ブリュッセルのホテルVENDOMEがなかなかみつからない。駅のすぐ近くらしいのだが、どうもわからず三十分以上うろうろする。しょうがないのでタクシーに無理をいっていってもらった。こんなことをやっているから調子が悪くなる。ホテルのレストランで夕食。OLVAL, REMEEER, PORT酒風味のテリーヌ野菜そえ(これは美味)、カルボネードフラマン(普通、自分で作っても変わらない),喉の痛みはあまりよくならないので、味にこるのは意味がなさそう。その夜ねんのためバファリンを飲んでおいたら案の定、大量の寝汗、もっともこれは副作用っぽい。翌日、ホテルに紹介された薬局へいく。トローチ(30錠)、うがい薬1瓶を買う。ただ、うがい薬の使用法がよくわからず、捨ててしまう。
トローチで軽快になったので、 ホテルに荷物を預け、 Palace de Beax Artsの「Ensor a Bosh」展へいく(11:00-12:00)。 グロニンヘンの作品がかなりきており、空っぽになっているではと心配になった。アドリエンセンの「黒猫と魚の切り身」(切り身のプリプリした感じは凄くリアル)キュイプの「雁の獲物」 シモンマルミオンの二点、Gerard DAVIDの「祭壇画」まできててびっくりした。伝ボスの「最後の審判」もきていた。なかなかきれいな作品で、みどころも多いが惜しいかな中心部分のキリスト、天使などが弱いとおもう。ただ、これは、繪のサイズを考慮する必要があるだろう。快楽の園のような大きな繪のモチーフを小さな祭壇画につめこむとかなり無理がでてくるということもあると思う。大きな祭壇画をもとに、「類似のものを」という個人の需要に対してアトリエで制作されたものではないか?プラドの三賢王の礼拝」も隣の快楽の園に比べるとかなり遜色を感じる。 アントワープのテルボルヒの「リュート弾き」もきていて、照明のせいかクリーニングのせいか、かなり良くみえる。 近代では、十九世紀後半の初期フランドル派への復古的な絵画にはちょっと驚いた。ご当地のせいか雰囲気を良く出していて、この時代にできた模作贋作をまちがえていることがかなりあるのではないか?と思った。ダヴィッドのような様式の「絵画の発見」も面白い。アンソールのドローイングをみると、意外とルドンに近いものがあり、アンソールの独自性だけでなく、世紀末の共通性を感じた。
12:05 Bozartの近くセントラル近く、Brasserie Arc en ciel で食事:ビール+ランチ食べきれないくらい多い。9e+bierrre= 10.8e.
2005/7/26、 昼食後、Centralから地下鉄で、エラスムスの家にいく。St. Gudal 駅着。13:30。
ここ、Anderechtの町は、ブリュージュやアントワープのような古風な雰囲気がありなかなか好ましい。ブリュッセルの中心は19世紀成金趣味があって、どうもいまいち親しめないのだ。この辺にホテルがあればいいのに、と真剣に思った。 エラスムスの家の方向を、とおりかかったおばあさんに聞く。教えてくれたのでラッキー。 ゴシック風の協会の向かいでさらに古風な感じのエラスムスの家につく13:30-15:50鑑賞
(伝)ボスの祭壇画(Anderecht Alterpiece)を観ることが目的だったが、周囲もまったく素晴らしい。この祭壇画は、過去の有名なボス特別展にもまったく出品されなかったし、所在ももと隣のサンピエール協会から現在はここエラスムスハウスに寄託されているという情報をボイマンスの特別展のとき編集されたカタログの注記でかろうじて知ったぐらいである。なんと裸で展示されていて、しかも、外側をみるために額をそっと動かすはめになった。額とはいえ一六世紀の作品に触って動かしたのはこれが初めてである。内側、とくに人物は平板で補筆も多そうで感心しない。が、外側の二翼はかなり良い。遠景の風景のぼかしが特にすばらしい。ラザルガルディアーノの荒野の洗礼者ヨハネのバックとは違った描き方だが、鑑賞に耐える。 ロッテルダムのボッシュ展にも、古いセントヘーンボスでの特別展にも貸し出されていない珍品をこんなに至近で鑑賞できるとは思わなかった。外翼左の修行僧像はヒエロニムスで、鍵はペテロに改変するために後世加筆したもののようである。とすると、もともとは他にあって、サンピエールに入ったとき変更されたのだろう。
旅のはじめでもあり、カタログは別送してもらう。 さて、駅に戻るときなんと、さっき道を教えてくれたおばあさんと鉢合わせした。「ちゃんといけたか?」「素晴らしかった」(握手握手)で楽しく別れた。
喉の痛みが、気管支炎になるかもしれない、このままだとほんとにやばいと感じた。熱、咳のモードに移行してしまうと旅行が台無しになってしまう。昨夜、病状その他、予診用の申告書をMedical Passportを基にして英語で書き、ホテルのフロントの女性に医者を予約してもらう。なんと、向かいの家が医者で、午前9時に予約できるとのこと。海外で医者にかかるのは初めてなので、パスポート、書類、財布にユーロを用意していく。
看板は極地味、どうも二、三人で共同で医院をやってるようにみえた。アントワープ風のやけに天井が高い白い待合い室はあるが、受付というのがない。呼び出されていくと、ジーンズが似合いそうなの若い女性がでてきた。実際は薄いベージュの綿パンとシャツだったが、、どうもこの方が担当医らしい。白衣も着ていない。やはり喉と鼻が赤く腫れているとのこと、抗菌薬の処方箋を書いてもらった。八日間続けること、とのこと。また、鼻汁、発熱があった場合の臨時に使う薬、これは直接もらった。また、保険会社用の書類をいただいた。支払いはその場で女医さんが財布を開いて行う。これがとても珍しい。「日本では医者が直接お金をうけとらないのか?」と逆に聴かれたが、考えてみると不思議である。あとで手紙を書くことを約束した。ただ、これで23ユーロは、保険なしということを考えるとかなり安いのではないだろうか?
日本では、保険でも初診で千円以上+薬代だろう。(治療費と薬代はカードにつけていた保険で、帰国後精算できた。)
Dtr. Anne Saeys,
HUYSARTS,
Keizerstraat 78, 2000 ANTWERPEN
薬局もすぐ近くにある。旧市街で良いホテルをとるとこういうときにとても楽だ。薬局でもちゃんと保険会社用の書類を書いてくれる。
正午過ぎまでは、薬を飲んでゆっくりホテルで眠った。
昼食は聖母教会近くのBacino、オムレツセット。安くて結構いい。
聖母教会でルーベンスをみたが、結構観光客が多かった。2001年に来たときはだれもいなかったようなのが嘘みたいだ。
午後は、体調も回復し、少し生意気になって、マイヤー ファン デルベルヒ美術館、 ルーベンスの家、ルーベンスのお墓があるJAKOB教会にいく。 マイヤー美術館は、改修していたはずだが、隣の家を買収、ディスプレイなどがあるホールができたようにみえたぐらいで、そう変わってはいない。絵画陳列位置はかなり変わっているようだ。プラドのブリューゲルをみたあとだが、やはりここの「狂女グリート」は質がいい。つけこむところがない。「フランドルの諺十二」で同心円状のろくろびきのような跡が画面にあるのを、斜めから観て確認した。セーヘルスの花の絵を再認識。
ルーベンスの家は、今はガイドではこの町で一番有名な博物館になっているようだ。前に売店兼が前にあるのがすごい。中に展示してある絵画も結構多い。ただ、「ルーベンスの息ずきがきこえる」というほど、なまなましくはない。 付属の庭園のほうが、そういう意味では、よりよい。 ルーベンスの家にも絵画展示があった。質のよいセーヘルスのブロンズ色のレリーフを囲む花輪があった。そうとう大きい。
メムリンクの修理場は分厚いガラスの扉でかこってある。それをあけてみる。通常の客も遠くからみることはできるので、そうめちゃとはいえないが、修復してる人にはうっとおしいかもしれない。まるで動物園である。 思ったより大きい作品で、人物は等身大。人物の大きさという意味ではメムリンクの作品ではもっとも大きいかもしれない。匹敵するのは、フランクフルトのバテシバぐらいだろうか。 現在進行中で、まだ数年はかかりそうだ。現在は変色した古いニスや加筆部分をアングルにつけて画面の前で自由に動かせる顕微鏡とイスを使いながら丁寧にとりのぞいている状態である。露出したオリジナルの色層にはニスを施していない状態だった。修理は女性二人で行っておられ、現在約2/3進行というところにみえた。お土産(京都の装飾紙と西美の絵葉書)はLizetさんの分しか用意してなかったのはまずかった。後日東京から手紙をだすことにする。 修理担当の次席 Incke Labarque女史に聞いたところ、保存状態はそう悪くなくオリジナルが剥落してしまったところはそれほど多くないようだ。ほとんど残っていて、汚損、変色がひどいという状態らしい。 詳細は、修理担当から論文がでるであろうから、先取権を尊重したいので省略する。ただ、ずっと明るく派手なものになることになる。
文字の記入がみつかっているが、現在はまだ意味がわからないこと、たぶん色指定か?。ここで、「少なくとも日本字でも漢字でもない」と意ったら主席のWittermann女史モ含めて、みんな笑った。
オルガンの扉かケースであったという説について、リゼさんは、Najeraの超巨大なオルガンの写真をだしてきて、このくらい大きなケース部品があってもおかしくないことをしめした。
協力者の問題につて、リューべュックの聖アン教会祭壇画外翼を例にして、ダビットを示唆さたが、汚損によって天使の顔が陰気にみえるので違うようにみえるのではないか?と反論された。これは同意。
また、メムリンクがスペインに送るなり、行って指導して現地の画家が協力した可能性もいっていた。
2005/7/28a Antwerp 鑑賞後、荷物をクロークに預ける担当が フォンさんというベトナム人の好青年だった。万一連絡がうまくいかなかったとき、押し問答になるのはいやだから名前をちゃんと聞いた。そのとき「chinese or vietnamese」と聞いてベトナムとわかったとき、おもわず握手してしまった。最近の日中の関係でいやになったせいもある。
2005/7/28 そのあと、通常のギャラリーを鑑賞したが、4年前に鑑賞したフーケの聖母子がやはり良い。ファンアイクの「泉の聖母」がよくみえるようになったのは、どうも、2001年末ごろにクリーニングしたせいらしい。草花がきれいになっていた。Shopで報告書をみて わかった。 「聖バルバラ」は後ろもみれるような展示になっている。ただ、後ろには何もないようにみえる。好感は変わらない。 マチースの大きなヨハネ祭壇画については「騒々しい」という印象はいまだに変わらない。細部や背景は面白いところも多いのだが。 マチエースの小さなキリストと聖母の対は表面の状態 がとても良いようで、聖母の顔のバラ色は、修理中のメムリングで、クリーニングした後でてきた色に近い。 Veronicaのマスター(ケルン14世紀)の「聖母子とカタリナがいる受難のキリスト」(inv5070)はドイツにしては、とても優しい顔だった。 Jan マチエースの絵はどれも少し顔に妖気がある。 Clala Petersの魚は、昔、新宿伊勢丹でみたときより、より暗い感じがした。修理後との報告書がでていたが、普通明るくなる場合が多いのに不思議なことだ。 左側の魚は光沢はないが、これは、身欠きニシンか薫製ニシンである。また、銀座等に写るザリガニ、小海老をこれほどうまく描く人も珍しい。 伊勢丹でみた、ゴンザレスコックとセーヘルス合作の花束の中の男性肖像を再見。やはり傑作。 Merchior d'Condecoeterの大きな鳥の群像があった。他でもみたがこの人の得意分野らしい。
改築中のアムステルダムのライクスの出張展「マニエリスム」があったが、「ヤン=ブリューゲル、Balem, Monper3人の合作という大作の人物風景画」が面白かった。
1fに降りたら、横でブリューゲルと風俗画展というのをやっててこれがとても充実していた。ピーテル2世工房の風俗画がまずあったが、 昔、伊勢丹でみたDaniel SEghers and Shutの合作: 花束で囲まれた聖母子(inv803)があったのが嬉しかった。保存の良い傑作。ただ、上野の同種の作品もそう悪くないと再評価した。 jan Breugel, elder花瓶の花束 n.643.はかなり良い。法花のような焼き物の描写も良い。 Jacob Vrel(1654-1662)の室内画inv.710も良い。 Egon Hendrick van der Neer(1635-1703)の小さな風俗画inv. 732には、素晴らしいサテンの衣装の描写があり、ポスターにでていた有名画家(たぶんHooch)の作品にひけをとらないと思った。 A. C. Lens(1739-1822)の[受胎告知](Inv,1090)は、時代がフランス革命にかかるせいか、極めて日常的な描写で異色だと思った。 George Frederic Ziedel(1756-1809)の花の絵(inv 514)も見事。
ベトナム人のファン君に挨拶して、カフェでビールとサンドイッチの昼食、近くで回転馬車があり、子供が遊んでいて印象良し。
少ないといっても、 パテニールの聖クリストフ、マチエースの丸い小さな聖母子、 ヴァンダイクの二人の男の習作(これはよい)、 ローラン サヴァリーのとても大きな動物画(最大作?) があった。 Osias I Beert のガラス瓶に活けた花束、また、古染付の27cmぐらいの大きな鉢があった。カタログには万暦としてあるが天啓と思う。他古染め付けは多かった。 また、それなりに落ち着ける中庭もある。
ホテルに預けていた荷物をもって駅へいく。