"Chinese Archaic Jades, 1950" 序

Jade Pendants 古玉は古代中国の文物であるが、永い間その本来の意味はしられていなかった。しかし、各時代に学者たちによって研究されていて、次のような文献がある。

  1. 考古図 呂大臨 AD1092初刊、1753再版
  2. 古玉図譜 徽宗皇帝の収集
  3. 古玉図 朱澤民、1341刊、1753再版
  4. 古玉図攷 呉大徴 1889刊
4.は、著者 呉大徴の収集をもとにした重要な著作である。 古玉の年代は学者によって意見が分かれるが用途については、現在でもほぼ確かで あり、礼器、権威、役職、位階の象徴、あるいは装飾品とされている。 私は、欧米における古玉の収集と研究の歴史についいて述べよう。これは多くの人 にとって興味深い話であろう。

1912年

早春、アルデンヌ伯de Tizac氏(当時パリのチェルヌスキー博物館の館長)が オペラ座の裏 Taitbout34番地の私の店にやってきた。古玉を中心とした中国美術展を 催したいということだった。私たちは、店中を探し、倉庫にまでいって、ようやく玉の はいった小箱をみつけた。2つの玉豚を含む20点ほどの玉が入っていた。 荒れた肌、暗い色合い、擬古的な彫刻のために古玉と間違えた19世紀以降の 玉もはいっていたが、当時の私たちには古代の玉にみえたのだ。 2点の玉豚は、その展覧会で唯一確実な古玉であった。
この展覧会に刺激されて、G. Gieseler博士(フランス北部鉄道会社)が古玉の コレクションを始めたいと相談に来た。私は、 呉大徴 の古玉図攷 と比較して、私が今もっている玉は古玉にしては自然主義的 すぎる と個人的見解を話した。
呉大徴 は、日清戦争で軍隊を率いていて、南満州で敗北し、コレクションをすべて 失った。戦場にも携えていったからである。 呉大徴 は古玉を熱愛していたので、日清戦争以後も収集を続けていた。私は遺族から 数個の黒玉のタブレットを得た。それは、Gieseler氏とPillsbury氏へ帰している。

1912年の初夏、Gieseler氏の為に古玉を収集する目的でシベリア経由で 中国へ旅した。そのとき得た古玉 はすべて Gieseler氏へ帰している。

1914年

1913年と同様に、7/21にパリをたった。その列車がでた直後に第い一次大戦が 勃発した。8/1に北京に着いたが、その日はフランスで総動員令が出、東部戦線で ドイツの侵略が始まった日であった。2,3日北京にいて、上海にたった。 フランスの船がすべて航海を停止していたので、私は米国経由でパリに戻った。その時 マルヌの戦いに遭遇した。Chantilly(パリ郊外25マイル)でドイツ軍が撃破された歴史 的な会戦であり、大戦終結の端緒となった。
私は1914年の旅で虎形の白玉板を持ってきた。これは西方を象徴するものであり、 Salmonyの carved jade of ancient China,1938,Plate67, Number1に掲載されている。 320Fr.(64US$)でGieseler博士に売った。この価格は古玉としては安いといえる。当時 、ブラックホーソンや唐三彩が、25,000〜50,000$していた。

1915年

1月に短期間米国を再訪した。私はワシントンのRobert W. Bliss夫妻の戦争孤児救済 事業にフランスで参加していたからである。滞在時に、Freer氏と初めてあった。そして、Freer氏のための収集も始めたのである。

1918年

ミネアポリスのAlfred F. Pillsbury氏も、また古玉の収集を始めた。

1924年

2つの古墓の発掘があった。彰徳府の近郊と洛陽の近郊である。私は出土した玉全てを獲得してパリへ運んだ。それらの小さな装飾品は色彩が美しく、私たち皆に新鮮な 印象を与え、しかも興味深いものであった。私たちは将来の研究のために本にまとめて おく必要を感じた。そこで親友であったPaul Pelliot教授の一貫した協力を得て 出版したのが、Jade Archaiques de La Chine, C.T. Loo&Cie, Paris, 1925 である。

1925-1926年

私はこのコレクションを米国へ持ってきて、シカゴで展示会を開いた。 私は当時、保存のため一括で売るべきだと考えていた。しかし、時期が悪く、この種 の芸術への理解も一般には成熟していなかったので、売ることができなかった。

1927年

春、ロンドンに コレクションを携えていき、Bond Streetで展覧した。 George Eumorfopoulos, R.L. Hobson, Oscar Raphael, Henry J. Oppenheim, のような有名な人々との会合のなかで、 S.C. Bosch-reitz(当時メトロポリタン美術館極東部研究員、ロンドン滞在中) は、私にコレクションの分割を勧めた。 結局、私は分割することにした。 これが、このコレクションが英国に分散しており、大部分がBritish Museum にある理由である。

1928年

William Bahr氏が中国へ行き、玉の大コレクションを米国に将来した。 現在、シカゴのFields博物館へ収まっている。 私たちの1925年のコレクションより大きいものであるが、 雑多な時代にわたるものである。

1928-1929年

有名な金村古墓が発見された。金村からの全ての品物が素晴らしかった。この時、 G.L. Winthlop氏は、古玉の収集に興味を持ち、 私たちが金村にいたときの最大の買い手であった。 私たちは金村からでた古玉のほとんど全てを得ることが出来、その大部分は Fog MuseumのWinthlop Collectionへ収まっている。

私たちがみるところでは、欧米の古玉収集は比較的最近のことである。もっとも、中国 でさえ、古玉については、あまりしられておらず、前述の 呉大徴の収集を除くと、端方のコレクションに少数あったのにすぎない。 そのなかに, 92cmに及ぶ大玉戈があり、今、Freer Galleryに帰している。 (Laufer: Jade p. 40, PlateIX, Fields Museum, Chicago, 1912)

個人的見解だが、欧米では真正な古玉は、1912年以前には、殆ど無かったと思う。

優れたコレクションを重要なものから挙げよう。

  1. Fog Museum, Cambridge, Mass. USA
    G.L. Winthlop氏のコレクションが生前に寄贈されたもの。 洛陽金村出土品の大半を含む。
  2. Freer Gallery,
    小規模であるが、Freerの他の収集と同様、質が高い。
  3. Nelson Gallery, Kansas-city, Mo.
    小さなコレクションながら、極端に精選されている。
  4. Fields Museum (Barh コレクション)
    巨大なコレクションであるが、近代のものと選別されておらず、評価が困難である。
  5. Boston Museum
    初期の出土品による小コレクション
  6. Metropolitan Museum
    2、3の珍品を含む小コレクション

これらの公共機関のコレクションの他に、アメリカにはプライベートコレクションがある。

  1. Alfred F. Pillsbury氏, Minneapolis
    最も重要なコレクションであるが、金村出土品は 殆ど入っていない。なぜなら、金村古墓が発掘されたとき、 Pillsbury氏は青銅器の収集に熱中していたからである。 氏の青銅器収集は世界的にも有名なものである。 (訳注 Pillsbury Collectionは1950の氏の没後、Minneapolis Museumへ 寄贈された。)
  2. Edward Sonnenshein夫人, Chicago
    色々な時代の名品を含む大コレクション (訳注 このコレクションはたぶん Chicago Institute of Artsに 所蔵されていると思う)
  3. Dietrich Abbes, Greenwitch,コネチカット
    佩玉板の 質の高い小コレクション
  4. William Lee MacKim 夫妻, Palm Beach, Florida
    彫りの優れた小さな玉の収集
  5. Byron S. Miller夫人, Portrand/Palm Beach
    数種の稀品を持っている。
  6. Irving Snyder氏, Cornado, Calf.
    精選された小品

ヨーロッパで重要な収集は、

  1. スウェーデン: Gustav Adolf スウェーデン皇太子
    スウェーデン中国考古学のリーダーでもある。初期古玉の様々なタイプを収集
  2. 英国:British Museum
    Eumorfopoulos氏, Raphael氏, Oppenheim氏の寄贈品
  3. フランス:Musee Guimet
    Gieselerコレクション
  4. フランス:David-Weil氏, Paris
    美しい初期古玉を精選収集
  5. オランダ: S.H. Mikenhof氏
    良く精選された小品の収集

私たちが知る限りでは、出土地は次の3箇所である。

  1. 安陽(河南省)
    殷の故都、玉は他の出土文物(大理石彫刻、白陶、青銅器)と同じところからでる。 すべて商時代のものである。玉の殆どに腐食がある。 形式は商周青銅器の装飾に類似し、西周期のものに比べ、彫りが鋭い。
  2. 辛村(河南省)
    普通、白玉である。浅い美しい彫りが施されている。 美しい表面を持つデリケートなスタイルの玉である。 (訳注、、中央研究院の発掘によれば、西周の玉である。)
  3. 洛陽金村(河南省)
    最高の質の玉。 鋭い彫りの優美な帯黄色の玉で、光にかざすと半透明であることがわかる。 高度に磨かれた表面を持つ。大きな玉や玉板は、出土していないが、 様々な形や大きさの佩玉、希少であるが最も興味深いものは金をあしらった 玉の帯勾である。 (訳注、 Winthlop Collectionに少なくとも2点ある。また、河南省輝県の発掘 で, 同類の玉帯勾が出土している(北京  歴史博物館) )

私たちが展示 するコレクションは、Norton Gallery, Palm Beach, Floridaで 数年にわたって忍耐強く収集したものである。また、この展示は次の友人から借りた玉 によって豊かになっている。

  • William Lee McKim氏 PlateXXI, XXII
  • Alfred F. Pillsbury氏 PlateXXIII,XXIV
  • Irving Snyder夫人 PlateXXV
  • Edward Sonnenchein夫人 PlateXXVI, XXXiV, XXXV

また、W.L.McKim氏の深い知識と古玉に対する愛情には、特に感謝したい。 氏の熱情がこのカタログをつくらせた。Lindsay Hugheo夫人には年代決定と解説の 件で、Franc Caro氏には、優れた写真と展示会の実施について感謝したい。

(訳注、実際このモノクロ写真は、非常に優れている。玉の透明感と模様 の線がよくでている。)

私たちは今までで最良かつ最大のコレクションであることに満足している。Palm Beachの人々が古玉の洗練と美に親しみ楽しんでくれることを期待する。

1950年1月
C.T. Loo