2005年マドリード・イタリア旅行記録2

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2005. 5/12 移動日・トスカ

マドリードのホテル近くの銀行と空港の銀行で交換。 意外に近くにあってレートもいい。最初から近くでやればトラブルもなかったのだ。  マドリードからミラノでトランシットし、フィレンチェへ到着(16:10). 噂に高いアリタリアの遅れもなく、荷物の間違いもなく無事にフィレンチェ、アメリゴベスプッッチ空港へ着。現金をもっているので、不安でタクシーにする。
ホテルは、入り口が実に変わっていて、ヨーロッパの古い住宅の典型のようだ。看板が全くない。シニョーリア広場にテーブルを出しているカフェのテーブルの間を抜けて、名札のあるドアを開ける。下のカフェの人が教えてくれなければ判らなかっただろう。扉をあけると石の階段を2Fまで上がってエレベータに乗って4Fへいく。で、そこにまた、明るい褐色の木の堂々たる扉がある。それをあけるとロビーで、若い女性が親切に対応してくれた。カテリナさん。もうカード会社から緊急カードがついていたので、安心した。
地味な入り口のホテルにはロッテルダムやアントワープでみたことがあるのでそれほど驚かなかったが、ここまで地味な入り口は初めてだ。フロントも24時間ではないので一種の高級民宿のような運営である。実際、その後、シニョーリア広場の扉は施錠されていた。予約がないと最初のアクセスさえできないわけである。 当然、自分の部屋に入るには3個の鍵を開ける。1つは建物自身の扉、2つは4Fのロビーへの扉、3つは部屋の扉である。プラハの映画で、こういう風に何度も鍵をあけて入るアパルトマンをみた覚えがある。 鍵束についてる板がまた大きくてポケットにいれるのはかなり困難であるが、携帯せざるをえない。しかし、 カフェのテーブルの観光客を横目にみて、いかにも住民みたいに、鍵をガチャガチャさせて、由緒あるアパルトマンの第一の扉を開けるというのは、ちょっと俗物根性の優越感を刺激してたまらないものがあった。当然、他の住人とも鉢合わせするわけで、Bon Jorno, Bonna Sera(午後1時以降?)を忘れなければOK。
部屋は眺望はよくないが、実にすばらしいリビングと同じくらいのバスルームがついていた。バスルームのタイル装飾もモザイクのように美しく、感嘆した。リビングの机、ワゴンなども優雅で、ちょっと女性的な趣味である。
オペラ前の夕食は、さっき教えてくれたカフェ、アンチパスト、ペンネ・ボロネーゼとワイン。すぐ来たのがありがたい。
アルノ沿いに歩くのだが、どうも建築様式に違和感がある。なにか軽い。ベルギー、フランスなどの 北のゴシック系統の建築に比べて何か軽い感じがつきまとう。
オペラ「トスカ」は少し遅れたので、端の席に押し込んでもらった。切符が予約券ではだめで、売り場に回って切符を買わなければいけないということでもめ、時間をとってしまったからである。左端のこの席は音響・舞台鑑賞ともに良くないが、 オーケストラの上からのぞきこむことができ、ズビン=メータのかっこいい指揮を詳細にみることができる。また、舞台を少し横から覗いたので、舞台は日本の会場とは違い、奥ゆきのほうが深く、正面と同じくらいかそれより深いことに驚いた。また、結構フランクな服装で来ている人も多かった。筋は予習してたのでだいたいわかった。悪代官役Andrzej Dobberが、特に秀逸な演技で感心した。音楽は実にいい弦の音が聞こえる。これは湿度などと関係があるとしか思えない。オペラがはねてホテルにもどったら12時前。


2005/5/13

 Uffizi 08:15 に予約していた。 08:00ごろ既に 100人ぐらいの列 がある。予約していてよかった。予約者手続の順序はちょっとわかりにくい。まず列とは反対のウィングのほうで予約の票をみせて券をもらう。しかるのちに列と同じウイングの別の入り口から入る。あせって3fまでいったせいか、 切符を切る女性に「貴方が最初だ」と言われた。「一番乗り」をやってしまったらしい。

 目的はBotticelliとHugo van der Goesである。10室には大作があふれているが,
「春」のほうが、「ヴェヌスの誕生」より優れて見えたのは意外だった。これは本の図版でみる印象と正反対である。当時では珍しいキャンバス画である「誕生」は草々とした感じで、パネル画の「春」ほどの重厚な迫力はない。 照明のせいか、「ヴェヌスの誕生」は色がやや暗くみえたのが一因かもしれない。ただ、貝に寄せてくる波の見事な筆には感嘆する。
「春」のほうはニンフの薄絹が素晴らしいカリグラフィックな筆使いで描かれていて生彩がある。写真では陰鬱な女神の顔も、そうには見えない。1982年の修理は成功といえる。それ以前の写真では色が暗く、虫食い穴もあってちょっと損していた。「春」の草花はかなり概念的なもので、Goesやvan Eykのようなリアルな感じはしない。帰国後、修理前のカラー拡大図版(FORMA e COLORE, BOTTICHELLI, La PRIMAVERA)をみると草花に限っては結構深みがあるようにみえる。これは、単に汚れのせいでそうみえるのか、修理に失敗したのか?いずれだろうか? アベレースに倣った「誹謗」は修理中である。
「マニフィカートの聖母」はきわめて美しい。特に金線で描かれた光の冠とベールは最高のできだ。「コスマスとダミアン諸聖人がいる聖母子」(n.8657)は、聖母の顔が異風だがとても良い。聖カタリーナの顔がいかにもボッテテェルリ。 コスマスとダミアンはアトリビュートがないせいか画面下縁に注記がしてある。 ラベルは「アンブロジアーナの聖母子」になっていた。もと聖アンブロジアーナ教区にあったことによる。
「Grenadeの聖母」は予想通りの出来。ただ、名前が「MELLAGRANの聖母」になっていた。辞書で調べたら[ザクロの聖母]という意味で同じ意味のようだ。目録番号も同じ(n.1607)なので殆ど同じ2点の1つというわけではない(1977年修復)。1981年修理の「受胎告知」(n.1608)は、壁画をおもわせたが、なかなか良い。少し背景の補筆があるか?
「三王礼拝」(n.882)はちょっと小さくて軽い。

ヒューホー=ファンデア=グースのポルティナリ祭壇画は、予想よりも巨大なもので、等身以上の人物すらいる。ただ、汚れがかなりあるようで再度のクリーニングが必要なように思う。ただ、クリーニングをやると五年くらいは楽にかかり、その間観れなくなるので痛しかゆしである。Dirk de Vos Flemish Primitifs に掲載されている図版の鮮やかな色彩は写真の効果によるもののようで、実物はもっとくすんでみえる。従ってボスの風景描写との類似性は認証できなかった。
外側は修理とクリーニングが行われているようで、非常にきれいな状態である。もとはぼろぼろだったらしいから過剰修理という噂もある。外側は珍しいことに天使が右からくる形式である。壁がんに石像をおくゲントの祭壇画に倣ったものでゲントより大きくしようとしているのがみえみえだ。少しユーモアのあるヤンの作品よりずっと大きく厳粛である。ガブリエルの顔はやせて頬がこけているし、聖母も深刻な顔をしている。この聖母の顔はPHAIDON版のPanovsky, Eary Nederlandish Paintingの表紙になっている。
内部の画面で意外だったのは、粗野な羊飼いたちがあまり目立たないことである。図版でみるとかなり浮いてみえるのに。
隣にはロヒールの「キリストの埋葬」がかかっていて、こちらは状態色彩ともにとても良い。プラドの二点に次ぐロヒールだろう。くやしいがブリュッセルには、こんなのはない。

フラ アンジェリコの 「聖母戴冠」 は 図版では顔の表情がみな痛みきったようにしかみえないが、実物は全く違い繊細な表情が細線で線描されている。ある程度大きなこの絵に顔を近づけないと真価 がわからないというのは矛盾であるが、写本挿し絵に習熟した画家の作品だからかもしれない。顔の表情は穏和で現在泊まっているホテルの女性受付の人もにたような顔をしている。トスカナの娘さんの顔なのだろう。また、銀で描いた部分が黒くなって剥落していてかなり画趣を損している。
リッピの有名な「聖母子」は修理中でがっかりしたのだが、 リッピの「聖母戴冠」も興味深い。人物の顔が皆丸く、ボテロのような感じがある。色調が銀色が輝いているようで特異な感じがする。また、聖母の冠が無いがよくみると跡がある。おそらく金などで 描いたものが剥落したのだろう。下の方の天使がなにか楽器のようなものをもっているが、それも同様の跡になっている。竪琴だろうか?
パルミジャニーノの「長い首の聖母」は意外と大きかったが、図版でみるような嫌みがなく傑作。また、左隣りの「ザカリアと聖母子」も素晴らしいが、背景がヤンブリューゲルかと思わせるようなフランドル風の描写で驚いた。
ポントルモは出来不出来が激しいようだ。「エマウスの巡礼」は粗っぽすぎる。図版では不気味にみえる 「聖母子とヨハネ」 は迫力がある傑作、少し傷みがあるが 「聖マタイ」も良い。
レオナルドの「受胎告知」は、図版でみると概念的すぎてつまらなくみえるが、意外と良いという感じだった。
ラファエロは肝心の「ヒワの聖母子」が修理中で古い出来の悪いコピーが出してあった。「法王レオとその親族」という肖像画には感心した。本の描き方も実に迫真。「ユリウス二世の肖像」はそれほどでもない。ティチアーノのほうが巧いかもしれない。
 ラファエロの自画像は「みるかげもなく破壊され尽くして原形を留めていない」という批評があるが、顔の部分は意外と残っているのでは?と思った。

ミケランジェロのトンドは予想通り、それ以上でも以下でもない。同じ部屋に小さな(10cm)ぐらいの祭壇がケースに入っていて、無名のグリザイユの受胎告知が描いてあったが、なかなか良い。
アンドレア デル サルトには、もう少しいいものがありそうだ。そういえばベリーニがでてなかった。
ダニエル=セーヘルス の優れた作品 「花輪に囲まれたレオポルド=ウィレムの胸像」 があった。アントワープと東京にある三点と同じランクである。プラドやブリュッセルでもろくなものがなかったのに意外。
フランドルのHenri Met de BLesのまともな風景画があった。銅鉱山http://www.virtualuffizi.com/uffizi/img/1051.jpg
デューラーの「三王礼拝」は未仕上げかとおもわせるような草々としたもので、 チィッセンの「博士に囲まれる少年イエス」を思わせる。これはもとウィーンのRudolfII皇帝コレクションだったもの。
レンブラントの若いころの自画像は結構いいい。

ウフィッチのカフェテリアは混んでいたので、外にでることにする。ただ、カフェテリア横のテラスはとても眺望が良い。 外のNeri街近くのbarでサンドイッチとコーヒーで軽い食事.


2005/5/13 午後3時

ドウモ美術館にいく。 ドナテルロとルカ=デラロッビアのカントリア(石造の合唱隊席)をみにいったようなものだが、 どちらもとても良かった。 ルカのほうは、オリジナルの大理石パネルははずして裸で触れるぐらいの距離に展示したあり素晴らしかった。 「ルカのカントーリアのイメージ」 しつこくみてると、米国人のおばあさんが「LOVELYじゃない」と話しかけてきたが言い得て妙。 ドナテルロは高いところに展示してある。部分のできは愛らしくないが、全体の運動感統一感がすごい。 ルカも同じようにレプリカをはめこんだオリジナルのカントリアを高いところに展示してある
ドナテルロの「憔悴したマグダレナ」(木像)は感心しない。これは中世末期の 死体にはい回る蛆を描いたような 病的写実の世界である。

この町はマドリードと違って教会の鐘が定時に聞こえる町だ。アントワープほど音が大きくない。 ごりごりのカトリックのはずのマドリードであまり聞こえなかったのは不思議。

ホテルに戻ったら、ファブリチオさんというおじさんが対応してくれた。 CANONのちゃんとした一眼レフのいいのを自慢していた。 このホテルには、フィレンチェの主要な美術館・教会のオープン時間を書いた独自制作の パンフ・ちらしを常備していて、これがもの凄くその後も役に立った。 レストランは、MAMA GINIという店を推薦してくれたので、夜にはそこに行くことにした。 アーティーチョークのサラダ、と?、標準。


2005/5/14 Capponi, Balgelo, Pitti 

サンタフェリチタの カポーニチャペル は素晴らしかった。「降架」の状態は奇跡的なくらい良く、 なんらかのクリーニングが近年おこなわれたのだろうか?と思う。板にオイルのはずだが、 透明な淡彩のようにみえ、繊細優雅な色彩は比類がない。この色は図版でみるよりより淡泊であり、 想像以上だった。衣紋、肉体の線も的確であり、細部をみても実にいきとどいている。 また、全体の統一感も高い。構想は破天荒であり、パルミジャミーノの「長い首の聖母」よりさらに 過激だ。人物がすべて、水中にただよっているような浮遊状態にあり、眼には本物の虚無と不安感が あらわれている。空に浮かぶ雲をみるとダリの作品かとさえ思ってしまうぐらい現代的である。
PONTROMOは作品にむらの多い人であり、ピッティの2作品もそれほどではないし、ウフィッチの エマウスもぱっとしないが、この作品とその横の「受胎告知」は、抜群である。フレスコの「受胎告知」は、一度剥がして修理してまたはめこんである。 1979年ごろ京都で展覧されたことがあり、強い印象を受け、大きなポスターを買って未だにもっている。25年ぶりの再会だが、やはり美しい。
1eで10分ぐらい照明がつき、その間電話形式で解説が聞けるようになっている。これは、解説を聞きたくなく 静かに鑑賞したい人には親切だし、グループなら格安である。午後にももう一度いって鑑賞した。 ポンテベッキオのたもとという抜群のロケーションのくせにガイドなどにはあまりのっていず、 観客が少ないのはありがたい。

午前中しかあいていないMUSEO BALGELLO にいく。 列なし。ルッカ デッラ ロッビアとその1派の陶磁器像が多数ある。なかでも女性肖像と男の子の肖像はとても良い。 建物自体が14世紀?と思われる古風なものでUfiiziより好ましい。基本的には彫刻中心だが、 一部屋の壁はジョットー派のフレスコで一杯だ。
ドナテルロ、チェリーニなどの作品がめだつ。[横をむいたおじさんの肖像」とでも言いたくなる伝ドナテルロの彩色テラコッタNiccolo da Uzzano胸像がリアルでよかった。ドナテルロの聖ゲオルギウスもさっそうとしていて良い。ロヒールのコロンバ祭壇画両翼の模写もあった。ピサネッロのメダルもそろっている。象牙工芸品・陶器など工芸品が多い。なかでも象牙の櫛は中国を思い出して興味深かった。 ミケランジェロのバッカスはどこがいいのか理解し難かった。
イスラム美術の部屋もあって東方交易の都市でもあることを感じた。

昼食はアルノの向こうのチンギアーレ=ビアンコにいく。昨日行ったレストランの並びだった。 やけに空いていて不安。 ルッコラサラダパルミジャニーノ添え、と猪肉ソースのパスタ。味は、それほどでもない。 赤ワイン小カラフを頼んだが壷ででてくる。飲みきれない。安い。

ピッティ宮殿は傾斜地に立っていて、前の広場が完全に斜面なのには驚いた。無骨で、大きさは中心部の建物より大きい。ここは内装壁面装飾、家具、シャンデリアなどが凄まじく、美術品がめだたない。大きなシャンデリアをみると当時の照明係の労力がしのばれるし、落ちてきたら絶対助からないなと思う。
肝心のラファエロは、ガラスカバーがはいっていて、しかも無反射ガラスではなくみにくかったが、確かに他より良い一級品である。「聖母子」「ドーニ夫妻肖像」「大公のマドンナ」、フィッリポ=リッピの大きな聖母子トンドが生でみれたのはありがたかった。Ufiiziの「戴冠」に並ぶ傑作だと思う。2点のポントルモはあまり良くない。ここには、14世紀以前の古い絵はない。

少し体調が悪くなったので、ポポリ庭園はやめて早めにもどることにする。 とはいってもそのあとウィンドウショッピングをやり、かえって疲れて、 アルノ沿いのどうでもいいところで、「茄子とモッツレラさらだ」ビールの軽い食事。意外に高い。 注文中、黒人が「モンブラン」といって、店の人に万年筆を売りつけにきたのは呆れた。Uffiziのアルノ寄りにも黒人の露天が多くポンテヴェッキオにつらなるアーチを散策できない。治安悪化が懸念される。
シニョーリア広場のすぐそばの商店街でチェロを引いていた青年がいた。あまりバッハ(無伴奏)がうまいので、ヴィヴァルディのチェロソナタをリクエストして弾いてもらった。ヴィヴァルディ最晩年の出版作品14-5、ホ短調、で一番メロディアスなものがでてきたので、おもわず「それ!」と日本語で言ってしまった。全部暗譜で弾くからたいしたものだ。いくらピエール=フルニエの編曲で名があるとしても決して有名な曲とはいえない。これには感動した。帰国して、ビルスマ+鈴木のDHM版を聞き直している。


2005/5/15 午前

今朝は、朝食をホテルへ昨日依頼していた。3e。今日はじめて、emailで対応してくれたパメラさんと会う。フレンドリーで立派な女性で、実に細かくサポートしてくれた。盆に載った簡単な朝食をもってきてくれたので、ワゴンに乗せて偉そうに食事。

朝早く, アルノのウフィッチ側の回廊を散歩。さすがに黒人の露天もなにもでていない。静かである。 また、サンタ・フェリチタへ行くと、日曜ミサの最中である。じっと端のほうで起立したまま 待機。イタリア語によるミサだった。このとき神父さんはなんて雄弁なんだろうと感心した。 ミサ終了後、カポーニのポントルモ鑑賞。その後、教会前のレストランのセットメニューに色気を感じる。
オルサンミケーレ教会にいくも、扉は閉鎖。 外観を観るだけ。 オルサンミケーレは珍しく北方ゴシック的な建築である。私はこっちのほうが 見慣れているので、なにかほっとした。 隣りに小さな美術館があったので訪ねてみる。個人の好古家の小さな蒐集という感じでそうたいしたものはないが、好感はもてる。 オルサンミケーレで弦楽の教会コンサートの張り紙をみる。16日夜 なので参加を企む。
念のため駅までいって、SITA社のバス乗り場とダイヤをみてくる。
途中、レプブリカ広場で、ワインの試飲販売をやっていたので、少し試飲。
昼食にサンタ・フェリチタ広場まで戻るもレストランはまだ開店しておらず、店内でミーティング中。 これでは13:30の便に間に合わないかもしれないので、ホテルの下のカフェbalgeloで食事。ピザを頼んでみた。普通。
チェックアウトの後、駅のバス乗り場にいく。13:30の便はウィークデイのみ、14:10になることを知って唖然。イタリアの時刻表は混ぜて書いてあるのでたくさん便があるようにみえるが、色分けで 休日とウィークデイを区別していることを思い知った。まあ2時間遅れるわけじゃないから、ONの字か。 Sienaまで6.5e