ボス展、


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絵画イメージは、下記サイトを参照してほしい。

  1. ボイマンス美術館(英語) -- ボス展の開催地
  2. ボスの世界(英語) ボスの解説サイト。 ボスの全絵画のイメージ、解説など、 掲示板、ゲームまである。
  3. プラド美術館 --

ボイマンスの「放浪者」は、ボイマンスのものでは最も美しく、おもわず額絵を買ってしまいスーツケースに入らず苦慮した。図版で想像するより、ずっと明るくすっきりした明快な絵である。牛の描写もしっかりしている。 男の眼が露骨に迷い、後ろへ未練たらしく注がれている、腹からでてる動物の足はずいぶんはっきりしている。土の描写がとても穏やかである。真ん中に縦に平行して、3つの筋があり、縦に長い板が横に4枚継ぎのようにみえる、祭壇画扉から切ったものか?背景を含めて質がよい。
フランクフルト市立美術館(ステーテル美術館)のエッケ=ホモは高品質、前面下部左の奉献者を消した跡がありありと見えた。また、全面右にも奉献者の子女の頭部らしい数個の消しあとがある、頭部の表情描写、顔の皮膚の感じ、服の輝きと質感、背景の町の情景の美しさなど最高。イエス・ピラトが乗っている台・建築物の石の質感が実によくでている。背景の都市風景の黄色っぽい感じから、これはプラドの「三賢王の礼拝」に近い時代の作ではないかと思う。
マドリード:ラザロガルディアーノ財団の「洗礼者ヨハネ」は、保存がよくとても美しい。写真のぼけた感じとは極端な差がある。全面の植物の生々しさ、葉や実の量感は、まだ枯れてはいないことを思わせる。従来の[枯れた異界の植物によって、肉欲の克服を示す]という解釈には疑問を感じる。背景のこんもりとした樹の群が非常に美しい。
「聖アントニウスの誘惑」(プラド)は古い額がぼろいが、確かに傑作、裸で展示されている。アントニウスの眼は瞑想というより、実に悲しそうな絶望的な眼である。横の豚はむしろしっかりものの眼で「ほらアントニウスしっかりしろ」といっているようだ。悪魔の攻撃はほとんど、戦争/放火を暗示している、左上の奇妙な玉葱のような民家は、よくみると左にわずかな赤、扉の中に赤、前面の壁にヒビがあり、いまにも火災で崩壊寸前である、木の幹には滑らかな質感がある。水面から叫ぶ男の頭の上にある羽根のようなものは、手らしい。特に延びている茶色の線は爪の1本が異常に延びているようにもみえる。ここは、水路が縦横に延びている土地のようで、水面に映る木の影、橋の影など、水面の影を随所に施してあるが、機械的に全部に影をつけてあるのではなく、効果をねらったところだけに意識的におこなっている。前景の緑の大地は、平塗りで大和絵のような色合いを感じるところがある。
大洪水パネル裏面のトンド4個(ボイマンス)は痛みがひどいが、帯状に削ったような傷で、それ以外はよい保存状態である。古い写真ではこんなキズは無いのでこれは最近後世の補筆を削り落とした為らしい。ちょっとやりすぎではないだろうか?  美しい灰青色のグリザイユ、表情がややありきたりであるので、アトリエ作かもしれないが、いいものだ。改しゅんした人間の前のキリスト、の背景には小さな怪奇な木がみえる、[大洪水の後]は灰青のグリザイユで、非常に保存がよく美しい、一方[大洪水の前]のほうはひどく剥落している、色は全体に黄色っぽい灰色で[大洪水の後]とはかなり違う色合いである。
「愚者の手術」(プラド) は、手前のゴシック風の芝生描写、背景がとくによい。
ヴェネチア:ドーチェ宮の4枚パネル「ヴィジョン」は、[地上天国]が最も保存がよく美しい。[墜落]はあまりにも滂漠ととしているし、地獄もよくわからない、[上昇]もかなり表面があれているが、なんとか質がわかる。天使の顔が下膨れなのはおかしいとおもっていたが、どうも髪のかたちからの勘違いのようだ。天使、人間ともに確かな描写で、優れた作品である。
ベルリンの「パトモスのヨハネ」は傑作とは思うが、かなり痛んだところがあるのではなかろうか、ラザロガルディアーノの「洗礼者ヨハネ」に比べてやや表面ががさついている、裏面のグリザイユは傑作だが、中心に赤い炎が燃えているのがすごい。鳥はペリカン(救世主の象徴)だそうだが、ヨハネの象徴の鷹のようにもみえた。円形の外側は地獄図のようで悪魔怪物が散らされているようだが、非常に薄れていてみにくい。ミュンヘン アルテピナコテークの断片のようなものらしい。
ウイーンの「十字架を運ぶキリスト」は、やや弱々しい描写である。裏側の「車で遊ぶ裸の子供」のグリザイユのほうがいい。裏面でベタ塗りしている赤は、アントワープのブリューゲル「十二の諺」の赤とそっくりな顔料である。
サンジェルマンアレーの「手品師」はボスの他の作品とはかなり違う感じがする。優れた作品だし、犬の描写はリスボンの聖アントニウスの誘惑」三連祭壇画にでているものとそっくりだが、かなり不思議な感じの絵である。
ボイマンスの「聖クリストフォルス」は、どうも理解しにくい。ボスの作品を1.5倍に拡大コピーして、溶剤で洗ったような感じすらする。全体に洗い過ぎのような、ボーとした感じだ。樹木年輪法による分析では、問題はないようだが?(1488年以降の伐採材)。
ボイマンスの「女の顔」断片は、小さすぎて誰の作品か判断できないと思う。 十五世紀だとは思うが。
ルーブルの「愚者の船」は、全体に霞がかかったようで迫力がない。エール大学の[アレゴリー]は極端に洗いすぎ、背景の緑がボロボロになっている。または痛みきっている。線が稚拙で、真跡かどうかもあやしい。ワシントンの[守銭奴の死]は、ひどく洗いすぎたせいか、地の下描きのハッチングがみえている。メロンコレクションには、しばしばこの修理しすぎ洗いすぎがあり、精彩がないことがある。 年輪の詳細な観察によると、「愚者の船」「アレゴリー」[守銭奴の死]の板は、「放浪者」と同じ木からとった板だそうだ。とすると、同じ祭壇画の一部であるか、板の両面に描いたものをスライスして、別々にパネル仕立てにしたものか、ということになる。これら4点は、ボスの他の板絵に比べて非常に薄い(2ー5mm)んだそうで、おそらく表裏にスライスしたものだろう。ただ、「放浪者」と他の3点はかなり質が異なる。良いほうからいって、「放浪者」、「愚者の船」[守銭奴の死]「アレゴリー」の順である。一つの板の両面に別の画家が描いたり、まったく違う題材を描くということは、かなり頻繁にあったようだ。例えば「大洪水」パネルの両面にも少し差がある。もともとこのパネル材はバルト海沿岸からの輸入品だったらしいので、再利用も頻繁に行われたのではないだろうか? ブリュージュのグロニンヘン美術館には、1面に聖画、もう一面に風俗画を描いたパネルがあり、どうみても両面の時代が半世紀ぐらいは違ってみえる。

真跡で基底材の板がみえているものについては、全て同一材料のようにみえた。 -------

アラールトヒーメル
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ボスと交渉があった建築家版画家のヒーメルの版画は、私はまったくみたことがなかった、ボスとの合作で、[神秘な象]、[最後の審判][工芸品の意匠]など10点ばかり展示されていた、特に意匠版画が大型で1mぐらいあり、古い時代の版画は小さいという固定観念を破るものである。これはデザインブックとして、他の土地の職人に利用されたものであろう。ショーンガウアー/デューラーにもデザインブック的な作品がある。木版なのか銅板なのかよくわからないが、太めの力強い線である
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コピー
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快楽の園  左翼(プラド)は明らかにコピー、キリストの顔が怖そうな男性的表情になっていて、原作のあいまいな表情とは違う、イブの表情が慎ましさを強調したようになっていてこれもかなり違う、イブの肉体の微妙な美しさも写し取ってはいないのが残念、コピーは原作より図式的になるいい例だと思う。裏のグリザイユも絵解きっぽいのだが、分かりやすい写真がないので、むしろありがたかった。
快楽の園中央画面のコピーが2つ、ブダペスト美術館のものと、個人蔵の(伝)ミハイル=コクシー作というものである。ブダペストのものは破損が極端にひどいが、意外にいいものかもしれない。ボスにかなり近い。時代の近いレプリカである可能性がある。この破損は人為的なものかもしれない。縦と横に切りまくったような感じである。 一方、コクシーの作は非常にきれいだが、人物が皆人形のようで、おくゆきが全くなく、模写の難しさを感じるところである。 本当に、ボスから半世紀後のスペイン王から模写を委属されたコクシーの作なのだろうか?と少し疑ってしまった。
ボスの祭壇画をもとにしたタペストリーが4点あるが、「快楽の園」のタペストリーだけ、ずいぶんしわしわになり痛んでいる。マドリードの王宮のものだが、よほど使用されたらしい。これは「快楽の園」の図像が別に特異のもの/隠す必要のある陰微なもの、とはみなされなかったことを意味する。
プラドの[キリストの捕縛]を中央にした3幅対はヘンドリック3世由来の教会からヴァレンシアに移ったものだそうだが、明らかに後世のコピー、ボスリバイバルのころのものか? フェリペ2世よりあと17世紀に近い作である。リスボンの「聖アントニウスの誘惑」の部分コピーも数点あったが、あまりできがよくない。ブリュッセルに実大のかなり精密なコピーがあり、鑑賞した。裏のグリザイユのコピーが特にできがよかった。
プラドの三賢王礼拝のコピーも、それほどいいのはなかった。
原作は存在しないが、コピーと考えられるものに、プリンストン大学美術館の[ピラトの前のキリスト]がある。これは部分的には、実に生彩があり、ゲント市立美術館の傑作「十字架を運ぶキリスト」にも近いのだが、ところどころ妙なところがあり、ボスのアトリエの周囲のレプリカじゃないかと思う。まずキリストの右の不可思議な楕円形が2つある。穴の修理痕かもしれない。ガンの作品にもみえる先のとがった三角錘の虹色の帽子の色が稚拙、キリストの表情がややふてたような感じでちょっとボス的な精神の探求が感じられない。
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デッサン
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素描は知る限りのものが、事実上全て展示されていた。技術的にはボスのデッサンはオランダのオールドマスターのデッサンとあまり代わりがないようにみえた。
ウイーンの木男は、眼付きが怖い/鋭い、[快楽の園]のやや諦観したような眼付きとは違う、ベルリンの眼と耳のある森は作品そのものはそう感動しなかったが、上にボスの信条のような文章があるのには感動した。ボイマンスの[ふくろうの森]の背景には行進[軍隊の進軍]があるようにみえた。両面に怪物を描いた2枚のデッサンはさすがによどみのない優れた線である。
愚者の船」や「守銭奴の死」のホワイトチョークのようなデッサンがでていたが、これらは、「準備制作ではなく、作品を模写したメモである」という解釈をしていた。
アントワープで1540年ごろ出版されたらしい「乞食」の版画などをみると、一部の(伝)ボスのデッサンはこの種の版画の下絵であって、ボス派の作品のように思う。
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流派作
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ブリュージュの[最後の審判]は20年前にグロニング美術館でみたものとは違うようだ、色彩が鮮やかで美しい。しかし、線や描写図象自体はそれほどよくなく、残念である。保存のよい、文字通り、ボス在世時のアトリエ作だろうか?? この外側のグリザイユは「内部よりずっと水準が高い」ということになっているが、何が描いてあるのかどうしてもつかめなかった。あまりに痛み、薄れている。
流派作でもっとも美しいとおもったのはアイルランド、ダブリンの美術館にある[リンポに降りるキリスト]だった。復活したキリストが霊体として地獄の辺境に降り、キリスト以前に生きたギリシャ・ローマの賢人たちなどをみな救って天国へ迎えるという伝説を描いたものである。ブリューゲルも版画の題材にしている。全体に出来がよく、流派昨のなかでも、出色である。左上のグリザイユ風の奇怪な樹木(快楽の園の背景のような)ものが特に美しい、キリストの浮揚感もみごとである。横30cmx縦17cmぐらいの横長の板絵である。
ロッテルダムの「カナの結婚」は樹木年輪年代法でボス死後の1553年以降であるとされて、コピー/流派作に転落してしまった。これで大論文を書いたフレンガーなど立場なしになってしまうが、故人だからまあいいか?美術史の難しいところである。まあそうみて感動するものでもないからまあいいか?というところである。上端左右の歪んだ四角形は額がおおっているところであり、絵ではない。
ブリュージュの[ヨブの祭壇画]は結構よいものだが、なんとなく散漫である。その模写もあってそれはさらに落ちる。
メトロポリタン美術館の「三賢王の礼拝」は古拙なスタイルのもので、ボスだとしたらよほど初期のものではないか?  背景の風景がボスの他の絵に比べ異常なほど白っぽい青でちょっと違和感を感じる。これのヴァリアントは非常に多いものらしく、3点もある。大同小異で特に感動するわけではない。
「サンチアゴ巡礼者の盾」という木製くりぬきの70cmぐらいの円形の盾があった。 その表面にボス風のやや俗悪な絵が描いてある。縁にはぐるりと文字帯になっていて、銘文が入っている。裏には何もない。ピーテルユイス?とされていたが、珍しいといえば珍しい。
フラマリオン版にみる流派作は事実上ほとんどみることができてとてもありがたかった。なかったのは、ブリュッセルのアンドレヒトにある祭壇画ぐらいである。
流派作として、ブリューゲルの「バベルの塔」という傑作がさりげなくでていたのは、とても嬉しかった。ガラス1枚でおおっただけなので、鼻をくっつけんばかりに鑑賞できる。
現代のオランダの版画家M.C.エッシャーに「木男」を描いたものがあるのは当然とはいえ面白いことだった。
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関係作・関係資料
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「愚者の手術」にはヤン=ステーンはじめ、麻酔なしの初期脳手術の身の毛がよだつような苦痛の表現のものがあり、正視に耐えない。
アラミレ工房作をはじめとする美しい写本が多く展示されていた。写本挿し絵にはボスに似たものがあり、興味深いが、フランドル派の音楽家ピエール=ドラリューの6声のミサのキリエ写本1葉があったのは嬉しかった。
ス=ヘルトーヘンボスの大聖堂のバットレスにつけられたグロテスクな石彫が6体来ていた。これらはボスに先行し、影響を与えたかもしれないとされているものである。
ボスが参加した聖母マリア兄弟会の記録の写本があった、これは、「ボスとよばれるファンアーケン」という記述がある最初の証拠である。ただし記録原本は存在しないので、最古の写本が展示されている。セピア色のインク、の十六世紀風の書体の分厚い写本だった。
ランプソニウス編集の本のボスの肖像があるページがあけられていた。
セバスチャン=ブラント「愚者の船」の初期印刷本が2種も展示されている。
快楽の園、左翼のキリンそっくりの図像があるイタリアの本の写本があった。
ボスと前後する時代の小さなブロンズのバッチが大量に展示されていて、ボスの図像との比較が拡大写真で行われていた。確かに奇妙な淫らな感じすらあるバッチが多く、興味深いものだった。また、ボスの絵の部分拡大も面白い。ウィーンの「最後の審判」左翼の反逆天使との戦い」の拡大をみると、これはかなりいい作品だなあと思う。
出口近く、ボスにちなむ現代彫刻がならぶあたりに、15ー6世紀らしい大きな木造の彫刻がかなり展示されていた。傷みもひどかったか、なかなか見物である。
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1500年前後の同時代作品
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ボイマンス所蔵作品のみから選んだもののようだ。
ヘルトーヘン=トート=シントヤンスの小さな「聖母子」が最高にいい。A5ぐらいの大きさしかない。聖母子のまわりの、白灰色で描いた天使の群の、超細密なグリザイユは、驚くばかりである。 眼を近づけなければ見えない、これじゃ写真じゃなにがなんだかわからないはずだ。聖母子のすぐ近くの天使は聖母子をささえ、その外側の天使はキリスト受難の刑具を持ち、更に外側の天使たちは皆楽器を演奏している。ツィーター、ファゴット、トランペット、リュートなど。最下部中央の両手にベルを持つ天使は眼を大きく広げて恐怖/驚きの表情のようにみえるのが不思議だった。もっとも蛇をふまえた聖母は黙示録(第十二章冒頭)からだから、なにか真意があるのかもしれない。聖母の手は不釣り合いに大きい、左下の1天使がもっているドッコのような楽器と同じものを幼児キリストが持つ。ガラガラか?聖母がふまえている蛇は平面的で補筆があるかもしれない。聖母の衣が赤いのも異例である。
「処女たちなかの聖母の画家]の「受胎告知」はこのましく、上品、繊細である。70cmぐらいの中くらいの絵で、天使ガブリエル/聖母とも少女のような感じである。実はどちらにも光輪も翼も無く、高貴な若い恋人たちの出合とみえなくもないほどの親しみ深い描写である。聖霊を象徴するハト、壷に挿した百合がかろうじて聖画にしている。この二点は、どちらもフリードレンダーの名著「ファンアイクからブリューゲルまで」で親しんでいたが、これほど良い作品とは、思わなかった。 マサイス(?)のミルク粥を与える聖母があった。この図像は結構あるものらしい。ブリュッセルのヘラルト=ダヴィドの作も同じくらいの大きさの小さな板絵である。ファンアイクの3人の聖女は展示されていなかったのが残念、時代は確かにずっと遡るが、この際だして欲しかった。また、ブリューヘルの「キリストの復活」も観たかった。
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会場
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9/8土曜だったせいか、10時半ぐらいから混みだし、11時ごろにはオリジナルの前では待たないと鑑賞できなくなった、「放浪者」は最初にあるので特に混み、9時半ごろに一度みただけになってしまった。13時では既に日本のイタリアルネサンス展なみの混み方になっていた。9/14金曜日もウィークディーというのにかなり人が多く、11時ごろには、ならばないと「放浪者」はみれなくなってしまう。アトリエ作だとは思うが、ブルージュの「最後の審判」は色彩がきれいなせいか人気がある。
20flという価格は相当高いらしく、通行人までみんな高いといっている。 会場は入るといきなりボスにちなむモダンアートになるのでめんくらう。 場外に並ぶためのテントを用意したぐらいの意気込みだが、9月2週土曜でこれだから、 11月にはテント増設が必要かもしれない。 欠点として、ボスにちなんだモダンアートの映画を1Fで上演しているがその声が2Fに漏れてくるのがいただけない。 また、出口がわかりにくい。年輩の紳士についていったら、庭園にでてしまいいきどまりになってしまった。跡からきた若い2人も同じことをやっている。実際は食堂の手前から外に出る。入ってきたテントのところに出ることになる。
19世紀20世紀のギャラリーは、あいていて鑑賞できる。膨大な量だがそうおもしろいものはなかった。ブーシェの「シノワズリー」は東京のブーシェ展でみたものだが、ここで再会した。 地下に11世紀〜20世紀の食器。台所用具を組織的に大量に、破片を中心に収集したものがあり、ユトレヒトやデルフトの窯跡からでた出土状況をそのまま再現した展示が興味深い、また15世紀から現代までの、の破損したガラス杯などが大量に展示されており、陶片室をみるようで興味深かった。これは結構感動した。
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馬鹿
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ゲントで、トラムを乗り間違えて、市立美術館にいけず、ボス2点をみそこなった私 (注  ゲントはタクシーがほとんどいない)。 ベネチアの[上昇]にたいして、[円筒のむこうにいる人物はマンガみたいだ][ボッシュはこんなものなんだよ]とかわけしり顔でいっている日本人の痩せた男。