イメージをクリックすれば、大きなイメージが出ることもあります。
フィレンテェ駅前につくも、地図が鞄の中。少し歩き回るも見当がつかずめんどうなので、タクシーでホテル(HOTEL ROYAL)につく。建物,部屋はいいのだが、庭園整備とスタッフの応対にどうも好感が感じられない。そうはいっても長期滞在になるので、前向きにいきたいと考え直す。
あまり食欲なし。ポンテヴェッキオの向こう岸のバールで果物のカクテル、オレンジジュース、などを頼んだら思いの他高価。27e。
夜、オルサンミケーレ教会のフレンテェ室内合奏団のコンサートにいく。この教会の主祭壇はそれ自体がドームまでついている大きな豪華な建築でどぎもを抜かれた。
弦の音が大変良い。蜜のようだ。ウイーンフィルでもないのにこのような良い音がでるのは、気候や周囲の音響環境によるのではないか?と思いたくなる。16.5e。ただ、ピアニストが急病でプログラムが変更しまくり。わきのイタリア人の人が、これはどの曲だと聞いてくる始末である。まあ良いコンサートだった。
宿で風呂にはいったら、トイレの悪臭があって困る。草々に洗ってでる。
2005/5/17
ホテルの朝食で、コーヒーマシンの調子が悪く、客は皆困っている。パンその他は平凡。
朝食後、フロントにバスルームの悪臭を抗議するが、
バスルームはそんなものという応対で話にならない。といって部屋を変えろというと、と窓なし
か、むこうが壁の部屋になると脅かされれる。腹が立つが、すぐに他の長期滞在宿をみつける気力もないので、既に考えていた対処法を行う。
近くのスーパーでトイレ用液体クリーナ(振りかけて流すやつ)を買ってくる。1リットルで1,6e、これをたっぷり処方すると、悪臭は見事に消えた。バスを使う前にこれをやればOK。ついでに香りの高い植物性バスジェル(3.5e)も買ってみた。これが結構いい。まあ、それ以外にはとりたてて欠点もないホテルなのだから、上手く滞在することにしよう。
午前中、近くのサンマルコ美術館に行く。
予想以上に良かった。
特に大きな「受胎告知」は最高だ。観ていると涙がでてくる絵画はBruggeでみたMemling作の Maria-Johannes Alterpiec以来である。おもわずAve Maria Gratia Plenaとささやきそうになる。ほぼ裸で鑑賞できる点もよい。左側の庭園部分はともかく修理は少ないようだ。右が少し切れているかもしれない。1Fには板絵も多いし、各僧坊には1点づつフレスコがあるのだが、これにかなうものはない。プラドのL'annunciationは板絵だが、やはり及ばない。
ドイツ リンドナウのレオポルド公収集が特別展として展示されていた。見劣りがするのが残念。ただ、ボッテチェルリとされる横顔の肖像画(これは質は良し)の上にガウンを着せ、とげ付き車輪を加えて聖カタリナにした作品があって
意外だった。X線で下の絵が判明していて、いわゆるシモネッタ風の服装である。
昼食:ホテルの近くのハム屋兼用のカフェでコーヒー、ミルクコーヒー、サラミサンド、ここは野菜が全くない。夜のメニューらしいものがあってなかなか期待できそうなのでチェックしておく。
12:45からウフィッチィなので歩いていくことにする。
12:15-12:30 サンタフェリチタで、また、ポントロモのカポーニ礼拝堂壁画を観る。
***
ウフィッチィ(12:45-)
午後のせいか、半端じゃないX百人ぐらいの列(↑)(円柱の向こうの回廊に並ぶ)
である。グループで並ぶならともかく、一人ではやりきれないだろう。
今回は初期作品をちゃんとみる。シエナでどっさりみているので、比較もできる。キリストの顔が、下方から仰ぎ観る信者にむけて少し下に傾けて制作している作品をシエナと同様にみた。この場合、頭部だけ三角形に張り出した形になる。
シモーネマルティーニの「受胎告知」は、思っていたより大きな絵だが、顔の部分にヒビがなく、かなり
手をいれている可能性を感じた。13日には前が一杯で鑑賞できなかった、
ジェンテーレ デ ファブリアーノの「三王礼拝」は、どうも理解できなかった。これは思ったよりは大きい。
ジェンテーレ デ ファブリアーノなら、同じ部屋にある
四聖人のパネル
のほうが、優れているように思う。特に左端の女性。
マンテーニャの
三王礼拝
これは三幅対だが、中央画面は大きく凹面になっている。
ボッテチェルリの「剛毅」はポラウイロの他の寓意人物画と並べて展示されているが、
一目で優れて個性的だとわかる。また、この絵は、ボッテチェルリの作品として、異色だと思っていたが、現物を他の作品と同時にみるとさして違うようには見えない。カラー図版の限界ということだろう。
グースのポルティナリ祭壇画の内面には、多数箇所に四個一組の平たいが丸い鋲の頭が1mm程度でていて、彩色層がそれを覆っている。
レオナルドの作品では、「受胎告知」が最も良いと思う。「三王礼拝」は未完成作であり、そう良いとも思えない。カルトンとしてもラファエロの方がずっと上だ。ヴェロッキオの「キリストの洗礼」の左下の天使がレオナルド作で、ヴェロッキオがその技量に驚いて画作を止めたという伝説があるが、実物を見る限り、優れた作ではあるが、全体と調和していて、特にめだっているわけではない。
伝説は伝説に過ぎないのだろう。
ルカ シニョレッリの作品では、顔や身体が大抵灰色で陰気なのだが、この円形の
聖家族
でもそうだ。
これについては、グリザイユの技法を好んで使ったためなのだろうか?それとも鉛白の変色によって
黒みがでているのだろうか?
アルブレヒト=デューラーの「アダム」「イブ」の模写がある。プラド所蔵の作品の模写だが、ずいぶん良い模写だ。そしてプラドでは塗りつぶされているらしい背景がかなりよく現れている。このコピーは、
画家自身のアトリエ作かハンス=バルトンク=グリューンの作とされ、人によってはこちらのほうを原作
としているほどである。(ref. A. O. della Chieza, Tout L'Ouvre de Durer, Flammarion, Paris, 1969)
メムリンクの「聖母子」は、そんなに良くない。まあ良くてアトリエ作というところだ。
ピエロ ダ コシモ
「アンドロメダを救うペルセウス」
は、いかにも彼らしい良い作品だと思った。
バッロキオの「民衆の聖母」(1575-9頃 3.6m x2.5m):
こういう、反宗教改革宣伝・イエズス会風・民衆教化風、の大画面は、基本的には好きではないのだが、ここまで力作だと素直に認めたくなる。
ヘラクレス(発音未詳?)=セーヘルスの
「山岳風景」
は珍しい。版画のほうが有名なこの人の油彩では、保存・できともに良いもののようだ。
1839年にMarie Hadfield Conway(英国人?)がレンブラントの絵として寄贈したものだそうだ。
もとポントルモということになっていて、多くの図録にも載っている
「聖ヒエロニムス、聖フランシスコの間にいる聖母子」
はいつのまにかMiravello Cavailuiとかいう知らない名前の人の作になっていた。番号n.1538も一致
していたので間違いない。変更したのだろう。
カラバッジョのバッカスは、植物の描写は優れている。後日みたカラバッジョ自身の静物画よりも優れているのだから驚き。
ウフッチにいた間に、かなり強い雨になる。 16:30 雨が少しあがってきたのでウフィッチを出る。 傘をもってきていて正解。マドリードで10eで買った中国製の傘も 大いに役にたった。ただ、早くもこわれかけているのが凄い。
17:40 夕刻がねらい目らしいアカデミア美術館にいく。簡単に入れる。ミケランジェロの、大理石から生まれてくるような不思議な巨大彫刻を複数みる。しかし、この2.7mもの巨大な大理石の未完成品?いったいこれは芸術作品といえるのだろうか?なにか不安な感じが惻々と感じられる。夏目漱石の「十二夜」で、「木に埋まっている仁王を運慶がとりだす」というような描写があるが、英国留学した漱石が当時ミケランジェロのこのような作品のことを漏れ聞いて書いたのだろうか?。
複数、多数未完成作品があるということは、
手をつけたが途中で放り出したものが多数あるということだ。ミケランジェロ自体は夭折したわけでは
ないので、時間がなかったわけはない。
このような大きな大理石の塊は当時でも高価に違いない。高価な大理石を次々に試しては放置できるだけの経済的余裕と名声があったということではある。また、未完成作の石塊のサイズが、皆ほぼ同じである。
これは、当時の石切場で標準的なサイズの一つではなかったろうか?
一応ダヴィデ像もみる。中世末期の板絵をたくさん観る。シエナでみたのものと似ている。ただ、作者はフィレンチェ派とかになっている。
アカデミア美術館は、ダヴィデ像とそれ以外で分けて入れるようにしたほうが良いと思う。ダヴィデ像は特にみたいわけではないが、他の展示品をみたい人がとても困るだろうから。
19:20 チラシ広告を今のホテルで観、場所を確かめておいたコインランドリーWASH&DRYにいく。Balgello美術館の裏。操作が難しく、そこで乾燥が終わるのを待っていた娘さんに助けてもらった。お礼に飲んでなかったジュースをもらってもらった。厳密にはコインランドリーではなく、コインでメダルを買い、そのメダルを洗濯機にいれるシステムである。少しでも盗難を防ぐためだろう。洗剤も売っている。洗濯3e
乾燥3e.
夜は、ポンテベッキオ近くの有名店にいってみたが満員だったので、ホテルに戻り、昼にいったカフェを試してみた。なかなか本格的な料理で、むしろフランス料理に近い。いいところをみつけたものだ。チーズ入りラビオリのような料理、と、フィレステーキのキノコソース。モンタルティーノの1999年のワインを今日だけということだがグラスで出してくれた。美味。
BISTRO in VINOLIO (VIA SAN ZANONI と Via dell ROUTEの交差点)
ホテルのバスは、夜遅く使っても、日本人の感覚でも相当熱いお湯がでる。これは意外な長所である。前の2つのホテルは「もっとも熱い湯」にしても、そう熱いとはいえなかった。どうも設備がいいのか悪いのかわからない妙なホテルである。買ってきたバスジェルは柑橘系の香りで良かった。
サンマルコにいく。入場無料日。ここのクロイスターは本当に気分が休まる。L'annunciationをみにいくも、団体で混んでいるのでクロイスターや1f展示室で過ごす。日本人団体の解説者は非常に長く解説しているが必要だとは思えないのだが、聞いているほうも大変だろう。L'annunciationを10分ほど鑑賞してから、ホテルへ戻る。タクシーでホーン美術館までいく。考えてみたら、これは幸運だった。もし、予定を変えて山の上のサンミニアートまでいったら、雨に閉じこめられたれたかもしれない。ホーン美術館は、15世紀の建物や古い家具が趣味が良いが、展示品はいかにも骨董品であり、優れた美術館が多いこの地域ではやや見劣りがする。ハーバート=ホーンの最大の買い物は、この屋敷だったのかもしれない。日本でもみたフィッリポ=リッピの小品を観る。すぐ近くのクリーニング屋Elensec'Cla-ni'に洗濯ものを取りに行きシャツを依頼する。ここは、前のホテルの人に紹介されたところ。
洗濯ものをもったまま、ミニアート デル モンテのほうへ行く。途中バンディーニ美術館が工事中なのを確認した。中は空っぽでガンガン工事をやっている。
昔の城壁と門を観る。ただ、上り坂なので、ミケランジェロ広場で力尽き、午前中あいていそうな、カルミネ教会へ行くことに変更。これも幸運?11時45分。
ブランカッチ礼拝堂のマサッチオは確かに感服する。感服するが感動しないのは残念。感性・趣味の違いだと思う。ここのクロイスターもシンプルで良かった。
ポンテヴェッキオ 近くのBucca Dell'Orafoで昼食。12:50-14:10 .. Minestrone con rizo , Triipa fiolentiano, Vino Rosso, Aqua, Caffe, 27e。 大変良い。さすが昨日の夜は満席だっただけはある。米いりミネストローネとフィレンチェ風トリッパ。 ただ、その後、イチゴをつまみぐいしたのがいけなかったか、急な横殴りの雨にぬれたのがいけなかったか、お腹がおかしくなる。ドウモ美術館に入ってトイレを借りる。15時。、カントリーアとギベルティの扉を観る。ギベルティの日本に来た「シバの女王とソロモン」は一番出来が悪いのに侮然となる。ルッカのカントリーア大理石パネルはわずか15cmぐらいの厚さしかないのに堂々たる量感があるのは素晴らしい。ただ、カントリーア全体としては少しうるさい感じがする。個々のパネルを鑑賞すべきものか。ここにある、ミケランジェロ晩年のピエタは背後も少しはつくってある。
体調がイマイチなので、ホテルに帰る。また、雨がふりだしそうだ。16時。
ホテルでは、手その他みなアルコールティッシュで消毒し、ワカ末、エクトールを飲んでベッドで休む。昨日毛布を使ったせいか、毛布兼用のベッドカバーになっていて、暖かくとてもありがたい。18時に目覚めるも雨が止むどころか雷が聞こえる。鎧戸、窓、板戸、カーテンをしめて、休むことにする。この気圧の急低下も体調不良の一因なのだろう。あまり食欲もないので、ミニバーのジュースでも飲んで休む。考えてみれば「ベニスに死す」もイチゴだったような? 危うきに近寄らず。
2005/5/19
SAN MARCOの例からしてお寺・教会にちゃんといくべきだと考え直す。
まず、駅前のサンタマリアノヴェラにいく。ギルランダイヨのフレスコで埋まったカペッルラがある。ブルネルスキのキリスト像は秀逸だった。
フィリッピーノ=リッピまである。大きなクロイスターとスペイン礼拝堂という14Sごろのフレスコでいっぱいの「スペイン礼拝堂」が横についている。
クロイスターの壁は無名人フローレンス派のグリザイユだが、結構いい。どうもこの中にウッチェルロのグリザイユが混ざっていたことを、帰国後気がついた。
次がメジチ廟とカペラ、ロレンツ教会、ここも相当すごい。ただ、メジチ廟をみていると、ミケランジェロをそう高く評価できなくなってきた。ロレンツ教会のリッピの受胎告知は美しいし、とても独創的だ。。
メジチリカルディ宮殿のカペラにはいって、リッピの生誕図とゴッゴリの大フレスコをみる。生誕図の背景は道が多い風景である。人物の向きがウフィッチィのと逆。
ここで、妙だと思ったのは、リッピの作品がメインになっていて、ボッテチェルリもミケランジェロもラファエロも何もないことだ。彼らはメジチ家の主要な関心ではなかったのか?それとも教会用と宮殿用とに棲み分けしていたのだろうか??
次にドウモ近くのセルフサービスで、お米入りサラダとミルクコーヒーの軽い昼食。これは意外と良い。
タクシーで丘の上のサンミニアート デル モンテにいく。ここはビザンツ風の教会で非常に古い様式である。めあては、「ポルトガル枢機卿の礼拝堂」を飾るルカ デル ロッビアの作品群である。ちょうど半地下礼拝堂から、グレゴリアンでラテン語の交唱(レスポンソリウム)が響いてきたので、しばらく聞く、第2バチカン公会議以降、現地語の親しみやすいお祈りが主となっているので、きれいなグレゴリアンはまことに珍しい。真ん中に聖像があって、左と右に並んで座って、朗唱する。半地下のこの礼拝堂は天井が低いので座らないとつらい。
白服なのでフランシスカンの修道士の方々らしい。
終わったあと、うえの方でルカ デル ロッビアを鑑賞していると、アメリカ人の大男の夫婦がフラッシュたきまくりで撮影していたのには亜然とした。「粗野なアメリカ人観光客」という古典的イメージはまだ生きていたのである。グレゴリアンを聞いていたときもフラッシュらしい光があったのはこいつだったのだ。
ミニアートから、降りる道の途中で古風な急坂(ー>)があった。降りきると石板の掲示があって、ダンテのPurgatoryででてくる場所らしい。ニッコロ広場近くの細い道の交差点で、日本人の若者グループが「ミケランジェロ広場」への道がわからず困っていたので教える。
そのあと、ピッティに再びいく。付属のボボリ庭園のとんでもない広大さと坂道を登り降りさせる過酷さにびっくりする。一番上には、薔薇園があり、その横には「陶磁器博物館」があり、リモージュやマイセンの優品がある。
この急な坂道
の一番先の縦に細い微少な影のようなものが先にいった人、その向こうにやっとみえるアーチが本当に門。雨の日は絶対行きたくないなあ。
ラファエロとペルジーノで衣紋がまるで浮き彫りのように線がみえる件について、はじめは補筆のあとかとも考えたが、どうもある種の絵画技法なのではないか?と考えるようになった。
ミニュアテュール展示室でジョバンナ=ガルゾーニの羊皮紙に描いた野菜果物画を21点もみた。しかも彼女がこれからいくアスコリ出身らしいことを知って運命的なものを感じた。
もう一回みようとしたが部屋がみつからない。館の人に聞くと既にミニュアテュール展示室を閉めたという。残念。1点だけは、レストランの広告みたいな軽い作品だったが、、
ラピスラズリ、斑岩、蛇紋石、色大理石などを豊富に使ったモザイクの机がごろごろあるのがこわい。
ある机など大きな上面がまるまるラピスラズリだった。
そのあと、Santa Felicita Capponi Capella で終了。この教会の番人のおばあさんとはいつも挨拶する。
製本修理材料兼工房のABACUS
という店をみつける。レターセットをおみやげに2つ買ったら布肩掛け袋をくれた。ラッキー。
店頭で可愛いキーホルダーをみたが、イタリア製?と聞いたら「中国製」ということなので、深くお礼を言って、遠慮した。
ホテル近くの例のBISTRO in VINOLIOで食事、今度は、スープとラムにしてみた。イカいり空豆スープは絶品、ラムは普通。
空中を何か 綿のようなものが浮遊している。1cmから3cmもある大きなもの(→)。初め 鳩の羽かと思って汚いからいやだなと思ってたら、つかまえてよくみると違っていて、植物性のようだ。 帰国後、調べてみたら、ポプラの綿なんだそうで、 :「プーリネ」と呼ばれる植物の綿毛:だという。花粉症の人にはたまらないだろう。 マルケ地方のほうでは、もっと凄く、タクシーをとばすと、前方から雪がぶつかるように無数の綿が フロントガラスにぶつかってくる。
近くの孤児院ギャラリ、アヌンチアータ教会、考古学博物館、サンマルコにいく。
孤児院ギャラリは、小規模なギャラリーだが、ルカデラロッビアの最高作?といいたくなるぐらい保存の良い聖母子があり、Piero di Cosimoのいたって普通の作品があったのは意外。
聖カテリナの神秘の結婚
コシモの作品は変なのばかりだから、初期作なのだろうが、こんな普通なものがあると
びっくりしてしまう。しかし、これは制作事情伝世もしっかりしているし、状態も良い。間違いのないものである。ボッテチェルリがリッピの聖母子を模写したという作もあったがつまらない。
Tシャツが足りないなあと昨晩思っていた。ちょうど売店で売っていたので買う。孤児救済活動のユニセフ風の意味もあるようだし、中国製ではなさそうだ。売り子のおばさんがSサイズがぴったりだと強引に売り込まれたが、首周りが少しせまいが、確かにぴったり。
ここの外壁には、デッラロッビア幼児のメダイヨンが8つぐらいついている。みんないわゆるミイラ風に布巻していてあるのだが、半分解いているもの、全部解いているものもある。
アヌンチアータ教会では、入り口のアトリウムのまわりにロッソとポントルモのフレスコがあるが、外にさらされているので、ひどく傷んでいる。ポントルモの画集でひどく傷んだ壁画が多いのは、このように外気や降り込む雨にもさらされるところにあったからだろう。技術的問題なら、ロッソも同様に傷んでいる理由がわからない。アヌンチアータの名に何か記憶があったと思ったら、このポントルモの壁画だった。左端はかなり状態がよく残っていて女性の表情や衣が美しい。これはかなりいい作品だと思う。教会内部ではペルジーノの4m以上ありそうな巨大な聖母被昇天があった。
考古学博物館ではエトルリアをみにいったのだが、エジプト部屋も意外に充実していた。
サンマルコでは人が大杉、無料日だったので、適当にみて、帰る。11時。
今日は洗濯ものをランドリーでかたずけないと着替えがなくなってしまう。
遠いが確実なWASH and DRYという店に持っていく。
30分で洗濯、その間にドウモちかくのセルフサービスの店で食事。(ペンネとミルクコーヒー)、20分乾燥。
ウフィッチへ手続きにいく時刻が近づくので焦る。
午後、ウッフィチ 13:30予約済み。
ポルテナリ祭壇画をしっかりみる。ロバと牛が食べているまぐさのリアリズムに驚嘆する。また、地面に散っている線のようなものは、麦の茎である。
ジェンテーレファブリアーノは三王礼拝よりも横にある祭壇画断片のほうが美しいように思った。
ロヒールの「埋葬」。アリマタヤのヨゼフの服装と足のステップがプラドの大作と同じであることにきがついた。プラドの作品はかなり早い時期になっているから、この作品も制作年代をあげるべきだろうか?。フラアンジェリコの図像をまねたものだという意見やフィレンチェでの制作だという意見が従来あったが、Dirk de Vosは否定している(Flemish Primitifs , 2000 )。Dirk de Vosは年代を下げているが(Rogier van der Weyden)、ただ、画中のニコデモスがコシモ デ メジチ家の肖像ならイタリア旅行中かそれ以後になるかもしれない。顔を比較していたら、かなり似ているような気がしてきた。
パルミジャニーノもみる。
もう1点のパルミジャニーノとともに全く裸でみれるのはありがたい。ベルギー風の風景画法が導入されている。
ベリーニの有名作「聖なるアレゴリー」がないので係員に聞いたら貸し出し中だった。どうもアメリカのようだ。
ルーベンス室には大作が多いが、
アンリ四世の勝利のような
粗っぽいキャンバスが多い。これもフランス王むけの作品であり、図録で見る限りはルーブルの作品もこの手の作品が多いようだ(例「カトリーヌ=メジチの到着」)。この点ではプラドのほうが質が良い。どちらにせよ、アントワープの作品には及ばない。こういう粗い作品群をみていて、ルーベンスを評価したら、誤った評価になるのはやむを得ないことだろう。
出口にはかなり本格的な美術本屋がある。ガルゾーニのことを相談したら同業に電話をかけてたちまち紹介してもらった。実に素早い。
クリーニング屋にいって、シャツとスラックス、上着を回収。お別れだ。
本屋 Ars & Libriはフォッシ通り、高い本だが、世の中には、これっきゃないのでしょうがない。カードで買い、別送してもらう。
コンタディーノで夕食。ズッキーニ入りリゾットとビステッカ。イタリア語がまったくわからないと、かなりつらい店だと思う。
私は10日間滞在で少し慣れてたので、なんとかなった。
確かに安いしおいしいが、[おいしさ]だけなら近くの店がよかったか?12e.
朝食後、サンマルコにいく。Annunciationの灰色の枠は実は描いたものでだまし絵であることに気がついた。周りにある僧坊の建築で使っている柱の様式そっくりで、真ん中に凹みがある。従ってこの絵は原初のままの大きさで変更されていない。ただ、森の部分、木の柵の部分には明らかに加筆があるようだ。他は自然である。何度みても良い作品だと思う。2Fから降りて出ようとしたら、カップルが2Fへ行かずに高速で通り過ぎてしまった。