[流転 清朝の秘宝] 誤植または思い違いの例。

  1. 13頁、「中秋帖」と「伯遠帖」は、傅儀が天津に持ち出し、銀行に抵当にいれたというのが真相にちかいようだ。
    ref.遼寧省博物館長;楊仁ガイ, 国寶[水冗]浮録上海人民美術出版社, 1991
    ref. 古玩史話
    「地安門前のささやかな骨董商の店先に並べられる」などということはない。第一、中国の骨董商は店先に貴重品を並べたりしない。これでいきなり読む気がそがれた。
  2. 24-25頁以降、「鑑賞美術」という言葉が多用されているが、これは骨董界の用語で、ちゃんと定義しなければわかりにくいものである。美術品は鑑賞するのがあたりまえだと思っている一般人には唐突すぎる。 本来、茶道具をあつかう「道具屋」が骨董屋のメインだったので、茶道具ではないもの、茶道に使えないものを「鑑賞美術」といったのがはじまりだったようだ。
  3. 175頁 殷の青銅器の「当時の工人は、ほとんどが殷との戦いに敗れ捕らわれて、奴隷とされた異民族の人々であった。」
    中国共産党のプロパガンタを真に受けているのではないか。 現在ではまったく否定されている。 むしろ、玉を何点もつけて葬られた工人の墓があることから、中から上の階級であったことが明確になった。
    ref. 林巳奈夫「中国文明の誕生」p325
  4. 243頁「宋官窯青磁と清朝官窯古月軒磁は、...cut..その数はおのおの全世界にわずか百数十点のみである。」
    いわゆる「清朝官窯古月軒磁」、は台北故宮博物院だけで350点以上ある。 いったい何を根拠にこの数字を出しているのだろう。
    「宋官窯青磁」これは南宋官窯を意味するとすれば、百五十点は多すぎる。 鑑識によって大きくかわるのだが百点以下ではないか?


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