ボストン美術館の
「鳥飼い青銅像」
は先秦の青銅人物像として有名なものです。
洛陽金村出土のこの像は、
数少ない戦国時代の人物像のなかでも、北方遊牧民の服装、顔をした
希な例として、珍重されてきました。編んだ髪、長靴、北方青銅器スタイルの小刀をもっていること、特異な衣装、独特の顔など、非常に興味深いものです。
また、当時の中国の中心部からの出土という意味からも、大きな意義があると思います。
手にもっている棒の先は留まり木になっていて、青銅の鎖をつけたやや緑がかった白玉の鳥が1匹づつとまっています。像の視線は鳥に注がれています。鳥を飼っているということから、「鷹匠」の連想を行う人もおり、北方民族が
鳥を飼う特殊な技能によってやとわれていたという想像もされてきました。
戦国時代、中原地帯における北方遊牧民の活動について、物質的証拠は、あまりありません。魏の影響をうけた中山王国の王墓が、北方民族の王朝文化として
大きいのですが、中原とはいいかねるような地理的位置です。
一方、殷墟からは、北方様式の青銅器や人物像もでており、
外人部隊のようなものもいたと考えられています。
2000年に、洛陽金村発掘の最も初期の、唯一の報告、
White, William Charles: TOMBS OF OLD LO-YANG. Shanghai, 1934.
を入手しました(以下 WHITE本と略)。
No.206, PLATE:LXXXIII をみますと、なんと、鳥がいません!
手に持った棒は中空の管で、こわれた旗竿のようなものがはいっていたようです。また、竿?一本は取り出すことができたそうです。従って、管の先の断片が別にみつかって合わせたという可能性もまったく否定されます。
また、Boston美術館
のものは左手の棒が長いのですが、こちらは右手とほぼ同じぐらいで、
右手が下がっているので、先端は少し下になります。従って、像の視線は、宙を飛んで
しまい、鳥などとは関係がないことになっています。
White本の記述
Bronze figure of a damsel, standing on a square mat and holding a tube in each
hand. Both hands were extended but not symmetrically,
and in the tubes were two standard-like objects which had been broken off.
One of standards was removable, but the other was immovable due to corrosion.
The damsel was clothed in a thick garment reaching below the knees, and fastened on the left side。The garment was no dout wadded as suggested by the quiting lines and seemd to have a short cape attached to the shoulders, which
formed a pad at the chest. No cap was worn, and the hair was braided into two plaits wchich fell over the shoulders on each side. She wore ear-rings, and form a belt which encicled the waist there hung down on one side a knife in its sheath, and on the other what appeared a section of bamboo tube. On her feet were thick high-legged boots.
Height 9".
ボストンの像と別のもう1体か?とも思いましたが、衣服全面左下部にある錆の形が同一なこと、刻線の形を比較すると同一の像でしょう。サイズも同じです。
したがって、ボストンの像の玉の鳥は、高く売るためにあとで追加したものと
推察できます。梅原(ref.3)も、一応、「さしこんだ棒上の玉鳥には或は出土後の後補があるかとも思われるふしを存するも」と鳥の部分の修理に言及しています。
おそらく棒が屈曲したところで繋いでいて、それより上は20世紀の作品なのでしょう。
したがって、現状だけをみて、鳥飼いと称して議論するのは、やめたほうがいいようです。復元修理をするのもいいでしょう。天平彫刻やヨーロッパの古典絵画では、後補部分を取り除く修理はしばしば行われています。さしあたり
「鳥の部分は後補」として紹介するのが、もっとも妥当だと思います。
Photo Pictures Sources
下記、White本 1934, 梅原 1936からとりました。
Reference