2004・10・16
香港空港からマカオへのジェターボジェット船上で、書いている。
行きの成田はかなり混んでいて困惑した。KLMの便が1便完全欠航していたのにも驚いた。
ゆうゆうの時間でいったつもりだったが、どちらかというとちょうどいい:ぐらいだった。
キャセイに乗ると意外に空き空きである。だいじょいうぶかと思うくあらいだが、出発間際になるとまあ5割になった。機内食はチキンといったら、少なくなっているという話で、それでもいったら、和食の東坡肉をもってきた。ひょっとしたらビジネスクラスのあまり物かもしれない。
がっついて食べていたら、スチュワーデスが腕にぶつかり、ビールとその他が子ラックスなどに飛び散った。これはひどい。やはりもう1本スラックスをもってくるべきだった。急いでタオルなどを多数要求、スチュワーデスも責任を感じて炭酸水をふきとるためにもってきた。なんとかリカバリーし、まあシミも臭いもないのでOK。
到着後、ジェットフェリー乗り場まで行くのにかなり手間取った。また、承知の上だが、異常に待ち合わせが長い、1時20分に飛行機が
到着して、15時30分にフェリーが発である。いくらなんでもせめて1時間以内にしてくれなければ、今後利用するかあやしい。昼間の
頻度が2倍になるだけで相当観光客の利用があると思う。もともとこの船は深センとつなぐのをメインにしているのでマカオには弱い
ようだ。
このフェリー、噂どおり外洋のくせにほとんど揺れず、瀬戸内海フェリーのようだ。天気や風速にも依るのだろうが、
この点は評価できる。また、席に注文をとりにくるのも妙である。私は機内食とビールで、空腹ではなかったので、遠慮。席の設計は
飛行機のそれで救命胴衣が席の下にあることまでそっくりである。
港で手続きしてそのまま、荷物を持ったままで美術館(写真1、外観)へタクシをとばした。 17:30-18:20まで鑑賞。このときは、疲れたせいか意外とおおざっぱに観ていて、傑作を見逃した結果、かなりがっかりした印象がある。 美術館から至近のホテル、マンダリンオリエンタルへチェックイン。夕食は、ネクタイをして陸軍クラブレストランへいくも断られる。そこからソルマーへ歩いていこうと思ったら、迷ってしまった。夜のマカオ で迷うのは繁華街とはいえ相当怖い。タクシをやっとつかまえソルマーへいく。歓迎される。スープ、サーディンのグリル、 アフリカンチキンを頼んだ。 サーディンとアフリカンチキンは大変よかった。チキンはカレーというよりスパイスとココナッツ味。西洋野菜スープはななんか味が薄いようだったが、前においてあったオリーブオイルと塩を少しいれると抜群の美味に変わった。ハーフの 白と赤を一本づつ飲んでホテルへ。そうとう酔ったらしく、バスのあと片づけもせずに爆睡。 (写真2, ソルマー内部)
2004・10・17
朝、セナド広場までタクシー
ちょっと見物する。オーガスタ広場にいくと日曜なのでオーガスタ教会でミサが行われていて歌声が聞こえてくる。意外と民謡的なメロディが多く、グレゴリアンではない。ぽるとがる語だがしばらく外で聞いていた。(写真3,オーガスタ広場に面したペドロ劇場)
10:20-12:00 MUSEUM
昼はホテルの中華レストランで飲茶。結構いいし、かなりやすい。地元客も多い。
14:00-18:20 MUSEUM
八大山人・石濤展だが、
総じていうと、事前の予想よりは良かった。webでイメージを事前にみていたときは、八大山人は、上海の画冊ぐらいで、
石濤に 搜盡奇峰打草稿圖卷を筆頭に数点よいものがある、という印象だった。
八大山人では、3点は、私にとっては新しい発見の傑作である。初期の1699年作 伝紫 墨花巻(No.2)、
老筆の 蔬果圖卷 1666年作 (故宮)(No.38) 、
最盛期に近い猫石花卉圖卷である。いずれも北京故宮であることから、北京の八大山人はあまりふれる機会がなかったということだろう。八大山人のように筆墨の微妙な調子に表現の中心がある場合、図版だけでは、よほど精密な写真印刷でないと、判断は難しい。従って八大の場合、実物をみて初めてわかるということが多い。石濤では、 搜盡奇峰打草稿がやはり一番のようだ。もともと石濤は住友の黄山図巻を除いてそれほど好きではないので、やや二次的な見方になる。
展覧会全体として、偽物・コピーが相当多く、真跡は2割、傑作は10点というところだろうか。
カタログにはかなり問題があり買わなかった。まず大きすぎ重すぎること。これはポルトガル語併記という理由もあるかもしれない。そして別送サービスもない。
第2に印刷が最良とはいえない。第3に、八大山人の場合、どうでもいいようなNG作品を大きく拡大していて
肝心の傑作が小さい図版である。
価格600Patakaは、大きさを考えるとそう高いとはいえないが、あまりに重い。
少し3Fの歴史画をみた。これは香港やマカオで活躍した西洋人のスーベニア画家の作品でレンブラントのデッサンのような味もありなかなかいい。
19:00 陸軍クラブをコンセルジュに頼んで予約してもらおうとしたが、日曜だからだめだと陸軍クラブに断られたので、またSolmarへいく。今回は, やや高いポルトガル白ワインボトル、アスパラガスカクテル(美味)、ポルトガル風野菜スープ(キャンベルスープみたい)、舌びらめのグリルにしたが、あまりよくない。サーディンのほうがよかった。隣のテーブルで噂の巨大海老をみせていたが確かに大きい。海老が好きなら注目かもしれない。
2004・10/18 マンダリンオリエンタルは、大きなホテルだが、朝食ブッフェが豪華でとてもいい。しいて難をいえば、飲茶の数が少ないことぐらいだ。中心は洋食で実にいきとどいている。ブッフェ会場のカフェ=ベラビスタが実に素晴らしい空間で、コロニアル趣味が満喫できる。思わず召し使いが、SouthChina MorningPostを乗せた銀盆をもってくるのではないかと思うぐらいで、香港のペニンシュラよりずっと雰囲気がいい。
セナド広場までタクシーでいって、ペンニャの丘まで散歩する。美しいオーガスタ広場の裏は、香港的なくすんだ高層の街である。悪臭はないし、そう汚くもないが、日本人の眼には小汚くみえる。(写真)
コースにそって歩き、マカオで一番美しい教会を見物する。聖人ローレンス教会内部の青い天井、黄色い壁には、驚く。北のベルギーなどの暗めの教会に慣れた目には、
この色彩感覚はとても新鮮に感じた。南欧は、このような教会が多いのだろうか?ペンニャの丘の教会は
長崎の教会とよく似ていた。
丘までは順調だったが、帰りに大いに迷う。
観光局推薦の散歩コースなのだが、最後の処理にかなり問題あり。
南湾通でなんとかタクシーをつかまえマンダリンホテルへ帰還。チェックアウト10:20 フェリーへタクシーでいく。
マカオフェリーは思ったより揺れた。香港いきマカオフェリーのなかでエスプレッソを飲んだのが悪かったのか、 マンダリンホテルの「朝食でアンチョビーをつけて食べたのが悪かったのか、おおいに吐いてしまった。袋を使い、トイレで処分。 香港の港につくも気分悪く、まずメトロ駅(上環)の場所がわからない。さんざ迷ったすえ、表示をみつける。ここのセンターの表示はかなり不親切だと思う。
荷物をもったままサムシャツァイの香港芸術館にいく。虚白斎書画の一端にふれるためである。今回は書のみ。董其昌の大唐中興頌は標準的な作品で「忠孝之家」、高士奇の印もある。微黄紙。高島コレクションの臨書巻のような感じがした。軽いタッチのものでそう抜群とは言いがたい。筋はいいと思う。徐青藤の行草詩巻の末尾がまったく章草だったのには驚いた。虚白は伊墨卿の「虚白」という額にならったものらしい。王イ孫(暢甫)の書は私蔵のものと同じ紙だった。唐人写経で、もと乾隆コレクションというのがあった。質はどうということもない。
広東絵画で蘇六朋の四屏をみたが、意外と汚くなくあっさりしていて印象を改めた。謝蘭生の画冊を二種みた。やはり稚拙でマンガっぽい感じである。1種は金粉チラシ紙。
また、他の楷で清朝ガラス展があって不透明単色ガラスが特によかった。瓶はどれも口部分が二重にみえる。コバルトに金粉がなかに輝くようなガラスの技術もあった。
青銅器はちらとみただけ象眼の車馬具が少しよかったかもしれない。帯こうにはみるべきものなし。玉はおかしいものも多いとはいえ上海の展示よりもいいように思った。また、陶磁器では明と清の単色ユウをみることができた。清の部分は竹月軒コレクションということになっていた。寄託なのだろう。
最後に犀角ばかり六〇点以上いやというほど並べてあるのにはどぎもを抜かれた。犀角をこんなに多数みたのは初めてである。
一時半で切り上げ地下鉄へいく。美術館の前の道路は地下道で渡るのだが商店街をとおりぬけるようになっていて非常にわかりにくい。行きは表示があったからよかったが、帰りが迷いやすい。空港までいって、手続きをすべて終わり、阿二という店でシュウマイと上海小龍包を食べる。