ベルギーオランダ旅行2001秋の記録

多く引用する絵画のイメージ・詳細は Web Gallery of Artで観るのが、最も便利だと思うし、質がいいイメージが満載してるので、アクセスして欲しい。 いくつかはリンクを張っている。 小さいイメージをクリックすると、精細な大きいイメージがでてくる。

Brussel  2001/9/13。曇、ときどき雨。
ホテルでの普通の朝食。Simonet氏が来られた。宜興茶壷展は、メロード駅の歴史博物館ではなく、別の分館でやっているそうだ。郊外HENZELに近いところである。昔EXPOがあった公園区で、王室所有の広大な公園があるところらしい。これはとんでもないことになったと思ったが、行くといった以上、断れない。
EXPOのとき作ったらしいChina Palace、と日本宮殿(五重の塔)がある。 このChina Palaceで展覧会をやっている。外観はなんとなく中国風だが、中は完全なヨーロッパ風である。まったく奇妙な建物だ。向かいに中国の田舎にあるような煉瓦つくりの家があったが、Simonet氏は「日本の家だ」という。私は「中国の家にみえる」とコメントした。
宜興ものとしては、一流とはいいがたいものが多かったが、アジアではまずみることのできないヨーロッパへの輸出仕様のものや、ヨーロッパで金銀細工の金具をつけたものは興味深かった。特にドレスデン:ツインガー宮殿から借りたものは水準が高い。食器のレンゲを黄泥でつくった精妙なものが1対あって、感心していたら、Simonet氏のものだそうだ。北京で買ったものだという。
他には、ヨーロッパむけの紋章入り輸出陶磁の皿(景徳鎮もの)などが多数あり、オールドマスターの絵も、2、3飾ってあった。
そのあと、また、市内へ戻り、歴史博物館にいく。今度は開いていた。博物館の壁にラテン語の銘文があったので、音読していると、「読めるのか?」と聞かれたので「カレッジで少し習った」とごまかした。
王立歴史博物館 Musee Royaux d'art et d'histoire はメロード駅のすぐ近く サンカンテネール公園の大きな門にくっついっているいくつかの白い建物の1翼、駅からいくと左奥にある。 今は退官して、顧問になっているのだそうで、研究室にはいって後輩の女性などと話している。
中南米織物を展示している部屋があって、保存のため照明を落としている。アステカ最後の王モンテスマの、鳥の羽根を一面に使ったマントが、部屋の中央に常設してある。征服者フェルナン=コルテスが神聖ローマ皇帝に献上したもので、アルブレヒト=デューラーもみたものであろう。おもわず粛然と礼をしてしまった。ローマ帝国時代シリアの超巨大な動物模様のモザイク(10x3m)が床に移設してあり、あまり大きいので、2階から、ふきぬけを通してみたほうがよくわかる程だ。

中国室が数室あり、文叔陽食堂題字(AD144)の原石が裸でおいてあった。鉄枠で支えてある。横に、Simonet氏がとった拓本(湿拓)が展示してあった。なかなかよくできている。北京、香港に長期滞在した人であるが、湿拓技術をみにつけたベルギー人は希だろう。厚みは10cmぐらい。裏にはなにもないし切ったあともない凸凹した石肌である。側面にも模様はない、Simonet氏によると、ポール=シャバンヌのころに購入したものだそうだ。写真を許可されたので、撮ってみた。薬研彫りではなく、1直線に釘か両刃で彫ったような彫りあとだった。もと、陶斎蔵石記にあり、端方の所蔵だったはずである。
この原石は北京あたりにあったような気がしていたので、コピーにしてはよくできていすぎる、10年ほど前に買った拓本を1つ愛蔵しているので、なお不思議だ、と思った。(東京で調べたら「行方不明」と記述してあった。ブリュッセルの石が本物だった。金石書学2002/1に写真と報告を掲載した。) ややクリーム色の石で、典型的な山東の彫刻である。
唐の即天武后期の墓誌(蓋つき、模様は美しい)があったが、文字はたいしたことがない。商時代の模様を刻んた骨断片がかなりあった。唐三彩の標準的な作品もあったが、特に名品というわけではない。祝允明の書を示されたが、どうも感心しなかった。

本来はランチの時間だが、無理に 王立美術館Musee Royaux des beau-arts にいってもらう。Simonet氏には悪いので、ここで別れる。ランチがあるだろうし、初期フランドル絵画を一緒にみてもつまらないだろうからだ。

ここは非常に展示の量が多く、アントワープの3倍ぐらいあるので、重要でないものはとばすというような無茶な見方にならざるをえない。
もっとも印象的だったのは、クエンティン=マサイス(1465/6-1530)の 「玉座の聖母子」 (このイメージは質がいいが、左右が少し切られているのが残念) である。赤紫の衣の堂々たる量感、金属装飾の光の輝き、玉座の石灰岩のものすごい重量感、少し斜め向きに座っている生真面目な顔の聖母とおもしろそうに本をのぞいているキリストの生気のある顔など実にすごい。赤紫のマントの袖の下にはウールのふわふわした衣かパフがのぞいている。床は、白い縞のある赤紫の大理石である。右上の遠くの建物、その手前の庭も良い。左が少し切られているらしく、背景のステンドグラスの紋章が半分になっている。
アントワープでみた、騒がしく俗悪な面すらある「キリストの哀悼」祭壇画とはとんでもない違いで、マサイスの作風の広さにはちょっと理解しがたいところがある。 絵葉書もなく、図録は重くて買わなかったが、あとでなんとか買えるだろう。
ベニスの画家カルロ=クリベリの代表作であるが、1859-1862年ごろ、かなりの部分がイタリア国外に分散した Montefiole祭壇画(1470)のうちの2面 があった。「聖母子」と、「聖フランチェスコ」である。 フランチェスコの手にもろに穴があいているところなどはえぐいが、絵画としてはすばらしい。隣にボッテチェリの「ピエタ」があった。ミュンヘン、アルテピナコテークの「ピエタ」のような作風だが、ここにボッテチェルリがあるとは知らなかったので、半信半疑でみていた。Gabrielle Mandelの総カタログによると、ミラノにあるPoldi Pezzoli美術館にほとんど同一の作品があり、そのコピーという扱いのようだ。
東京で開催されるシエナ美術展で展示されるというので、調べていたサーノ=ディ=ピエトロ(1406ー1481)の「天使にかこまれた聖母」の小品(断片)があったが、かなり傷んでいて、金箔がほとんどなくなっていた。
ボスの初期作品とされる「磔刑図」がある。これは思ったよりも遥かに質のいいものだ。人物には不思議な丸い立体感がある。遠景も素晴らしい。図版ではつまらないものにしかみえないので、嬉しい発見だった。リスボンにある「聖アントニウスの誘惑」の忠実なコピーがあった。上部はアーチ形になっている。外側のグリザイユもコピーされていて、この部分は非常に出来がよく、リスボンのものと甲乙つけがたい。
おめあてのブリューゲル「反逆天使の墜落」は、とても明るい画面で、まるで現代のイラストレーションのようだ。背景の青は明るく、少しまだらになっている。上からの神の光がどんなに畏怖すべきものに描がれているかと期待していたら、まったく拍子抜けだった。白光によって叩き落とされる反逆天使という悲劇性が全くない。左上の天使の痴呆的な顔が、図版ではどうも気になっていたのだが、全体が明るいのでほとんど気にならない。7頭の龍の顔も犬みたいで愛敬がある。グロテスクなはずの怪物もカーニバルみたいである。これはむしろユーモアのある解釈を行った絵であり、ボスのような神秘的な啓示を期待するほうが馬鹿だった。 コピーかオリジナルかで議論のある「イカルスの墜落」は上半が非常に傷んでいて、顔料自体が、あちこち洗い落とされたような状態であり、極端にダメージを受けたオリジナルのような感じがした。
「三賢王の礼拝」はひどく傷んだグリザイユということもあるのかもしれないが、ほとんどボロ布状態である。図版で想像したよりもはっきり見えたが、人物の顔が卑しく、とてもブリューヘルの作とはおもえなかった。「ベイトレヘムの戸籍調査」はなかなか良いが、かなり後世の筆がはいっているような気がする。
むしろ、Delaporte寄贈の[鳥わなのある冬景色]が、なかなか良いと思う。
こうしてみるとボイマンスの「バベルの塔」、アントワープの「DULL GRIET」はブリュッセルのものよりずっといい傑作だと思った。 (ブリューゲルの画は このWeb ART で参照して欲しい)
ブリュッセルにあるロヒール=ヴァンデアワイデンの作品では「フロワモントの肖像」がもっともいいようである。背景はもとは大柄の唐草模様が施してあるったようで、痕がみえるが、ぬりつぶされている。顔、衣服など比較的よく残っている。
ロヒールの「ピエタ」、 メームリングの「聖セバスチャンの殉教」 など、小さい絵で、図録ではたいしたことなさそうにみえる絵でも、質が良いものが多くみつかった。この種の小品の微妙な良さは、本ではなかなか判断できない。 メムリンクの[男性肖像]は、アントワープの[コインを持つ若者]もそうだが、意外に小さい小品というべきものである。
ヘラルト=ダヴィッドの[ミルク粥の聖母] はおもったよりずっと小さい。額が非常にそまつだった。むしろオリジナルの額を保存しているのかもしれない。ムーランの画家の「天使に囲まれた聖母子」はコミカルな感じがする。
フレマールの画家(15世紀初期)とされる2枚の絵 「受胎告知」 「聖グレゴールのミサ」は意外と大きく、かつ質が良かった。この2点は全く同じ大きさであり、同じ祭壇画の1部だと考えられているようだ。
Colin de Coter(?1455- 1539?)の大天使ミカエルは、大きく威厳があり、金属的である。むしろ1世紀前のフレマールの画家のような感じがした。 もとケルン聖アルバン教会の「最後の審判」の断片である。 Colin de Coterのこの作品、マサイスの初期作品を初め、このころ一種の復古主義がでてきて、フレマールの画家の作品が模写されたのではなかろうか? そのせいか、現在はフレマールの画家(Robert Campinか?)の基準作であるフランクフルトの3枚の絵は、もとはマサイス作と推定されていたらしい。

フレマールの画家の名前の由来は、 Jacque Lassaigne, Flemish Painting, The century of Van Eyk, SKIRA, New York, 1957によると、リエージュ近郊のシャトー=フレマール由来だそうだ。従来いわれてきたような「フレマール修道院」由来ではない。これはなにかのまちがいらしい。従って某氏が「そんな修道院は存在しなかった!」と書いたのは的はずれになってしまった。また、もともとフレマールにはエルサレムの聖ヨハネ修道騎士団の施設(病院兼修道院)があったので、そこと関係があるかもしれない。いずれにせよ、「フレマールの画家」という名称は、某氏がいうように不適当なものではない。

奥まった別室にあるブーツの「皇帝オットーの正義」二面は、1対のずいぶん大きい絵だが、かなりできに差がある。わきの解説にもそうかいてあったが、左の処刑場面は、アトリエ作らしい。右の皇帝の場面は、顔がそれぞれ表情があり、体のバランスも適切だ。左のほうは、顔と体が不調和で顔だけ身体から独立しているようにさえみえる。
ブリュージュでもみたがAmbrosius Benson(-1550)というイギリス人のような名前の画家の大きな作品があった。力作が多いのだが、何か足りない。俗っぽいイギリス風の名前がいいイメージを与えないのかもしれない。実はイタリア生まれで、ブリュージュで画家をやっていた人のようだ。
ヤン=ブリューゲル[黄金盃/花/金貨のある静物]にはがっかりした。最大がっかりかもしれない。いったいヤンの花の絵の名声は虚名なのだろうか?
ペトルス=クリストスの大きな横長のピエタがあったが、表出感が少なくコピーか?とも思った。
まったく意外なことだが、ダニエル=セーヘルス(1590-1661)の花の絵で優れたものを一点もみることができない。大きい絵を何点もみたが、皆すすけたようなできで、中央には青黒いローマ風の彫像があるだけである。
17世紀の「女料理人」という絵の顔が、ブリュージュのホテルカスチィヨンの人とそっくりだったのには笑った。
VAN Belle寄贈、 Delaporte寄贈などの寄贈者ギャラリーもあるし、寄贈品のとこには王冠:マークつきの青い表示があって、寄贈者名を特記してある。あまり有名でない画家などは、うっかりすると画家名とまちがえそうだ。このような礼遇は、日本の美術館もみならうべきだと思った。
Primitive Flamin in Musee Royal 2 volumesを買いたかったが、重い。別送は「時間がおそい」のでということで断られてしまった。

ノートルダム=ド=サブロン教会 。
入り口で係りの人らしいのが寄付を要求する。美しいステンドグラスだが、あまり古くないものが多いような気もする。向かって右側の横が古そうだ、。建築は確かにブリュッセル最古かもしれない。十四世紀ごろだろう。まわりには骨董屋や家具店が多い。
ワーテルロー街の中国骨董屋, ギゼール=クロエスの店の前には、地中海系の幼児をつれた若い女性が乞食をしていた。ウィンドウには中国の大きな机があり、と軸ものが開かないで壷にさしこんであった。 変な青銅器を売るのはやめにしたのかなあと思った(日本に帰って、新刊の雑誌広告をみるとどうも、まだやってるらしい、しかもかなり真に近づいている。)
夕食。 ロッテルダムへむかう都合上、サンドイッチとビール。 Louise街のブランドビル地下のファーストフード店で食べたが、あまりうまくない。ブリュージュ駅構内売店のほうが上だった。ランチなしでこれでは、さすがに耐えられず、ロッテルダムで夜食をとる。
雨がひどいせいか、なかなかタクシーが来ず、ホテルのロビーでやきもきする。
ロッテルダム〜アントワープ間のオランダ側にHEIDEという駅がある。 ジュリアン=グラックの小説「アルゴールの城」にでてくるHEIDEという名詞と関係があるかもしれないと思って、列車の窓から覗いた。
夜のロッテルダム駅到着にはちょっと不安があったが、ブリュッセル南駅より健全な感じで安心した。 ロッテルダム、ホテルINTELは普通の大きなホテルである。この旅で最初の大きなホテルかもしれない。30%ディスカウントをやっていたので予約したが、まあ正解だった。フロントの女の子は、とても明るく、がんばっている。部屋はややせまいが、ちゃんとバス付きだった。
ロッテルダムのホテルINTELのレストランで 夜景をみながら、 ドライシェリーとディップつきのパン フィッシュカクテル と白ワイン1グラス。


2001/9/14 ロッテルダム 曇ときどき雨。 午前 ボス展
朝は, ミネラルヲーターだけ。早めにチェックアウトして、スーツケースを預け、ボイマンスへいく。
ホテルINTELは大きく機能的なホテルだが、ちょっとボイマンスからは距離がある。歩いたのは失敗だった。迷って途中で道をきくはめになった。銀色のエラスムス橋は美しい。これは成功した建築だろう。写真を撮ったがうまくとれていなかった。
ボイマンスへいく途中、また虹をみた。今度は2重になっていて、7色がはっきり区別でき、触ることができそうなくらい物質感がある。じっと看惚れてしまった。ロッテルダムはよほど虹がでやすいところらしい。
ボイマンスでは、朝一(9:30到着, 美術館は9:00 OPEN)という利点を利用して、オリジナルをしっかりみることと、みそこねたものを観ることに専念した。ウィークデイ(金)なのに11時になると混んでくるのは驚異的である。ボスの絵画がこれほど人気があるとは! ウィークデイなら、もうすこし閑散とした展示会かと思っていた。これでは観光客めあてで、来年あたりプラドでボス展をやるかもしれない。早まったか?とさえ思った。ただ、カタログはともかく、ボイマンスのような総合的で多くのバリアント・資料を含む展示はプラドでは望めないだろうから、来たかいはあったのだ、と再考した。 ブリューゲル「バベルの塔」を鼻をくっつけるようにして鑑賞する。透明板が一枚かけてあるだけなので、気軽に観察できる。やはり傑作というべきものだ。
ミュージアムショップでは、実は国際デリバリーも受付ていたので、 カタログ、「バベルの塔」額絵、資料などを、東京へ別送してもらった。 きれいなネクタイがあったので買ったら、Paris Flammarionブランドでマダガスカル産だった。 DEN HAGのモーリッツハイスへいくことを予定していたので、12時前であっさり切り上げて、WestBlaakの9/8に行ったレストランLa Villetteにいく。
ここは、高級店だが、サービスが速く、旅行者にはとてもありがたい。 ドライシェリーを食前酒にしたら、ディップをそえたパンがきた。このディップはドライトマトをベースにしたもので、昨晩のホテルでもでたが、こちらのほうが上等だった。 若い金髪のウェイターに、ランチセット(65fl)を薦められたので、それにした。
白ワイン1グラス。 カルパッチオ は オリエンタル風で、どうも醤油を使っていたような感じがした。 キノコソースの魚のグリル。これはおいしい。 ブルーベリー=ババロア。 これもおいしかったが、歯になにかはさまったようで、あとあと歯ブラシでとるのに苦労した。 コーヒーはカプチーノ。
ミネラルヲータのサンペレグリーノを頼んだら意外に高かった。でも、まわりの人もみんな白ワインと同じミネラルヲータの組み合わせである。ここのランチの定番のようだ。年輩の客が多い。
タクシーをウェイターに頼んだのだが、20分してもこなかったので、カウンタで抗議したら近くのタクシース乗り場を教えてくれた。そこで昼寝していたタクシーに、ホテルー>駅へいくルートを依頼する。万一、ホテルで、またタクシーを待つことになったら、ハーグでの時間が削られるからだ。


DEN Hag 2001/9/14 午後 晴。
15:10にはついたが、コインロッカーの操作が難しく、美少年と姉の兄弟に助けてもらった。ここで約20分ロス。しかし、コインロッカーが大きいのにはたすかる。日本のは小さすぎると思う。
日本語ガイドブックの大ざっぱな地図で歩いていったら、またしても迷ってしまい、通りがかった2人のインテリっぽい男性に王立美術館への道を尋ねる。ちゃんと地図をみて道をたどるという自立性が、自分からだんだん失われているような気もする。反省。道を教えてくれた人たちによるとモーリッツハイスという発音のほうがいいらしい。
モーリッツハイス美術館は、ビンネンンホフと呼ばれる政府の建築群の一棟である。孤立した建物にはみえないので、ちょっとわかりにくい。入り口が正面ではなく、横の小さな通用口のようなとこになっていて、いかにも王室らしい。15Fl,
絵画は2階と3階にある。 さっとまわると30分もかからないぐらいの小さなギャラリーだが、フェルメールやレンブラントの有名作の他にも注目すべき作品がある。全部は展示されてはいなかった。どちらかというと、静物画が多くでていたように思う。 2階の入り口左右にブレジウスをはじめとする歴代の寄贈者の名前が大きく列挙してあるのは壮観である。
フェルメールは3階の部屋に2点飾ってある、「デルフトの眺望」は透明板が前に入っていた。町の壁などは、17世紀というより、19世紀末のスーラあたりに比定したくなる点描に近い描き方である、17世紀絵画としては非常に特異であるが、私には感動は薄く、三大がっかりの一つかもしれない。20世紀初めのプルーストやフロマンタンが精妙さを誉め讃えた理由がどうもわからない。十九世紀末二十世紀初めの、印象派に少なからず影響された目が、この「先駆的印象派」というべき絵に対して激しく反応したせいであろうとも考えられる。ロイスダールやホッベマのほうがより本格ではないだろうか?
「青いターバンの少女」はあいかわわらず美しい。目に少し修正があるとのことだが、跡は見いだせなかった。ハーグでみると、まわりのスウェンダムやロイスダールの絵と調和して、かまえてみなくていいのは嬉しい。この絵を観るのは三度目だが、唇が肉感的で表情はわりときついような感じがした。
大きなロイスダールの風景画には[最近 修理しました]と横に記載されていた。空の色がおそろしく明るく、大きく走る白い雲の描き方がすばらしい、最近では洗いすぎという失敗はないと仮定できるから、普通みているロイスダールの暗鬱な画面は、単なる経年変化なのかもしれない。
第1室にはファンアイク[泉の聖母]の模写(原画はアントワープ)、ロヒール=ヴァンデアワイデン「ピエタ」の模写がある。オリジナルの初期フランドル絵画としては、ヘラルト=ダヴィッドの1対の森の風景画がすばらしい。これは、純粋な風景画としてはもっとも早いものである。
ヘラルト=ダウの見事な[聖母子に擬した家庭風景]があり、その前に極小さなダウの自画像(個人から長期レンタルしているもの)があった。背景には風景の中に画架をたてている。いかにも実直な画家の顔でレンブラントのあくの強い自画像とはまったく違う。 (ウフィッチにもダウの自画像があるようだ)
ヤン=ブリューゲルとリューベンス合作の「楽園のアダムとイブ」があった、花の作品でまともなものをみいだせない以上、このような初期フランドルの香りをのこした風景動物画はヤンの作品として貴重である。ここにもヤンとされる花瓶の花の絵があるのだが、中国青花のような花瓶の質感、机に落ちた白い花はまあはいいとして、肝心の花瓶にさした大量の花には感心しなかった。また、 Willem van Aelst(1625-1683?)の静物画があり、確かに迫真力がある。Colnerius HEEM(1631-1695)の古本だけを積み重ねた様子を描いた異色の絵があった。初期作品だそうで、本が朽ち果てていく様子を描いたVanitusの絵らしい。
TerBruggen, ピーテル=デ=ホーホの良質な絵があった。Clara=PetersのVANITUSはそれほどのものではなかった。
「デルフトの眺望」の隣に水準の高い静物画があったが、最近の購入となっていた。資金は「友の会」が出したという。日本の博物館ももっと組織の支持を考えたほうがいいのではなかろうか? レンブラントでは、晩年の自画像にはやや感じるものがあったが、有名な解剖学講義も含めて、未だにピンとこない。「解剖学講義」「キリストの神殿奉献」「シメオンの歓喜」があった。「黒人像」など、ルーベンスのそれ(アントワープ王立美術館)とどこが違うのか?とも思った。ヘルクレス=セーヘルスの油彩があったが、残念ながら、どろどろしたもので、あまりよく思えなかった。
スライド、おみやげのマウスパッドなどを買う。
ビンネンホフを望む大きな池に、花を積んだ小舟が10ぐらい浮かんでいた。しばらく見物していての帰り道に、美術館の監視員の人が連れだって歩いているのと会い、挨拶した。ずいぶんすぐ帰宅するものだ、と思う。
帰り道で気がついたのだが、ハーグ中央駅から左側の商店街をずーと通り抜ければ、 モーリッツハイスは、すぐだったのだ。クレオパトラというエジプト料理店があって目をひいた。住人も街路も美術館も、明るく上品な町である。
ハーグから、スキポール空港へは、安易だと思ったのがまちがいだった。
列車がライデンで止まって、乗客がぞろぞろ降りだした、みんなライデンへいく人なのかな、と思ってたら、女の人が、私の前の座っていた白人の若い男になにかいっていた。彼は、携帯プレイヤーで音楽を聞いていたので社内放送など聞いていなかったのだ。彼が、私に「この列車は故障でここで停車、隣の列車に乗り換えろ」といってくれた。仰天して降りる。どうりでみんな降りるわけだ。隣は当然、ギンギンに混んでいる。スキポールまで立ちっぱなしである。よく考えたら、次の列車という手もあったのだが、こういうときには思いつかないものだ。
スキポール空港では、テロの影響で検査が強化されたためか、出発が1時間以上遅れるとのこと。パスポートチェックと検査のとんでもなく長い列ができている。これではハーグでディナーをとってても良かった。おみやげものを買って戻ってもやはり列が長い。なんとか検査をすませた。歯ブラシを買って、ロッテルダムで歯にはさまった甘いものを、空港の大きなトイレの洗面台で掃除した。そこで若い男に、「歯磨き粉をわけてくれないか?」といわれたが、もともと使っていないのだからしょうがない。「No」といったのは言い方がまずいとおもって、「ドラッグストアがあるからいきなさい」とつけ加えた。
2001/9/14 21:58 スキポール発、予定より1時間50分遅れ。
最後に、この旅では、多数のオランダ人、ベルギー人にお世話になったことに感謝したい。


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