買わなきゃわからない??

2002/03/01

「ガラス越しでみたってダメ。買わなきゃわからない。」 とよく言う方がいます。これには、部分的には正しいところもあるのですが、 文字通りにとると矛盾におちこんでしまいます。

高価な骨董品を買うと、「本物だろうか? 投じた金額にふさわしいだろうか? 他にどんな人や機関がもっているのだろうか?自慢できるものだろうか?」など様々な疑惑・関心が湧いてきて、いやでも勉強するようになります。また、重さ・表面の肌触り・太陽光線下での色・陶磁器の場合は高台(最下部の足の部分・台)の裏がわかるという点でも有利です。

しかし、勉強をするには世界的にオーサライズされた基準となる名品を知らなければなりません。昔から「良いものを多く観ること」が大事だと言われているとおりです。いかに一流の古美術商でも、ある時点で全ての分野で世界一流品を持っているわけもなく、客に見せることも時間・手間の面から不可能でしょう。また、ガラス越しでない鑑賞の場合、管理の都合から、多数の一流美術品を並べるのは不可能です。まれに、手にとって鑑賞できる機会があるときもありますが、そのとき鑑賞できるものは2、3点ぐらいが普通です。博物館は、多数の水準の高い美術品を鑑賞できる点では、非常に便利だと思います。
また、2流3流の品や偽物をいくら買っても、少しも理解はすすみませんし、逆に誤った見方を刷り込まれてしまいます。その結果、偽物だけを何百点も集める人がでてきます。 「買ったから判るようになるとは限らない」のです。

業者やセミプロのなかには「買わなきゃわからない。」と頻繁に言う人もいますが、自分が商売している分野の展覧会には、真剣に通っています。ただ、博物館での鑑賞の限界を過剰に意識しているか、客に買わせるためのビジネストークでしょう。

しかし、「買わなきゃわからない。」の最大の問題は、鑑賞する分野を著しく狭めてしまうことでしょう。
14ー16世紀の西洋美術の巨匠たちの絵画も、現在では公的美術館でさえ、買うことはむずかしく、デッサンでさえ数億することがあるくらいですから、当然「買えない」のであり、「わからない」ことになります。従って、19世紀以後の無名画家の作品と一部 版画を除くと、西洋絵画のほとんど全ては「わからず」、一切論評すらできないことになってしまいます。
ミケランジェロの彫刻はどうでしょう。買ったことのある人でなければ、「わからない」とすれば、「わかる」資格のあるのは、数百年前に死去した人々だけになってしまいます。
パルテノン神殿や、アンコールワットは、当然「買えない」から「わからない」。
王羲之の真跡など存在しないし、模写本でさえすべて公的美術館にはいっているのですから「買えない」し、「わからない」「興味がない」ということになるでしょう。
法隆寺の壁画、大型の仏像、玉虫厨子のようなものは、当然「買えない」ものですから、「わからない」。
つまり、世界の重要な古美術の大部分は「わからない」「関心がない」「コメントできない」ものになるでしょう。
「買わなきゃわからない。」と言う人は、この厳しい制限を自分に課しているのでしょうか? 都合の良いときだけ主張しているだけではないでしょうか?


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