イメージをクリックすれば、大きなイメージが出ることもあります。
フィレンチェ駅には少し早く着きすぎた(1時間半前)だが、一度も使ったことのない
交通機関・駅では用心するにこしたことはない。
ガイドブックで読んだ刻印器は、ここにはなく、よく観たら、
チケット販売機の機能の一部としてついている。一応、今日分の切符は刻印した。
昼食用のサンドイッチ、ミネラルヲーターなどを買う。
該当のベネチア行き列車が出るホームが一向に決まらない。まあ、ここはターミナル駅で
ホームが皆地上でつながっているから、変更になったら、すぐいけるのだが、地下でつながっている
場合は大変。。
ホームが決まったのが定刻の15分前、結局10分遅れで出発。ボローニャまでは何の問題もなくついた。
ボローニャは、地下でホームがつながっているので、どのホームか慎重にチェックしなければならない。
ボローニャ〜St. BENEDETTO
間は二歳ぐらいの子供連れ二組と、一人のご婦人とコンパートメントで旅行。ヤコブ君の方は積極的活動的である。ニッコロ君の方は眼が大きく絵にでてくるような顔の子だが、わりとすぐ泣いてしまう。
ご婦人は、私がSt. BENEDETTOで降りると強調していたら、まだここは違うと注意してくれて、とてもありがたかった。なにしろ通りすぎたら後がないし、イタリア南端に近いLecceまで行く列車である。放送はわかりにくく表示もない。ダイヤが信頼できないので停車時刻を基準にはできない。近づいてきたころには、止まりまりそうになった都度腰を浮かし荷物を手にし、駅名を見逃すまいとする。その都度指摘してもらえてとてもありがたかった。降りるときはニッコロ君にもあいさつ。ヤコボ君の家族はずっと前の駅で降りてしまっっていた。
列車の窓からアドリア海がときどきみえる。水平線近くが異様なくらい紺色にみえる海だ。
また、かなり海の近くを走っているのだが、漁村らしいものがあまりみえない。単にそうみえないだけなのだろうか?一方、リゾートの海水浴場は頻々とみえる。既に客もいる。冷たくないのだろうか?
途中、聖母の霊場として有名なロレートも通りかかった。列車から大きな聖堂がみえた。
フィレンチェ、ボローニャの接続はまずまずながら、St. BENEDETTOで列車を1時間近く待つことになった。ホテルへ電話したあと、あきれて外にでたら、Ascoli Piceno いきバスがまさにでたところだった。ホテルへ電話しなかったら、まにあっていたかも、まあこの程度の不運はあるが、不運つきに:ならないようにしないと、、、
1時間以上遅れて17:20に到着したAscoli Picenoの
ホテルPalazzo Guiderocchi(http://www.palazzoguiderocchi.com/)
はとても素晴らしい。古い館のよいところと現代設備の良さを両方兼ね備えている。
階段は絨毯を金属棒で押さえている。天井高い2部屋+広いバスルーム、豪華ダブルベット、カウチ、書斎机、これで98eとは信じられない。おそらくここのハイシーズンは夏のバカンス時期だからではあるまいか?
部屋に入る前に共用のサロン(→)があってここがまた豪華、壁にはフレスコ装飾の断片が残り(17世紀?)、豪華なソファとカウチがある。近づくとセンサーで明かりが灯る凝りようである。
扉は古めかしい木だが、鍵はピッキングし難いとされる最新の仕様である。なぜか、回しかたは古いホテルと同じようにコツがあり、下手をすると鍵をうまく抜きとれない。また、内側からも同じように鍵をかける。
バスルームは完全に清潔で前のような問題はない、アメニティもよくそろっている。ここのシャンプー驚いたことに私の髪を洗ってみたが、いつも使っている高価なシャンプー同様に柔らかく洗えた。一見軽石のように穴があいているが堅固な石の石柱が中庭にむけて並んでいる。ここは入り口は至って地味でめだたない。はじめどこにタクシーを停めるのか疑ったくらいである。
強いて欠点をいえば併設しているレストランで大音響で音楽を流していて、それが少し聞こえてくることである。これについては、オーナーに何度かコメントした。また、センサーに懲りすぎていて、異常反応したことがある。フロントにいたとき突然、火災警報が鳴ってびっくりした。
比較的新しいホテルのようで、今後有名になりそうだ。
まだ、明るいので、
外出してみる。目的がクリヴェリの絵画を観ることだから、
インフォーメーションがあったので、担当のおばさんに色々聞く。
開館時間などいろいろめんどうなこともあるようだ。
まず Doumo(St. Emidio )の祭壇画をみるが、かなり離れて観るのと照明がいまいちなので
いまいちはっきりしない。
次に絵画館にいく。ここは、役所の2Fという感じだが、中は宮殿っぽい。
ここも遅くまで開けてたので楽にみられた。ここでは、酷く傷んだ祭壇画を2点みたが、結構よかった。
REF.「クリヴェリの絵画についてのイメージの宝庫」
夜はホテルのレストランにいく。
レストランは、音響はともかく、腕はいいようで、ビステッカも高い分フィレンチェよりおいしかった。スパゲッティもとてもよかった。ワインは地元のPiceno Superiore 2000でこれも上々。
よいホテルにゆるゆるいるというのもいいものだと想う。ここの朝食も豪華で、特に甘いものが実に多彩で多かった。歯が悪いので控えていたが、別のカフェでDolce Ascoliセット包みを10eで売っているところから、ここの名物か?また、パンが素晴らしくおいしい。ジュースも4種もあり、みな大きなガラスの水差しに入っている。ただ、なぜか食パン薄切りは酸味がありフニャフニャしてておいしくない。
ホテルの人が、別の教会にも良い絵があるというので行ってみたが、日曜ミサの最中、とても
邪魔できないので、遠慮して退散した。
Doumo(St. Emidio )にもう一度いく。
なんと、結婚式が終わってでてきたところ。結婚式でも別に白タイや礼服は集まった人や親族はしない
ものだと思った。
結婚式の人々が散会したら、入ってみたら、ミサの最中。
ミサが終わるまで待っていようと思ったが、神父さんの説教が実に雄弁で長い、共産主義やナチズムまで
例にあげて、堂々たる演説をする。ついに待ちきれなくて、そーーと、祭壇画のところまで行って鑑賞させてもらう。
最下部が1.7mの高さの大理石の支持棚(はりだし)に乗っているので,最下部がちょうど視線のちょっと上にあり、最上部はその3m上、それが4mほど先にある。その途中に蝋燭が並ぶ祭壇がある。照明は暗い。それでもあるだけよい。それにガラスカバーがないのは有り難い。高さ3m近い大作なので、どちみち近くによっても上部をみることは困難である。
前日肉眼だけでみたときは、くすんだ印象しかなかったが、ツアイスの単眼鏡でみると、実に素晴らしい作品であることがわかった。人物や衣服の仮借ないリアリズム、神への強い憧憬、苦しみ、威厳、自信が溢れていて、優美や慈悲を主眼にするような宗教画とは少し違う、このような強さが必要な状況というのは明らかにあるものである。トリエルの出身である聖エミディオの法服はまるで立体彫刻されてういるようだ。洗礼の聖ヨハネの足元はひび割れた木の切り株のようだ。マリアの衣服や椅子も特異である。聖カタリナは紐?(実は棕櫚の葉)をもつ右手の感じ、右腕の袖の衣が実に凄い。
どちらかというと各パネルが独立しているような感じがある。ただ、最下部のプレディラは、各聖人が論争しているような趣がある。
昼前、役所の上でやってるローマ時代から近代までのアスコリの衣装展をみる。
昼になったら、突然閉め出すのが、いかにもイタリアだと思った。こちらもだんだん慣れてきて、
「12時に閉めたいんだろうな、じゃ、出ます、、」
昼は、ホテルで推薦されたカフェミレットにいき、サンドイッチとカンパリソーダで軽くすます。サンドイッチの一つを部屋にもちこんで昨夜の残りのワインを飲んでみた。冷蔵庫に入れていたが劣化していたようで残念。
軽い昼食後、ホテルで寝てたら、掃除にきた。
しょうがないので、ちょっと待ってもらって空けて、ローマの劇場あと(←)と、ローマの橋(→)をみにいく。聞きしにまさるイタリアのしかも日曜の午後、まさしく無人になり森閑となった町を経験した。ときどき、車やバイクが通るくらいである。
ローマの劇場(←)は保存状態は悪いがなんとか形を残している。マチェラータのような野外オペラは無理だろう。
ローマの橋であるアウグスト橋(→)はトロント川をまたいでいて、その周りの道もローマ街道っぽい。
ここは丘の上というより、峡谷に沿った、ローマ街道沿いの町というのが妥当のようだ。
ぼっとしてたら、犬の糞を踏む。なんとかスリ落とすが気持ち悪い。
ご存じの通りホテルの部屋は土足で入るのだから、よほど綺麗にしないと大変なことになる。すぐ
ホテルに帰り、慎重に洗った。
その後、ホテルでウダウダ。。
16:00 Montefiole dell'ASOにタクシーでいく。
結果的には失敗。Santa Lucia 聖堂(右)が暗すぎる上、前面に反射抜群のガラスがあり、殆どみえない。マルケのサイトにもでている名画なのだから、もう少しちゃんと設備をしたらどうだろう。カポーニ礼拝堂のように、1eいれると、明かりがつくようにすれば、普段の照明による劣化も避けられるし、ミサのときの一時停止も簡単だろう。無反射ガラスより網や鉄格子を手前におくほうがいいだろう。
眼を閉じて暗闇に眼をならして凝視したが、向かいのステンドグラスから差し込む光がガラスに反射してさらに観にくい。結局聖カタリナの顔をわずかに伺ったのに留まった。昔の法隆寺で玉虫厨子をみたようだ。災害にあわず、永く後世に美を伝えてくれるよう祈念した。1月に1人ぐらいしかない記名帳にはウィーンからきた人が多い。ドイツ人好みというのはわかる気がする。苛烈な表現はケルン派やデューラー、グリューネワルトに通じるものがある。
ホテルに人の推測では、タクシー代は60eぐらいとのことだが、ミラノ空港往復120eを考えると、2倍にはならない程度と考えておけばいいだろう。と思った。
素晴らしいパノラマを観ながら130kmでとばす。さすがに、アルファロメオの国だ。カーブの嵐やら、快適な稜線ドライブやらをくりかえしてついた。途中で事故現場にあう。黙祷。
で、天気もいいし、意気軒昂で行ったのだが、上のような結果でした。
道端で、道を聞いたら、「Chieza di S. Luciaはあっちだ。」と喜んで教えてくれたのになあ。
Chieza di Santa Luciaでラテン語 Santa Lucia Sponsa Christi を読んだのがまずかったのか、
運転手さんは、帰り道に「オフィーダ」というとこに是非いけという、とても美しいChiezaがあるそうだ。
逆らう気もないので、いくことにする。大丈夫かよ?とSt, Lucia ora pro novis ,
St. Maria Magdalena ora pro novis, St. Caterina Alexandra ora pro novis(2聖女はCrivelliの絵にある)走りだしたら、アドリア海が見えたのには驚いた。こんな山奥からも見えるのだ。こんどはどっちかというと丘の上を走るという道だ。途中で、堅固な要塞がみえたので、乗りだしたが、運転手さんは無反応。で、帰国後
Offidaのサイトにでてることに気がつく。(MONUMENT->MURA CASTELLANE を選択すると表示.12,3世紀の城)
オフィーダについたら、きれいな役所のようなアーチが並ぶ建物があった。こちらは劇場だという。エ、ソッチじゃないの?。肝心のChiezaは現在修理中、周り中が足場で囲まれ、扉は皆しまっている。
運転手さんがまわりを回ったがだめ。私は別に観たいとは思わなかったので、Ascoli Picenoに帰ろうとすると、別のChiezaにいこうということになる。これは文字通り、丘がはりだしている先端に灰色の塔のように建っている。入り口までが突面の傾斜面に石で階段のようなひっかりがついてるだけのもの(←この斜面なんです)。雨なら絶対いきたくない斜面だ。入り口から入るとまるでロマネスククリプトのような低いアーチの嵐のつくりである。一人1e、運転手さんの分も含めて2e払う。
ここを観て上にいくと、がらんとした方形の聖堂にでる。至って単純な作りなのだが、この山の中丘の先端に石を積み拠点を築いた人々のことを想う。あるいは要塞の役もしたのではなかろうか?
で、帰国後、
Offidaのサイトにでてることに気がつく。( le Chiese ->S. Maria della Roccaを選択すると表示される。)
このOffidaのまわりは一面葡萄畑である。
その夜、給仕が強く薦めるので偶然 OffidaのワインBachusを飲んだがそれほどよくなくて残念だった。
08:00 朝食、大変豪華、ここのパンは食パンを除き異様なくくらいおいしい。
10:00 再度Pinacoteca(絵画館)にいく。
Crivelliの破損した祭壇画が2つある。これらは小規模なものである。破損がひどく眼だけが残ったマリア様の眼が凄絶でこれを観るだけでも見に来たかいがあった。東大寺法華堂の吉祥天のかろうじて残った片眼を賛美した某氏の文章を思いだした。下の部分には粗略なところもある。破損がひどくないほうは、穏和な作品だが、聖ルチアの勝ち気な表情が特に好ましい。破損しているため基底の板がみえているが、十文字の傷が多数つけてある。下地が食いつきやすくするためだろう。あまり合板にはみえないが1枚板ということはないよね。
同時にCrivelliの模倣者たちの作品もあるのだが、やはり穏やかすぎる感じがする。優しく穏やかでいけないことはないのだが、質を期待しているので。
1200年代に奉献された大きな刺繍があった。半径80cmぐらいの半円で、聖グレゴリウスをはじめとする聖人が散らされた多数の円形のメダイヨンのなかに刺繍されている。
Pinacotecaでは私しか客がいなかったので、監視のおじさんがずっとついてきてちょっとうざかった。
11:00 Diocene Museumを再度確認するも臨時閉鎖中。残念。
広場では自転車競技のスタートをやっていて、おじさんお兄さんが
いまこそ、開始、という感じでした。
11:30 Cafe Lorenz オリーブフリット、Vino Bianco, Crestini . 7eで昼食。
12:30 チェックアウト。 紋章つきタオルをもらう。主人夫妻から歓迎されて嬉しい。
13:00 taxiで駅。贅沢なようだが、丘の上の町の場合、駅までひきずっていくのはかなりきつい。シエナの場合死にそうな急坂だ。
Ascoli Piceno駅には古いタイプの黄色い刻印器があった。さっそく切符を刻印する。
St Benedit in Tront から ミラノまで TreinItalia EUROSTARで。
列車の席につくと、なぜか雑誌がおいてある。サングラスをかけた太ったおじいさんが、「そこは私の妻の席だから、あんたは他へ行け」と英語でいう。ミラノへいくのか?といってそうだということだから、「じゃ奥さんの切符と交換しよう。」「奥さんの席はどこだ。交換するから教えてくれ」といっても埒があかない。結局、どこかにいってしまったので、雑誌をよけてかってに座ってしまう。
その後またやってきて、さらに乗務員ともめてるし、、、
で、2駅過ぎたころにまた戻ってきたが、後ろの席の若者と替わって欲しいといって、若者がこちらに来た。He is a strange old man, といったが、英語が通じないようなので、変なことをふきこまれているとやばいから、こちらは、PALMのタイピングにいそしみ無視することにする。
あとでいろいろ考えると、奥さんが他の駅から乗ってくるので、まだ席が決まっていなかったのではないか?あるいは奥さんの席自身がなく、でたとこ勝負で駅員から買うという企みだったのかもしれない。
ここは全指定である。私が他に座ったらそこに後から他の人が来たらどうなる。実際、空いていた隣の席も1時間後にはつまってしまった。席さえあれば少々悪い席でも喜んで交代しただろうし、自由席なら言うまでもない。イタリアにも「困った最近の古い者」がいるようだ。