清明上河図について


2000,Feb, 17


2002,Feb, 11 update


2002,Dec, 29 update

Fig.1 2002/12/2.3 に短時間であるが、北京故宮博物院 所蔵の、有名な清明上河図巻 の実物実物を鑑賞できた。1970年代に丁寧に修理したあとであるので、折れしわや汚れもない。特に後半はやや平板な感じがある。 全体としては、思っていたよりずっと古い感じがある、宋時代の絵画としていいと思った。跋はすばらしい紙と古風な書が多く、まことにすごい。本体よりいいのではないかとさえ思われる。 その経験を経て、旧稿を書き直した。
前稿を書くときには、 清明上河図について論じている多くの人が、例えば [ref.アジア遊学] の論者たちも、皆みたことがないのを知って、あきれたり、安心したりしたものであるが、やはり望ましいことではなかった。

現状


僅かに黄色がかった画絹(カラー写真図版のような濃い黄色ではない。)・墨画淡彩(緑の顔料は思ったより鮮やかによく残っている。アズライトか?  ただ、派手ではない。)。寸法 24.8cm x 528cm。巻子装。無款。
1958年と1984年の間に修理を行ったらしく、損傷箇所のみえかたが違っている。 修理は非常に巧妙なもので、破損箇所を明確にみるのは難しい。
北京故宮博物院 蔵。めったに出陳されない。普通はかなり良い模写本が展示されている。この模写本の絹色は現物より黄色味が強い。
絵の前には、黄色に金泥で花鳥を描いた乾隆倣澄心堂紙がついている。その左下に 畢氏の朱文印がある。 金人の跋の紙は宋時代のもので非常にいい。

作者

作者の張擇端については、この絵の後ろに付属している金時代の人張著の跋だけしか、資料がない。以下が全文である。「翰林張擇端、字正道。東武の人也。幼くして読書し 京師に遊学す。後に絵事を学ぶ。本工其界画、尤も嗜んだのは、舟車市橋郭径別成家数也。向氏書画記を按ずると、 "西湖争標図", "清明上河図"が神品に入る。蔵する者、宜しく寶とせよ。大定丙午 清明后1日、燕山張著 跋」また、作者が張擇端であるかどうかについても同時代に近いオリジナルの題箋もサインもないので、これを含む金人の跋だけしか、根拠がない。
張擇端  という人名自体を、宋時代の画にかんする書物にみつけることができなかった。明時代後半に突然、有名になる。 北宋末南宋初の宮廷画家トウ椿による画論・画人目録「画継」にも、画家として名がのっていない。それほど有名な人ではなかったようだ。 萬暦44年ごろの本、張丑「清河書画舫」では、一応独立した項目を 張擇端 のために設けてはいるが、実は、清明上河図巻だけしかみていないようだ。顧ガイ之の後に「補」としてくっついている。ずいぶん妙なところだ。有名人というとりあつかいをこの高名な収集家・鑑賞家はしていない。 北宋末期の画の水準が無名の人々も含めて非常に高かった証拠であるともいえる。

制作年代

絵画の様式から判断すると、南宋 以前の様式である。

再発見と伝世経路

「1950年 の冬、東北博物館の仮倉庫の中にいたとき、清明上河図の真本がでてきた。突然眼前が明るくなり、狂喜した。盧山の真の姿をはじめてみたようなものだ。このときの激情は、言葉で言い表せない。」
[ref. 楊仁 カイ, 国寶[水冗]浮録 119p]
極寒の東北区の冬(11-12月だろう)、凍結しそうな倉庫の中での発見の興奮が伝わってくる。また、同書の別項で、
「1950年 の秋、東北人民銀行から転送されてきた "佚目"書画はまだ未整理だった。玉石混交の状態だった。その中に3点の清明上河図があった。従来蘇州で制作された清明上河図を多数みていたので、まさか、張擇端 の劇跡がみつかるとは、夢にも思わなかった。このときの興奮の極、は萬言を費やしても言い表せない。」
[ref. 楊仁 カイ, 国寶[水冗]浮録 363p]
中国絵画史では戦後最大の発見とみなされている。同時にみつかった他の2点は、1点が後述する仇英の作品、1点は蘇州で無名画家たちによって制作された水準の低い作品だった。

2つあった?


王世貞によれば、萬暦ごろ清明上河図は2本あったようである。どちらも宋代の画らしい。 李日華  の味水軒日記  では、萬暦37年7月7日に客がもってきた清明上河図を観ている。徽宗皇帝の題箋「清明上河図」があるもので、跋もまったく北京故宮本とは違っている。また、李日華がみた画には「牧童が牛に乗って笛を弄する」部分があるそうだが、現在の北京本にはない。

私見

現状では、冒頭と末尾がかなり切断されているのではないか、と私は考える。前後に明以前の古い割印がないように見えるからでもある。末尾については、商店の店先で道を訊ねる人がいることから、切断はあまりない。という 意見[ref.中国文物] もある。しかし、「唐突に終わる」から、相当長く30cm〜1mぐらい切断されているのでは、、という 意見[ref.古原]があり、私もそう思う。 2002/12/3に現物をみたが、まったく唐突な切断である。
後半の繁華街もすばらしいが前半の  山水画といってよい部分も見事である。手法としては、郭煕  の作品を連想する。 実は人物描写も郭煕の「早春図」(台北故宮)を精密にしたような感じがする。
粗っぽい図版では看過しやすいが、水面には一面に波紋流水の線が描いてある。この様式は武元直(金時代)「赤壁図」(台北故宮)に似てさらに洗練され自然である。岩山寺 文殊殿 の壁画(1167年)や、南宋の作品Nelson-Atkins Galleryの扇面「赤壁図」だと、かなり様式化されている。
2002/12/29追記。
2002/12/2.3 に短時間であるが、実物を鑑賞できた。波紋流水の描写は拡大鏡でみてもなかなかはっきりとはみることができなかった。部分的にはある程度みることができたのだが。古い影印のほうが、よりはっきりしている。

文嘉の目録:[金今]山堂書画記では、「畫くところの船車城郭橋梁市塵の景の品格は宋のありきたりのものであって、高古の気がない」と冷たく扱っている。

Fig.2 戸田禎佑さんが、出版ダイジェスト1994/12/11,no.1541( [ref.戸田] にも収録)に「図巻半ば、橋の上から水面を指さす人の指先をたどれば、筆の先でつついたような小さな魚の姿がある。」といっているが、下記文献の図版でみるかぎりそんなものはない。よほど淡い顔料によるもので、印刷にかかりにくいか、戸田さんの勘違いであろう。
2003/1/10追記。
2002/12/2.3 に実物を鑑賞し、チェックしたが、拡大鏡でみてもそのような魚はわからなかった。古い影印(1958,北京)でみると横の細い線がないことはない。しかし、画の他の部分は概して明確に形を描いていて、このような微小であいまいな線だけで物象を描いた部分はない。これは単なる汚れではないかと思う。

中野美代子さんが、 [ref.中野] で近年の修理について、重要な指摘をしている。前半の農村風景の中、上部に描かれた、輿を含む長い行列の前方に、ギャロップする馬の後半身だけが描かれている。前半身は古い時代に剥落してしまったもののようだ。その剥落部分の下の方をみてみよう。 修理前拡大図版1 修理前拡大図版2 と、 修理後拡大図版 を比較すると、 「瓦ぶきの農家の左手にわずかにのぞく水車とその左方にのびるベンチ、ベンチのむこう側の馬(ラバか?)」が消えている。中野さんは「おそらく、ギャロップする馬の上半身からその下方にかけて絹が剥がれ、修理の段階でいかんともしがたく剥がれ落ちてしまったのだろう。」と書いている。これを読んだとき、なんと下手くそな修理人か! 文革のあととはいえ、北京にはこんな表具師しかいないのか! 日本の京都の工房にまかせろ!と激怒した。しかし、冷静になって、オリジナルの1958年の図版をよくよく観察してみると、次のことがわかった。


したがって、オリジナルの絵を損傷したわけではなく、後世修理・補った部分をどう扱うか?という問題であった。後世あてた修理絹は取り去られ新しい絹があてられた。そのうえに、不自然でない程度の補筆がされたということのようである。日本でも普通は古い修理の補絹は取り去る。取り去ってしまうと原画の主要部分がなくなってしまう場合は例外で、とても困難な修理になる。
北京のスタッフを誹傍しそうになったのは早計だった。しかし、修理後やや平板な感じになったような感じがする。 NHK故宮の本の図版(全体図)は更に平板で、ほとんど原本とは思えない。
2003/1/10追記。
2002/12/2.3 に短時間であるが、実物を鑑賞できたが、 この部分の修理はよほど注意深く長時間みない限りわからないような巧妙な技術が駆使されている。修理技術はなかなかなものだと思った。また、修理前の現物をみていないので、どの程度「平板になった」のかはわからないが、現状でも結構良い画のように感じた。ときに流布している平板な図版はよほど写真/印刷が悪いか、レプリカからの撮影なのだろう。

画家の他の作品

Fig.3 1点も知られていない。張擇端作という伝承のある画のなかでは、天津芸術博物館にある「金明池争標図」(画冊の1葉)。 [ref. 両宋名画冊] が比較的いい。南宋の都、杭州の金明池でのボートレースの行事を描いたもの。左下の壁に "張擇端呈上”という微細な字でのサインがはいっているが、あまり信用されていない。張衍は両宋名画冊の解説で、「張擇端の早年の作品、という説があるが、描いている行事は南宋のものであり、 "清明上河図"より後のものである。」と批判している。細密な点では、張擇端よりすごい。 28.5x28.6cmの大きさの絹に1000人以上(100人じゃない!)の微小な人物を描き、しかも、全体が上品で自然なのには、まったくあきれる。( 全体図 )この右上部分の部分図(10 x 5cm)にも40人以上白い顔料で描いている。繊細の極みであり、南宋の作品のようにみえる。

比較すべき、ほぼ同時代の他の画家の作品

Fig.4
山西省  岩山寺 文殊殿 の壁画  の一部。この壁画は 1167年に完成、金の宮廷の御前承応画匠  王逵(AD1100-) 、御前承応画人  王道  の合作 
王逵は北宋末に画の修行をした人であるし、たぶん宮廷画院の人で開封陥落のあと金軍に連行された人であった可能性が高い。壁画だからかなり痛んだり変色しているのは惜しい。基本的には仏画であるが、細部にある風俗の細密描写は、比較対象として興味深い。特に年代のはっきりした青緑山水画は貴重である。 酒楼・街路の雑踏の場面が有名で、ここで図にあげた。この部分が "清明上河図"に近似する。汚れ・剥落ともに甚だしく、観にくいと思うが、 拡大図版 でチェックしてほしい。

[ref. 山西省古建築保護研究所, 岩山寺金代壁画]

後世への影響。他の,いわゆる清明上河図

文嘉は、[金今]山堂書画記、(清河書画舫」等に収録)ではあまり高く評価していない。張擇端「清明上河図」の名声が喧伝されるのは、萬暦以降ではなかろうか??

他に清明上河図と呼ばれる絵が多数あるが、それとの関係についての私見。

  1. 北京故宮博物院にある有名な作品以外の20点以上もある作品(台北、USAのMET, British Museum、にもあり、日本にも2点ある))は16世紀以降の作品である。これらは、名前とおおまかな構図だけをかりた、別の絵であって、コピーでもないし、偽物ともいいかねる。
  2. 北宋末期ー南宋前期の作品は北京故宮博物院にある有名な作品のみらしい。これもひょっとしたら、精密なコピーかもしれないが、2002/12/3に実物を観察した限りでは宋代の絵にみえる。

「清明上河図」は固有名詞というより普通名詞・画題である。「洛中洛外図」「瀟湘八景」のように多くの画家が描いている。「瀟湘八景」は、日本でも室町以来大量の作品がある。似たような構図も多いが、「瀟湘八景」を初めて描いた画家「宋迪」の作品(現存していない)だけが本物だとは、誰もいわないようなものだ。
明代中期以降、蘇州の風景をこの「清明上河図」という画題で描いたものが多いようである。概して作者は無名だったようだが、有名人の作だと詐称されているものが多い。有名画家で確からしいところでは、仇英(16世紀中期) ぐらいである
[ref. 遼寧省博物館] (絹・設色 30.5cmx 987cm)。この画では末尾に  宮殿・王宮園地が追加されている。 [ref. 楊仁 カイ, 国寶[水冗]浮録 363p, 藝苑綴英, 第39期] の意見では「張擇端の作品の構図形式を参照して、蘇州の社会生活を描いたもので、これをみて、始めて、明代の蘇州で量産された「清明上河図」の秘密がわかった。おおもとは仇英のこの作品だったのだ。」といっている。これは、上記のように、張擇端「清明上河図」と同時に発見された。この作品が本当に起点になっているかどうか?は留保したいが、これ・もしくはこれと同類の作品で嘉靖年間ごろの制作のものが起点になっていることは疑いない。もう1点、(傳)仇英の「清明上河図」画巻が台北故宮博物院にもある。あまりよい図版をみていないので、どちらが良いかわかりにくい。いずれも鮮麗で、構図も面白く楽しい画のようである。

有名な画家ではないが、趙浙 が1577年に制作した画が、日本の林原美術館(岡山)にある。 絹本 設色。桂復の  隷書 引首[清明上河図] 金散らし白紙、 末尾画絹上に「大明萬暦丁丑孟春?日/ 四明趙浙 製」[趙浙」関ぼう 型 朱文印
これは彩色絹本で、蘇州風であるが、同類のものよりかなり優れたもので、描写も面白く、みどころが多い。書店、骨董屋、などが並ぶあたりは特に興味深い。 。 (2002/2/10林原美術館で実見)
東京国立博物館にも1点あるが、どうみても感心しないものである。


清院本というのは、現在の北京故宮本がしられる以前に、明以来の伝統をふまえて清朝の畫院において5人の画家(陳枚、孫[衣古]、金昆、戴洪、程志道)の合作で乾隆元年12月15日に完成したものである。絹、着色、35.6cm x 1152.8cm。台北故宮博物院蔵。現在の北京故宮博物院本とは似ていない。むしろ、明以来の「清明上河図」の伝統の上にたって、上品な画風で描いている。緑系統の淡彩がとても美しい。複製は、張擇端「清明上河図」より普及していて、ずいぶん古くからVIDEOになっている。清の画だが、人物はあまり清風の服装ではない。末尾には、北海公園のような、大規模な宮廷園地が描かれている。中南海かもしれない。このへんいかにも北京宮廷での作品である。ただ、 R. Wickfield が指摘するように、船の形は、仇英  本より、現在の北京故宮博物院本に近い。明代の画以外に、真跡本に近い模写本・スケッチを宮中コレクションから利用したのかもしれない。

「清明上河図」の話をするとき、希に混乱があるのは、劉淵臨 [ ref.劉淵臨] が身内びいきで、台北の個人コレクションにある明代後期の絵清明易簡図巻(絹本、彩色)を持ち上げたからではないか?劉氏の意見は元の「秘府」印が清明易簡図の末にあるので、元時代以前だというものではないだろうか?印の偽造やあと押し、はよくあることなので、それだけではちょっと納得しかねる。
これに反駁するには翁同文氏の「15世紀以降でないと存在しない名詞が絵の上にかいてある」という指摘、と、久保田氏 (ref. [china-hist:00600]) の「開封」の城壁は版築(土)であるはずなのにここでは煉瓦になっている。)」で十分だろう。
この種の、後世の"清明上河図"を宋の風俗資料として使うと妙なことになる。例えば小学館,世界陶磁全集,宋では、「官窯」という看板が「清明上河図」にあるから官窯  磁器  もしくはその類似品が民間で高級品として使用されたのだろうと推定している。しかし、北京本をいくら調べてもそんな文字はでてこない。
また、絵画を街頭で売っている光景は、後世の"清明上河図"にしかでてこない。明後期以降の風景である。
明以降に、 ”清明上河図”を制作した画家たちは真本を一度もみてないどころか、精密な模写本でさえみていない。あまりに違いすぎるので、おそらく、メモ程度の概略のスケッチと文章による記録だけから、描いている。これらを観るひとたちもまた、真本を一度もみたことがないという状態であったのだろう。つまり、概略のスケッチと文章による記録というような莫然とした狭いチャンネルだけを経て、後世に影響している。観ることさえできなかった作品そのものはまったく影響していない。従って、「あまりにもすばらしい張擇端の絵は中国絵画に呪縛をかけてしまった」という某氏の詠嘆があてはまる事情は1951年以降のことだと思う。それ以前には、写真さえ公表されていない。

この事情は、元末 黄公望の「富春山居図巻」(台北故宮)とは、かなり違う。「富春山居図巻」は、かなり忠実な模写本が多数制作され、しかも中国絵画史のビッグネーム(沈周(遼寧省博物館)、王石谷(Freer Gallery))による模写さえ現存している。 17世紀までの画家は、真跡のすばらしい筆致を感得することは無理としても、かなり近い「富春山居図巻」のイメージを模写を通して得ることができたと思う。しかし、張擇端 "清明上河図巻"の場合は上記のような状況だったから、直接には何も影響していない。ただ、名前とおぼろげな構図の概略が明、中期以降使用されただけである。美術史家でさえ、1950年代に初めてみたというありさまである。


文献目録

  1. 古原宏伸, 清明上河図, 国華, 1973, No2 and No.3
    優れた研究
  2. Roderik Wickfield, Ching-min-shao-ho-tu, Proc. of The International Symposium, Taipei,1970.
    西欧の意見。図版はモノクロ
  3. 文物出版社, 清明上河図, 1958
    近年の修理前の写真。シートに分けて、コロタイプ印刷し、袋にいれたもの。モノクロではずいぶん精度がよい。ほぼ原寸
  4. 張安治, 清明上河図, 1979, 人民美術出版社
    モノグラフ, モノクロ、図版は比較的良い。それほど参考になる解説ではない。
  5. 中国文物 No.3,1984, 文物出版社
    ”清明上河図巻”はカラー  比較的良い。縮小。跋文や伝世に関するデータがちゃんとついている。
  6. 中華書局カレンダ,”清明上河図巻, 1985
    私がみたカラー図版では一番よかった。ほぼ原寸
  7. 上海人民美術出版社, 藝苑綴英, 第30期, 1985 これの図版はよくない。縮小。
  8. 故宮博物院蔵歴代名画, 文物出版社, 北京
    ”清明上河図巻”はカラー跋文が挿図で全部のってる。
  9. 中国美術全集;両宋絵画
    ”清明上河図巻”はカラー、部分。
  10. 日本放送出版協会, 故宮博物院,1, 南北朝〜北宋の絵画,1999
    カラーだが、ひどく平板な写真図版で真跡からとった写真なのかうたがわれる。
  11. 遼寧省博物館長;楊仁 カイ, 国寶[水冗]浮録, 上海人民美術出版社, 1991
  12. 画継・五代名画補遺、南宋臨安刊、 中華書局影印,1985
  13. 張丑, 清河書画舫, 萬暦44, 乾隆29年刊, 池北草堂本
  14. 李日華, 味水軒日記, 1996,上海遠東出版社
  15. 文物出版社, 両宋名画冊, 第16図 , 北京, 1979,2次印刷 (1963 1次印刷)
  16. 山西省古建築保護研究所編, 岩山寺金代壁画, 文物出版社, 1983
  17. アジア遊学No.11,特集『清明上河図』を読む , 1999/12, 勉誠出版
  18. 中野美代子, 境界の風景ーギャロップする馬ともろ肌脱ぎの男など,アジア遊学No.11, p83-89, 1999/12, 勉誠出版
  19. 戸田禎佑, 日本美術の見方, 角川書店
  20. 上海人民美術出版社, 藝苑綴英, 第39期, p50-51, 1989
  21. 劉淵臨、清明上河図総合研究, 台北故宮博物院

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