ??、今ついているのは二個とも模造である。これにもなにか事件があったような感じがする。ゴシップ好きな私のアンテナにもひっかからないが、、
さて、過去百年間の議論を、概観しよう。
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明治32,3年ごろ、黒川真頼は、「玉虫厨子の台の絵は漆と密陀僧とにて畫きたりと思はるれど、慥にはわかり難し」といっている
(ref.春松)」
「密陀僧」(Masicot/litharge)は一酸化鉛(PbO)のことで、乾性油の乾燥促進剤、顔料として使用された。乾燥促進剤としては「油一合に耳掻き一ぱい」だそうだ。それでも全部は溶解しない。
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明治34年にでた、「稿本日本美術史」の初版には漆絵とあり、後の版には密陀絵と訂正されている。
(ref.春松)
「密陀絵」は、乾性油を展色剤・媒体に使った普通の油絵のことで、用語としては、近世のものであり古代にはなかったようである。用語「密陀僧」自体は薬品用語としては古代からあった。正倉院の「種々薬帳」にも掲載されている。また、「密陀僧」を使用したかどうかわからない正倉院などの油絵も、明治大正時代には「密陀絵」と呼んでいた。
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大正3年、法隆寺大観十二集には「朱、緑青、雌黄、黄土の如き顔料を油と其の乾燥剤たる密陀僧に混和せる者を以って畫きし者にて、一種の油畫とも称すべく」と油絵であることを確信している。
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1928年、漆工家、六角紫水は、「密陀油畫ではなく、矢張色漆畫であることと信じて疑わない、併し其確証は、分析化学力を待つ必要があるから、暫く断言する事丈を避けて置く」。
その根拠は「元来漆塗りの面を装飾するには、矢張漆を用ふるのが本體である..cut..今玉虫厨子の畫を見るに、只黒朱黄赭緑の五色が用ひられてあるので。何等漆以外に劣等材料を要求する必要が見出されない。」また、楽浪の漆器も同じ色数、同じ技法であることが指摘されています。(六角紫水,1928)
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1929年にも、漆工家、六角紫水は、「漆畫であって密陀油畫でないと云ふことを認定するのに躊躇し能はざるものであにる」。
その根拠は「玉虫厨子装飾畫の色彩を検するに、只黒、朱、黄、赭、緑の五色が用いられて有て、之等は何れも漆にて容易に発色せしめ得らるるものばかりであるから、殊更に他の手数を要し、且つ劣りたる材料を以って代用すべき必要は見出されない。」
(六角紫水,1929)
- 1964, 1967年に漆工家、松田権六は、玉虫厨子を太陽光線で詳細に観察した結果として、六角氏と同じ見解を出しています。また、黄の顔料を「天然黄」だとしています。
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昭和五十年まで、正倉院の漆工品と同時に行った
紫外線ランプでの調査では「漆絵であることが確認された」(ref.岡田譲, 1978)そうです。
- 1984年、河田貞は法隆寺昭和資財帳調査で玉虫厨子を解体して調査した。紫外線による蛍光現象の観察により、「朱と面をなす黒は漆、黄と青緑は油,線描の黒い線は不明」という結論をだしている。
- 河田貞,玉虫厨子の調査から,伊珂留我・法隆寺昭和資財帳調査概報2,法隆寺昭和資財帳編纂所, 1984
- 岡田譲 編, 正倉院の漆工,日本の美術, 昭和53年,至文堂,東京
- 百橋明穂, いまに残る「絵画の殿堂」, 日本の国宝 002, 4-68, 2001/1/1, 朝日新聞社, 東京
- 春松武松, 玉蟲厨子の諸問題, 東洋美術特輯 日本美術史2 飛鳥時代,飛鳥園,奈良, 1931
- 東京美術学校編集、法隆寺蔵版, 法隆寺大観第十二集、1913, 墨彩堂, 東京
- 六角紫水, 玉蟲厨子繪畫の顔料は密陀僧に非ざるの弁,仏教美術,第十三冊,飛鳥芸術の研究, , 1929/JUNE, 京都
- 六角紫水,漆工史,考古学講座第3巻,雄山閣, 1928, 東京
- 松田権六, うるしの話,p176,岩波新書e72, 岩波書店, 1964, 東京
- 松田権六, 玉虫厨子のうるし絵について(その一),古美術第17号,p52,1967, 三彩社,東京
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