「海を渡った中国の書」展

2003/4/12(土)

要旨: 日本の収集もなかなか良い線いっているなと実感した。エリオットのもので、すばらしいのは王羲之 と 祝枝山の小楷のみ。

大阪市立美術館

王羲之「行穣帖」はなかなかおもしろい。 墨色が松煙にしてはかなり黒い。他の模本よりかなり新しい気がした。西川寧さんの 意見の通りで、双拘ではなく、しきうつしのようだ。上海でみた双こうの万歳通天進帖 や 天暦本蘭亭とはかなり違った感じである。紙はベージュ色で、台北の奉橘平安帖 ほど黄色くない。補墨や剥落はあまりめだたなかった。もともと剥落したものを写したのだろうか? 表紙の刻絲はなくなっていた。表紙を中にいれて新しい表紙をつくったのかもしれない。この改装は1963年以後である。後半「内府書画印」 がある白い紙は光沢のあるもので実に 美しい。董其昌の跋も上々、彼は小さな行草書が最も得意なようだ。 白絹に 金泥で書いた徽宗皇帝の字は1字だけかすかに読めた。

祝枝山の「臨孝女そう娥碑と 洛神十三行」は小さな冊だが水準のもの。


冒頭の西域写本(エリオット) は故・藤枝晃さんが糾弾する「木斎印」がおしてあり あやしさ爆発である。もっともああいうのだと端をきりとってc14チェックも簡単だろ うから意外にいいのかもしれない。
その次の専塔銘拓本は偽印でごまかした重刻本で、展示するようなものではない。
黄山谷「与張大同詩巻」はかなりえぐく悪趣味なので熟視できなかった。日本で買い手 がつかなかったのももっともだ。米フツの3帖は、「歳豊」 が比較的いいし、紙質も 違っている、他2点はかなりおちる。3帖:とも明末清初の画家「関思」 の印、同時期の画家「王思任」 の印がある。 台北にある、冷遇されて「故宮法書」にも採用されてないぱっとしない 九帖巻と似ている。どちらにしても大阪市立美術館の草書4帖のほうがずっと良い。米書としては1.5流と感じた

旧クロフォードコレクションの黄山谷と 米元章はかなり期待していた。が、黄庭堅「廉ぱ蘭相如伝」は まったくひどい。まず冒頭に俗悪な「紹興」の偽印があってこけた、 書も 隣の藤井有鄰館の草書李白憶旧遊詩に落ちること数等だった。
米フツ「 呉江舟中詩」 は、なかなか面白い、ただ、 少し軽過ぎるようにみえた。ただ、米フツの大字 行草書詩巻は墨跡で残っているもの 自体が非常に少なく、まともなものは、これと 東京国立博物館 の虹県詩ぐらいしか思いつかないので、比較のしようが ない。「やや疑い」 というところである。隣に「虹県詩」が展示されていたが、 「虹県詩」のほうが遥かに古くみえた。ひょっとしたら、かなり新しいのではなかろうか。
范成大の書のまえにつけられた1mぐらい の青緑山水はいつごろの作品だろうか?南宋画院の小品をいくつもつぎあわせたような 感じがする。明前半の石鋭などの作品か?
清代の伊墨卿の対れn(エリオット) さえ、表そうがボロでなんとなくあやしいのには驚いた。
怪しいボスがいばっているところではろくな収集ができないのだろうなあ、と エリオットのものをみて慨嘆した。米国では、ローレンス=シックマン氏や シャーマン=リー氏ががんばったネルソンやクリーブランドの絵画コレクションはとんでもない高水準のものなのだろうと 再認識した。

さて、日本のものは、なんどもみたことがあるものがあるが、巻子なので全部はみてい ないものも多い、米国のものを引き立て役にできるので一段と良くみえ、ご同慶の至 り。当初の意図に反して、日本所蔵のコーナーのほうで長く鑑賞した。
藤井有鄰館の優れた書が多かった。 呉説の遊糸書は天下の奇観だし、李白憶旧遊詩は黄の草書では世界一(北京の諸上座 は未見だが) 鮮ウ枢でもエリオットのよりずっといい。 毛詩では、馬和之の絵のまだみたことがないところがみれてよかった。なにしろ10m近 い長巻なのでなかなかみれないのだ。しかも最近大修理してようやく公開に耐えるよう になったという痛みぶりである。
大阪市立美術館蔵の米フツの草書四帖(実際は五帖)は、ようやく全部実見できた。前は展示スペースの都合で1帖ほどかくれていたのだ。一流のもの。もと一緒になっていた二点が分かれて今は台北にある。
東京国立博物館の高島コレクション の宋元冊の富柔 の冊葉が大きくしわがよっていたのには驚いた、 どこで粗相したのだろう。昔みたときは皺はなかったとおもうのだが。。