2005年ベルギー旅行記録

2005/8/1 Louvain

Louvainについたら、いきなり豪雨状態である。幸いタクシーをつかまえることができたので、ホテルへ直行する。タクシーの運ちゃんは、「朝食がいいホテル」と言っていた。期待が膨らむ。 このホテル DE PASRORIJ の内装はエンジェル・天使ファンのオーナー ピーター氏の趣味で天使だれけになっているが、ちょっとおかまっぽい感じなので、はじめはちょっとひいてしまった。しかし、泊まってみると、どうということなく 極めてフレンドリーで良いホテルである。2日に訪ねてきたルーヴァンで学生やってたシモネさんとその連れも、ルーヴァンにこんなホームメイド風のホテルがあったとは?と驚いていた。地元の人が知らないところに泊まれるとはインターネットの恩恵だと思う。地図でみると、細い道路がグチャグチャになっているようにみえるルーヴァンだが、実際は結構広い道路が通る開放的な感じの町である。ホテルのある。シントミヘール街もあっけらかんとしていて、暗い中世風の感じがない。学生町という点も大きいのだろう。
 もと僧正の別荘だったようだ。小さな庭園がついていてこれがとても可愛い、ここが面白いのは大きな四柱ベットがあることで、とても気に入った。最初はともかく、最期の夜は大きく帳を広げて寝てしまった。 日本人にとっての欠点はシャワーだけしかないことだろう。シャワーの調子は上々である。
 ここでは、カードではなく現金支払いを希望された。手数料がきついのだろう。また、二十四時間フロントがなく、ホテルというよりはペンションであり、鍵を借りる方式である。
 画家のメヘレンさんから電話が入っていたので、部屋にまっていたら、電話があったので、ホテルに来てくれるように言った。 スキンヘッズの三十代ぐらいの痩せ気味人で、なんとなくイメージしていた印象とほぼ同じだった。知っているレストランに行こうということになり、広場に近い天井が高めの古い居酒屋にいった。メヘレンさんには、私が昔、スキャンを神戸の人に依頼していたとき作りためていた、日本の古い絵画をカラーコピーしていた控えをどっさりあげた。後でわかったが、実は、これは正解だった。 そこではビールをがんがんのみパスタやグラタンのようなものを食べたように思う。ヨーロッパの日本通によくあるように、葉隠などを読んでいたので、つれづれ草を読むように薦めた。
 その夜中、ブリュッセルのシモネ氏から電話があり、友人といっしょにルーヴァンのこのホテルで会いたいと言って来たので同意。

2005/8/2 Louvain

朝、とても素晴らしい朝食。これはオランダでもここまでの豪華な朝食はあるまい。タクシードライバーは正しい。 十分満足して部屋に帰った。
午前中は教会にいってブーツとエーデルヘーレ祭壇画をみる。エーデルヒーレ祭壇画は興味深い材料であり、別途、稿を起こすことにした。ブーツをツアイス単眼鏡でみているとドイツ人っぽいご夫妻がきていたので、ちょっと貸したら喜ばれた。テーブルのテーブルクロスの一部としてナフキンを置いてるようでとても面白い。この最後の晩餐の祭壇画は、緑色がとても明るい。これはボスでいうとプラドの「三賢王礼拝」、ラザールガルディアーノの荒野の洗礼者ヨハネの緑の美しさに匹敵するものだ。スライド集と絵はがきを買う。
ランチは、教会裏の広場のオープンカフェで安いランチセットとビール。

シモネさんと友人の方が来た。友人の方は恰幅が良く日本語を話す。2人ともルーヴァンで学生生活をしていたらしく、「こんな家庭的なホテルがルーヴァンにあったとは!」と驚いていた。朝食がでたロビーで3人で話した。A氏は倉敷で活動していて、ご夫人は日本人らしい。ただ、日本語の会話を全部訳してくれるわけでなく、大ざっぱなのでシモネ氏と会話があまりできず、かえって困ってしまった。ついに苛立ってしまい、英語で両人と話すことにした。K氏はメヘレン氏を日本でプロモーションすることを考えているようだが、私は全く興味がなく、シモネ氏と欧州における東洋美術の鑑識の問題などを話したいので、話がすれ違いがちである。今朝みたエーデルヒーレ祭壇画のことを言うと、「あれはコピーだから」とありきたりなことを言うのでフランクフルトのグリザイユとの関係を論じたら少しは評価を改めたようだ。シモネ氏の友人なので顔も立てなくてはと思って苦慮する。
 日本からのおみやげを渡し、一応話しをしたあと、メヘレン氏のアトリエにいこうということになる。シモネ氏の車でいくが、かなり郊外の住宅地である。描きかけの絵や絵の具が散乱しているのはあたりまえだが、床に資料やカタログ本が堆積していちぇ、土にまみれているような感じである。高価な資料を渡さなくてよかったと思った。その堆積の一部に降りたたみイスなどにすわって歓談する。なんとシャンパンをだてくれるのでありがたくいただいた。ここでは、前夜の歓談とは違って、A氏の話しが中心になるようで、少し居心地が悪かった。まあ絵画ビジネスの話は、A氏にまかせてコメントを求められたときだけレスした。  小さなドローイングをもらってみんなで帰った。
  まあ、破綻なくシモネ氏とあえたのでまず良かったとすべきか。
ディナーは、ホテルのピーターに推薦されたレストランにいった。2005/8/2b louvain  高級そうで、「不思議の国のアリス」にでるような小さな庭がついていて、テラステーブルで食事する。ところが、料理は、「日本料理」だったのだ!!。イカの刺身、お総菜風肉(アイルランド牛肉)と野菜 、など、なんの因果でベルギーまで来てワインを飲みながら高価で平凡な日本料理を食べなきゃいかんのだ。あああ。帰国後、あるフレンチレストランの人に聞いたら、「パリでもにたような経験をした人がいるようですよ、はやりみたいです」とのこと。
ホテルにもどる。ピーターに朝、ロビーを会合に使ったことをいったら、「問題ない、自分の家使ってくれ」とのこと。安眠。 ホテルとして、全く素晴らしい。

2005/8/3 Louvain -Brussel-Louvain

良い朝食:   今日は、ブラッセルの王立美術館にいくことにする。前回、あまり良くみることができなかたtので、今回ちゃんとみようというわけだ。
往復切符を買っていく。8ユーロ。なにしろイタリアと違って時刻どうり運行するし、表示もあるのでかなり使いやすい。
九時ごろのインターシティでいくとかなり早い。席も一等車とおもったら、二等車だったくらいに良い。
Brussel Musee Royaux にいって鑑賞、目的はMontefole祭壇画2, Corin Coter St Michel, Metyes Maria と聖アンナ祭壇画の確認。
フレマールの画家の作品を撮影している日本人をみて注意したら、なんとここはフラッシュ三脚なしだと撮影しても良いと逆襲された。それなら私もと手荷物に預けたカメラをとりにいって戻ったら、昼休みで古い15、6世紀のギャラリーと17、18世紀のギャラリーを交替で開ける時間帯になる。しょうがないので17世紀のセーヘルスなどをとる。また、地下の19世紀絵画も少しみて、 ダヴィッドの傑作「マラーの死」 バーンジョーンズの傑作「プシュケーの婚礼」 などをみた。この横長の緑青色がめだつバーンジョーンズは絵葉書もなく撮影もしなかったので、後で困った。
 現地までいってろくに鑑賞できなかったMontefoleの二点は、ここでは裸で至近で鑑賞できる。保存はまずまず。修理箇所はもちろんかなりある。しかし生彩がある。特に聖母はクリヴェリにしてはずいぶん大人しい表現で意外に思った。
ここは、15、16世紀フランドルの無名画家の作品が結構多く、大作もある。 詳細は別途  

三時ごろまでみていたが、さすがに力つきた。  ショップで、Primitive Flammand Paintings in Royal Museumを買おうとしたら、ない。しょうがないので絵葉書を買ったのみ。  近くの美術緒専門店にもなかったので、これは本当に売り切れのようだ。残念。 サンドイッチを買って、列車で食べることにする。駅でステラアルトワビールも買った。サンドイッチは2001年にメロードの近くのショッピングセンター地下で買った不味いサンドよりずっと良かった。 ルーヴァンに戻り、ホテルでひと休み。
こんどこそ、ちゃんと西洋料理を頼もうと、ホテルで推薦された第二のレストラン、ダルタニアンに行く。ここは全く本格的で素晴らしかった。ムール、チキン、良いワインなどなど。  天井や壁がアンシャンレジーム風に黒革のようなもので貼ってあり、席の近くにはダヴィドフの葉巻セットが完備しているという重厚さである。

22005/08/4 FLIGHT

 今日はお別れだ。  このホテルには本当にお世話になった。あまり客がいないようで心配になる。
 実は、ルーヴァンから空港にいくのは、バスがない。距離的には近いのに全く不思議である。ブラッセルにいく列車を考えるとラッシュに重なるし、乗り継ぎも不安なので、この際高価だがタクシーを使うことにした。60eもかかるので、ホテル一泊分ぐらいになってしまう。このホテルは素晴らしいのでルーヴァン滞在はお薦めだが、空港へいくための最期の滞在都市はブラッセルかアントワープのほうが良いようだ。最期をブラッセル郊外の安ホテルにすれば、同じ予算で一泊分増やせるというわけである。
ブラッセルーチューリッヒのスイスエアの中で、ブリュージュで買ったフランドル絵画の過剰修復に関する本Restaraur ou Faud を読んでいると、ちょっと話しかけてきた初老の髭の男がいた。どうもナポリで熱ルミネサンスやX線による古美術品鑑定のラボをやっている人らしい。van der Vekenの偽作疑惑についても有名だと言って いた。ナポリのカンピモンデ美術館を自慢するので、確かすぐれたブリューゲルとマンテーニャがあったはずだ。とコメントしたら話しが弾んだ。メールアドレスを教え、チューリッヒで別れた。チューリッヒ空港ではスイス軍マークのついたTシャツを買う。 乗って居る間、前の人が大きくリクライニングを倒したら、スポット照明が席に届かない。そのため、あまりタイプができなかった。本稿がやたらに遅れたのもそのせいである。帰りは体調も良く、無事に成田まで到着した。