古代中国青銅器の錆(2006/3/30)

古代中国青銅器の錆について概観する。文献(1)に基本的には依存している。 青銅器は制作当初は、銅錫鉛の成分比によって黄金色〜銀色だったはずだ。土中、墓中、水中(地下水)では、必ず表面に腐食膜ができる。この膜は金属光沢があり、文献(1)に従って光膜と呼ぶことにする。光膜の外見は、青銅の成分、周囲の環境、内部の腐食の状態によって種々の色になる。概して腐食の進む順に、銅黄色、銀白色、銀灰色、灰黒/漆黒色、紫褐色、湖緑色、粉白色となる。 文献(1)は、銅が先に腐食しやすいため、腐食によって錫が表面に層を作り鍍錫したようにみえること、従来鍍錫器とされているものは全て腐食膜のせいであることを指摘している。この説の当否は他の研究者の意見も聞きたいところだ。光膜から更に腐食が進行した錆には、3つのタイプがある。


タイプI 

タイプII 

タイプ III 

 タイプIは、表面の金属光沢と形状を保存しつつ内部が緑色の金属塩に交代するため、いわゆる、緑漆古、半脱胎の状態になる。この錆が内部を完全に侵してしまうと器全体が粉末化する危険がある。まだ金属部分が中心に骨のように(月餅のあんのように)残っている状態は半脱胎といい、形状をとどめているし、光膜(緑色)で表面の形も残っている。ただ、内部が比重の軽い金属化合物になるので1/2以下に軽くなる。清浄な硬水中では美しいアズライト(群青、炭酸銅)が生じるが、硫酸イオンが少しでも混じると硫酸銅になる。 この腐食は、淮水以南、安徽、湖南、湖北、広東、広西、江蘇出土の青銅器に多い。
 タイプIIも表面を保存するが、内部の色は異なる。表面の上には緑青が重なり合うが、内部は紅褐から紫褐色になる。内部の腐食がそれほどでないときは銅黄色、進行すると紅褐色、更に金属部分がなくなった部分は紫褐色になる。断面が紫色を呈したら、腐食が危険な状態になったと考えるべきだ。この紫褐色の部分には緑色の化合物も混じるのが普通である。安陽の殷虚青銅器が代表的なタイプIIの状態を呈する。黄河流域出土青銅器にタイプIIが多く、華北、西北、東北各地出土青銅器にも多い。
 タイプIIIは、表面の光膜を破壊して錆が吹き出す。これでは原初の形は、全くわからなくなってしまう。また、体積が膨張するので生起する場所によっては器を引き裂いてしまうこともある。タイプIの表面にも斑点のように生じることもある。この錆の場合、除いてしまうと器がなくなってしまう。華北、西北、淮河流域に多く、江南には少ない。
文献(3)で中野徹氏は、錫が多く鉛が少ない白銅質に近い中原の青銅器と、鉛が多く錫が少ない中原を囲む長江流域、西域の青銅器を対照的に論じている。錆についても前者の黒い光膜(黒漆古)と後者の緑漆古に言及している。また、後者の吹き出てくる錆タイプIIIを指摘している。
 1993年夏に池袋オリエント美術館で河南殷虚婦好墓の青銅器を観た。錆はタイプIIである。白鶴美術館の青銅器も多くはタイプII、または黒い光膜の状態である。

タイプIIIは器の表面を破壊してしまうため、展示不適品となってしまい、美術館ではかえって観ることが少ない。タイプIの表面にタイプIIIが水泡状に散在することが多いようだ。東京国立博物館の伝)安徽省鳳陽府出土青銅剣2ふりはタイプIの典型であるが、一部にタイプIIIが散在する。タイプIでは殆ど緑色の光膜になるのだが、出土地からタイプIになりそうな四羊尊は灰黒色である。羊尊でも根津の二羊尊は緑漆古、大英博物館の双羊器もそうである。上海博物館の羊頭飾器も表面状態は酷似している。これらは同じ地域の生産/出土品だろうか?
小生所蔵の金銀錯帯勾は、紫褐、褐色、黄色、緑色が混合して表面に現れている。明らかにタイプII、中原のものだろうか?一方、七弧文秦鏡は緑漆古であり、安徽省か?ただし反射面をみると白銅質に近い。また重量もあり殆ど脱胎していない。反射面の一部に群青が現れているので白銅質の中原の鏡が楚地の硬水地下水の中で保存されたものか?また、粉末化寸前の矛頭もある。これは楚の製品だろう。

文献

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