プラド美術館展、東京、2006

2006/4/5 prado travelling exhibition エスコリアルの無原罪のおやどり:206x144cm , inv. 972プラド美術館を訪ねたとき感じた「ムリーリョは大きいほど良い」ということを再確認した。同時展示の2点より大きなこの作品がもっとも良かった。上部の天使は殆ど淡彩素描であり、全体に淡泊素朴な感じがとても良い。フラゴナールやワトーを思わせる。昔、池袋東武美術館で実見した、少し小さなエルミタージュの同主題の画は、技術は優れているが少し余裕がないように思う。月の上に立ってセラフィムに囲まれた聖母だが、ふとロッテルダムのボイマンスにあるヘルトートヘン=トート=シントヤンスの不気味な小さな聖母子を思い出した。ルネサンス以後だと、これだけ両極端に違っているのも珍しいだろう。

サンチェス=コターンの静物画は、画面のなかで人参の描写だけが良く、他はあまりたいしたことがない。残念だ。ルイス=メンデスのパンを描いた静物画・台所画「ボディコン:プラム、無花果、パン、小樽、水差し」35x48cminv.927のほうがずっと良い。ただ、このメンデスの作品は板の会わせ目が上部上から3cmぐらいにあること を考えると、大きな作品の一部かもしれない。机には木目と無数の傷がある。無地の机が多いのに珍しい。
ボディコンの中では、有名なスルバランの静物画を鑑賞できてよかった。水に濡れた施ユウ陶器のひんやりとした感じをよく表している。一方、焼き締め陶器の描写、金属器の杯や皿はそれほどでもない。ただ、材質が 銀ではなくこういう表面の金属なのかもしれない。

ベラスケスの「ディエゴ デ アセド」inv1201は精密画でないのに物体の質感をわずかな筆で表現する驚嘆すべき作品。特に前景の本の描写が良い。ハーグのモーリッツハイスでみたヘームの古本の絵を思い出した。ただ、傷みがかなりひどい。

テニエII世,[村祭り] スナイデルス[果物売りの女]は、保存の良い佳作。アントワープなどでみるものよりずっと保存がよいようにみえる。
テニエII世,[村祭り]では、前景の人物の奇妙な立体感が不思議であり、人形をおいているような非現実的な感じを受ける。これは人物の静物画化というべきものかもしれない。
アントワープのフランス=スナイデルスの旧宅は、扉に触ってきたし、アントワープ、ブラッセルでも遺作は多いが、これは一流品だ。左上の窓がみえるほど保存がよく、果物や野菜の描写は真に迫って気味悪いくらいである。金銀器の描写もよく、ブラッセルのヤン ブリューゲル「黄金盃、時計のある静物」より優れている。女性の描写も穏当。ただ、意外に鳥と猫はおざなりだ。

ここに来ているルーベンスは、トップクラスの絵画か疑問である。一方、アントン ファンダイクの二点は、大きさこそ彼にしては小型だが、水準をいくものであり、ダイクのお約束的作品、標準的作品だと思う。
クロード ロランの作品は人物の周囲が変で書き直し上塗りがあるのではないかと疑った。

ゴヤは画家にふんした夫人像「ビリャフランカ侯爵夫人」が最も素晴らしい。指や肉体の柔らかく太った感じ、豪華な衣、性格を表す顔、いずれも賞賛に足る。

チラシやポスターに図版がでている絵画がベラスケス(ディエゴ アセド)とスルバランの静物を除いていずれもそれほどではないものであることは、いつもながらあきれた。企画段階では優れた作品の出展は交渉中だから先行してつくるポスターなどにいれることができないのだろうか?