イカロスの墜落のある風景
ブリュッセル王立美術館
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ヴァン= ビューレン邸博物館
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2007/01/25 revised , 2006/08/26(1st released)
ブリュッセル王立美術館展で、秋から春にかけて日本で公開される「イカロスの墜落のある風景」
は、九州で初めて公開される、ある程度まともなブリューゲルの油絵かもしれない。
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2006年9月12日(火)〜12月10日(日)国立西洋美術館(東京・上野公園)
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2007年1月6日(土)〜3月25日(日) 長崎県美術館
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2007年4月7日(土)〜6月24日(日) 国立国際美術館(大阪・中之島)
1556〜58年頃
ブリューゲル Peter Bruegel(Brueghel)(1520?-25? ---1569/9/5)
73.5×112cm
この作品については、1970年代以前から様々な議論がなされている。
ただ、ブリューゲルと全く関係のない作品であるという意見はまずないと思う。
疑惑は次のようなものだろう。
- ?ブリューゲルの真作なのか、コピーなのか、息子のピーターの作品なのか?
- ?現在残っている作品が完全なのか?部分的に切られた断片なのか?。
- ?作品がひどく傷んで塗り直しがあったりして、原作部分が残ってないのではないか?
- ?この作品の主題は何か?題名はそもそも適切なのか?
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については、権威者たちの意見は、まあ真作?または、 良いコピー?というところで分かれている。
この絵には、ブリュッセル王立美術館本と ヴァン= ビューレン氏所蔵の殆ど同じ図柄、同じ大きさの
2点があることは古くから知られている。
ヴァン= ビューレン氏所蔵の絵画は古くはニューヨークにあったようだが、現在は、ブリュッセルの
ヴァン= ビューレン邸博物館(http://www.museumvanbuuren.com/)にあって公開されているようだ。知っていたら、ブリュッセルに
いったとき、是非訪問して比較するのだった。
さて、酷似する2点があるとき、当然、3つの可能性がある。
- 1つがブリューゲル作のオリジナルで、1つがコピーか作者のアトリエで作られたレプリカ。
- 両方ともコピー。
- 両方ともブリューゲル自身の作品;一般には一方が作者自身によるレプリカで一方が最初に制作されたオリジナルと
されることが多い。現代の画家の場合には文字通り作者自身による複数制作を証明できる場合もある。
森洋子氏 編集の総カタログでは2点ともコピーという見解。グロスマン、ジェドリカも同意見。グリュック、トルネイ、バルダスに原作説があるそうだが、詳細を知らない。マレイニセンの総カタログでは諸説を出して判断保留、ビアンコーニの総カタログでは諸説を出して「議論があるが真作」という評価である。
原作説でも、ブリュッセル王立美術館本が真でヴァン=ビューレン本はコピーというものではないか?と思う。
ブリュッセル王立美術館本は、1912年にロンドンの古美術商から購入したものであり、それ以前の来歴はよくわからないようである。
ヴァン=ビューレン氏は、1953年に購入したようで、その前は、パリのJ. Herbrand所蔵だったが、更に前の来歴は不明である。
ただ、
ブリュッセル王立美術館本
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右の白い四角の部分の拡大モノクロ写真
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この不気味な「横たわる老人の死体」部分は、ブリュッセルで観ても殆ど気がつかないぐらいの細部である。
こういう細部描写は、模写のとき脱落しやすいところだろうから、原作の可能性もあるのではなかろうか??
実は王立美術館所蔵の作品は、本来は板のパネルに描いてあったのだが、剥がしてキャンバスの上に移し替えている。
これはかなり危険な修理であり、
画面の印象が一変してしまうことも多い。例えばワシントン ナショナル ギャラリーにあるJan van Eykの受胎告知がそうであるようにキャンバス地の凹凸が画面に出たりするし、作業の際に破損することも多いらしい。
パネル自体が変形したり虫喰いがひどすぎた場合に、19世紀ごろ屡々行われたのだが、禍根を残したことも多いようだ。
木の部分がないと、樹輪年代測定法によって年代を推定することができないのも困る。ウィーンの「海の嵐」のように、木材がブリューゲル死後の伐採であることがわかって,決着がついた場合もある。
一方、ヴァン=ビューレン所蔵のほうは、板のパネルのままである。
- については、
ヴァン=ビューレン氏所蔵品をみると、
最上部にイカロスの父ダイダロスが飛んでいる描写がある。このほうが構図としては合理的だから、ヴァンピューレン氏の絵がコピーだったとしても、ブリュッセルの絵の上部が切断または、描きなおされていることは、明らかだろう。
イカロスの神話を考えると、太陽が水平線にあるのがそもそもおかしい。
- については、
ブリュッセル王立美術館で観たとき、まるで溶剤か水で一度洗われたような感じがしたものだ。かなり痛みはありそうだし
、前景の人物の服など平板な塗り方であり、補筆もありそうだ。「ひどい補修のあるオリジナル」のような印象を受けた。
この絵の場合、
特に上半分の痛みがひどそうで、水平線にみえる氷山のような不自然な山、水平線の太陽も修理の結果であるまいか??
- については、
「ちゃんと題名がついてるじゃないか」という声もあるかもしれないが、古い絵画のタイトルは後世の研究者が便宜上つけたものが多いわけで、必ずしも最適な題名とは限らない。実際、この絵をみて「イカロス」という主題をよく発見したと感心せざるをえない。
ヴァン=ビューレン博物館本なら、まだわかりやすいが、
ブリュッセル王立美術館本では、海に足がみえるだけなのだ。
たぶん、ハンス=ボルの同主題の絵画(ストックホルム)や、ブリューゲル制作の同主題の版画から推察したのだろう。
Bianconiは、前述の死体のイメージから、「働くものは、人の死に気がつかない」といった諺を主題と提案している。これは、トルネイCharles de Tolnayのいう「人は死すとも鋤は止まらず」のほうが良いような感じが、する。トルネイによると、鋤の前景にある岩・土手上にある剣と財布にも諺の意味があるようで「剣と金は、使いよう」だそうだ。
Van Lennepによる、錬金術的寓意を読み取った解釈もあるが、ちょっと無理というかこじつけすぎのように感じた。
ブリューゲルの「真作」とされる作品の中でも、実見すると、状態や質が大幅に違っているものが多く、どうも理解に苦しむものもある。
画家が中年で病死したこともあり、未完成のパネルがかなりアトリエにあったのではないだろうか? そういうものが完成作の形にされて
伝世しているものがあると考えたくなるものが多い。たとえば「死の勝利」(プラド)、「三賢王礼拝」(ロンドン)などである。
一方、完成作と思われるものには、実見した範囲では、「鳥罠のある雪中風景」(ブリュッセル)、「グリート」(マイヤー ファンデア ベルヒ、アントワープ)、「バベルの塔」(ボイマンス、ロッテルダム)、「絞首台の下のダンス」(ダルムシュタット)、「天使の墜落」(ブリュッセル)、「牧草の収穫」(プラハ)がある。
参考文献
- 森洋子, ブリューゲルの作品目録, 別冊 みずえ 53,特集ブリューゲル, 1968,
- Piero Bianconi, Tout L'Ouvre peint de Brugel L'Ancien, 1968, Flammarion, Paris
- Roger H. Marijnissen, Bruegel, 1984, New York
- Charles de Tornay Peter Bruelgel L'Ancien(上記P. Bianconi, Tout.., 1968, Parisに収録)
森洋子「失われたブリューゲル」による訂正・追加データ
森洋子教授が芸術新潮 2006年10月号に発表した論説には、新しい発見が多数あるが、まだ解釈が定まらない事項もある。
発見された事実:
- 1912年、購入時には、「コピー」として安い価格で購入している。
- ヴァン=ビューレン博物館本のパネルを樹輪年代法で測定したら、伐採年として1583年というブリューゲル死後の年代が推定された。これでコピーであることは確実になった。
- 赤外線写真により「横たわる老人の死体の首」は「排泄する通行人の臀部」を書き換えたものであることがわかった。
ここで、重要なのは、「事実」と「解釈」は違うということである。
第3の事項は、森論文では、「修復者の作為」として、「コピーである」という見解を強化するものとなっているが、
単独にみると、「描き直し」であり、普通なら、「オリジナルの証拠」として麗々しく提出されてもおかしくない。第一,
卑猥な描写を嫌った作為なら、こんな目立たない小さなところなら全部塗りつぶした方が早い。
異論がありうるが、かなり確実な事項:
- 赤外線写真による下絵素描は、他のブリューゲルの素描よりずっと劣る。
- 赤外線写真による下絵素描の一部にバウンシング(スポヴェッロ法)による転写と解釈できる点線がある。
- 現在の支持材のキャンバスを加速器質量分析法(AMS)で放射性炭素年代測定したところ、1590-1630年という測定値が出た。
第一については、確かに相当おかしい。初期の作品らしいクロヴィオ画の枠に付けたミニュテュール「海戦」などの赤外線写真で下絵素描をみたいところである。
第2にからんで「ブリューゲルの失われた原画のバウンシングによるコピー」と森洋子教授は述べているが、バウンシングで直接コピーはできない。
原画に無数の穴を開けなければならないからである。板絵では無理だし、キャンバス画であってもそんなことはさせないだろう。
従って、紙に精密なコピーを作ってそれに穴を開けて転写したはずである。さらに逆に考えることもできる。イタリアで学んだブリューゲルが
下絵転写にバウンシング(スポヴェッロ法)を使った可能性はないか?という考えもできるだろう。
第3の、
放射性炭素年代は一見決定的なようにみえるが、約400年前というのは、この測定法の限界に近く、もっと誤差は大きいはずである。
1000年、2000年を測定する場合には、正規分布のピークが高いので+ー10%程度の誤差だが、、
また、資料のとりかた、古キャンを使った可能性など色々な問題があり、
別の学者によると板絵独特の下地が残っているということなので、ますます再検討が必要だろう。
参考文献
- 森洋子, 失われたブリューゲル, 芸術新潮 2006年10月号, 107-115p
ブリュッセル王立美術館所蔵「イカロスの墜落のある風景」はブリューゲル没年前後まで遡れるほど古い(2007/1/25)
現在まで知り得た次の3つの事実から、論理的に
「ブリュッセル王立美術館所蔵『イカロスの墜落のある風景』はブリューゲル没年前後まで遡れるほど古い」
という結論を、後述する例外ケースを除いて出すことができる。
以下、
ブリュッセル王立美術館所蔵『イカロスの墜落のある風景』を「王立本」、
ヴァン=ビューレン博物館所蔵『イカロスの墜落のある風景』を「ヴァン=ビューレン本」
と略称する。
- ヴァン=ビューレン本の木のパネルを樹輪年代法で測定したら、伐採年として1583年というブリューゲル死後の年代が推定された。
- 赤外線写真により王立本の「横たわる老人の死体の首」は「排泄する通行人の臀部」を書き換えたものであることがわかった。
- ヴァン=ビューレン本にも王立本の「横たわる老人の死体の首」に相当するところに白い円がある。ヴァン=ビューレン本の精密写真をえることができないのが残念であるが、「排泄する通行人」がなく、「白い円」があるのは間違いない。
2と3によって、ヴァン=ビューレン本は王立本、もしくは王立本のコピーをもとにして制作されたものであることが明らかである。
裸体の性器を葉や布で隠すようなありきたりの修正とは違って、「排泄する通行人の臀部」を「横たわる老人の死体の首」に描き変えるような特異な修正が全く独立に行われたとは考えられない。
1によって、ヴァン=ビューレン本制作年代は1584年〜1614年ごろと推定できる。伐採からあまりに年月がたって使用される例はあまりないからである。17世紀前期には、ブリューゲルの人気も高く、ルーベンスの遺産目録に12点の作品があったりするから、コピー制作の動機も充分である。
故に、王立本に「『排泄する通行人の臀部」を『横たわる老人の死体の首』に描き変える」作業が行われた時点は、ヴァン=ビューレン本の制作より古いわけだから、1600年以前であろう。その時点以前に王立本は既に制作されていたわけだから、王立本の制作はブリューゲルの没年1569年に近いかそれ以前になる。(Q.E.D.)
上記、議論が破れる場合がある。下記2ケースが考えられる。
- ヴァン=ビューレン本は、19世紀に古い絵画を削り取って作った木のパネルの上に王立本に倣って制作されたものである場合
- ヴァン=ビューレン本の「横たわる老人の死体の首」に相当する部分は、既に剥落していて、19世紀ごろに王立本に倣って修理されていた場合
参考文献
- 森洋子, 失われたブリューゲル, 芸術新潮 2006年10月号, 107-115p
- Piero Bianconi, Tout L'Ouvre peint de Brugel L'Ancien, 1968, Flammarion, Paris
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