種々薬帳 巻頭 | 種々薬帳 巻末近くの部分 |
摩訶摩耶経 | 生経 | 造佛作物帳、京都国立博物館 |
正倉院所蔵の天平勝宝8年6月21日付けの東大寺大仏への献物帳「種々薬帳」の書風は、他の献物帳とも異なるだけでなく、奈良朝写経にも例をみつけられなかった特異な書風である。
字が小さい割に点画が太めで、三過切を強調しない。横画はすべりこむように入り、終わりはおさえるだけの文字が多い。また、右払いの柔らかい太い押さえ方、右上角の丸い処理などが目立っている。そして、重心が低く、偏平に傾く。「之」字は。まるで北涼の写経のように右払いが太くなっているが、全体には北涼風の荒々しいところは無いので、南朝・陳の趣味だと考えるのが妥当だろう。
敦煌写経のなかでは、パリBiblioteque Nationale ペリオ=コレクションにある2種の陳時代の経が一番近い書風を示している。それは、至徳四年(ACE586)の「摩訶摩耶経」(Pelliot Chinois 2160)と太建八年(ACE576)「生経」(Pelliot Chinois 2965)である。
意外に奈良朝写経に類似書風が乏しく、正倉院古文書・伝正倉院古文書のなかに、類似のものを探すと、「造佛所作物帳」が近い。天平末年ごろには反故として使われ、裏に他の文書や落書きが施されているので、重要な公文書ではなかったようだ。正倉院の他、断片が京都国立博物館などにも所蔵されている。この文書は天平6年ごろ(ACE734)の文書であるし、種々薬帳のACE756とは22年の隔たりがある。また、「分」の右払いを内向きにする癖があるが、種々薬帳は外向きに払っている。書風が近い師弟のような感じがする。これは写経生ではなく官吏の一部で流行した書風なのだろうか?
こういう薬物のリストを清書する場合、それなりの知識がいるだろうから、薬剤師や医師の心得のある人なのかもしれない。
正倉院の東大寺献物帳は、5種類あるが、某氏が種々薬帳と国家珍宝帳が同筆という見解を最近マスコミに公開していたようだ。どう観ればそういう見解がだせるのか不思議だ。筆癖でいうと、両者に多数ある「斤」字が全く違う。