瓢箪を鋳る

世界で最古の伝世瓢箪工芸品、2002/01/16


1996秋、法隆寺献納宝物展が東京国立博物館で開かれた。(10/8--11/17)。 明治初めの廃仏棄釈のとき、法隆寺から皇室へ献上され、明治11年皇室からは下賜金 1万円と保護が与えられた。宝物は正倉院宝物とならぶもので、正倉院より 少し古い時代のものを中心とするものである。
そのなかに、あまりめだつものではないが、是非科学調査 をしてほしいものがあった。
Gourd Jar 1 Gourd Jar 2 Gourd Jar 3 Gourd Jar Lid

八臣瓢壺;蓋付き、 初唐?、 「孔夫子、栄啓期」「張儀、蘇秦,鬼谷先生」「商山四晧」の文字が入っている。
元禄7年の箱あり。 総高16.5cm, 口径11.6cm 。

  • 三の丸尚蔵館 所蔵。
    9人いるのに8臣とはおかしいが、 栄啓期は臣ではない陰者だから8臣だといわれている。9という数字を避けて、 末ひろがりの8の名にしたのだろうか?

    この八臣瓢壺は最近、いろんなアングルから撮った、古い写真図版を得たので公開することにした(ref. 法隆寺大観、第五十七集) 。これをみると底部も上部と一体であり、蓋は別に制作してあわせたもののようである。そうはいっても、後補ではなく、同時に制作したものだろう。色・質・技法とも同一である。蓋の穏やかな花卉紋は、唐後期の鏡の模様のような感じがする。実物をみても、この程度はぼんやりしているので、これはかなりはっきりみえている写真だと思う。胴の下部にはかなり虫喰い穴があるが、それでもよくぞちゃんと保存されてきた、という感じがする。

    制作技法

    この八臣瓢壺は、なんとヒョウタンでできている。ヒョウタンを型のなかで成長させ、四角なヒョウタンやこのように正確な壷型のヒョウタンをつくる。また型の内側に模様や文字を彫ることで、ヒョウタンの表面に模様をだすことができる。 この壷の外側の人物像や文字はこのようにして「鋳造」されたものだ。
    瓢箪を成長途中で、型で囲い、望みの形につくる技術は、中国では、古くからからあったようだ。日本では、瓢箪は太古から使われていただろうが、古い時代には、このような技術は存在しなかったようだ。私の見聞の範囲では、すべての解説者が中国製だと考えている。
    これは、四角な竹をつくる技術と似たようなもので、木や陶器の型のなかで、瓢箪を成長させる。この型の内側に模様や、文字を彫ったり、型押ししたりしておくと、その凸凹にそって、瓢箪が成長するので、瓢箪の表面に文字や模様をいれることができる。 人の名前を切りぬいたシートをはって、リンゴに文字をいれるようなものだ。収穫した瓢箪は適宜必要部分だけを切断して使用する。
    木に彫ったネガティヴな型を使う場合、その型は1季節で、1個の制作に使えるだけである。趣味的な制作ならともかく、大量生産にはむかない。18世紀以来の技法では、大量生産する場合は、1つのポジの型から、陶土で多数のネガの型をつくって、それを使ったもののようだ。型で覆うと、太陽光線が遮られるし、通風も悪く、雨がたまったり、湿気が多いと成熟前に腐敗してしまうこともある。乾燥地域のほうが制作しやすいらしい。河北省が産地だとされている。 さまざまな浮き彫りや文字、絵画装飾が「鋳造」され、さらに、完成後に2次的な彫刻、焼筆による描画などがされたりしている。「焼筆」は熱した鉄筆で、表面を軽く焦がして絵を描く技術である。

    中国・日本の他の作品例

    Gourd Brush Holder 康煕帝が特に好んだので、康煕年間から多くの遺例がある。台北故宮博物院で2点みた(筆筒1、鼻煙壷1)。筆筒は康煕帝から当時皇子(寶親王)であった乾隆帝に贈られたものである。四角形のもので、文字が現されている。北京故宮にも1点(水注)ある。18世紀以降のもので残っているものの大部分は、コオロギを飼うための容器である。コオロギを闘わせる遊び/賭博のために飼ったものらしい。
    一方、数量は少ないが、椀、文房具、鼻煙壷、水注などにつくった作例もある。
    このカラー図版は、友人から贈られた瓢箪製の筆筒である。これは一九世紀後半ぐらいのものだろうが、なかなか精美な作例である。乾隆画院風の山水をみごとに凹凸で再現している。ただし、底と上縁は硬木製であり、瓢箪部分は円筒である。 温かい茶色の柔らかい感じがなかなか好ましい。

    Japanese Gourd Incent Holder また、日本でも二十世紀には、制作されたものがある。これは、線香をいれる香筒で、瓢箪製である(27.5cm)。煎茶の道具として造られたものらしい。箱には、「瓢香筒」「松雲堂製」となっている。明らかにある程度、型を使って、細長い形態に成長させてあるようだ。ただし、中国製のように、厳格な円柱にしたりはしないし、まして、絵や文字をいれたりしない。人工を尽くしながら、まるで自然のもののようにみえさせることを尊ぶ、日本独自の考え方が現れている。表面には、いくらか漆を施して保護をしているようだ。

    年代

    この、[瓢箪の纏足]といってもいい技術は中国で発達したのに、 中国には模様や文字まである瓢箪は、17世紀以降のものしかない。瓢箪を入れ物として使ったのは、石器時代まで遡るだろう。実物資料では、模様のない瓢箪製器物は、長沙の古代の墓のなかから発見されている。しかし、模様をこのように施したものはない。(ref.楚文物展覧図録) この法隆寺伝世の瓢箪製壷が、推測どうり7世紀のものなら、世界で最も古く、 しかも16世紀以前900年間では唯一のものになる。
    鎌倉時代、1238年ごろに、法隆寺の学僧「顕眞」が現した記録、「古今目録抄」がこの「八臣瓠」を記載している(ref. 聖徳太子傳古今目録抄)。日本では、この技術はまずなかったと考えられるから、似た別のものと入れ替わったとは考えられない。現在あるものと同じものだと考えられる。従って、少なくとも1238年よりは古いわけだから、疑いなく世界最古である。ただし、それから、どれだけ古いかは、見当がつかない。
    模様の様式は唐代後半8世紀ーー9世紀の鏡の模様によく似ている。林薮の描写は、同じ展覧会に展示されている伯牙弾琴鏡の竹の植え込みの描写にも近い。
    ここで、孔子の名前として使われている[孔夫子]という単語がどの時代から使われているのだろうと考えた。 大漢和字典では 北宋「衍聖公孔治神道碑」(蔡文淵)を引用してある。一方、孔子集語には、その例がみえない。
    日本と中国との交渉史から考えると、8世紀ごろよりはあとで輸入されたものだと考えられるから、8世紀〜1238の500年のなかで、どのあたりにみるべきか? 私は、9世紀というのが穏当な気もするが、単なる当て推量に過ぎない。
    そこで、この有機質の部分を極少しとって、カーボン14法を使えば100 年単位ぐらいで年代がわかるだろう。最近では、加速器質量分析法(AccelatedMassSpectoroscopy法,略称 AMS法)によって、数mgという非常に少ない資料でも分析できるようになっている。 積極的な調査が行われることを期待する。

    References


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