台北の10世紀の花鳥画と正倉院

台北 北宋の初期、黄居 [サイ]  作という 伝承のある鳥の絵が台北故宮博物院にある。 1994年に、再度実見し、細かくメモをとった。 拡大図版 97cm x 53.6cm 絹本設色。 北宋末、徽宗皇帝の題(墨)と印(双龍)が左上についている。 「黄居 [サイ] 山鷓棘雀」。 この画家(933?-993?)は10世紀五代に蜀(四川)の地方政権で活躍し、花鳥画の1典型を つくった黄筌の息子である。北宋初期まで活躍している。 右上の補紙には乾隆帝の題賛、下部の補紙には乾隆帝の側近官僚の題賛が3つある。 これから考えると乾隆時代に一度表装をやりなおしたようだ。

状態はきわめて悪く、複数の大きな穴、補絹、塗りなおし、退色、剥落が めだつ。鷓の頭部の朱と墨の平面ははどうも塗り直しのようにみえる。 上部の雀のうち頭から尾までオリジナルらしいものは1匹だけ、他は多少とも 後世おぎなったものである。中心の刺のある枝は大部分が後世の補筆のようだ。 鷓の尾に青い顔料があるそうだがほとんど見えない。 たぶん左上側h50xw7cmぐらいは後世の補絹, 鷓の頭のさきに余裕がなさすぎるので、左側がかなり切断された感じもある。 北宋末、徽宗皇帝の題はなかなかいいようだが、本紙と割り印である双龍印がつながっ ておらず、修理時に切ってつなぎなおしたようにみえる。左側の切断 に伴い、少し右にずらして貼りなおしてあるのだろう。

これは本当に北宋初期の 作品なのだろうか?

まず、作者名を保証する徽宗皇帝の題は信用できるか? 題を横に書く書き方、表装のしかたは、衛賢(10世紀)「高士図」 (北京故宮博物院)にも みることができる。徽宗皇帝が、古画の立軸に御題をつけるときはこういうやりかた をしたようだ。これは、横の巻物に題するときと同じ方法であり、机のうえで気楽に できるので、 徽宗皇帝の書としてふさわしいものである。この2例以外には知らないが、 題と印それ自体は信用できるし、この変わった表装形式も、むしろ信用を 益すものである。

ただし、この題自体  本来この画についていたものなのか疑うことも できる。他の絵から移してきたものではないか?

別方向からの追求として、様式的に納得できるかどうか?を考える。 もし、南宋や明の様式の絵であったら、題字は他の絵から移したものだといえる。 この絵自身は南宋・元・明・清の花鳥画様式とは、かなり違う。 では、典型的な五代末北宋初の様式に合致しているのだろうか? 残念ながら、信頼できる同時代の画が非常に少ないので、比較しようがない。 つまり、当時の花鳥画の様式を把握できてない、のが現状である。 少しあとになるが、崔白(1023?-1085?) の「双喜図」(台北故宮)と鳥の細密描写には似たところもある、といえる程度だ。

正倉院 普通はここで、てづまりになるのだが、 最近ひとつの傍証に気がついた。 奈良  正倉院 北倉  に  鳥木石夾纈屏風(6扇が残存) という 布を染め抜いて模様を表した屏風がある。これは、 6面全部同じデザインだそうで 1面だけ図版になっている。高さ5尺、幅1尺6寸。 拡大図版 これは、国家珍寶帳(AD756)  に記載されているものらしいから、 8世紀のものであろう。 これは、唐の下絵によったものだろう。鳥は 鷓そのものだし、 鷓の描き方 手前に石を、背後に木をおき、蝶(台北本は雀だが) などをとばせる構図が、山鷓棘雀図と実によく似ている。 おそらく、8世紀中葉ごろ、唐ではやった装飾デザインだったのだろう。 こういう構図が唐の伝統を伝える蜀の宮廷画家の一家 に伝っていてもおかしくはない。 これは結構重要なことで、唐時代の典型的装飾屏風のデザインと この台北の画の信頼性を同時に得ることになる。

結論

この絵画は、修理箇所が多いとはいえ、 「黄居 [サイ]」 の真跡と、私は考えている。

  1. 国立故宮博物院, 故宮名畫精選, Rider's Digest Association Asia Limited, 香港, 1981
  • 国立故宮博物院, 故宮寶笈, 台北, 1985
  • 宮内庁, 東瀛珠光 1, 審美書院, 東京, 明治41年
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