楽浪 の バスケット

2000, Feb, 29.  2000, Nov, 23 UPDATED

Basket Picture BANDs ...

朝鮮にあった漢の植民地、楽浪郡(BC108-AD133) の故地の古墳から出土 した文物は、現在 意外と紹介されていない。 後漢前期と思われる、この漆画の箱も、第2次大戦前は漢代絵画の代表のように喧伝 された ものだが、最近では所在さえはっきりしない。ソウルかと思ったが 、どうもピョンヤンらしい。
後漢の漆器・絵画資料としては、 未だに一級品だと思う。戦国〜前漢の 漆器は湖北・湖南からしばしば 発掘されるが、後漢の高級な漆画は意外とない。これは、墓制度が変わって 、漆器が保存されにくい形式になったためだろう。 ここでは古い文献からデータと 、まあ良いカラー図版をとる。

左図は箱の身の部分である(39x 18x 12.5?cm)) : 拡大図版 )。 [ref. 朝鮮総督府]
この上に蓋(39x18x9cm)がかぶさる。絵画が大きく描いてあるのは、 蓋がかぶると見えなくなる合わせめの部分であり、何度も開閉すると、 画が擦り切れないか心配になる。
蓋の真ん中には鍍金青銅の4葉型(というより細長すぎなので十字型)の金具 が装飾のためにはめ込んである。蓋の上面にも多数人物が描いてあるが、カラー 図版がないので、全体図をモノクロ図版( 全体図の拡大図版 )でだしておく。 右図は表側と裏側の帯状 の絵画部分の図版である : 拡大図版 )。 [ref. 水野]

WHOLE 材料は竹を編んだバスケットである。絵画・模様部分は厚く下地をつけて色漆 で制作している。

1932年10月に、ピョンヤンの郊外  大同江 の方墳(大同江面南井里第116号墳)  を朝鮮古跡研究会 の主催で、 小泉顕雄 沢をリーダー として発掘した。きっかけは、なんと盗掘者が地下水の噴出におそれをなしてあきらめ たという風聞である。
「この木槨墳は、私共の楽浪古墳に対する常識を遥かに超えた超大型古墳のもので、 今までに発掘した木槨の3倍ないし4倍の容積を有し、しかも前後に連なった2室から 成り立つ。横穴式の形式に属するまったく異例のものであった。」
[ref. 小泉]
地下深く木材で組まれた木槨墓である。 墓主名はわからなかったが、多くの出土品がでている。 卓球台のような大きな机、大型の木馬数頭、などなど。 このバスケットがもっとも有名なので、 彩篋塚と名付けられた。 この墓は戦前に、そっくりピョンヤンの博物館の中に移築された。

Table 同墓出土、美しい彩漆の小机の図版があったので右にあげる。 戦国時代のパワフルな漆器模様とは、ひと味ちがった繊細で、 魅惑的なデザインだと思う。一部分をこのHPのマスコットにした。 : 拡大図版 )。

References

  1. 美術研究, No. XCVI, 1939/12, 東京
  2. 水野清一, 漢代の絵画, 平凡社, 1957, 東京.
  3. 小泉顕夫, 朝鮮楽浪古墳を掘る, 芸術新潮, 1968/3, 東京.

 


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