上海博物館の潘西鳳の留青菊華竹石図筆筒は下部と足部の処理が張希黄によく似ている 。 留青技術も共通する。潘西鳳は留青で有名な人ではない。もし、真作だとすると、張 希黄が留青の復興者であるとの伝承を考慮して、張希黄は潘西鳳の1、2世代前だとするのが妥当のようにおもう。技術の伝承を考えると、あまり潘西鳳と時代をあけるわけには いかないと思う。あくまで推測であるが。 若 も康煕と推定している。上海博物館の2012年特別展カタログ 竹ロウ文心によると、「乙未六月之望」の紀年をもつ「杜甫詩意図臂擱」があり、かなり信頼がおけそうである。 下に上げた他の二点の紀年作が「壬子」「丁未新秋」であるから、この3つの干支で、不自然でない年代をさがす。つまり3つを含む期間が50年以上になるとか、戦乱中になるとかというようなものを避ける。そうすると、乙未(1715 康煕54年) 丁未(1727 雍正5年) 壬子(1732 雍正10年)というのが一番妥当である。 一回り遡ると乙未(1655 順治12年) 丁未(1667 康煕6年) 壬子(1672 康煕11年)であるが、まだ戦乱の余韻があるころである。こういう緻密・繊細・贅沢なものは、康煕末年の紅楼夢の時代のほうがよりふさわしいし、上記潘西鳳作品との類似も納得がいく。
偽作も勿論多い。無銘の竹刻にサインを後で入れたものがある。これは、サインが陰刻 だし、作品自体は名品であることが多いので、 結構楽しんで観ることができる。問題は始めから偽作目的につくったものである。 王世襄の「鑑識」 ref. Wang and Weng という論文のなかでは、偽作の例として任薫風の花鳥画 を刻した臂擱を挙げている。これは論外だが、いくつかみた問題のあるものには この臂擱(清末)と共通する特徴があるようだ。
- Fine Art Museun of Boston (Percial David旧蔵) 楼閣山水筆筒Ref. Wang & Weng,ref. Wang & Weng,
- Freer Garelly of Art 帰田園居詩意 筆筒 葉義 et 譚志成
- Freer Garelly of Art 山水筆筒葉義 et 譚志成
- 上海博物館 山水筆筒 中国 美の名宝 ref.竹ロウ文心
- 上海博物館 山水臂擱 Ref. Li-Chu-Cheng ed., The Chinese Scholar's Studio,
- 永青文庫 竹林人物図筆筒 文具 1992実見
- Fairburn Collection 帰去来辞文字刻筆筒(壬子 の紀年銘を有する) Ref.Soanme R. Jenys and William Watson これは、張希黄でまれにみる信頼すべき紀年作である。壬子は1732年と推測する。
- 川崎個人蔵 山水臂擱 1993実見
- Blanchette Henriett Rockfeller 旧蔵 酔翁亭記筆筒
1994 July Christie,NewYork
Metropolitan Museum 所蔵ref.故宮学術preprint .
豪華な山水人物筆筒。希黄(白文)印1印しかないのが疑問だが、 作風からいって問題は無いと思う。酔翁亭記全文を留青刻。「希黄」留青刻。高さ12.3cm。- 英国Anthony Evans蔵 前赤壁賦(山水)筆筒ref.故宮学術preprint
前赤壁賦全文を留青刻.[丁未新秋、鄂城張希黄]とある。真跡であるのが確かなら、 湖北省鄂城の人\footnote{または先祖が鄂城の人であった}で、1727の作と推測する。
Freer Grelley of Art所蔵 元の夏永の絹本画册に岳陽楼図と滕王閣図があるref. 元時代の絵画と工芸 Ref.James Cahill ed., Chinese Album Leaves, 。どちらも 精密な界画である。その図様は張希黄の作品と無関係とは思えないほど似ている。 時代が離れすぎてるが、この絵の系統の模写本や木版画にしたものを張希黄がみて参考にしたことは考えられる。