ベルギーオランダ旅行2001秋の記録

多く引用する絵画のイメージ・詳細は Web Gallery of Art(英文)で観るのが、最も便利だと思うし、質がいいイメージが満載されしてるので、アクセスして欲しい。いくつかはリンクを張っている。

Brugge/Bruge(ブルッフ/ブリュージュ) 2001/9/10 午後、 雨
雨のなかをスーツケースをひっぱって、ホテルまでいくのはかなりつらい。ブリュージュは歩くとこだという先入観があったので駅でタクシーを使わなかったのだが、誤った判断だった。雨がひどくなったのも不運だったが、石畳でトローリー型スーツケースはかなり使いづらいことがわかった。ホテルの女主人からあきれられてしまった。横幅のある、のっしのっし歩くという感じのかたである。Sint-Salvator Cathedral脇のホテルだったが、斜め向かいの店がILAB(国際古書商リーグ)加盟の古書店だったのでありがたかった。まずDirk Bouts カタログ(フランス語版)を買う。
このホテル  De Castillion の小さな絵が飾ってある階段を登っていく2Fの部屋は、豪華な部屋が少し傷んだような感じである。床の寄せ木細工が1個剥がれていた。敷物はちょっと中近東風だが、これは15世紀以来の趣味なのかもしれない。この辺、ロッテルダムのVAN WALSUMと比べてベルギーぽい感じがする。部屋に置いてあった、ブリュージュの商店・ホテルなどの宣伝誌LOOK-OUT Bruggeによると、向かいのホテルHET Gheestelic Hofも同じオーナー、クリステーン家の経営らしい。説明書を読むと「蚊」の項目があって、運河が近いので「蚊」がでることがあり、窓をしっかり閉めるように、となっていた。運河に近いホテルには意外な欠点があるらしい。もっとも9月10日は既に秋で、さんざん雨が降り、蚊にはあわなかった。
ランチが、水曜になるということなので、急きょ予定を変更し、 火曜日の午後にゲントを往復することにする。まあ、昼と夜に美食すると夜に食べきれない危険があったので、むしろよかったと思った。

3時ごろホテルについたし、雨で疲れていたので、美術館は明日にして健全な観光客をする。まず、すぐ近くの聖母教会だ。ミケランジェロの聖母子があるはず。考えてみたら 初期ミケランジェロの作品の丸彫りの聖母像で無事なものは、非常に少ない。バチカンのピエタが壊されたあと精密に修理されたものであることからいうと、製作以後無事なのは、この北国へ流れたものだけかもしれない。手前に低い白い石の塀がありそれにもたれて観るのだが、ガラスもないし、十分鑑賞できる。
縞のある赤紫の大理石の柱がめだつ豪華な祭壇の真中に安置されている、まわりに17世紀ぐらいの地元の彫刻家による彫像や絵画があるが、その緊張感において甚だしい差があり、むしろ他の彫像の作者が気の毒になった。表情が冷たく、イタリアマニエリスムの絵をみているような感じがする。体格がウフィッチのトンドのような筋肉モリモリではなく、むしろ常識的な描写なのは好感がもてる。ただ空虚な冷たさではないので、ちょっと恐い。幼児キリストは前方へあるきだそうとしているようだ。
ここではフラッシュを焚く人が多くて困る、高感度フィルムで簡単に解決する明るさなのだから、馬鹿じゃないかと思う。そのくせ、蝋燭を献灯したり(20F)献金(漏斗形の賽銭箱にいれるだけ)をしたりする観光客はいない。これでは教会もかなわないだろう。
教会の向かいのOLD-SINT-JANSと表示されているところが、確か昔のメームリンク美術館だったように思ったので、ずっといってみた。外観は古めかしいが、内部はブリュージュの新しい商店街のようである。インターネットカフェやアメリカ風の軽食堂、ギャラリーなどが東京のパルコみたいな感じになっている。どうも変だ。
中央広場のほうへいく。
ここの鐘楼は やはり、私が観たうちで一番美しい鐘楼だと思う。大きさというより、美しさが際だっている、ヘラルト=ダヴィッド の(皮剥ぎ刑)の模写が市庁舎のルネサンスルームにかざってあった、こういう模写の使用はかなり多いものらしい。原作はGroening Museumにある。ゴシックルームは確かに華麗であるが、あまり感動を誘うものではなかった。むしろルネサンスルームのほうが静かでよい。しかし、この市庁舎のむかいの奥にコロナホテルがあるのはちょっと意外というか、いただけないと思った。世界遺産指定との関係か、市庁舎、聖母教会など、さかんに修理している。聖母教会の美しいシルエットが足場で覆われているのは残念だ。
7時ごろに夕食にいったら、私一人だった。ちょっといかつい顔のメイドが給仕してくれる。ひょっとしたら、ここのシェフじゃないかと思った。
まず、ドライシェリー、 ワインリストから、Mercurey赤 Clo d`Or La Boure-Roi 1983 ハーフボトル を選ぶ。なかなかいいが、少し、外気にさらしたほうがよさそうだ。
最初のスモークドサーモンは、厚く、まるめてあり、日本でよくみる薄切とはまったく違う。美味。魚のスープは褐色で濃厚すぎ、少しくさみがあり、まずくはないが、まあまあというところ。 次のラムのソテー(さやえんどう入り)もそれほどのものではない。デザートのカスタードプティングはおいしかった。
バスタブの排水孔をとめる栓がないように思ったので、フロントに電話したら、女主人が来てくれた。私の勘違いで、横にくっついたゴムを外して栓にするのだ。恥ずかしかった。
ここは、通りに直接面しているせいか、意外に騒音がある。窓をしっかり閉めて熟睡。


2001/9/11朝、曇ときどき晴
De Castillionでわりと普通の朝食。明るい壁きわのカフェである。ジャムやトッピングの種類がやたらに多い、ヨーグルトはすぐ売りきれるらしい、チーズはオランダのほうがよかった。意外に宿泊客がいるのに驚く。 やや茶色がかった黒髪のメイドの一人はドミニク=アングルの絵のような端正な顔をしていた。

2001/9/11 午前 市立Groening Museum
瀟洒なつくりの近代的美術館で好感がもてる。20年前よりさらにきれいになって、よくなった。運河沿いのデイバー街の入り口からはいるとゴシック風の門があってそこをくぐってさらに奥のセンスのよい建物にはいる。 250Fだが、ホテルで無料券をもらっていた。
15、16世紀の部門は床が石畳になっていて部屋の区切りが僧院のような煉瓦をつかった丸いアーチになっている。これがなかなか嫌みがなく感じがよい。

まず  ファンデルパーレの聖母。 大きい!  アントワープで葉書〜雑誌大の作品をみたあとでは、これはまったく大きい。実際現存のものではこれより大きいファンエイクは2点ぐらいだろう。保存状態もすばらしく ほとんど加筆がない。ファンデルパーレの老いた顔の描写はすざまじい。手の描写もみごと。眼鏡をもっているのがかわいい。 本の下の皮、リネンの白い衣の感じがいい、図版ではちょっととぼけてみえる聖ゲオルギ ウスも、実物では甲冑の効果が圧倒的なせいか、さして違和感がない、
聖母の衣、王冠などの金属や宝石の描写はすごいとしかいいようがない。 大司教姿の聖人の杖の金属感は、17世紀の静物画にさえ勝るものである。その衣は豪奢な感じが異様なくらいリアルであり、衣の青はラピスラズリを惜しみなく使っていて 贅沢そのものである。衣の袖の刺繍?の帯はマイヤーファンデアベルヒでみたようなきもした。前に透明板を一枚つけただけなので、接近してみたが、経年変化の微細な自然なクラックが一面にあって、状態のよい絵だとおもった。全体として、非常に迫力のある絵画である。
老学者のような痩身のみなりのよい男性が、若い女性にイコノロジーを中心とした説明をしていた。聖ゲオルギウスの視線とキリストの対応を指さしていたので、おもわずウンウンとうなづき、ゲオルギウスの鎧の胸にある銘文「ADONAI」を声を出して読んでしまった。「アドナイがわかるか」ときかれたので、すまして「神の名の一つ」といったのはちょっとキザだった。ここでは「ADON」となっていてAIは隠れている。

ヤン=ファンアイク「画家の妻」は、その横にある。本の図版でみたたときは「やりての怖いおばさん」という印象であったが、現物をみると相当な美人である。顔を骨格肉体として仮借なく描くヤンの技術のせいで、この女性の美しさが迫ってくるのだ。左眼だけが少し上目になっているので、斜視ではないか?という感じもする。帰国後、画集をみたら、どうも、他所にある聖母のモデルに何度か妻を使っているような気がする。「ルッカの聖母」(フランクフルト市立ステーテル美術館)は、まずこの人がモデルだ。
全体にクラックが細かくおおっていて、剥落の危険がありそうな危うい感じもした。手の位置は確かにおかしいが、どう描き変えられたのか、その跡をみいだすことはできなかった。
シモン=マルミオンの聖母は不気味である。
ヒューホー=ファンデア=グースの 「聖母の死」 はむしろ端正な描写をこころがけたもののようである。下地が薄いのか、横にした細長い板が7まい鋲で接いであるのがみえる。それほど不安な感じはなく、むしろ 緊張した諦観、しずかな悲しみのようなものを感じた。聖母の顔と頭部のまわりは完全なグリザイユで色がない。
ブーツの「聖ヒッポリトスの殉教」三連祭壇画は右翼の風景画がとくに優秀だと感じた。中央画面はマンガみたいでどうもいただけない。
メームリンク「モレル三連祭壇画」(聖クリストフォルスの祭壇画)も、とても好ましいものである。左翼の聖バルバラがとてもよく、その下の女性たちもとても愛くるしい。クリストフォルスの絵は、足に使った透明な水を描くという技術の発展と関係していそうだ。

メームリンク美術館所蔵のメムリンクの傑作、「 ヨハネ祭壇画 」(聖カタリナの神秘的結婚)は、ここに仮住まいしていた。裸だが、少し距離をおいてみるようになっている。 聖母の下の衣が平板に真っ黒になっているがこれはなんらかの退色、顔料の化学変化、によるものらしい。大理石の4本の柱の右から2本めも同様だ。聖母の衣は中核部分だけにまことに惜しい。もとはたぶん青ではなかろうか?洗礼者ヨハネの顔の右側から肩にかけて不可解な部分があるが損傷ではなかろうか?
右翼の黙示録は、描写がなまぬるいとして、しばしば指弾されるものだが、これは水面に映る影の実験をやったものらしい。騎士たちの影が映っているのはいうまでもない。空中に浮かんだ祭壇と椅子で、神の前で振り香炉を祭壇の前でもって、椅子にすわっている人物(天使?)がいるが、まさにその椅子の底と人物まで水面に映っている。神と聖人たちを囲む虹色の円それ自体も一部水面に映っている。この試みが成功しているかどうかはともかく、この影の描写は、小さな粗悪な図版ではまったく感知不可能である。
左側のサロメの図では残虐な処刑場面が滑稽でなく一応リアルに描写されている。ヘラルト=ダヴィドの絵ではもっとリアルだが、あれでやると全体の統一感がなくなるだろう。処刑人の肉体やシャツの描写がよい。
中央画面はすばらしいの一語につきる、「理想を描く」ということはしばしば偽善的で滑稽になりがちだが、ここには 優雅・高貴・繊細という理想が絵画の中でリアライズされている。一体西洋美術史の全作品のうちで、どの絵画がこのテーマでここまで達成できたか? 私は思わず涙してしまった。少し疲れたような聖母の顔はメームリンクの定番だが、同類の最上のものだろう。
聖カタリナの衣は少し変わっている。筒袖のようなもの。メームリンク美術館の聖ウルスラの聖遺物箱の聖ウルスラも同じファッションである。聖バルバラは特に高貴でマーガレット=オブ=ヨーク がモデルであるという伝説ができたのももっともだ。右の天使は少し考え込んでいるようである。左の豪華な衣をまとって小型オルガンを弾いている天使は丸顔でこれも肖像だろうか?
両ヨハネも優雅で沈痛である。背後の大理石柱と梁の構成も力がはいっている。遠景の エピソードはむしろ簡単で古拙でありそれほどの作ではない。ただ、こちらをみている黒服の人物はよくえがけている。
外側の奉献者の描写は堅実だが、内側ほど熱烈なものではない。アトリエ作だろうか?それでも2人の尼さんは顔がうまく描き分けられていて、個々の性格さえ感じる。

さて、無名の「ブリュージュの画家」の 「夜の牧者の礼拝」 は、光のぐあいがすばらしいが、なによりうたれるのは、聖母の顔が全く理想化されておらず。むしろ醜いことである。天使が左から舞い降りるさまも美しいが、これはひょっとしたら、ヘラルト=ダヴィッドやヘールトヘン=トート=シントヤンスの作品にならったものかもしれない。スライドが売り切れていたのは残念である。16世紀初期とされていた。
1面の無名画家の聖画の後ろに、 樽を積んだ倉庫の風俗画?(17世紀始め?)が 描いてあってこちらのほうがよかった。
ペトルス=クリストスの作品が3つある。1点は確実なサインと年記まで入っている。どれも同じ大きさにみえたので、1セットの一部だろうか? 小型である。可愛らしいものだが、石彫を似せたグリザイユまで、まるまると太り気味で、ヤンの野蛮に近い強烈な表現とは極端な差がある。
スライドと本を買う、国際デリバリをしてくれないのが残念である。「ヨハネ祭壇画以外のメームリンク作品はメームリンク美術館に返っています」と表示が「ヨハネ祭壇画」脇の壁にあったが、メームリンク美術館そのものが開いていないようにみえた。 ここの 監視員の一見こわそうなクルーカットの男性にきいて、メムリンク美術館が、昼食時には閉鎖しているが、朝と午後はあいているという情報をきく。大感謝。
17世紀の静物画では、Alexander Adrianssen(1587-1661)の 「魚と黒猫」 左方の切り身の光沢質感がすごいが、右下の鮭と黒猫はいまいちだった。机をボロボロに描写しているのはオランダ静物画としては珍しい。Isaac Devos(1647-1690)の「ワイン杯と果物」も良かった。
しかし、ここの15ー16世紀絵画をみるとまったく美術館は数ではなく質だと感じないわけにはいかない。今回の旅でみた美術館のうち第一に押すものである。


GHENT 2001/9/11 午後 曇 少し雨。
ゲントはブリュージュから往復したのだが、行きはまちがって切符を買わず、列車内検札の駅員から、つぎでおりろといわれたら、そこがゲントだった。
ブリュージュ駅で買ったサンドイッチはNEPTUNEというので、100Fだったが、なかなかおいしかった。これとミネラルヲータを列車のなかで食べて昼食にする。 駅前にさえタクシーがほとんどいないのには閉口する、ブリュージュのような観光都市ではないとはいっても、アントワープやロッテルダムよりもいない、
シントバーブ聖堂があるトラムのコーニング駅付近は、アクロポリスのように、古い大建築が林立している。この集中ぶりは、ブリュージュやアントワープとはまったく違う、まるで西新宿高層ビル街のようだ。聖堂内ではコンサートの準備をしていた。ルネサンス音楽の演奏ではなさそうなので、 Hubert van EykとJan vanEyk兄弟合作の祭壇画 に急ぐ。 100BF。
1980年にはもとのフェイト礼拝堂にあって、係員が定期的に開閉してくれたのであったが、今は開いた状態で、巨大なガラスと鉄のケースにはいっていて、場所も別のところに移動している。 ただ、表面の受胎告知が、左右に分離してしまったのは残念だ。 天使ガブリエルのAve Gratia plenaという金文字の言葉に対する、聖母の返答が金文字Ecce Ancilla Domini(ルカ伝 第1章)で表されているが、上下ひっくりかえった文字であることに迂かつにも初めて気がついた。 まあ、保存上はやむをえないし、長時間鑑賞するには、こちらのほうが便利である。 14:40から15:50まで約一時間10分鑑賞、アメリカ人の団体で大混雑になったところで退散した。
すごい迫力、というのが実感である。とにかく大きい。アントワープのリューベンス以上の大建築物である。 この大画面を細密画に近い手法で描き尽くしている。実はアントワープで、「初期フランドルの絵画は大画面にはむかないのでは?大画面にはリューベンス風にならざるをえないのではなかろうか?」と思ったが、間違いであった、等身というわけではないが、大きな人物が縦横に描きわけられている。
アダムの手の甲、足、顔の赤みがはっきりと観察できた、 イヴはそうとう迫力があり、素材はモデルを使って描写したとしか思えない。いったいだれなのだろう。ヤンはまだ結婚していないから娘ではないとおもうが? イタリアのモデルは男性を使って女性のヌードにしたてていることも多いが、これは絶対に違う。18世紀末に、皇帝ヨーゼフ2世がアダムとイヴをみて気分を悪くしたというのはなんとなくわかるような気がする。 他の人物もそうだが、足の指が丸く太い感じがした。
天使ガブリエルの羽根は肉でできているようで、内側がまるでマグロの切り身のような実在感がある。 外側の受胎告知で、天使ガブリエルのAve Gratia plenaという言葉が金文字で吹き出しのようにはいっているのだが、聖母の返答の金文字Ecce Ancilla Domini(ルカ伝 第1章)が上下ひっくりかえった文字であることに、迂かつにも初めて気がついた。
確かに中央の3人と奏楽の天使は、かなり違った筆であり、ヒューベルトの作品だろう。
下部の「子羊の礼拝」パネルは、火事のとき横に2つに割れたのだそうで、かなり修理があるそうだが、生命の泉の水面の波紋の精密な描写には感動した、聖女たちの行列は写真ではぼやっとしてるが、実物も少し線がぼけぎみでフェルメールのような感じもする、あとで考えたのだが、この上半部のヤンらしからぬ、ぼやっとした感じは火事のためではなかろうか?左端のシーツのような大きい白い衣をかぶった聖女はだれだろうと思った。セミヌードでパンをもっているのはエジプトのマリア、塔をもっているのは聖バルバラ、ぐらいはわかるのだが。
横からみると、アダムとイヴのパネルだけが1枚の板であり、下の2段は2枚のパネルが重なっていた。そうすると下のほうは、両面に描いたものではなく、 一枚の板の片面に描いたもののようだ。あるいは後世に改装されたのかもしれない。 (あとで文献を読むと、どうも翼部分がドイツに売られてベルリンにあったときに、表裏に切り離されたらしい、中央部分は横からみえないので、1枚なのかどうかは、わからないが、たぶん1枚パネルなのだろう。)
16世紀の修理のさいのヤン=スコレルの加筆はよくわからなかった。洗礼者ヨハネのガウン、玉座の聖母の青衣がそうらしいといわれている。
1934年に盗まれた左下の[正しき裁き人]のパネルは、1939制作の模写なのだが、ものすごく良いできだ。強いて欠点をいえば、馬の目がクリクリと愛らしいことぐらいだ。ホーヴィングの本に、古画の過剰修理の犯人として疑いをかけられているJan Van der Vekenの模写だけあって、すばらしい出来だ。
聖堂内の別の箇所には衣というより獣の毛皮のようなものを纏ったアダムとイヴの模写があった。ちょっと貧相だ。これはミハイル=コクシーのものかもしれない。
スライドと小さな本を買う。
帰りにトラムを乗り間違えて駅まで1時間近くかかってしまった。市立美術館の閉館時間を過ぎ、ボスは見そこねてしまった。まことに残念だ。

ゲント駅で、切符を買ったとき、「ブリュッフ」といったら、発音が悪くブリュクセル行きの切符をくれた。「ブリュージュ」と言い直して再発行してもらう。ブリュージュの人々はオランダ語に近いフラマン語なので、「ブルッフ」「ブリュッゲ」のような言い方をしていたのだが、日本人の場合「ブリュージュ」が通じやすいようだ。「ゲント」「ガン」「ヘント」も同じ町だが、旅行者にとっては「ゲント」が通じやすいように思った。 とにかく、ブリュージュに戻る。
19:00、De Castillionのレストランで夕食。
ロブスター冷製、なかなか良い。魚のグリル、相当よい。 よくわからない皿、まあおいしいからいか? デザート 盛り合わせ、水準以上。 どうも昨日、遠慮なく、コック/メイドに批評したので少し方針を替えたような感じだ。 このときはセットについているのでハウスワインで、白はChardonnay。及び軽い赤を飲む。


Brugge 2001/9/12 晴
朝。
De Castillionの朝食。ヨーグルトを食べようと少し早くいったが、あまり多く残っていなかった。なかなかおいしいが、よほど人気があるのか、量が少ないかのようだ。トッピングのフルーツポンチがおいしいこともある。昼にそなえて、ヨーグルトとコーヒー、ペッスリー1個でおとなしく食べる。
めずらしく天気がいい日が旅立つ日だとは皮肉である。昨日きいていたのでメムリンク美術館へいくが、扉があいていない。よくおもいだしてみると、9:30のような気がした。聖母教会にはいってミケランジェロをみる。内陣はまだ公開されていない。ちょっとブルグのほう市庁舎のほうへいって写真をとる。市庁舎の前には観光用の馬車が整列していた。十二台以上あったと思う。結構繁盛してるようで、客引きなどいない。裏側の広場の中央が臨時の野菜市場で占領されていたのには、なんとなく感動した。 うがい薬が払底してしまったので、ブルグの近くの薬局で喉薬を買う。店員の男性と相談して薦めてもらった。これは、ベラドンナ配合のもので、うがい用というより、水で希釈せず、喉へ流し込むものらしい。 デイバー街のグルートヒューズ博物館の外観も撮る。
シントヤンスにもどるが、まだ空いていない。聖母教会にはいって内陣をみる。 内陣の傍らにアドリアン=イッセンブラッド(?--1551)の代表作「聖母の7つの悲しみ」が、手で触れられる低い位置に掛けてあるのにはびっくりした。あるところにはあるものである。
内陣には、ブルゴーニュ公国の事実上最後の公爵、戦死したシャルル=テメレールの 墓とその横に、娘でオーストリアのマキシミリアン(神聖ローマ皇帝)の妻、マリー=ド=ブルゴーニュの墓がある。いづれも当時流行した、丸彫り肖像を上につけた大きな棺である。1980年にディジョンのブルゴーニュ公宮殿跡で別の例をみていたので、彩色石棺だろうと思っていたら、どちらも真チュウに近い黄色っぽいブロンズだった。あとで調べたら、シャルルの方は、石棺にブロンズ装飾したものらしい。下部には無数の紋章がついているがこれは系図である。歴史で知っている人々なので特に興味があった。シャルルの像は武装していて、足元にごっつい兜があり、いかにも戦死した貴人の像らしい。マリーはとても丸顔で、おでこがでていて愛らしくつくってあり、ブルゴーニュ公一族特有の顎もめだたない。ふくらんだ柔らかい大きな枕(彫刻だが)が記憶に残った。
2つの棺は並んでいて、まったく同じ様式なので、夫婦の墓と間違えそうだ。
床の一部には、ガラスがはいっていて、地下がみえる。ゴシック初期〜ロマネスク時代ぐらいの、朱と黒だけで白壁に描いている古拙な壁画断片がみえる。どうやら、古いクリプトがあるらしい。
2つの棺のある内陣には、ケースにはいった銀の聖遺物箱が多数並んでいた。 内陣壁にはファン=オルレイ晩年の受難図があったが、このくらいのものはざらにあるという感じで、殆ど目にはいらない。 まったくあるところにはあるものだ。 フラッシュなしで、ミケランジェロと天井のゴシックボールトを撮る。
9:40ごろ門の前にくると、 メムリング美術館 開いていたので、幸いとはいる。はいったところは、がらんとしていて売店があるだけ、奥の列柱のある建築遺構がみえるだけ、そこもまだ、内装が完了していないようだ。
受付の女性にきいたら階上が絵画の展示室だということだ。2階へいくが、 入口の上部の浮彫のオリジナルがごろんとおいてあるだけである。どうやら玄関上部の浮き彫りは模刻に替えらえられているようである。 さらに階段があったので3階にいくと、ようやく待望のメムリンクの作品が、がらんとした空間に、そうとう間をおいて展示されていた、明らかに臨時の展示であり、最終的に整備されたら、もっと充実したものになるだろう。1980ごろの展示は倉庫か馬屋の壁に展示していたような感じであったが、現在はまだ内装がしていない部屋に展示してあるような雰囲気である。
聖ウルスラ遺物箱 は、憶えていた印象よりも、ずっと大きかった。20年間に、記憶の中で小さくなったらしい。 聖ウルスラ遺物箱の絵、特に処女たちを保護するウルスラは、比類ない眼差しを五百年近く観るものに注ぎ続けている。衣の描写技術はむしろ粗いところがあるが眼差しのすばらしさは、やはり比類がない。側面の殉教場面は、どうということもない普通のものにみえるが、当時の他の画家、例えばグロニンヘンの聖ルーシー伝の画家の作品の稚拙な場面構成と比較すると、相当上質なものなのだろう。
フロラインの祭壇画にはオリジナルの金具と鍵がついていて、これが、本来は鍵で閉じる家具であったことを示している。1500年ごろの作品で、このように当初の状態を保存している例は希である。
マールテン=ニーウェンホーフェの2翼祭壇画は質の高いものだが、衣の下の肉体の描写が弱い。これは、顔や手のすぐれた描写と比べて感じられるものであり、やや不調和を感じる。逆に顔が同時代の他の絵程度のできであれば気にはならなかったのだろう。
ド=レイスの祭壇画の聖バルバラは1980年にはずいぶん強い印象をうけたものだが、今回ではそれほどでもない。性格描写は卓抜だが、やや技術的に稚拙な感じがする。ひょっとしたら、表面がかなり傷んでいるのかもしれない。
大きなポスターを買いたかったが、もっていけないので止めた。売店のおばさんに、 「ブリュージュに国際デリバリーのカウンタがあればいいのに」とこぼした。実際そう思ったのだが、うまくするとそのうちできるかもしれないという下心があった。なにしろここは観光で生活しているような都市なのだから。例えば、 市の広場のめだつ所にキャッシングコーナがあるのは、日本ではともかく、西欧ではかなり異例だと思った。観光都市で治安もいいからだろう。

チェックアウトが11:00のはずなので、フロントにいくと、ランチがあるから、その後でいいとのこと。ありがたいが、また、スーツケースを部屋へあげなければ行けない。
ランチまで時間があったので、ホテルでもらった券で、運河のボートクルーズに乗る。こういう機会でないと、まずやらないだろうと思ったからだ。ボートがあるのに、みんな待ってるのは変だとおもったら、キャプテンが不足しているらしい。客は年輩の人が多かった。5国語のガイドがあって、なかなか楽しい。天気もよく、ようやくリゾートしてるなあという気分になった。橋が水面にずいぶん近く、うっかりすると頭が、汚い橋の内面に触れそうだ。これでは大きな船は通れないだろう。昔は、水面が低かったのだろうか? また、ベニスのような、運河に直接建物からでる出口はみあたらなかった。
De Castillionのランチは、 
まず、白ワイン1グラス。 レバーとチーズの練り合わせ:150gぐらいのかたまりと、野菜サラダ、これはおいしい。しかし量が多い。なんとか制覇する。 白身魚のグリルと野菜ソース(Crudit系)。ポテトと極細い緑色のもやしのようなものがついていたのが珍しい。質がいいものだった。
デザートは、パンケーキにアイスクリームを夾み、すごいラズベリージャムとラズベリーを盛ったもの、これは1/4だけ残して放棄せざるをえなかった。おいしいのだが、、
ここででるバターがあまりおいしいので、どこかで売ってないか聞いたが、プライベートに樽で買っているので、無理だとのことだった。
さて、十分満足してチェックアウトし、駅からブリュッセル行きに乗ったのはいいのだが、な、なんと、カウンターにパスポートと航空券をあずけっぱなしになっていたのを気がついた。ゲントで降り、タクシーを、待っていた家族連れにわけをいって、譲ってもらい、ブリュージュへ戻った、1万円ぐらい。なんとか、ベルギーフランがあった。次の列車まで、ゲントで市立美術館のボスをみるという方法もあったのだが、動転したのと、午後4時までに、ブラッセルの王立歴史博物館にいくと、博物館のSIMONET氏へEメールしてあったので、その方法はとれなかったのだ。タクシードライバーはブリュージュに家がある人だということで、いろいろ話を聞いた。
ゲントの2点のボスには縁がなかった。まあ1980年に観てることは観てるのだ。

14:40。ブラッセル、南駅につく。困ったことにベルギーフランが不足している。駅でトラベラーズチェックで替えたら、レートがすごく悪かった。駅には浮浪者が散見する。タクシーは近藤くんがいっていたように地下の駐車場、そこへの通路にも浮浪者がいる。聞いてはいたが、アントワープとはとんでもない違いだ。ルイーズ広場の近くのビジネスホテル、ARGUSにチェックイン、エレベータの位置がわかりにくく、また手間とる。いったん地下に降りてから、少しいってまた別のエレベータを使う仕組みになっていた。そんなこんなで、博物館についたときは閉館時刻を5分過ぎてしまい、ドアの前で退散という、まったくひどいことになってしまった。ホテルへ帰ると、シモネ氏からメッセージが入っていた。部屋から電話すると、ホテルにむかえにきてくれるとのこと。ありがたく待っていた。ロビーで、新聞を手にとると、ニューヨークでハイジャック機が2機、国際貿易センタービルに突っ込んだという大変なニュースを知った。
Simonet氏は、白髪痩身で、私より少し低い背丈の人、60代初めぐらいかもしれない。 ニューヨークの事件をいうと、「タリバンの仕業だ」といっていた。西欧では事件直後からタリバンが犯人だという一般常識があったらしい。日本ではずいぶん長い間あやふやなことを言っていた。 ブリュクセルを車で案内していただいた。もう観光名所はしまってるとおもったが、サンンカトリーヌ教会はあいているというので、つれて行ってもらう。ここは丘の上であり、傾斜地に建っている。オランダよりのブリュージュやアントワープはまったく平地ばかりだったので、奇妙な感じがした。大空間があり、戴冠式に使われるというのももっともだ。グランプラスへ行き、写真を撮る。Simonet氏は「あの建物は古いビール醸造組合でちゃんと看板が残っている」などと指摘してくれた。
EメールでCarbonard Flaman(牛肉のビール煮)のことを書いていたので、Simonet 氏は、それを出す店をさがそうとがんばってくれる。どうも、この料理は非常に一般的な家庭料理で、レストランではあまり出さないものらしい。私は別に執着しないからといったが、レストランごとに訊ねてくれる。
ギャラリーSt. Hubert(ガラスアーケードのある商店街)にあるSimonet氏いきつけの Tavern DU Passageが満員だったので、レストラン街のイロ・サクレのほうにいき、やっとCarbonardoがあるVincentで食事する。
Carbonarard Bruxelloise とサラダ。ビール味がよくきいて美味、日本でこれをやるにはいいビールを大量につかわねばなるまい。Simonet 氏は、ムールと白ワイン、ここの勘定はおごってもらったので、日本から茶壷や本を贈ることを約束する。
明日、朝迎えに来てくれるというので、好意に感謝して、そうしていただく。
このホテルは狭めで、シャワーだけの部屋である。まあ清潔で静かだったし、フロントの対応も良い。



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