王羲之 袁生帖
袁生帖の伝世
- 張彦遠の右軍書記に、袁生帖の文がのっている。ただ倍以上長い。(法書要録に収録)
- 宣和書譜(元刻)に収録されている。
- 淳化2年の淳化閣帖に刻されている。
淳化閣帖では、現状とほぼ同じものになっているから、法書要録本からの切断は晩唐と淳化2年の間である。
- 大観帖第6巻に刻されている。
- 澄清堂帖に刻されている。
- 真賞斎帖に刻されている。
- 三希堂法帖に刻されている。
- 高士奇 江村書画目 500両
- 安岐 墨縁彙観に著録されている。
有隣館本
京都、藤井有隣館所蔵の[袁生帖]墨本が良い写真で
墨スペシャル に掲載された
紙本、もとは白紙だったのだろうが、灰黒に変わっている。どちらかというと自然な古色で、東京国立博物館の伯遠帖模本のような偽の古色をつけたものにはみえない。墨色は灰色がかり松煙墨であろう。
青い紙の題箋に金泥で題書
文徴明の小楷跋文(紙本)がついている。宣和内府印はすべて偽印。程埼の印がある。他に、「陳守吾過眼」「守吾」、「伯盧審定」、「晋松草堂」、「精鑑晋○」
真賞斎帖から三希堂法帖まで刻された模本とは別の模本である。
理由
- 張彦遠「右軍書記」(法書要録に収録)の記録のとうり、也の前に尽字の剥げた痕と最後の一画が残っている。淳化閣帖以後、三希堂法帖まで、すべてこの字はない。とくに、剥触まで精細に刻する真賞斎帖でさえこの字はないのだから、別系統の模本である。
- 清朝の印がまったく押されていない。三希堂法帖に刻した名帖に、乾隆帝の魔手がのびなかったとはとても考えられない。大印をべたべた押したはずだ。
- 安岐:墨縁彙観の記述では「月白絹題箋」となっている。有隣館本は碧箋題箋である。
- 三希堂法帖と同じ、文衡山の跋がついているが、跋は他から移してきたり、模写した跋をつけたりすることが多い。ただ、有隣館本の跋はすぐれているので、三希堂法帖本のほうがあやしいのかもしれない。16世紀前半嘉靖年間の著名な収集家である華夏の所蔵だったころにこの跋は書かれている。しかし華夏の印は本紙やその周辺にはない。したがってこの跋は三希堂本についていたもので、ある時点で切り離され、ここに移ったものではないだろうか?
三希堂本には模写がつけられたのであろう。
評価
有隣館本の模写は三希堂本より古いかも知れない。少なくとも、1字多い、より古い形を伝えている。古い印がないのは、長い巻物の一部だったからだろう。蔵書印は巻頭と末尾に押すことが多く。中間部を切断すると切断した1紙には、印が全くないことになりやすい。
御物・喪乱帖が7帖を集めたものであるように、唐代の模本は複数の帖を1紙に模写して、30行ー100行くらいの巻子本にしたらしい。正倉院の目録と、遂良の目録を比較すると模本の長さ、表装形式がよく似ている。このような模本、または模本をもとにしてさらに模写した模本(重模本)が切断されずに伝世していた可能性がある。
1992年に観たときにもそうおもったが、台北故宮博物院の快雪時晴帖に似た印象を受ける。快雪時晴帖の本紙には、信じるべき古い印はまったくない。これも、おそらく長い模本を切断したためだろう。袁生帖と快雪時晴帖は同じ長い模本の一部だったのではないか?と、根拠もなく推測したくなる。
六朝時代の書跡は考古発掘品でなければ、真跡の伝世品はまず存在しないので、悪意の偽贋のものでなければ、模本は高い価値を持つ。蘭亭と同じで、模本のなかから真跡を推測するしかない。だから、質の良い模本がより公開される必要がある。
REFERENCES
- 張彦遠, 法書要録, 人民美術出版社, 1984
- 名古耶明, 新発見の王羲之「妹至帖」, 墨美251, 昭和50
- 大観帖第6, 上海書画社
- 三希堂法帖釈文
- 表立雲, 袁生帖の発掘,「墨スペシャル 王羲之を学ぶ」
- 高士奇, 江村書画目, 東方学会, 1924
- 孫承沢, 庚子消夏記, 北京, 龍威閣
- 安岐, 墨縁彙観, 天津市古籍書店影印叢書集成本(1935), 1994
- 有隣館精華, 藤井有隣館, 1985, 京都
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