近年、奈良法隆寺の五重塔の中心の柱が、594年伐採の材木であることがわかり、美術史、古代史に、波紋を投げている。法隆寺再建非再建説の論争が再燃しそうだし、明らかに現法隆寺より古く四天王寺式の設計だったらしい「若草伽藍」とは何であったのか? という問題がでてきた。あるいは、現在の五重塔の建築は他からの移建か?という想像もできる。
これは、最近クローズアップされた年輪年代法(樹輪年代法)dendrochrnologyによる成果である。これは気候変動によって年輪の幅が変化することを利用して、特定地域特定樹種の年輪パターンの共通性をとりだし、木造製品の表面の年輪パターンから、年輪が形成された年代を解明するものである。皮に近いところまで残っていれば、そうとうな正確度で伐採年までわかる。 法隆寺の場合、解体修理をしたとき、腐った柱基部をきりとっていたので、その材料を使うことができた。 勿論、伐採年は彫刻や建築の制作年よりかなり古いこともありえる.一般に材木は使うまでにかなり寝かせて乾燥させ、癖や曲がりをとってから使うものである。古い材を再利用することも多い。例えば奈良の元興寺の部材や瓦の一部には飛鳥から奈良の都に輸送されたものが再利用されているという。現在でも古寺の廃材使った小さな工芸品があったりする。したがって、この年代は上限年代を示すに留まる。ただ、絵画の基底材のような場合は、古材の再利用でなければ、100年以上古いものを使うとは考えにくい。また、画家の死後に伐採した材を使うということもありえないことである。 ただ、デューラーの自画像のパネルををキュイハーが表と裏に引ききって分け、新しくできた木面にコピーを制作したことがある。この場合はコピーも原作も同じ木になる。
Wien KunstHistoriche MUSEUMのブリューゲル「海の嵐」は、ブリューゲル(-1569)死後の1585年以降に伐採された木に描かれていることが判明した。この絵は1900年ごろにはモンペル(Joos van Monper 1564-1634/5)の絵だともいわれてきたこともあるが、再度モンペルへattributeしたほうがいいのではないか?
Rogier Van der Weydenのミラフローレス祭壇画 は同じものが、2セット(3パネルで1セット)あり、ベルリン美術館の1組とグラナダ、METに分蔵された1組がある。ベルリンのほうが古くしられていたようだが、1920年代には、グラナダの作品がクローズアップされ、グラナダのほうがオリジナル、ベルリンのほうがコピーという扱いになった。 フリードレンダーもパノフスキーもRogierDavis(1972年)もその意見である。 ただ、近年の日本の図録ではベルリンのほうがでていて、「議論がある」という記述になっている。
年輪年代法で調査したところ、METのパネルはRogier yan der Weyden(?-1464)の死後15世紀末以降に伐採されたものであり、グラナダの2パネルはJUAN FLANDERSがスペインで1496年から1499年ごろ制作した別の祭壇画と同じ木(バルト産)であることがわかった。
これで、グラナダ=METバージョンはコピーであることが疑いないものとなった。
従来の高名な美術史家たちはまちがえていた。
ベルリンのパネルは1429以降の伐採のようだから、一応パスしている。勿論、同時代のコピーということもありえるが、経歴がかなりはっきりしているので、痛みはあるのだろうがオリジナルだろう。
まず、エスコリアルの「荊冠のキリスト」は1516年以降の伐採材であり、ボスの真作ではありえないことになった。バレンシアには別のコピーがあり、エスコリアルのほうが真作とされていたのだ。最近ではコピーですらなく模倣者によるパスティッシュではないかとさえいわれている。
Rotterdam Boymans美術館の「カナの結婚」はJheronymus Bosch(-1516)の初期の作品とされたものだが、その木は1553年以降の伐採であり、当然ボスの作品ではない。失われたオリジナルのコピーである可能性はある。
ボイマンス美術館で2001年に行われた大規模なボス展の準備段階で、
かなり、測定がなされたらしく、発刊された論文集には、多数の測定結果がのっていた。
これをながめていると、年輪年代法は、万能とはいえず、むしろ、ミラフローレス祭壇画、「海の嵐」のように、はっきり判断できる場合のほうが少ないように思う。
例えば、プラド美術館の傑作「快楽の園」パネルの伐採年代は1458年以降と推定されているが、同じプラドにある「快楽の園」左翼パネルの明白なコピーのパネルが1447年以降である。数字だけみているとコピーのほうが古くなる。もっとも「以降」であるから、年代の接近したコピーなら、区別できないとするのが当たり前だ。「快楽の園」が他の大部分の作品より古いとはどうも信じ難いから、「以降」というのは「上限年代」であり、その年代に制作時期を接近させる必要はないと考えたほうがいいようだ。
更に意外なのが、どちらかといえば初期から中期作品とみなされていた「干草の車」(これはほぼ同じものが2点ある(プラドとエスコリアル))の年代が、1498,1509以降と殆ど晩年の年代であり、「快楽の園」よりずっと後であることだ。エスコリアル所蔵のほうのオリジナルな額の木は1520年以降である。これからすると、2つとも同時代の工房作・レプリカである可能性がある。同様に、初期とされ、画集でもたいてい初めのほうにでてくる「阿呆の治療(プラド美術館)」は1486年以降の伐採材のようで、ボスの中期の作品とせざるをえない。 逆に晩年とみなされていた、MUNCH、ALTE PINAKOTHEKの最後の審判断片が一番早い年代: 1440年以降を示していることも奇妙である。もっともこの絵は、現在は自筆でないという見方があるようだ。
比較的、座りがいいものは、リスボンにある傑作「聖アントニウスの誘惑」で1493年以降、ベニスの「陰者の祭壇画」「殉教女性の祭壇画」「ヴィジョン」は、1485, 1482, 1489以降、で、まずまず穏当なところだ。
ラザロ=ガルディアーノの美しい「洗礼者ヨハネ」、ゲントの「聖ヒエロニムス」、ベルリンの「パトモスのヨハネ」は1セットの分かれのようだが、1472, 1474, 1487以降ということで、この程度はばらつくものらしい。
議論の多かったウイーンの「最後の審判」は、1474以降でかなりよさそうだ。ボイマンスでクローズアップ写真をみたときはかなりいいと思った。
ルーブルの「愚者の船」、エール大学「アレゴリー」、ワシントンナショナルギャラリー[守銭奴の死]の板は、ボイマンスの「放浪者」と同じ木からとった板(1486年以降)だそうだ。とすると、同じ祭壇画の一部であるか、板の両面に描いたものをスライスして、別々にパネル仕立てにしたものか、ということになる。これら4点は、ボスの他の板絵に比べて非常に薄い(2ー5mm)んだそうで、おそらく表裏にスライスしたものだろう。
ただ、「放浪者」と他の3点はかなり質が異なる。良いほうからいって、「放浪者」「愚者の船」[守銭奴の死]「アレゴリー」の順である。一つの板の両面に別の画家が描いたり、まったく違う題材を描くということは、かなり頻繁にあったようだ。
ブリュージュのグロニング美術館には、1面に聖画、もう一面に風俗画を描いたパネルがあり、どうみても両面の時代が半世紀ぐらいは違ってみえる。
もっと驚くのは、明かな模倣作・工房作が真作と同じような木を使っていることだ。前に述べた「快楽の園」のコピーもそうだし、工房作とみられるブリージュ:グロニング美術館の「最後の審判」は1478年以降である。まあこれはほんとに助手などの作なのかもしれない。マドリード:ラザロ=ガルディアーノの弱々しい「トンダルスの幻視」も1488年以降、サンパウロ美術館の劣悪な「聖アントニウスの誘惑」の模倣作も1503年以降で「干草の車」より数字だけみると古い! また、ダブリンの美しい流派作「キリストの地獄への降下」も1487年以降という、ボスの有名作品と同じような木を使っているらしい。
コピー・模倣作・流派作というと画家の没後に制作されるような感じがするものだが、そういうわけではないらしい。生前にも盛んに生産されているようだ。