「松風閣詩巻」の装飾模様を観察した結果、 北宋の書については、より贅沢な環境の所産だと 考えるようになった。
日本 平安時代後期の書では、華麗な料紙装飾がめだつ。
書それ自体より紙の装飾が,鑑賞するときの関心の半ばを占めるぐらいである。
本阿弥切「古今集」(12世紀)の一部をだす。見事な草花模様が刷ってある。
この紙は宋からの輸入品だとされている。
中国の書は、清時代の蝋箋
(蝋引き彩色装飾紙)、
、やいわゆる乾隆紙(乾隆倣澄心堂紙、梅花玉版箋、倣昭仁殿紙)
をのぞけば、
派手な装飾料紙がめだたない。
わずかに、明時代の宮廷文書に派手な龍の模様がはいった黄紙
がみえるくらいである。
金を全面に施したもの、金箔の小片を散らした紙は明時代に、しばしば使用されてはいるが、単純なものである。
明後半〜清前半とおもはれる未使用の装飾紙は、
上海博物館にもあり、図録に紹介されている。それほど派手なものではない。
一方、正倉院には、各色に染めた麻紙に雲気のなかにあそぶ麒麟を
散らした、豪華な未使用の装飾紙が何十枚もある。
これは、たぶん唐後半の好尚を反映するものであろう。
また、平安時代後期11世紀の雲母すりの装飾紙が「唐紙」とよばれて、少なくとも当初は、
北宋からの輸入品であった。その後、12世紀には日本でも複製品をつくるようになった。
輸入「唐紙」に書いた11世紀の古筆が、現在もそうとう量残っていることから
考えると、輸入量は半端な量ではない。まさに、「大量に生産・輸入された」
ものであって、例外的・趣味的な試作品ではない。
これらから考えると、輸入元の中国の書で装飾料紙がめだたないのは、奇妙なことである。
従来はこの「唐紙」などの装飾料紙は、「日本でだけ残り、中国では
ほとんど残らなかった」という見解が多かった。
しかし、実物や 良い写真版を調査した結果、必ずしもそうではないということが
わかった。
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拡大図版1
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拡大図版2
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台北故宮博物院所蔵「松風閣詩」は、
伝世経路・書風・保存状態のいずれをとっても、
黄庭堅の、代表作である。
1999/11に 台北を訪ねたとき、故宮の2Fで鑑賞していたとき、
この紙に大きな模様が、刷られていることに気がついた。
野菜、花が、1紙の真ん中に1かたまりづつ、白で、ゆったりと印刷されており、
豪華で、上品なものである。これは、紙に対して水平方向に近く
頭を傾けて、極端に斜めから観て、はじめて観ることができる。
従って従来の写真には、ほとんど写っていない。
ただ、図版のように、墨の筆画の中のあちこちに、
白く薄く細い掃いたような帯がある。空刷りやゴフン・雲母刷り
の上に墨で書いたときよく起こる現象である。
この薄い部分が紙のうえの模様の線なのである。この部分は瓜か西瓜の模様である。
この装飾模様を考えると、
「松風閣詩巻」のイメージは1変する。
ストイックな真っ白な紙に、
黄庭堅としては、やや抑えたしかし、剛直な
書風でかいた傑作と私は感じていた。
この装飾に気がついた後では、
「豪華な紙に謹直に、しかも自己を十分に表出して書いた
、有力者への贈答用の傑作」とイメージするようになった。
拡大図版3
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幸い2003年春に、紙の模様を比較的み易く印刷してある「松風閣詩巻」の多色コロタイプ複製を入手した。刊行年・出版社とも不明。ここで図版をあげたのがその一部分である。少し重いが、拡大図版をみれば、瓜・西瓜の葉や実がはっきりわかる。文字に白い線が多数入っていることもよくわかる。
実物をみてもなかなか見えないものが写真ではっきりと写ることはしばしば経験する。赤外線写真でなくても、ときにびっくりさせられることがある。
ただ、模様を強調したためか、紙の色がベージュのようにみえる。実物は真っ白に近いきれいな紙である。この辺が写真の痛し痒しなところだろう。
一方、古い記録でこの華やかな模様を 記載しているものがあるだろうか? 現存する「松風閣詩巻」の後ろにくっついている跋文にはない。故宮法書の解説は「紙本」としかかいて いない。西林昭一さんは気がついているが、さして特筆大書していない。 安岐「墨縁彙観」では、「粉白花箋」 と書いてある。この「花」というのは 模様という意味であろうから、安岐は気がついていたはずだ。
安岐が、同様の粉花箋と記録している書には
蔡襄:陶生帖(台北故宮)・(傳)懐素:論書帖(上海博物館)、がある。
北宋時代の蔡襄が書いた手紙「陶生帖」は2000年6月に台北故宮博物院で実見できた。やはり
模様が入っていた。ただ、錦のような細かい模様が全面に入っているタイプで、大柄の絵画的な模様が刷られている「松風閣詩巻」とはかなり違う。細かい模様なので、観察は更に難しい。模様は日本でいう「立て湧き」模様で意外な感じがした。
未見だが、(傳)懐素:論書帖もおそらく刷り模様がある装飾箋であろう。
大阪市立美術館には、 黄庭堅の師、蘇軾にアトリビュートされている「行書李白仙詩巻」がある。 これまた、大きい芦雁図が白で刷られた紙の上に書いてある。 この見事な模様ゆえに、私は、かって、真跡であるかどうか疑ったことがある。 そのときにはまだ、宋の書でこのような立派な装飾箋を使ったものをみたことが なかったし、モノクロ・カラー影印でみるもののなかにも、ほとんどみえない( 写真や印刷がとらえてないためだと、最近わかった)。徽宗皇帝の 草書千字文(遼寧省博物館)は豪華な雲龍箋だが、 これは贅沢な皇帝のものであるから同一視できない。 行書李白仙詩巻は、もっと装飾がさかんになるように思える明末以降のものでは なかろうか?と思った。 それにしても立派な書だし、古色も自然だ。と苦慮したことがある。 しかし、同時代で師弟関係にあった黄庭堅の、しかも最も信頼すべき作品に見事な 装飾をみた現在となっては、この疑いはまったく意味がなくなった。
東京国立博物館、高島菊次郎氏寄贈の
宋名公翰鈴墨冊 に収録されている李常の手紙にも金彩
の模様がある。
時代もずっと下り、ささやかなものではあるが、
日本の永平寺蔵の道元筆 「普勧座禅儀」もまた、
松(茶色)・植え込み(白)・野菜(白)・蘭(白)が 巻頭から順に刷られて
いる紙である。2000/5/6に実見した。小造りな感じの模様で、
「行書李白仙詩巻」、
「松風閣詩巻」の豪華な感じはないが、似たデザインである。
これは清書本なので、たぶん宋から輸入した紙を使ったものではなかろうか。
永平寺と道元のストイックなイメージとは、かなりなズレを感じる。
平安期の装飾料紙にさらに近いものは、
上海博物館の北宋、沈遼の書「動止帖」に使われている紙である。
この紙は、「水文紙」と名付られているが、
西本願寺本三十六人集「重之集」
巻末を初めとして多数に使われている波文の「からかみ」そっくりである。1993年に上海博物館展で実見した。NHKの「中国・美の名宝 上海博物館」にも図版がある。
「重之集」の紙は日本での複製であるが、複製された原本は宋からの輸入紙である。
乾隆倣澄心堂紙 について、私には、昔から抱いていた疑問がある。
澄心堂紙は17世紀以前の文献では、すべて真っ白でなめらかで上質の紙と
いうことになっている。
ところが、乾隆倣澄心堂紙は、派手な色の蝋箋に金・銀で手彩した
ものが多い。「澄心堂紙に倣う」
ものなら、少しは似ていてもよさそうなものである。しかし、まったく正反対だ。
なぜこうなってしまったのか、なぜ
乾隆帝がこういう紙に
乾隆倣澄心堂紙と名付けたのか、現在知りえない何等かの事情があったの
だろう。上記の北宋時代の豪華な装飾紙の例から
類推すると、更に豪華な紙で
「澄心堂紙」と間違って名をつけられていた北宋時代とされた
紙が乾隆帝のコレクションにあって、派手好みの乾隆帝の好みにあい、
乾隆倣澄心堂紙 のもとになったのではないだろうか?