ベルギーオランダ旅行2001秋の記録

多く引用する絵画のイメージ・詳細は Web Gallery of Art(英文)で観るのが、最も便利だと思うし、質がいいイメージが満載されしてるので、アクセスして欲しい。いくつかはリンクを張っている。 小さいイメージをクリックすると、精細な大きいイメージがでてくる。


-- 2001/9/7--2001/9/16
2001/9/7 成田 12:00発。
JALの「悟空」という割引切符でいったが、JALの機内は、日本人が多く、ほとんど新幹線の中のようで、「外国に行く」という緊張感に欠ける。 機内では、英語版で[Just Visiting]という十二世紀の騎士と従者がシカゴへタイムスリップする喜劇映画を観て英語になれるようにした。
スキポール空港では、パスポートチェックはともかくとして、スーツケースを受け取ったら、タグの照合もなく、いきなり出てしまったのには驚いた。これでは、間違って持っていかれたり、間違って持っていったりしてもわからないではないか?めだつステッカーを貼ることを真剣に考えた。
スキポールの鉄道カウンターで、ロッテルダムへの切符を買い、ベネルクスレールパスのヴァリデーションをする。ロッテルダムへの切符を買ったのは、1日だけは、パスが使用できなかったからだ。切符の値段が安いので、パスを買ったのは損だったかなと思った。

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2001/9/7 曇ときどき少し雨。 ロッテルダム ホテル  VAN WALSUM には17時ごろ到着。まだ明るい。入り口がホテルにしては小さいので何度も確かめる。7月末ごろから予約していたためか、ずいぶんいい部屋をあててもらった。天井が高く, シャンデリアのような照明が下がり、 小さな椅子があるバルコニーまであるツインで、ひょっとしたら、このホテルでも最上の部屋かもしれない。壁には小さなタペストリー。友人の近藤くんがいっていたように、鍵をかけるのに微妙なてごころがいる。勿論、ドアを鍵で開いて、中に入ると、内側からもちゃんとかけなければならない。日本流では3Fの部屋である。このホテルはエレベータ付きだが、部屋の脇にある極端な急階段をみて、これではエレベータがないとやりきれないな、と思った。
飛行機のなかで、いろいろ食べてたのと、厨房からの香がいまいちよくなかったので、1日目の夕食はとらず、ホテルのカウンタでビールを飲んだ。部屋のの冷蔵庫には何も入っていない。一方、セーフティーボックスは4つの数字をいれて鍵をかける現代的なものが、衣装棚のわきにあった。靴べらがなかったので、持ってきてよかったと思う。今回、私が泊まったホテルには、INTELホテルのような大きなホテルも含めて、すべて、洋服ブラシ、靴ベラ、歯ブラシはなかった。日本や台湾のアメリカ式ホテルはたぶん少し過剰に置きすぎているのだろう。 ここは、極めて静かだ。
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2001/9/8 曇、しばしば雨。 朝食は、上々。チーズ3種、ハム、コーヒー、数種のパン、簡易トースターが机の上にあった。特に胡桃のような味のする穴あきチーズがおいしく、コーヒーにつく、褐色を帯びた濃厚なクリームがいい。コーヒーもメーカーでいれているのに、なかなかおいしい、これはオランダ、ベルギーともにおいしかったが、特にここが一番だった。3杯飲む。 家族でやってるファミリーホテルのようである。おじいさんから17ぐらいの若者まで、入れ替わり立ち代わりカウンタにたっていて、みんなヴァンダム氏である。チェックイン受付用カウンタがバーカウンタと兼用になっているのが凄い、
クリーニング  サービスを頼んだ、土日なので、やってくれるかわからないと言っていたが、「できたら」でいいからと、無理をいってしまった。結局、ちゃんとやってくれたのでありがたかった。さすが、ミシュラン☆☆だ。
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ボイマンス・ファン=ベーニンヘン美術館は、ホテルから近いので、歩いていく。 北の方をみると見事な虹がみえた。完全なアーチ型で両端が殆ど地上にふれそうになっている。色帯もはっきりしていて、6色ちゃんと数えることができる。 ボイマンスは改装中だそうだが、 ボス展の入り口はテントが貼ってあった。土曜だったせいか、10時半ぐらいから混みだし、11時ごろにはオリジナルの前では待たないと鑑賞できなくなった、「放浪者」はオリジナルが集まっている一角の最初の場所にあるので特に混み、9時半ごろに一度みただけになってしまった。13時では既に日本のイタリアルネサンス展なみの混み方になっていた。20flという価格は相当高いらしく、通行人までみんな高いといっている。展覧会の内容詳細は [別稿 ボス展] に書く。
会場は入るといきなりボスにちなむモダンアートになるのでめんくらう。 場外に並ぶためのテントを用意したぐらいの意気込みだが、9月2週土曜でこれだから、11月にはテント増設が必要かもしれない。
ボスにちなんだモダンアートの映画を1Fで上演しているがその声が2Fに漏れてくるのがいただけない、また、出口がわかりにくい。年輩の紳士についていったら、庭園にでてしまい、いきどまりになってしまった。後からきた若い2人も同じことをやっている。実のところセルフサーヴィスの広いカフェの手前に出口があり、入り口のテントのところに戻るようになっている。カフェ自体は出なくても利用できる。私は、中華風?野菜スープと パン、ミネラルヲーターSPAのみのランチにした。味はあまりたいしたことがない。
19世紀20世紀のギャラリーは、開いていて鑑賞できる。膨大な量だが、そうおもしろいものはなかった。しいていえば、B. Koekkoek(1803-1862)「冬景色」か。ブーシェの「シノワズリー」(空想的な中国人と中国風景を描いた小品)は東京のブーシェ展でみたものだが、ここで再会した。
地下に11世紀〜20世紀の食器・台所用具を組織的に大量に、破片を中心に収集したものがあり、ユトレヒトやデルフトの窯跡からでた出土状況をそのまま再現した展示が興味深い、また15世紀〜の破損したガラス杯などが大量に展示されており、陶片室をみるようで興味深かった。これは結構感動した。
カタログには問題がある。これはボスの全集/解説を主とし、今回展示のリストが後ろについているだけである。これでは、展示物の大部分には図版も解説もつかなくなる。普通カタログは、展示品の全リストを中心にし、サイズ、所蔵地、材質、来歴、関係情報をつけ、できればその全イメージ(モノクロでも)をのせることが、第一であり、さらに各展示物個別解説があればもっといい。ロッテルダム2001に間に合わせるためか、少し粗忽な編集になったのは残念だ。
出入口のテントで、クロークがあって、荷物をあずけることができる(1.5Fl)。飲物とサンドイッチ程度のものを、テント内でも売っていてここにあるいくつかのスタンドタイプのテーブルを利用できる。ミネラルヲーターのSPAを飲んでいたら、アメリカ人らしい2人連れの女の子に「この展示は観るべきだとおもう?20flは高いけど?」と質問された。「珍しいオリジナルが集められているが、なかにはひどいダメージをうけているものもある」といったら「やっぱりね」といっていたが、更に詳細に解説したらツイ長くなり講義みたいになって、いやそうな顔をされてしまった。失敗。ただ、2人は展覧会に入っていったようだ。
「放浪者」の額絵を2枚買ったが、スーツケースにはいらず折り曲げざるをえなかった。失敗。ボス展にさいして出版された英語版研究書がでてたので買って、旅の途中読むことにする。カタログは9/14に買うことにする。他に絵はがきなどを買う。意外と絵はがきが少ない。ボスのキャラクターを立体化した人形があったが、たぶんもてあますので止めた。

2日目の夜は、東京から予約していた、ボイマンスの近くWESTBLAAKのレストランLa Villette で、ちゃんとした食事をとった。
ドライ シェリー。 Sylvaner Vielle Vigne 1ボトル。 イタリアン カルパチオ(チーズをどっさりかけてもらう)。 白身魚のグリル。魚の味を殺していずなかなかおいしい。まわりをとりまく野菜も美味。 コーヒー。
夜、台北故宮博物院の劉芳如さんに手紙を書く。 夜中、なんとなく寒いとおもったら、上の窓がほんの少し開いていた。閉じて熟睡。 ここは窓がしっかりしていて閉じると、本当に静かになる。


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2001/9/9(日曜) 曇
またしても、いい朝食。コーヒーを3杯飲む。中国人のカップルも朝食を採っていた。香港人だろうか? ホテル  VAN WALSUM を立つとき、台北への手紙の投函を切手代+チップを払って依頼する。カウンターはおじいさんのファンダム氏だった。
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Antwerpen 雨。
どうせ、タクシーを使うからと思って、インターシティが泊まるベルヘム駅で降りると、どしゃぶりの雨。タクシーを捕まえたのはよかったが、ベルギーフランが無い。ドライバーもびっくりしたみたいだが、オランダギルダーでもいいということで、なんとかOK。
ホテル プリンス Hotel Prinse には11時前に着く。 17世紀の邸宅を改造したものらしい。玄関と、ホテルの間に、中世風の可愛い植え込みがある。
内装はきわめてモダンであり、洗面所の前の照明が4つの電球を並べたモダンアート風なのをはじめとして、トイレの器機までグッドデザインを使っている。壁にかかった絵もブリュアー風の現代画である。ロッテルダムのホテル VAN WALSUMと、全く同じ型のしっかりとしたセーフティーボックスがある。部屋がやや天井が低いのが気になった。バス付きのツインをシングルの価格で泊まった。
小雨のなか、出ようとしたら、フロントの女性が傘を貸してくれようとしたが、折り畳み傘をバッグにいれていたはずなので謝絶した。ところが忘れてきていたのだ。 雨の中、傘を忘れて、レインコートだけで、Mayer van der Berghと 王立美術館をかけまわるハードスケジュールになる。ベルギーフランがなく、日曜で銀行が休み、キャッシング機もみつからない。しょうがないので、駅までいって、いいレートじゃなかったが、交換した。

Mayer van der Bergh美術館 (タクシーの運ちゃんはマイヤーファンデアベルヒと発音していた) 目的は、ブリューヘルの(DULLE GRIET)。雨のせいか外観はそうめだたないが、内装がブリュージュの古い館を思わせるぐらいの16世紀風で、すごいインパクトがある。この建築自体は1900年前後に16世紀フランドル風にコレクターFritz Mayer van der Berghによって建設されたものだ。しかし、擬古的建築にありがちな、映画セットのような感じや嫌みは、ほとんどない。1904年12月17日に開館している。
3Fの大きい第9室に「Dulle Griet(狂女グリート)」が裸で展示してあった。[ 12:15-12:45 ]鑑賞。前に大きな机が置いてあり、その手前からみる。机の上にはブリューヘルの版画[憤怒]がおいてあった。ずっと手前には木の長椅子もある。
ボスより明るい感じの絵だなあ、とまず感じた。また、質が十分高いということ、加筆もそうみえず、保存もそれほど悪くなさそうであることはなによりである。東京でみた、プラハの[干草の収穫]のように大きな横長の板絵、額は新しい。 この絵では中央の家の屋根にまたがり、船を担ぎ、尻から青黒いものを掻きだしている人物が謎である。この船は、ある古い記録では[青い船]だったのというが、やや緑がかった濃いグレーにしかみえない。それより、ピンク色の衣の色は、ボイマンスでみたボスの「パトモスのヨハネ」(ベルリン)に使用された色と同一のもので、衣の描き方もよく似ている。
Grietの甲冑の光沢の描写は行き届いている。靴は長靴でなく短靴で踝から上は黒い別のものに覆われている。 右端の城の丸窓の向こうで乾杯している猿と、マストへの綱に登っている動物は影絵のようにみえるがこれは本当にシルエットで内部描写はない。遠景の炎をふきだしている大地の描写は粗く、ボスのような精妙さはない、地面にたった巨大な壺の少し手前に裸の人物が2人上半身だけ起こして足をなげだしている。最前列の壺に目鼻を線描しただけの怪物は、ずいぶんのんびりした顔をしている。
左隣にはピーテル=ユイスの「アントニウスの誘惑」で水準作。
右隣にはブリューヘルとしては少し議論のある「フランドル十二の諺」。しかし、これは、傑作ではないかもしれないが、真作としていいと思う。他の小ピーテルのものとは質が違いすぎる。背景の塗りつぶしの赤はレーキだとは思うが、ボスの「幼児」(ウィーン)の背景とそっくり。
年輩の薄茶のジャンパーを着た男と娘のような女性、2人が座って、双眼鏡でみていた。実はこの2人にはアントワープ王立美術館ででも会った。美術館めぐりらしい。
ここの絵画展示は、ブリューゲルの部屋などを例外として、壁いっぱいにかけるという古い展示法が普通で、これもまた楽しい。 フランケ=ファンデア=ストックト(VRANKE VAN DER STOCKT)の板絵(ピエタ)はロヒールにそっくりなのでいささかびっくりした。背景が金地であることが違うぐらいだ。 ヘーダ(Willem Heda)の静物画(1637) は、近年ニスがかけなおされたのか、美しい。描かれた生カキがおいしそうだった。モノグラミストHDFの「パンとカキとガラス杯」(1661)も良い。クララ=ペーテルスの小品(花・板絵)が2点あったが、水準が低いもので残念。これらの静物画は、狭い通路の壁一面にかかっている。さすがヘーダのようないいものは手が触れられないような高いところにかけてある。それにしてもすごい。象牙細工が大量にケースに並ぶ部屋の壁に、ぽつんとかけてあったゴッサールト(マビューズ)「聖マグダレーナに擬した女性像」もなかなか質が高いと思った。ヨールダンスの「牧者の礼拝」があったが、王立美術館の同じ絵をひとまわり小さくしたもの、どちらもヨールダンス工房からでたものだろう。バルチモア美術館と分蔵している折り畳み式の携帯用のような祭壇画は保存がいいが、かなり古拙な感じがする。
マイヤーファンデアベルヒ美術館にはタペストリーや、刺繍などの染織品の展示が非常に多い。十二世紀フランスの美しい石彫もあった。中世から17世紀の小さな木彫も多い。また、小象牙彫刻も多量にあるが、真贋に問題があるケースが多いということをホーヴィングにふきこまれていたのと、時間がかかりすぎるので、さしてみなかった。中世絵画によくでてくる先の尖った靴の現物(皮製)もあった。貴重な彩色写本があるが、開けないでヴィデオでみることになっている。ここの最上階は、十八世紀のフランス風のトルネにあった部屋を、天井からドアからそっくり移したもので階下の重厚な感じとは違い、華やかで気持ちがいい。
とても安かったのでスライド全部と小冊子を買う。 雨がひどいので、受付のボステルズ氏に、タクシー を呼んでもらった


Antwerp Royal Museum(2001/ 9/9 14:00-16:00)
タクシーにロイヤルミュージアムといっても通じなかった、ナショナルミュージアムかと、いわれた。民主主義的なタクシーなのか?
雨がひどくなり恐怖状態でなんとか入った。ヨーロッパの宮殿建築によくみる、威圧的で豪勢な感じの建物だ。なぜか建物の前でTVスタッフがいた、展示室は2Fだけのようだ、展示質の壁は薄い空色の布を貼ったシンプルなパネルで、ちっとも宮殿風ではない、最後の部屋は19世紀絵画を中心に壁一面に絵をならべてあった、点数がブリュセルに比べて少ないので、19世紀以降を観なければ、まあ半日ぐらいでいいと思う。ただし、大作が多い。1Fにはカフェとショップがある。コートなどは、カフェの奥のクロークにあずけるのが正しかったらしいが、無理に入ってしまった。

アントワープ王立美術館で、もっとも印象が強烈だったのは フーケの「聖母子」だ。 裏地には灰色の斑点を散らした純白のウールのマントの質感がすごい、下部でなんどもしわを作っているのだが、そのしわの厚みで、マントの重みまでわかるかのようだ。、青い絹(モスリン?)の衣は、折り返しまで描写され、現在、簡単に再現できそうな感じすらする。胸の開きを止めている緑色の紐、腰からさがっている金色の飾り紐?も異常なくらいリアルである。聖母の頭部からマントの上に極薄のベールがかかっていてその描写も卓越している。一方、王冠の金属や宝石、天使がささげもつ飾りや背後のついたての黄金/宝石の描写は平板であり、ファンアイクに比べてはなはだ見劣りがする フーケ自身とフーケのアトリエにはその手の専門技術がなかったのだろうか?
聖母と幼児キリスト、天使の描写は、「生きているマネキン人形」のような感じがする。人形が突然眼を自然に動かしはじめたら、こんな感じではなかろうか?天使は着ぐるみをきた人間のような感じもする。肉体が抽象化されているせいであろう。聖母の肌はマントより少し灰色がかった純白、いくら白人でもこんな肌があるはずはない。右手は銀色がかった白で手袋かとおもったら爪がみえたので違う。 聖母の表情は冷たく、イタリアマニエリスム時代の肖像画を思わせる。実在の女性アニエス=ソレルの肖像とされるのももっともだ。髪がないようにみえるがよくみると首の両側に金髪があり、後ろでまとめているようである。髪の描写にはほとんど力をいれていない。
保存はよく、左上の微小な部分に少し、ガラスが白くなったようなところ(ニスの劣化か?)、右下のはしに破損修理かと思われる5cmぐらいの縦の長楕円があるだけである。
従来のカラー図版は、ほとんどこの奇妙な絵画の真相をとらえていない。蒼白な白、銀白色が黄色がかってみえて、実物と大違い、また、マントと胴着の質感と、天使や幼児キリストとの著しい違いもなくなっている。アントワープで売っていた新しい絵葉書がかろうじて、再現していた。(講談社、週間 世界の美術館53は意外にいい写真図版だ)

メームリンクの「奏楽の天使」が修理中だったのはがっかりした。遠くからそっと観察できただけだ。遠くからみた感じではおもったよりずっと大きい絵で、高さ1m以上ある。等身大に近いという感じがした。監視員の女性にきいたところ、修理は四年間の予定だそうだから、2005年には鑑賞できるだろう。
ロヒール=ヴァンデアワイデン 「 7つの秘跡の祭壇画」は大きい。
中央画面がかなり凸面になっている。これは横から観察してわかった。両翼は平面だ。 中央画面下部の老いた聖母の手は実に表情ゆたかで傑作というべき、特に左のアンナとの手が交錯するところがすばらしい。天使は右端の死の天使(黒ではなく濃い紫色)がとくにできがいい。つぎが左端の白い天使である。右翼下部で本を呼んでいる女はLondon Natinal Galleryの断片に左右反対のそっくりな例があるが、厚手のウールの服の質感がよい。死に瀕した人の枕のレースもよい。 一部の人物とくに右翼の子供や聖職者は全くありきたりで、これが、アトリエ作であり、全体の構想といくつかの重要部分に巨匠が腕をふるったものであろうと思われる。
最初、初期フランドル絵画の部屋に急行したところ、日本人団体が、日本人女性ガイドの「7つの秘跡の祭壇画」解説を受けていた。美術史を一応、学んだ人らしく要領のよい解説で、感心した。
その女性が「個人的に好き」と聴衆にいっていた ヤン=ファンアイクの「聖バルバラ」 は、小さい下絵だが、未完成作とみたほうがいいように思う。グリザイユではなく、素描である。作品と1体で制作されている周囲の額の、大理石をまねた模様・銘文はすで完成している。これも画家の筆であるようだから、ヤンは額のほうを先に作ったのかもしれない。額を描くときに内部をうっかり毀損しないという実用的理由かもしれない。
ヤンの「泉の聖母」は、バルバラより少し大きいだけのサイズである。額の描いてある大理石模様も同一。かなりクラックが多いが、なによりいいことは、ほとんどよけいな修理がはいっていないようにみえることだ。 ロヒール=ファンデアワイデンのフィリイプ=クロアの肖像は見事な例だが、惜しいことに、服と背景のかなりの部分が上からぬられている。
Floris Gerritsz van Shooten(ca.1590-1655?)の 「オランダの食卓」 は面白い。チーズ、黒パン、塩パン、クラッカーなどが、迫真の技法で描写されていた。パンの種類、チーズの種類がちゃんと区別できることに感心した。
Willem van Aelstの作は他でも見たが、ここの静物「桃とガラス杯」(1659)も面白かった。
Gerard Ter Borch(1617-1681)の優れた小さな風俗画 「リュート奏者」 があって記憶に残っている。画面がかなり暗くなっていてじっと眺めていないと細部がわからない。リュートが隠れていてほとんど見えないので、タイトルをみなければ気がつかないという、凝ったセッテングだ。
Antonello di Messina(1430?--1479)は15世紀唯一の有名南イタリアの画家、最初に油彩を導入したイタリア人画家という歴史的には面白い人だが、その「キリスト磔刑図」は、淡泊でどうということはないものだった。
リューベンスやファンダイクの大作がごろごろあるのだが、リューベンスでは「牛小屋」という珍しい主題の絵、ファンダイクでは簡潔な大作の「キリストの磔刑」が記憶にあるだけだ。

トラムでなんとかホテルにたどりつく。雨がやんだので、グランプラスのほうへ歩いて、食事に行く。かなり疲れ気味。このとき、教会の鐘が定時に響く町であることに気がつく。ロッテルダムでは、聞こえなかったので、カトリック圏に来たなあと感じる。
グランプラスへいく途中のWOLSTRAATと、OUDE BUERSは、驚いたことに骨董・美術商街であった。それも、わりと、安手な感じの店が多い。中国古美術の店もあったが、偽物しかウィンドウには出していない。とにかくずっとグランプラスまで骨董・美術商が続いているのには驚いた。ガラクタが積み上がったような店のウインドウにPuyverdeの「Primitive Flamand」という画集があったのだが、店が開いていない。
夕食は、有名店のレストラン「Roden Hoed(赤い帽子)」にしようかと思ったが、誰も客がはいってないのと、少し軽いのがいいかと思って Anthony Van Diikで軽い食事、ムールオヴァンとサラダ、白ワイン1/4リットル、ビール小瓶( Antoon Konniek), コーヒー。
ホテルへ戻ると別の女性がフロントにいる。 どうも、ここのスタッフは皆女性のような気がする。 このホテルもたいへん静かだ。


2001/9/10 午前 アントワープ、晴ときどき曇。
ホテルで普通の朝食。
まず、商店街の銀行の前の機械でキャッシングする。次に、聖母教会にいく、1980年に旅の無事を願って献金を約束していたからである。 3000f献金。口が漏斗状の銅になっている箱にポストのようにいれるだけだから、面倒がない。

ここの有名なルーベンスをみる。まったく大きな絵で、力作には違いない。この大きさの絵をみると、家具というより建築という感じすらする。板も、合板なのだろうが厚く、下部は赤い大理石のごつい台となっている。
「キリスト降架」の左翼のたぶん妻をモデルにした聖母、中央下部の、たぶん娘をモデルにしたマグダレーナ、「昇架」外側の娘をモデルにしたユデット、などをみると、絵画の力で、かりそめの人間の肉体・肖像が21世紀まで届いている不思議さを感じる。 長く公開されてきたせいか、ニスがかなり黄色くなっていて、色を隠してしまっているのが残念だ。ただ、この絵をクリーニングするとすると莫大な費用がかかるだろうし、長期間公開できないということになるから、なかなかとりかかれないだろう。

帰国後、友人から、パリでみたルーベンスのできの悪さを聞いた。 図版でみる限り、カトリーヌ=メヂチスの絵など大画面のせいだけでなく、あらっぽすぎるようだ。

教会前のみやげ物屋でアントワープ市のワッペンとステッカーを買う。

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