蘭亭になぜ虫食いがないのか?



萬歳通天進帖:初月帖部分

神龍本「之」「内」は熊氏が批判

2007/9/20

 2004/03/07 に、神龍蘭亭(八柱第三本) を臨写していて、ふと気がついたことがある。なぜ破損・虫食いの字や痕がないのだろう。 別の模本、張金界奴本は、かなり墨が落ちてしまっているが、紙自体の破損はあまりない。また、現状でみるかぎりは、模写した原本の破損を写しているところは、どこにもない。つまり、原本が破損していなかったか、破損を写す意志がなかったかである。
 喪乱帖、萬歳通天進帖 をはじめとする良質な唐代模写本は、必ず破損箇所も細線で模写してある。 神龍本に弱々しい字があるのは、不思議だったが、ひょっとすると破損箇所を補筆した底本をもとにした模写であるためかもしれない。古風で特殊な技法を使った字と細く弱い字が混合している理由はそこにあるのではなかろうか?

  熊秉明氏が書譜36期「智永千字文和馮模蘭亭」で、神龍蘭亭において線が細く平凡で弱々しい感じの文字を指摘して、「誰が王羲之の書だと思うだろうか」と述べていたが、破損亡失した文字を補ったと考えれば別におかしくない。  実際に、神龍蘭亭をみると、線が細く平凡で弱々しい感じ、ヒラヒラした感じの文字が紙面の下部に多いことがわかる。 孫過庭「書譜」などをみると、紙面の下部に無理に字をいれるため、小さくなったり、平たい字形になったりすることは、よくあるようだ。しかし、細い線になるというのは奇妙である。巻子の下部が傷むということは、往々にしてあることだから、これらの不思議な文字が修理の結果であれば、そうおかしくはない。

神龍本も張金界奴本も実物を見た印象では、初唐の太宗時代に遡れるとは感じられなかった。模写本を写した本(重模本)と考えている。 神龍本については、更に別の状況証拠がある。同系とされている陳鑑本(北京故宮博物院所蔵)の存在である。書品238号「蘭亭八種」には一行毎に8種の蘭亭を切り貼りした図版があって、比較にはとても便利である。ざっとみると針金を丸めたようなトゲトゲした字が多くどうも感心しない陳鑑本だが、1字1字でみると、神龍本より優れているものがあるように感じる。7行の「亦」8行の「也」14行の「同」「當」などである。だいたいは、神龍本に似た文字が多いが、中には張金界奴本に似た文字も混じっている。2行の「事」、13行の「形」16行の「所」など。陳鑑本は、明の成化年間に、おそらく絹本だった唐模本から模写した重模本である。神龍本にはそうとう丁寧な模写態度が伺われるだけに、真跡から直接模写したものだとしたら、重模本より劣る字があるとは信じがたい。
 一方、文字のレイアウト:章法においては、神龍本が一番優れている。文字の細部ではなく、全体の構成、動勢をとらえているわけで、依った原本が真跡にそうとう近いものであったことが伺える。おそらく、喪乱帖クラスの精密な模本が大きく破損し修理されたものをもとにしたのではなかろうか?? 

張金界奴本については紙墨の感じからの直感なのでいいかげんであるが、太宗時代の宮廷の模写だったら喪乱帖なみのできを期待したいところなのに、傷んでいるとはいえ、とてもそうにはみえない。ただ、西川寧博士「張金界奴本」にあるように、そうとう古い時代の字形筆くせを全体に残しているようで、部分的におかしな字はないようだ。こちらの原本は、できはともかく、少なくとも大きな補完はない模本だったのではないか? 模写のとき、一字一字を模写することに重点をおいていて文字間の関係をかなり無視して模写したような感じがする。その点は陳鑑本はもっとひどくて、所謂「行を通して」あって、1行1行がはっきり分かれている。全体の印象が悪いのはそのせいかもしれない。

ところで、破損の可能性はどれだけあるのだろうか? 正倉院の楽毅論のように、1200年以上たっても真新しくみえるような例もあるが、一方、明治時代のものでも破損虫食いがひどいものもある。保存状態によってどうにでもなる。従って、蘭亭の真跡も唐代初期まで300年ほど完全に保存され、太宗時代制作の模写本も、現存の模写本群が制作された可能性の高い唐代末期から北宋時代まで完全に虫食いなく保存されていた;と想定することもできる。しかし、やはり可能性として低いように思われる。状況証拠でしかないが、萬歳通天進帖のなかの王羲之:初月帖をみると、模写した原本にかなり虫食いがあることがわかる。萬歳通天(ACE696)と王羲之の没年(ACE365?)では350年も経っていないのに、この状態だ。王羲之の子孫の書の専門家の家に秘蔵されていたものでこれなのだから、防虫剤のない当時、これがかなり標準的な劣化だと考えらえないだろうか? ただ、破損したものが評価が低くて王家に残っていたという可能性もある。また、萬歳通天進帖でも、もっと後の方の「王慈」などの作品は、原本もほとんど破損していないようなので、初月帖を標準にして全てにあてはめてはいけないという議論も成り立ちうる。

唐太宗時代における、蘭亭の事実上の出現から1300年も経ってしまっていて、しかも蘭亭には、7,8世紀に遡る模本が全くないどころか、それらしい断片や刻本すらないという悪い条件にある。状況証拠や推理を積み重ねることしかできないが、3年前から気になっていたことなので、書いておきたかった。


参考文献
  1. 書品、第238、蘭亭叙・唐模八種, 東洋書道会, 東京, 1973年 12月
  2. 熊秉明,智永千字文和馮模蘭亭,書譜,第六巻五号,36期,書譜出版社,香港, 1980年10月
  3. 翰墨軒, 王羲之 萬歳通天進帖, 香港, 1997 
  4. 昭和蘭亭記念会,「 昭和蘭亭記念展図録」, 東京, 1973
  5. 文物精華編纂委員会, 文物精華 第3集, 文物出版社, 北京, 1964

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